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Posts Tagged ‘アドバンスデザイン’


『コンピュータ制御ベッドが示唆していたこと』


   


     7月 14th, 2017  Posted 12:00 AM



これは私が30代のデザイン作品です。
13の企業を統括して商品化し、大商事会社と大デパートで展覧会もしました。
そして、毎日デザイン賞の対象作品にもなったのです。
当時、とても優れたMacintoshの「ハイパーカード」で、
ベッドの動作仕様を決定して、寝たきりの患者さんの褥瘡を無くし、
ドクターがベッドの動きを指定すれば、
実際には歩けるようになる、ということまでを実現しました。
問題は市価だったと思います。
36個の上下動空気圧ポンプをコンピュータ制御するシステムであり、
背中を押し起こす機構など高価でした。
そして提案が早すぎたのでしょう。
現在は8個のポンプで新しい素材でのアドバンスデザインに至っています。
また何と言っても当時のハイパーカードは、現在ならカラーで展開が可能。
このハイパーカードこそマルチメディアという言葉を抹消したソフトです。
このソフトを知っている人こそ、Macのあるべき方向を言えるでしょう。
私の発想はこのハイパーカードで支援されていました。
今はありませんがMacProjectというソフトでは13社の工程管理をしてました。
現在、いわゆる褥瘡はこれからの老人医療でも大きな問題です。
私はウォーターベッドで、褥瘡から解放されましたが、
それでも瘻孔という事態にもなり、ワイフは完全無菌での瘻孔管理を
トレーニングした経験もあります。
褥瘡=床ずれは、手術時間4時間でも発症すると言われています。
この床ずれ管理は現在すべて海外製ですし、進化せず高額です。
車椅子生活での経験では、ベッドや褥瘡管理は私の使命かと思っています。
そういう意味では、これからのプロダクトデザインは、
韓国の環境デザインが、建築系ではなく、ロボット環境にしているように、
車両・航空機・造船デザインや、医療すなわち看医工学デザイン、
防犯防災デザイン領域へと焦点化と拡張化が必要です。
30代のこの私デザインこそ、
デザインでの問題解決をすでに示唆していたものと感じ取っています。


* 『「眠る環境」その要素としてのウォーターベッド』
* 「ジャンボ・ジェットは747-8が完成型だった」
* 「コントローラーのデザインはまったく進化していない」
* 『宝飾品を実際に確かめていた頃を思い出す』
* 『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』


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『「手洗い習慣」をグリップすれば清潔を手にいれる』


   


     8月 1st, 2016  Posted 12:00 AM



電車の取っ手に触る、初めてのハンドルに触る、
正直、若い頃から手が汚れることに抵抗がありました。
自分にとって最大の不安は感染症です。命に関わります。
だから、外出すれば必ず徹底的に「手洗い」をします。
敗血症、風邪であっても、自分には不安極まりないことです。
触る、グリップすればそれで清潔になる。
アドバンスデザインとしては理想の方式であり、それを成し遂げるのは、
決してデザイナーの力では無理、いや無謀なことでした。
技術進化を待っていたようなことが大学にはいろいろあります。
深紫外線の発光素子LEDの大変な技術競争が入ってきました。
きっかけは、阪大のフォトニクスセンターでの
深紫外線研究、電子顕微鏡での遺伝子検査その遺伝子に深紫外線を照射。
国際的にも最初の論文が受理されると、一斉にその研究が拡大しました。
フォトニクスセンターから、深紫外線で消毒、滅菌が可能ゆえ、
消毒、滅菌のモノ・器具あるいは装置のデザイン依頼がありました。
関連する論文、LED発光素子競争の資料を全て読みこなしながら、
紫外線で殺菌?、紫外線とはいわばDNAを破壊するのになぜ?
この大きな疑問のままに、
一方では、「グリップすれば消毒可能」、
そんなことがもし、本当なら新しいデザインが出来る。
大腸菌に深紫外線のある波長が近接場に入射と反射があれば可能とのこと。
デザイン計画書とともに、プロトタイプの試作に入れました。
このプロジェクトは、工学と医学、そしてデザインが協同、
しかし、看護学、保健学からの支援ということで、
デザインサイドでの動物実験までがデザイン対象となりました。
厳しい中間審査でさらに市場性=中近東の拡大までが検討され、
そのまま、内閣府での審査結果、「製品化発表」にこぎつけました。
「手洗いの習慣」を変えることが出来る。
7月28日、報道関係のTV局2局、大手新聞各社社も集まり、
「記者発表」しました。
「手・掌の日常的な方法を根本から変えます」、
動物実験結果とともに、その最終製品デザインが出来上がりました。
いよいよ、企業への「商品化」、商品アイテムは一杯あります。

* 『天空と深海で何が起こっているのだろうか?』
* 『「手・掌を清潔に」するモノとコトのデザイン実務』
* 『コンシリエンスデザイン看医工学の危機解決対象・MERS』
* 『手の消毒、そんな時代になっている?』
* 『デザインはすでにここまでが必然となっている』


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「デザイン理念は造形言語と形態言語の形素で未来を招来」


   


     12月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM



私は、形態=言語という定義である形素に固守しています。
そして、私はデザイナーゆえに、
デザイン言語による表現が形態と呼ばれていると考えます。
そして、デザイン言語=造形言語+形態言語、
すなわち、
デザイン言語=デザインする意味(意図)+デザインされている意味、
だと思っているわけです。
昨夜は、BMW i8が、
今世紀の車はここから始まるという事例を紹介しました。
ところが、BMWの未来へのデザインは、
さらにその次を予感して、
アドバンスデザインとしてモデル化は終わってます。
それは、車もやはり回帰すべき素材を纏っているのです。
「布」=fabricsを纏うという
想像力を技術的実現性へと向かわせていることです。
私は、
織物は「布(ふ)」であり、「膚(ふ)」であることにたどり着いて、
ファッションを評論し始めた経験があります。
「布」は、まさに皮膚のごとく身体を護るがゆえに、
機で織られて発明されました。
文明を指示する「機器」は、寒さから護る布ゆえに機があり、
飢えから護るために器ありの世界観です。
文明の最先端を車は、
その表現形態=技術言語として語られる必要があります。
その語り部としてデザイナーがいるとするなら、
車に「布」を纏わせた言語には、造形言語と形態言語によって、
近未来へアプローチする企業理念です。
こうした企業理念を言語化=形態化するには
デザインは必要不可欠な表現手法です。
私は、
その造形言語の形素に「布」を選んでいることにまた感服しています。
多分、欧州では「布」の感性的要素に、
・「しなやかさ」
・「きしみ」
・「ふくらみ」
・「しゃり」
・「こし」
・「はり」
・「ぬめり」、
この七つの形素が下敷きだからでしょう。
理念を形成すること、いや、創成することには、
言語要素、ソシュール的には音素と彼は呼んでいますが、
私は、言語としての形態には「形素」があり、
造形言語・形態言語の形素には、
造形・形態の要素足る素材への感性が評価軸であらねばなりません。
おそらく、BMWのこのアドバンスデザインの形素には、
七つの感性的要素が明快であるからこそ、
未来を招致するデザイン理念=企業理念が発言する、
造形要素と形態要素が確約していることを感受することができます。
わが国の企業に、企業理念の再構築には、
デザイン言語の音素と形素を
是が非でもデザイナーにこそ準備させてもらいたいと願っています。


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「ロボット・『舞』の意図すること」


   


     4月 27th, 2012  Posted 12:00 AM


「ロボット」、その言葉=戯曲からの由来はすでに教科書的です。
が、その由来名辞から解放されているとは言い難いと私は思っています。
J・ボードリヤールは「物の体系」で、
「ロボットは想像的なものの局面が神話として
到達したものに他ならない。
それは目に見える機能性の投影という局面である。」と、断言。
私は、わが国のロボット学者や企業は、
ヒューマノイド系とメカノイド系に
輪郭化されていることに不満がありました。
この指摘を「私のロボットデザイン」で
評論的な表現にモデル化したいと考えてきました。
ベースは、中村雄二郎先生の「形態論」と「身体論」です。
「形態論」=安心+安全であり、
「身体論」=安全+安心として再考すると、
スポーツや舞踊が引用できると結論づけることができました。
ところが、「舞踊」は日本だけでなく、
世界中の「踊り」が見事に二分できるとたどり着いたのです。
それはボードリヤールの指摘からも、
ロボットという名辞からも解放されるデザインから
技術仕様を決定していく一つの「基礎学」でした。
「舞」は、足裏を決して見せません。
能舞が日本の伝統芸能として的確でした。
名前も『Nomenclator』という古代ギリシア語を選別しました。
「Nomenclator」というのは召使いですが、
データを把握している情報マンのことです。
誰かが歩いてきて領主的な主人に挨拶をすると、
「あれはどこそこの誰で、先般、病気をしていたとか」、
性格や立場を主人様に伝達する奴隷でした。
しかし、人間ゆえに「感情を持っている」という決めてがありました。
だから、私のロボットは呼び名を変えて、足裏を見せないで行動し、
なおかつ感情=泣いたり笑ったりという表情を、
ヒューマノイドでもメカノイドでもない
形態の身体化を図るということでした。
これは私の人工心臓の究極である「感情=交感神経β1と副交感神経β2」で
鼓動しているような「性能化」感覚と一致しています。
例えば、帰宅すると出迎えてくれて、
ユーザーの想いを共有してくれることが目標意図になりました。
これは大阪大学に特任教授となったときに、
阪大フロンティア研究機構で、ワーキングモデルとして、
「感情共振」=Emotional Domainまでへのアドバンスデザインとして
開発具現化できました。
このモデル化は「玩具性」を離脱する一つの方法だと思っています。


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『資本主義からの逃走』
   「ガラケーは日本の通信会社、その大罪責任」


   


     12月 3rd, 2010  Posted 12:00 AM

ガラケー原因
ケータイは「世界標準から確実に離脱する」。
この予知は的中しました。
FOMAという通信方式とi-mode内容、
これをコンテンツと呼ぶようになりましたが、
それは「情報形式」と「情報内容」というより「情報目次」に過ぎなかったわけです。
情報通信を「包み込む」発想は全く無く、「詰め込む」だけの情報意味の勘違いでした。
以来、わが国では「コンテンツ産業こそ日本のオリジン」と思い込んでいます。大きな間違いです。
日本のケータイが「ガラケー」となってしまった鎖国的な情報認識でしたが、
それ以上の問題はケータイ回路設計実装と形態は、分断されました。
電話通信企業の展望の無さ
つまり、ケータイ流通は、通信会社(電話回線ネットワーク)に独占され、
ケータイ本機生産はハード企業への「形態・かたち」の決定は、
「造形デザイン素人にすぎない」キャリアと呼ばれる担当者に委ねられてしまっていたことです。
当時、私はグッドデザイン賞審査委員長でもあったので、この批判を相当にしました。
ハード企業のケータイ担当デザイナーの現場の声をいっぱい聞きました。
各社の担当デザイナーが集まって彼らたちと議論、懇談会も企画し実行しました。
現場の声は、「造形デザインにまで口出しする」キャリアへの不平不満でした。
「ガラケー」としてしまったのは、企業のデザイナーたちではありません。
デザイナーケータイ名作も国内棲息
デザインケータイと呼ばれる著名デザイナーの本来「作品」となるべき製品も、
通信会社キャリアというより、経営者の展望無き「好き・嫌い」でしかありませんでした。
彼らのデザイン評価の中でしか棲息を許されなかったのです。
それでも力量あるわずかのデザイナーは世界的な名作も数点ありましたが、
今度は通信方式を「日本の独自性」つまり鎖国的方式に固持仕切ることで輸出は見送られました。
ガラケー批判からの革新提案
私は、このようにすべからくケータイ批判をしてきました。
結果、私に「デザイン依頼は皆無でした」。
しかし、あるハード企業の会長直々から「このままでは日本のケータイは孤立し、
輸出もできなくなる」ということで、「アドバンスデザイン依頼」と、
「通信形式の進化デザインプラン依頼」がありました。
そのデザインはiPhone内容とは全く異なる機能性で超えているモノと自負しています。
私の提案は、日本列島すべてをとりあえずWiFi化し、
さらにWiFiを超える通信ネットワーク技術を、日本が提示することです。
と同時に、私は、Smart-Phoneを日本が進化させられるものと確信しています。


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