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『「KK塾」キックオフはテクノロジスト・濱口秀司氏』


   


     11月 3rd, 2015  Posted 12:00 AM



大阪・京都から東京パルコ劇場に直行しました。
友人たちの革新的なことばと場踊りを観劇したのです。
松岡正剛・田中泯・石原淋・宮沢りえ、「影向」yow gowを
新たなことばとパフォーマンスとして受け止めたまま、
いよいよ、翌々日、
「KK塾」を大日本印刷のDNP五反田ビル 1Fホールにて開催。
キックオフ講師は、
国際的イノベーター・濱口秀司氏を米国から迎えました。
イノベーターというより、私にはデザインとエンジニアリングでの
企画コンサルタント=テクノロジストであり、
私が大阪大学大学院・医学系研究科に開設した
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」の育成目標人物です。
まず、私は前座で「コンシリエンスデザイン」を紹介して、
なぜ、濱口氏からかを紹介して、彼の講演を開始しました。
私は、最近、「デザイン思考」という、
スタンフォード大学のd.schoolとIDEOの手法論から
拝借しているデザイン論が、
デザイナーだけでなく一般的なイノベーション開発手法として、
東大のi.schoolでそのコピーが用いられていること。
また、イノベーションとは、提唱者であるシュンペンター自身が、
「革新」:コンバイネーション(独)「新結合」と呼び、
すなわち、私的にはコンシリエンスであることを説明しました。
シュンペンターのイノベーション=革新が、
共同的な発想で行えるコトへの大疑問や、
1927年・「社会階級論」が、結局は彼の予知どおりに
1929年の「世界大恐慌」につながったことなどから、
わが国の3.11復興策こそ、新たなコンシリエンスデザインです。
コンシリエンスも18世紀の造語であり、なおかつ対語的なレジリエンスが
決して、デザイン系大学教育には登場しないだけに、
まずは看医工学という提示とその教育成果こそ濱口秀司氏だと紹介し、
彼は約280枚のKeynote画面とホワイトボードで、
詳細な成功実例での方法論を懸命かつ賢明に講演していただきました。
DNPホールの現代ホール性能では、私も濱口氏もMacでKeynoteプレゼ、
これはおそらく初めて、映像と音楽を運用することができました。
よって、まだまだこのホールのPA音響から
コードマネージメント、さらには照明を変えることが可能です。
丁度、大日本印刷とは、「デジタルアッサンブラージュ」を進行中。
そしてこの大ヒントは、松岡正剛氏の「影向」が与えてくれました。
「KK塾」の今年度最終の講師は松岡正剛氏です。


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『「KK塾」大野ゆう子教授からスタートしました! 』


   


     10月 26th, 2013  Posted 12:00 AM



デザインディレクターとして、これまでの経験と知識から、
私は私塾をスタートしました。私自身が主宰していきますが、
私とペアでの講師は最も選び抜いています。
現代最も「デザイン」が主導すべき中心テーマは四つです。
この塾そのもののデザインには目標と目的が時代を先導します。
そのキックオフには、医療看護学では「この人」を選びました。
やはり、想像以上の講演をしていただきました。
本当は上海での講演を延ばしていただいてもやってもらいました。
私がこの塾での中心である「危機管理デザイン工学」発想を、
真っ直ぐに受け止めていただいて、医療・看護・工学は、
科学性と倫理性への決断性をいっぱいいただきました。
聴講してもらったある人のノートには、そのメモには、
お母さんの手当からお医者さん、体位交換からロボティックス等。
私は先生と医療看護で拘ってきた「二人称の医療と看護」を、
改めてデザイン+看工融合での新しいアイディアが浮かびました。
大学病院での医療と看護の体制には、
どこかで身内意識=二人称=あなたへの依怙贔屓を避けます。
しかし、私と先生は、その二人称を最大に大事にしてこそ、
第三者、三人称の彼ら彼女らへの医療看護が可能ということを
言い続けてきました。
私はこの塾の今後に、PFI・AAC・DDSへの展開に進めます。
PFI?・AAC?・DDS?、これらは聴講する人にだけ伝えます。
理由は、先導する船頭さんはほんの僅かでいいからです。
KK塾の夢、理想、希望は大野先生とも仲間である生田先生です。
と思っていたら、TV「日本のミカタ」東大特集で、
まさに、生田研の活動が取材放映されていました。
生田幸士先生が大野先生の話を受け継いで語ったもらう予定です。


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「『危機』・ことばの定義について」


   


     8月 16th, 2013  Posted 1:20 AM



終戦記念日は、歳毎に、私は「敗戦記念日」と思います。
先般も映画「終戦のエンペラー」を観て無念でした。
とりわけ、March 11.2011を受け止めてから、
私は阪大に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」
自分の研究室名とし特任でプロジェクトリーダーになっています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」では、
「危機」というテーマを学術的に追いかけてきました。
7月30日にキックオフにて大阪府警本部長に基調講演後、
この講座の紹介を済ませました。
私の脳裏には、敗戦後以来、また再びの国難を「危機」として、
さらなる学術をプロダクトデザイン実務での問題解決を図る、
ほとんどの周辺学域設定をすませたと思います。
「危機安全学」は、制度設計の学問となったのは、
1960年のキューバ危機から、国際関係論として発生してきました。
今では、日常の防犯・防災から企業危機からテロリスト対策まで、
大きな学問に発展してきましたが、
デザインが接着剤となれば制度設計論から形態設計論になります。
「危機」とは、この文字通りの「危険」と「機会」にあります。
つまり、危険さを機会=チャンスとしての問題解決です。
そしてなんとしても「安全と安心」の確立をすることです。
私の父は、青春を20歳から28歳まで、戦争に従軍し、
焼け野原のふるさと福井に復員し30歳で私が生まれました。
父は今更ながら私を厳格に育てたのは「行学」思想でした。
現在わが国には、国際的な「危機」に取り囲まれています。
「靖国問題」・英霊に礼をつくすことは護らねばなりません。
「教科書問題」・教育での歴史教育を最も最高にします。
「南京問題」・虚像報道で国家までが非難されることに反対です。
「慰安婦問題」・軍事につきまとう事実性を明快にします。
なぜなら、3.11によって、私たちにつきつけられたこと、
それは、地球環境が悪化していくことへの対策です。
さらに、エネルギー問題の根幹を再確認しました。
日本だからこそ、この「危険」を「機会」にして、
「宿痾」=難問解決をデザインで実務的な解決をすることです。


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「危機管理産業創成をデザインが主導する」


   


     7月 31st, 2013  Posted 12:00 AM



「March 11.2011」で私たちは同胞達を失いました。
なぜ、自分の生涯で、この国難と向き合うことになるとは、
どれだけ報道や、現地で、前政権での大臣プレゼンをしてきました。
「危機管理デザイン賞」を創立しました。
結果、定年退官ながら、大阪大学吹田キャンパスにある
私の研究室に残って、
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」をやります。
7/30、阪大中之島センターで、大阪と東京を回線で結び、
基調講演(大阪府警察本部長)後に、
私は「危機」の定義とデザインでの産業創成を話しました。
画像は、プレゼンのその一枚です。
「March 11.2011」は、「危機」です。
危機とは、危険で大変な事態=生命に関わります。
しかし機会=賢明な即判断、想像できる限りの危険対策準備です。
危険であるからこそ、これを絶好のチャンスと熟考し、
即判断、即準備し、「制度設計」と「形態設計」を産業にも
有効な危機管理デザイン工学領域を学域に創ろうと考えます。
その具体例は、
Crisis=起こってしまった大変な事態に即対処すること。
Risk=明日起こるかも知れない大変な事態に即準備すること。
この二つから、幾つかのプロジェクトをすでに実務化しています。
むしろ、大学を退官したからこそ、
新たな視野にある「危機管理デザイン」を産業化できるとさえ、
私は存分に熟考と実務に邁進できるのかもしれません。
これまで、国際関係論で1960年代から1990年代の学域に、
私は「デザイン」=問題解決と未来創出を導入します。
大阪と東京で、この講座のキックオフとともに、
内閣官房では、稲田国務大臣と藤巻参議院議員、
この二人に早々に会合をもっていただきました。
国家ミッションに「デザイン」、
その実務を始める記念日になりました。


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