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12月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 25th, 2016  Posted 12:00 AM

12月25日 先勝(辛巳)


イメージ訴求とは?、
この手法は、
デザイン戦略ではなくて、
デザイン戦術である。



川崎和男の発想表現手法


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『「恐竜」、このシンボル性のイメージ訴求デザイン』


   


     12月 25th, 2016  Posted 12:00 AM



恐竜は私の生涯にとって重大な存在になっています。
それはわがふるさと福井県のシンボルでもあるからです。
それもあってか、米国の自然史博物館で世界で最も巨大な恐竜を観た、
その感激はとても大きなことでした。と同時に、福井県勝山市に、
恐竜博物館があり、今では世界でも有数の博物館どころか、
新たな恐竜がそれもフクイナントカという名辞されたのがあるほどです。
それだけにとどまらず、福井駅構内から駅前には実物大があります。
ところが、先般、京都のデパート、その中で著名なファッションブランドが、
「恐竜」をメインシンボルとして、商品だけではなく、
展示シンボルとしました。
先日、東京銀座の同じブランドショップでも、この一環したイメージ戦術が
見事に展開されていました。
福井県の恐竜イメージ展開とブランドイメージでの恐竜イメージ展開は
どうみても、福井県がどれほどのマーケッティングデザインを展開しても
明らかにイメージの訴求力はファッションブランドに負けていました。
つまり、シンボル化された一方は行政でのイメージ展開力と
ファッションブランドでのデザインによるイメージ訴求力を比較できるのです。
福井県人の一人、しかもデザイナーとして、
恐竜の知識だけでなく、恐竜イメージのデザイン価値づくりにはそれなりに
自分なりのデザイン展開とイメージ訴求手法を考えぬいていたのです。
が、明確にこのファッションブランドとの差異化が厳然としてきました。
これは差別化戦略では無いとだけ記述します。
もっとも、地方行政にブームとして展開した「ゆるキャラ」でのイメージ、
それは数体の「ゆるキャラ」以外は全てイメージ訴求は全くデザイン皆無です。



* 『恐竜の里になっていたふるさと福井』
* 『ふるさと福井はまだまだ恐竜の聖地になれる』
* 『「創育」と「想育」の中心はやはり恐竜の存在だ』
* 『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
* 「『マーク+ロゴタイプ』が経常利益を決定している」


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『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』


   


     8月 13th, 2015  Posted 12:00 AM



「コンシリエンスデザイン」を定義化してから、
どうしても、私自身が説得不足を感じていたことがありました。
それは「統合」についての整理された論理が必要でした。
学術と芸術の統合というコンシリエンスの基底論理でした。
まだ30代の頃、CIブーム時にはCI=「企業イメージの統一」論へ
CIデザイン論の再構築という論文をデザイン専門誌に書きました。
「統一」から「統合」をW.S.ランデッカーの考察から学んだことが
私はとても気になり、その論文をバックナンバーから探しました。
しかしどうしても見つからずに、この専門誌発行元に問い合わせ、
それが見つかってきて、あらためて私はとても驚きました。
なんとそれはMacintosh 512KでMacDrawでの図解で描かれていました。
そして「企業イメージの統一」CI論を企業の戦略的効果の消滅として、
「社会は、いつの時代の変動もその局面を強調して、
将来への予測とその準備を強要するものである。」という書き出しは
今も健在であり、常套化したデザイン手法=企業イメージの統一から
いち早く逃れるべきである、ということを指摘していました。
企業イメージの統一=CI論はケインズの経済学を引きずっていました。
そのための統一から統合を、私は今なお主張し続けていることです。
W.S.ランデッカーは、「統合」を以下の四つで整理していました。
 ● 機能的統合
 ● 伝達網的統合
 ● 規模的統合
 ● 文化的統合 でした。
私はやっと思いだしてとても大きなヒントになる予感です。
この四つでアイデンティティ=存在性の再考が可能という予感。
それこそ今、話題騒然としている、オリンピックエンブレム問題も、
エンブレムデザインでは、東京オリンピックのイメージ訴求は
決して統一は困難であり、今なお著作権でベルギーが訴訟しようが、
東京は商標登録しているからという対決姿勢だけの不毛さは、
「イメージの統一」に寄りかかっているからに他なりません。
重大な事は、オリンピック・パラリンピックともに、
イメージの統合のために、そのエンブレムが、
機能的・伝達網的・規模的・文化的な四つの統合性があっただろうか、
この質問を投げかければ、
文化的統合はすでに壊れているということです。
それは、文化的統合とは、無知と差別を解消することですが、
エンブレムは、オリンピックとパラリンピックには、
差異性、いや差別性をデザインしたということです。
もっと、厳密に言うとケインズの経済学が亡霊だと気づかない、
そんな21世紀がまだまだ続いているということです。
ここまで気づかない能力だと思いますが書いておきます。

*CI=C.I.=コーポレート・アイデンティフィケーション


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