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Posts Tagged ‘オリンピック’


『地方都市=鯖江が日本の未来モデル都市になるわけがない』


   


     7月 30th, 2015  Posted 12:00 AM

「地方の時代」とは、もう何年言われてきたことでしょうか。
1980年代に、私は東京の赤坂を離れてふるさと福井にもどりました。
理由は、交通被災に遭い車椅子生活となりましたが、
当時、もうフリーランスデザイナーであった私に、
いつも励ましてくれていたドクターから、
「ふるさと福井に帰った方が君は長生きができる」と言われました。
父からも、もう青春は終わったのだから帰って来なさい。
金沢美大の先生方も帰って来なさい、と言われたからでした。
肉体もボロボロで発熱が続き、体調も悪く、故郷に帰りましたが、
「第四次国土総合開発法」全盛でまさに「地方の時代」とかでした。
私は福井の伝統工芸産地にデザイン導入をしながら、
この国家政策の「反方向=非方向」で活動をしていました。
「四全総」国策は大失敗しています。が、私のデザイン導入は成功。
今また、それこそ東京劣化とか地方消滅がある一方では、
なんと、私のふるさと「福井モデル」こそ未来の国家像なのです。
正直、2020年、東京のオリンピックでは経済収入2兆円が予測され、
それなのに500億円=投資金額のはずを出し渋り、
とうとう楽しみにしていたオリンピック・パラリンピックへの
素直な期待感は失せてしまっています。
まして、「福井モデル」などで、その中心が鯖江市とかになると、
私はこの東京でまとめられた統計のいい加減さに辟易します。
福井が、いや鯖江が
未来の地方活性化モデルだとは、とても思えません。
理由は簡単です。
「活性化」とは、加熱されること、濃度が増すこと、触媒があること。
これは化学での活性化、その三大要素です。
言い換えれば、地方活性への情熱の冷静さであり、
濃度とは、経験と知識の高密度さ、そして触媒なるデザイン、
これが私が、
伝統工芸や、地場産業、地域産業にデザイン導入した意図でした。
たとえば、眼鏡と言えば、サバエとは、真実の技術は福井であり、
鯖江が中心とかになると、安政の大獄で幕府に荷担した鯖江藩の
大裏切りが重なります。
東京で簡単に地方活性など騙って欲しくはありません。
2030年の人口動向は、さらに東京一極集中が加速して、
地方の消滅は明らかだと私は実感しています。
「政治が悪いと必ずわが国は天災で破壊される」。
これは歴史的な事実です。


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『狛犬をまた金沢から連れ帰る』


   


     6月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

わが自宅の玄関には九谷焼の狛犬がいます。
したがって、狛犬をもう一組連れて帰ったら喧嘩になるやも知れません。
4年ぶりに金沢で
恩師「柳宗理生誕100年記念」講演をやることを先輩同輩の命でやりました。
帰阪するにあたって、いつもの九谷焼Shopに立ち寄ったら、
顔なじみの方がいらして、しかもこの狛犬が私を見つめていました。
(問題あるな〜)とか考えながらも、
そうだ!あの狛犬は、格を上げて、守備範囲を変えることを決めて、
この二匹を連れ帰りました。
今、
玄関を新たなデジタルサイネージ=自分のデザインで変えています。
それに見合ったペルシア絨毯も手に入れてありました。
ところで、ペルシア絨毯までが
跡継ぎがいない伝統工芸になっているとのことです。
確かに、絨毯というのはとても根気のいる手仕事であり、
この存続がやはり地元では大問題になっているとのことです。
21世紀に入って地球規模での大変化が起こってきているようです。
簡単にイノベーションをという安易は許されなくなってきています。
それこそ、オリンピックに向かって、国立競技場の設計に関しても、
安易な批判をする人がいますが、
確実は批判論理があったとしても、すでに決定されたことに対して、
逃げ出してしまっている肝要な人物非難はあってしかるべきです。
しかし、今、連日、あの建築に向かっているプロ、専門家を
安易に批判することは許しがたい!
政界、スポーツ界は外野であり、
準備つまり資金を準備するのが役割である。
けれども、
非難されていること以上に重大なことは東京オリンピックの実現であり、
そのことに懸命になっているプロ達は
同業のプロとして護り抜きたいと思っています。
プロ中のプロに向かって、
素人的な発言には私が狛犬のごとく守護するつもりでいます。
まして、レベルも無いところからの批判は非難にすぎず、
その批判をした人格が明前です。
明前であるなら、私は狛犬のごとく守護します。
私は九谷焼は、
実際にこうした人形系を専門としている窯元も知っているだけに、
再度、
日本に出現した狛犬のコンテクストを再学習してほしいと思っています。
これから私には二組の狛犬が私の守護をしてくれるものと思っています。
狛犬がなぜ、ペアであるかは知り置くべきことだと私は思っています。

「三匹の狛犬は活断層から護ってくれるはず・・・」


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『日本の国家プロジェクトはとても優れていたのに!』


   


     11月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

現代の日本は、現代の日本を履き間違え、穏便さこそ、
知性ある国家、国家姿勢だという貧弱さがありすぎます。
ユネスコにはへつらいISOこそ遵守すべきであり過激さを控えること
これは大間違いで、密漁?、とんでもない強奪を見逃しています。
すべてが不満はいだきつつも、ひたすら遠慮をしていればいいとは、
私はこの国家プロジェクトを思い出すべきだと思っています。
狩野芳崖の「悲母観音像」、このたった一枚の絵画に、
日本の国際的な立場を表した国家意図があったのです。
仕掛けたのは岡倉天心です。
西洋列強の欧米に対して、
日本そのアイデンティティをこの絵画一枚、
これで語り尽くした気概を思い起こすべきだと私は主張します。
領海内の強奪者には、聡明な武力を行使すべきです。
聡明な武力とは戦争ではありません。
この武力で、拉致被害者を取り戻すべきです。
フクシマの真実を明確に、
間違いだらけの再生可能エネルギーなんてありえぬことを、
単なる玩具にすぎないモノをロボットと勘違いなどさせないことを、
私は留まることができないほど、この喧嘩を売る覚悟です。
武力は、敗戦国家を狂わせてしまったと言っていいでしょう。
武力とは、戦争手段としての武器を使う事だけではありません。
この絵画は武力です。
武力の真の意味とは、文化という攻撃不可能の事態で対峙することです。
私は自分の講演では肝心な時にはこの絵画スライドを最終に使います。
悲母観音像を西洋は見て,
あの小さな島国にもマリア様は存在していたのか、
いやもっと偉大な母と子の観音像シンボルを持ち得る民族という証明です。
明治維新直後に、このたった一枚の絵画が武力だったのです。
この武力を国家プロジェクトで、島国を守りきった気概を
私たちは忘れていることを思い出す必要があるのです。
これは岡倉天心の策略=デザインでした。
策略としての難問解決は語り切ったのです。
「美しいモノに囲まれれば,美しく死んでいくことが出来る」と。
これこそ、人類普遍の命題であり、最大の武力です。
なにもオリンピックが、おもてなしが、最高ではありません。
無論、現代的には必要なことですが、
かつて、この絵画一枚が武力=国家プロジェクトだったことを、
私たちは忘れてはいけないのです。

「貿易立国最初の輸出品・九谷焼き」


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『本日も審査だが、日本の船舶デザインをデザイン対象に』


   


     6月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

この審査委員になり、しかも「関西海事教育アライアンス」で、
「海洋デザイン論」もすでに担当してから、
海事工学・港湾・船舶・造船などにも慣れてきました。
海洋国家である日本の海事産業から漁業・海洋開発・海事流通など、
日本人としての自覚はさらに明快になってきています。
日本の海事関連が今や産業としては困難な立場にあります。
だから、Car of the Yearはとても有名になってきていますが、
Ship of the Yearが存在していることを知ってもらいたいのです。
悲しいかな、遠洋漁業は国際ルールで、
これまで日本が培ってきた技法は全て使えなくなってきています。
オリンピックで日本選手がメダリストになると、
その競技ルールを変えて、日本人をメダリストにしない、
そんなことを海事産業で今年も強く感じました。
さらに、どれだけ世界の海には「海賊」が多くて、
その対戦技術が認められていないばっかりに、泣き寝入りか、
あるいは放棄せざるを得ないかなど、
審査会での審査プレゼンで聞くことができます。
今年度のグランプリは、いづれ発表されるでしょうが、
日本人のモノづくりは、そのような逆境をバネにして、
新たな造船を試みています。
私は、なんとかデザインの対象に造船をと望んできていますが、
この審査会でも「厳しい人」に見られているようです。
国際ルールに閉じ込められてしまう海事関連産業の革新性を
ともかく私は見つけ出したいと思っています。
いづれグランプリ造船や各分野の部門賞造船に注目して下さい。
いずれにせよ、海洋国家はもう一度、海洋関連産業には、
私は大きな夢がまだまだあると確信しています。
つまらないモノづくりには、やはりデザイナーの本音は守ります。 

「Ship of the Yearの審査員になって知ったこと」
「関西海事教育アライアンス・6年目の演習課題プレゼン」
「関西海事教育アライアンス・6年目」


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『公式ロゴタイプのデザイン仕様を検証』


   


     2月 14th, 2014  Posted 12:00 AM


オリンピックのデザインはその国のデザイン力を示しています。
現代オリンピックのデザイン表現にはかつての日本デザインが、
大きく貢献していることを、美大生時代に知りました。
このところ、日本の各種スポーツ選手たちの活動を観るため、
寝不足が続いています。
しかし、4年間以上も彼らの果たしてきた自己修練を知る度に、
彼らがメダリストでなくても心から敬意をはらいます。
オリンピックという最高の場面に出場出来る鍛錬された能力、
この素晴らしさを人生の姿勢にした、
そのことは、明らかに思想の一つでしょう。
彼らの存在をデザインが取り囲んでいます。
開催地毎の「オリンピックロゴタイプ」には、
そのオリンピックに選ばれたフォントスタイルと、
デザイン仕様としての形態設計・レタースペース・カラー仕様で、
私はその大会デザイン全体の美配慮レベル検証が可能です。
ソチ五輪のロゴタイプは、ハーバート・バイヤー的なレタリング、
したがって直線とR曲線との視覚的整合性は「ややマトモ」です。
「ややマトモ」というのは、レタースペース堅持を要素として、
その表現だけの拘りを認め、革新性は避けています。
したがって「ややマトモ」な表現では正当性確認だけが可能です。
決して、新たなデザイン表現要素を見いだすことは出来ません。
それは情報時代に即した表現傾向がこの国のデザイン界能力です。
しかし、このロゴタイプで徹底されたデザイン表現を
未だに知らない企業がわが国には随分あることが、
私はとても問題だと指摘しておきます。
おそらく、このオリンピックのロゴタイプデザインを
とりわけ、企業幹部が感じ取れないのだとしたら、
それこそがわが国のデザインへの企業感性だと私は思っています。
私はこのロゴの美も現代性確認として企業は熟知すべきです。

【ブログの関連記事】
『ロシアでの冬期オリンピックに象徴されていたこと』
「デザイン基礎力の一つから現代社名ロゴをみると」
「ビジュアルC.I.ロゴタイプの基本はレタリング技能」

 


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「デザインから『ちの理想主義』は創出できるだろうか」


   


     9月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

3.11は天災と人災で多くの同胞を失いました。
打ちひしがれた私たちに、オリンピック・パラリンピック、
この東京開催は、目標と時間設定を確認させてくれました。
多分、プロのデザイナーとしての人生も、
この東京開催まで、自分を支えられるかが最大目標です。
私は、一方で大学人ですが、それは先導と主導が可能だろうか、
これが一番の課題になっています。
デザイナーゆえ、ビジュアルでその理念や手法をまとめます。
三つあります。
 ● デザインは形態設計を制度設計にデザイン対象の拡大
 ● 「原資」獲得の具体的手法を先導
 ● なんといって「モノづくり」主体者の意識改革主導
これら三つは、現代の資本主義と民主主義への疑問の整理。
しかし、疑問を溶解するには、
新たな「理想主義」を私は「かたち」で生み出す必要があります。
資本主義の拡大は、歴史的には常に批判され、
その根本は評論以上にはなりきれません。
民主主義への最大抵抗は宗教主義での認識心情を変えるだけ。
私は、この二ついづれも疑ってきました。
4月に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」として、
私は、「デザイン講座」と「プロジェクト」を立ち上げました。
あくまでも、「かたち」から入っていきます。
それは、「かたち」が「きもち」を動かし、
「きもち」は「いのち」を絶対に護ることになるでしょう。
それを言語と空間に造形化すれば、
「とち」の「つち」を見直し、「まち」の「かたち」になります。
すべからく、私の理念は「ち」一語に集約するのです。


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「国土強靭化計画から次段階へはデザイン手法が必要」


   


     9月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

「March 11. 2011」は、私たちが天災と人災を識り尽くしました。
結果、「国土強靭化計画」には、多数の知識が集約しました。
すでにわが国の法整備の中にも知識理念の法律を構成しています。
私は、多分、祖国列島=国土を強靭化することが、
これだけの知の集積と集約は代表的一つの手がかりだと思います。
しかし、今や、明確になったのは、計画時間です。
それはオリンピック・パラリンピックまでの7年間です。
これは、毎年毎年の計画もありますが、私は以下三つを考えます。
・3年+4年計画
・2年+5年計画
・2年+3年+2年計画を私は進行設定計画ができます。
そして、こうした強靭化計画には机上的な論理がすぐに、
確信できますが、具現化手法として、
デザインが必要であるがゆえに、
再度、強靭化するという意味の再考察が求められると考えます。
私は、この計画に関わる法制定、知識・知性の集約から、
強靭化して継承していく方法を探し出していくべきだと考えます。
中心課題は、天災+人災=自然+技術の方向性でしょう。
単なる土木工学や交通工学と、自然放置の大問題が残っています。
この解決案を見いだすことはこれら資料からは不可能でした。
さらにクラウド感覚、空中資産と国土資産が情報で連鎖されます。
私流には、「物質としての国土性と情報性への想像力問題」です。
おそらくこれらの知的集約は物質的な国土性全て認識できますが、
情報性の進化は多分私たちの想像力を超えるものと考えます。
「物質・情報・エネルギー」をこの国家においても、
国土観全容に配置すれば、エネルギー問題では必ず、
大きな行き詰まりになることは明らかです。
時代性はすでに石油文明を終焉していますが、
それがそのままエコロジーで補完されるはずはありません。
この「国土強靭化デザイン」は未だに、
タブラ・ラーサ=白紙の状態でした。
すなわち、この白紙の余白にこそ「デザイン」の実務が
必要かつ充分条件として書き加えられるべきと考えます。
そして、今日は明確に開催地東京決定が、
大きな余白になり、デザインが要求されたと思っています。
デザインが入れば「しなやかさ」と「たおやかさ」になるでしょう。


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「1964年15歳だった。2020年71歳時に見られるだろうか」


   


     9月 9th, 2013  Posted 12:00 AM

2020年オリンピック・パラリンピック開催地は東京。
真夜中から明け方まで、TV報道を見続けてしまいました。
プレゼンテーションを見届けて発表の瞬間を撮りました。
この国難、福島原発事故は汚染水の大問題を世界の不安材料とし、
開催地国家への不信感を高めていました。
被災地の方が、とてもこの機運とは別世界にいるという発言は、
私には身につまされる思いにさせられました。
それでも、オリンピックが決定したことは本当に幸運でした。
人生にはやはり喜怒哀楽がこれほど巡り巡っていること。
3.11で私たちは哀しみのどん底に落とされ、
しかも、その後の復興では国民の思想も2分されました。
しかし、私は、この開催地決定が明確に「景気」になるでしょう。
プレゼンを成し遂げた、アスリート、高円宮妃、首相、都知事と、
主体者であった委員のチームワークは素晴らしいものでした。
彼らがプレゼンに込めた願望の下敷きには、
3.11以来、アスリートたちやスポーツの効能性が、
「復興」の大きな力になるという認識を共有していたのでしょう。
人間には、「感激・感動・感謝」という感性サイクルがあります。
そして、感激と感動を最も効能を与えるスポーツと、
勝利を獲得するためのアスリートたちが、
必ず、応援に感謝するこのサイクルの効能性を私は、
デザイン・デザイナーにも好ましく・望ましいことだと思います。
私は「価値」というのは、好ましいこと、望ましいこと。
この定義を語ってきましたからこの決定は「価値」だと思います。
少年の頃、オリンピックがあったことを思い出します。
おそらく、自分の人生でもう一度開催されること、
これは、国難の哀しみに対して大きな喜びであり、楽しみです。
今、確かに不確定で不安極まりない時代、その社会にあって、
スポーツが成し遂げる力をこれからの7年間が過程でしょう。
そしてこれからの7年間こそ、国難脱出の機会になるでしょう。
「危」険を体験した「機」会こそ、「危機」でした。
その解決の大きな一つのきっかけの一夜だったと思います。


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「元気になろう、元気になれるスゴイ写真だ」


   


     8月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

8月20日、銀座に50万人だったとか。
ロンドンオリンピックはワクワク感を与えてもらいました。
素直に喜びたいと思います。
アスリートの選手達には敬意と敬服を捧げます。
そうしたら、こんなスゴイ写真が
女子サッカー選手・丸山桂里奈さんが与えてくれました。
本当に、徹底的に悲嘆し哀しむ事態にわが日本は落とし込められています。
領土問題での対決は勿論ですが、未だに拉致問題も、
さらには女性ジャーナリストの殉死です。
1000年に1度とはこれほどまでに
私たちから希望や夢を奪い取っていくのでしょうか。
銀座の光景は、マスコミが与えてくれたものではありません。
スゴイ、良かった、元気をみんなで共有できると私は思っています。
無念ながら私なりに懸命なのですが、
デザイナーとしては何もまだ進めることができません。
デザインも夢を叶える職能です。
しかし、デザイン界も元気になれない状況に追い込まれたままです。
サッカーの香川選手が、「君が夢だ」というCMを観ると、
そうだろうなー、子ども達が憧れていることが良くわかります。
子どもたちに憧れない職能は、
どこかに欠陥があると考え直すべきでしょう。
それにつけても、マスコミ、特にTV番組が、
アスリート選手への無礼な態度を見かけます。
TV界の勘違いは笑止千万です。
彼らはどれだけ夢を与えてくれているのでしょう。
その敬意ない番組は、TV時代の末期症状だと断言せざるをえません。
2020年、オリンピックを誘致することを実現するべきでしょう。
元気になって、未来の幸運を創り出さなければいけません。
領土問題と同時に拉致問題も緊急課題です。
急ぐためにも元気になりましょう。
スゴイこの写真はアスリートが与えてくれているのです。


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「罰則のある節電なんて圧政である」


   


     7月 2nd, 2011  Posted 12:45 AM

今年の夏。
私たちは「政権交代」で、
明らかな新社会体制に期待一杯。
ところが、事態は一変どころか、
日本は、敗戦後再び、もう一度「建国」です。
1970年代に社会人になって以来、
私の世代は、高度経済成長での、
オリンピック、万博を経験しましたが、
毎年「異常気象」が連続し、
景気は、バブルもあれば大不況も、山あり谷ありは至極当然でした。
しかし、「国難」となって、
私たちは指導者を失ってしまっています。
「節電!」、無論私たちは穏やかな倫理感の中で受け入れてきました。
ところが「節電?」。
なんと大罰則での強制です。
ありえない。
もし「原子力発電所」が閉鎖し始めるとこうなるんだという、
「見せしめとしての政策」ならば、
現政権がこの天災も人災も引き込んだと断言可能です。
私のふるさと福井県は「原発銀座」と呼ばれ、
この関西に電気を原発から送り込んできました。
私はこれまでの「原子力発電所」システム大是正を主張しています。
原子力技術の進化は原発を創ることでは無いという主張です。
ところが、お上から「節電」ということになればこれは圧政です。
送電や変電を即刻変えるプランはまったく見えません。
「Smrat Grid」という言葉だけが存在し、
もし、今回の大震災・原発事故が無ければ、
幻想であったとしてもこのシステムが稼働するはずでした。
基本的には「Smrat Grid」どころではなく、「節電」?。
ともかく罰則を強いる民主主義など形骸化そのものです。
「自家発電」を結集させる「対策」が前提のはずです。
現政権には「政策づくり」などは不可能。
せめて「節電」は自由意志とする「対策」の一つであるべきでしょう。
「電力」の大切さをこれほど自覚している国民を
「罰する」というやり方は「圧政」に他なりません。
私たちは、「政治家・政治屋」のいらない新たな政策システムを
本当に創出することに向かわなければならないのです。
そのための私の方法と手段を早急に考えなければなりません。

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