kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘ガゼット’


11月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 10th, 2018  Posted 12:00 AM

11月10日 赤口(丙午)

癒されるメディアとして、
キャラクターグッズや
マスコット的なガゼットの
氾濫がある。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』1 クピトが放とうとした矢


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2月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 16th, 2014  Posted 9:30 AM

2月16日 戊午(大安)


癒されるメディアとして、
キャラクターグッズや
マスコット的なガゼットの
氾濫がある。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』1 クピトが放とうとした矢


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2月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 13th, 2014  Posted 9:30 AM

2月13日 乙卯(友引)


癒されるメディアとして、
キャラクターグッズや
マスコット的なガゼットの
氾濫がある。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』1 クピトが放とうとした矢


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「デザインすることの勘違いは大間違い」


   


     9月 19th, 2013  Posted 12:00 AM



私も腕時計はいくつかデザインし商品化してきました。
今でも悔やまれるのは、
自宅マンションに泥棒がバールでドアを壊し、
腕時計などを盗難されたことです。
見事に、腕時計は当時大きな仕事終了が出来だして、
ようやく買い集めた数十万のブランド時計だけでした。
このショックは今も心に残っています。
そして、そのとき時計の価値は知られた時計ブランドのみでした。
スウォッチでも限定モノなどまったく泥棒価値ゼロでした。
中国製の偽ブランド、その超安物も今ではよく出来たモノになり、
あらためて偽時計から、私の偽ブランドモノを考えます。
それはメガネも同じですが、安物はやはり要を欠落しています。
最近デジタルツール、特にスマホのウォッチ化が競合現象です。
しかし、私には、これはカメラデザインが銀塩のスタイルを、
全く一新できなかったデザインの能力不足を再び見る思いです。
・・・デジタルツールで電話なら、
・・・デジタルツールで時計なら
・・・それらが、スタイルとして「腕時計なら」、
最大にぬけおちているのはブレスレット性とファッション性です。
「ブレスレット+ファッション+デジタル」なら、
その「問題解決」がいわゆるデジタルウォッチであったとしても、
根本の再検証と一新されるべき発想の未熟さのまま、
デザイナーはこのウォッチスタイルに逃げています。
そして、メーカー経営者には儲けはあっても文化啓発力は無く、
かつてのブレゲの壮大さには及びません。
すなわち、ガゼットとしてのデザインで終わるでしょう。
しかし、いわゆるデジタルツールを日常化してきた私たちの
「なくてもいい、なければ困る」時代との共時文化での
生きがいツールの「問題発見」が必要です。
ガゼットデザインは勘違いを大誤解に変貌させます。


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5月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 31st, 2013  Posted 12:33 PM

5月31日 丁酉(先勝)


癒されるメディアとして、
キャラクターグッズや
マスコット的なガゼットの
氾濫がある。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』1 クピトが放とうとした矢


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12月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 21st, 2011  Posted 9:30 AM

12月21日 庚戌(先勝)


癒されるメディアとして、
キャラクターグッズや
マスコット的なガゼットの
氾濫がある。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』1 クピトが放とうとした矢


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『資本主義からの逃走』
 「*準から外れ始めた日本のデザイン解*」


   


     3月 13th, 2010  Posted 1:20 AM

最適解
一般解と特殊解がデザイン応答・回答・解答にはあります。
デザイン解というのは、一般解であれ特殊解であれ、
「最適解」を求めなければ、それはデザイン解ではありません。
私もすでに40年もデザインと向き合ってきて、
常に、それこそ1日たりとも「デザイン」が体中にあります。
血液にデザインが入っているという感覚に襲われます。

水面に風が吹けば、波立ちます。
その波立ちが大きく揺れているのがまったく穏やかになる、
それを「準」と言うそうです。
基準・水準・標準
基準・水準・標準がその準の状態を定義しています。
そこで、私は「準解」という言葉を自作して、
「最適解」はこの「準解」、
三つのどれなのかと再考することにしています。
「最適解」は、基準解・水準界・標準解になっているだろうか、
自分に突きつけるのです。
● 基準解というのは、もうこれで基準=basisは成果だろうか。
● 水準解は、たとえ特殊解でもaverage /levelは保っているだろうか。
● 標準界は、とりわけ一般解では、これがstandardだろうか。
特殊解なら、必ず標準解として一般解へと展開してくれるだろうか。
こうしたことを考えぬいています。
ところが、最近の日本のデザインには「最適解」がありません。
デザイン解が「かわいい」とか「きれい」とかだけに、
寄りかかっていたり、単なるパロディやギャグは、
ガジェットだからそれでいい、なんていうことが目立っています。
これを「デザインの多様性」だということは大間違いです。
だから、日本のデザイン、その質が低下してきたのです。
経験を積んできたデザイナーとして、
警告をしておかなければなりません。
デザインの本質=最適解
デザインの本質=問題解決の解答=最適解は、
本当に「難問中の難問」を解いていく作業であり、手続きです。
頭脳、頭の中に汗をいっぱいかくほどの作業です。
だから、川崎和男のデザインは好きになれないとも言われます。
それは、形態の好き嫌いはあるでしょう。
好き・嫌いでの判断は第一段階であり、
自分の価値観に、最適解を判断力を欠如している疾病があるのです。
多分、数理的判断が大欠落していると最近は診断しています。
最適解には、「清潔」・「簡素」・「簡潔」・「明快」・「快適」が
ふさわしいと思っています。
かわいくても不潔であり、
きれいでも不明感があり、
かっこよくても、「不快感」があるデザインが増えています。 


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