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Posts Tagged ‘アニメーション’


『リトルコンピュータピープルの顔色は人工知能要素かも』


   


     3月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM



スーツが似合う男はそれほどいないと私は思っています。
国内のファッションガイド誌に取り上げられている人物など
僕には納得不可能です。
スーツが似合う男優ならばマイケル・ダグラスだと思います。
その彼の代表作「ウォール街」に登場するApple IIcは、
Macintosh発表の翌年1985年、すでに液晶ディスプレーとともに
発表されるとともに、このパソコンは特にアニメーションでは
その当時のNHK教育TV関係CG 映像はこれで制作されていたはずです。
僕も手に入れていましたが、
なんといっても、僕がこのコンピュータには未来が見えていました。
最近、人工知能について、僕はほとんどすべてを懐疑的かつ否定派として
僕はその考え方に至っています。
この考え方を決定的にしたのは、Apple IIcでも実現されていた
「little computer people」というゲームでした。
このゲームは、当時スタッフにも
「結婚しなくてもこのゲームの進化とともにいきていける」と
冗談を言い合っていたことがあります。
このゲームは、三階建ての家屋内に一人のおじさんが暮らしています。
時には散歩にでかけますが、
ピアノを弾いてくれたり、体操をしていたりの気ままな生活を
画面越しにこちらは観ているだけですが、
時にはこちらから手紙を送ってピアノ演奏を頼めます。
またそのおじさんから手紙がきます。
それは水を届けるのです。
そして、その水が無くなってくると、
おじさんは「顔色が悪くなって」ベッドに寝込んでしまうのです。
僕が最も問題にするのは、ベッドに寝込むおじさんは
「顔色が悪くなるのです」。
このゲームは現在の人工知能を表現していると僕は思っています。
つまり、知能に対する身体的な条件です。
先般アンドロイドロボットの
まったく人工知能回路ゼロのロボット研究を見て、
私はアンドロイドロボットの目の動きとともに、
顔色変化=つまり、心臓という感情との関係性が
知能表現には必須かも・・・
この直感に囚われました。
僕は早速、この知能と心臓=顔色変化はすでに
「little computer people」では意識されていたことを
まざまざと思いだしました。
次回「KK塾」では、この話を深めたいと思っています。


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『漫画・アニメーションにみる日本独自のロボット観』


   


     12月 21st, 2014  Posted 12:00 AM



日本のロボット技術は、国際的にも独特で有り、しかもそれらは
漫画からアニメーション、あるいは怪獣映画が支えてきました。
映画・ロボット・工学にサンドイッチされている想像界があり、
とりわけ、日本のロボット工学には実際は仏教論だったこと。
これは日本で最初のロボット工学の森政弘先生から学びました。
その根本的な表れは、日本の映画でもアシモフのロボット論は、
ほとんど適用されていません。それこそ、ロボットは性善説でした。
海外では、ほとんどがロボットは人類の敵であり、アシモフ論です。
日本の漫画やアニメーションが「かわいい=kawaii」表現も、
この適用に見事に収まっていると私は感じてきました。
それはロボットとは何か=人間とは?からのアプローチがあり、
J・ボードリヤールのロボット論にまで私は影響を与えているとさえ
判断しているくらいです。
鉄腕アトムからロボット学者に向かった人たちを知っていますが、
すでに日本の漫画には、キティちゃんやドラえもんがいますから、
これからはこうしたキャラクター主人公からの想像力があるでしょう。
それは現代のロボットには中途半端なモノが多く登場し過ぎていて、
これらは、日本独特のロボット観の勘違いを多く発見しています。
私は、漫画・アニメーション・映画に登場するロボットの
「柔らかさ」に是非とも注目してほしいのです。
そこでは、なんといってもドラえもんは、まさにお菓子のどら焼きが
リバーシブルになっているぬいぐるみは、一つの象徴です。
私は、くだらないと言われようが、キティちゃんグッズから、
ドラえもんグッズを集めに集めてきました。
それはまさにボードリヤールが指摘したロボット論の裏付けでした。
「柔らかいロボット」の登場こそ、アシモフのロボット論、
敵対するこれまでのロボットから、未来ロボットを呼び込むと
私は予知しておきたいと思っているからです。
空想から生まれたドラえもんには、あくまでも性善説のロボット、
私がすでに定義付けしている「ロボットデザイン基礎学」があります。

『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
『ロボットに工学設計はあってもデザインされていない』
「ロボット・『踊』の意図すること」
『森政弘先生からの仏教論に支援されながら・・・』


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『「ドラえもん」映画評コメントに卓越した文章を発見』


   


     7月 20th, 2014  Posted 12:00 AM



私の世代にとってロボットは「鉄腕アトム」、「鉄人28号」です。
日本のロボット学者では小学校時代に「鉄腕アトム」だった人が
相当いますが、私は、のちのちに登場した「ドラえもん」はスゴイ。
そのドラえもんが、しかも、山崎貴監督(一緒に講演会経験あり)。
彼なら、CG撮影の技術力はすごいですから、期待できます。
「アナと雪の女王」はディズニーの3D表現が相当に詳細でしたから、
日本の2Dアニメは明確になっていました。
結局、映画では3D表現の立体観は進化したと言わざるをえません。
新聞広告で、日本の話題的な人物が、この新作映画評が出ました。
私は何気なく一読しましたが、この映画評コメントに、
卓越した文章力・文体性・コピー能力のある人物を発見しました。
(そうか、この人物3名は流石だ!)と読み直してしまいました。
文体性では、観て感動しました、では表現力不足です。
所詮、漫画であり、2次元が3次元になってのアニメーションです。
無論、映画ゆえ、笑って泣いて感動を!というのは商品戦略です。
だから、観て感動しましたなんていうのは誰でも書けます。
広告コピーとしてはそれを書いた人物の有名性だけでは不十分です。
「ドラえもん」はそれぞれの人物の人格の感性とどんな関係?
これが重大骨子でなければ、ありませんし、
読者としては、「え〜、このような見方を教えられた」という、
まさにまだ観ていない私たちに、彼らの印象記述が、
たったこれだけの文章量で、そうなのか、ここまで観るべきとは、
この記述をしてくれた人物がいましたし、だから彼らの有名性には
私は大きな納得と安堵をしたのです。
そして、ドラえもんグッズを見逃してこなかっただけに、
この3人のコメントだけで、3Dアニメーションは多分、
これからのアニメーションを大変革してくれると大期待できました。

ドラえもんグッズ
ドラえもん時計
ドラえもんウォッチ


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6月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 8th, 2014  Posted 9:30 AM

6月8日 辛亥(仏滅)


何かのかたちに「成る」というのは、
まさしく、
子供たちのそれこそ
アニメーション・キャラクターたちが
ヒーローでいることの
証ではないだろうか。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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6月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 7th, 2014  Posted 9:30 AM

6月7日 庚戌(先負)


何かのかたちに「成る」というのは、
まさしく、
子供たちのそれこそ
アニメーション・キャラクターたちが
ヒーローでいることの
証ではないだろうか。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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6月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 3rd, 2014  Posted 11:10 AM

6月3日 乙巳(仏滅)


むしろアニメーション・キャラクターには
子供たちなりの「知」あるいは「智」への
刺激が備わっている。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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「KAZUO=OUZAKと同じだった、まさに『逆転発想』」


   


     10月 12th, 2012  Posted 12:00 AM



siliconでも最高素材のまさに知育玩具。
そして製品名称がnocilis。
私は、正直、最もらしい幼時玩具を斜めで傍観してしまいます。
有名な欧州の積み木作品集でも、 その帯文書評には、
「玩具は子どもを孤独化させる」とまで書いたことがあります。
それは私自身が一人っ子で、
常に積み木で一人遊びをしていた経験が
ある種のトラウマ的な大きな寂しさの思い出があるからです。
ところが、この新素材の玩具を見たとき、
造形言語がそのまま形態言語になっていて、
まさにトポロジー的に完全だと驚きました。
まさに「逆転」させる発想を成し遂げたデザイナー力量に感服しました。
それが、飯田吉秋氏だと知ったときには、
「やっぱり」と全幅的に納得しました。
20代から名前と実力を知っていただけに、
つい先日出逢って、語りに語り合いました。
そうして製品名までが「逆転語」であり、
それは私が社名としているOUZAK=KAZUOと同等で、
大笑いし合いました。
これは、造形言語=designing language(造形意図記号)と
形態言語=designed language(形態意味記号)が
完全一致していることです。
しかも、この積み木遊びは、「ぶつけ合うという攻撃的」遊具性も
安心安全な素材かたちを持っています。
無論、飲み込んでもなんら身体的な影響は皆無です。
しかも、デザイナーという大人の発想は、
ユーザーである子どもたちは、
さらに拡大して「物語り化」させる可能性が大です。
トポロジー的な形態でありながらも、
トポロジー的な検証性はすこぶる困難だという不思議さが残っています。
阪大マークもこの発想で裏返せば、
ペンのかたちになるというアニメーションを拝見しました。
阪大マーク立体化の製品提案をしてみようかと思っています。
昨今は、中国製でとんでもないシリコン風モノマネもあるらしく不安です。
ともかく、まったくの「逆転の逆転」というメタ性が付加した、
トポロジー空間論での形態化に感服しています。
メタ・トポロジー空間とは、
超・(トポロジー=位相空間)のさらに造形的な空間論です。


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「印刷の未来はまだ来ない・・・なぜだ」


   


     8月 16th, 2012  Posted 12:00 AM



またワイフのコレクションを借りました。
「VISIONAIRE 48 MAGIC」には、
一言で表現すれば、3D印刷がいっぱい詰まっています。
3Dはすでに液晶TVでも実現されています。
モニターデザイン機器のデザインに関わってきて、
CRTから液晶モニターさらには
プラズマディスプレイにも関わってきました。
そして液晶TVが3Dになって一般化すると、
それこそ映画も3Dの立体的現実感に私は納得しました。
サッカー競技なども擬似3Dは結構迫力があります。
したがって、印刷技術での3D表現をそれなりにいろいろと見てきました。
ところが、Van Cleef & Arpelsが実現した
「VISIONAIRE 48 MAGIC」には見事な印刷表現がありました。
時折、印刷関連からも3D印刷が持ち込まれました。
無論、印刷と3Dといえば一つのラピッドプロトタイピングもあります。
しかし、この3Dではなくて、2次元平面にも関わらず、
「奥行き感が現実」な印刷物です。
たとえば、
ゴキブリが印刷面を眺める角度で動いているように見えるのです。
当然、パソコン画面でアニメーション的な3Dはすでに実現していますが、
あくまでも平面印刷面上です。
この平面2Dに、印刷された3Dがあるのです。
願わくば、製品デザインのカタログや作品集には
この印刷技術で作成したいと思っています。
だから、
いつもこの「VISIONAIRE 48 MAGIC」を印刷メーカーに求めても、
まだまだ一般化されません。
ということは、Van Cleef & Arpelsという高級宝飾ブランドにとっても、
この印刷技術の最高峰をめざすべく、
この「手本」としてVISIONAIREが作成されたのでしょう。
グラフィックデザイナーも、
アニメーションよりもまずこの技術表現に近づいてもらいたいものです。


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5月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 31st, 2012  Posted 9:30 AM

5月31日 壬辰(友引)


何かのかたちに「成る」というのは、
まさしく、
子供たちの
それこそアニメーション・キャラクターたちが
ヒーローでいることの
証ではないだろうか。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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5月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 18th, 2012  Posted 12:03 PM

5月18日 己卯(赤口)


むしろアニメーション・キャラクターには
子供たちなりの「知」あるいは「智」への
刺激が備わっている。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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