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『資本主義からの逃走』
   「私のローカリズムは、母への報告です」


   


     11月 10th, 2010  Posted 1:32 AM

21年間
地方主義を第一義とする意識。
私自身、地方ということに対して無自覚でした。
私は全く東京を意識したことが実はありませんでした。
医学部進学志望から美術大学に進学しても、
卒業したら、金沢から福井にもどって短大で教員になろう。
大学では、工業デザイン専攻の同期はデザイナーをめざしていましたが、
正直、その気持ちは最初はありませんでした。
私が21歳の時、母が癌となって3ヶ月と宣告されました。
父と私は母には告知せず、ひたすら奇跡を望みました。
6ヶ月持ちこたえることができましたが、
往診の医師から、「今夜が最期かもしれない」と言われ、
その夜は、母の布団に潜り込んでいました。
母は意識混濁がありましたが、最期はまったく透明とも思える瞳で、
私を見つめて、涙を流して自ら目を閉じました。
1週間後に、仏壇の中から、父と私宛の遺書がありました。
母は自分が癌であることを退院して自宅に戻った時に知っていたことが書かれていました。
二つ約束してほしいことが書かれていました。
「父の寿命を見届けてほしいこと」
「海外からも認められるトップデザイナーになること」
47年間の21年間を、彼女は私に捧げてくれたことです。
車椅子生活になった時も、くじけそうになると、
あの世でこのままでは母には何も報告ができないと思って自分を励ましました。
ふるさと福井に戻ったとき、私はほとんど「都落ち」の気持ちから立ち直れませんでした。
ローカリズムにグローバリズムが反射している
しかし、「ふるさと・福井にはあるが、東京には無いこと」に気づいた時、
私の中にローカリズムが起動したのです。
地方主義は、郷土主義です。
ローカリズムにグローバリズムが反射していることを確認できたのも、
母からのプレゼントだったと思っています。


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『資本主義からの逃走』
   「一極集中・東京が引き込んだ失策」


   


     11月 9th, 2010  Posted 12:00 AM

地方の時代
日本、それは東京でした。
地方は消えていました。
結果、国際的なすべての情報発信も東京。
一度、ふるさとでデザインしていた私には、
東京はパスポート無しの海外都市だったのです。
「地方の時代」が叫ばれたのも80年代初期だったと記憶しています。
同時に、ローカルからグローバリゼーションが、
地方活性化策にはなったが、せいぜい、地方都市が、
姉妹都市関係を結ぶ程度でした。
国策としての地方都市からのグローバリゼーションは、
地方の青年会議所が視察しているだけと私は傍観していました。
グローバリゼーションは、あくまでも行動的な企業に限定されていたと思います。
では、東京がグローバリゼーションに成功してきたのかとなれば、
これもバブルとともに終焉し、
今や、東京が国際的なローカル都市になりつつあるのです。
まして、地方都市にグローバル化の政策は無いにも等しい。
グローバリゼーション
私は、グローバリゼーションとは、観光都市になることでもないのです。
端的には、グローバリズムの中心が何かを突き止めることであり、
それは、経済至上主義の流動性でしかないのではないかと思います。
何がグローバリズムかは、世界全体が見失っていると判断します。
だからこそ、グローバリゼーション・グローバリズムへの国策は、
産業経済、景気循環、これらの流動性=虚構性そのものを、
情報空間とあらゆる領域での「ホスト国」・「ホスト地方都市」、
その条件整備をデザイン=策略化の創出、
この制度的機関すら整備されていないという問題が明白となってしまっているのです。
一極集中していったことで、東京そのものがローカル都市化を引き込んでいます。


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