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Posts Tagged ‘コンサルタント’


「青い空は動くのです、しかも晩夏の空にアラート不要」


   


     9月 7th, 2017  Posted 12:00 AM



「青い空は動かない
雲一片あるでない
夏の真昼のしずかには
タールの光も清くなる」
夏をうたいあげたある有名な詩人の一節です。
この平和さを人は懸命に守ろうとしてきました。
そして、まさかなのです。
父は青春を7 年半、日華事変で召集され大東亜戦争で、
満州から蒙古へ、蒙古からインドシナまで、インドシナの解放戦線で、
日本はアジアを開放したにも関わらず、
敗戦はとてつもない言われなき償いを求められてきました。
それもなんともしがたい北朝鮮は、
原爆?水爆?化学兵器?生物兵器?、
これらを私たちにつきつけてきています。
自分の生涯に戦争などは全く無関係と思ってきました。
無念ながら3.11から大天災も控えています。
そうして「Jアラート」って何?
昨日も、緊急速報が立て続けにスマホが鳴りました。
おそらく、先日「Jアラート」を聞いた東北の同胞は
どれほど怖かったことでしょう。
あのアラート音をTVでの再現を聞き直すと、実に上手く考えられた成果、
いわゆる「不協和音」の仕掛けは、ひたすら緊張や恐怖感を与える性能。
この怖さの演出にはエンターテイメントなら、大喝采ですが、
なぜ、すべての住宅・アパートにシェルターを義務付けなかったのでしょう。
私も住宅産業でコンサルタントの経験はあります。
だから災害を考慮して「仮設」ではない「佳設」住宅をやりました。
日本のシェルター普及率は0.02%だと聞きます。
スイスのマニュアルには普及率100%を明言しています。
それは日本国民が平和呆けは認めましょうが、
誰一人政治家は「財産と平和を守る?」って、これ嘘ですね。
三重国籍の野党代表に、国家プロジェクトは仕分けされました。
5年計画で3年で仕分けでした。
「なぜ、私に説明さえてくれなかったのですか?」
「先生が行ったら、とんでもないことになるじゃないですか!」
・・・(そりゃそうだ)って分かる自分がいました。
中国からの講演依頼に、講演前に四つの話をとレジメを出したら、
「永久に貴方はわが中国には入れません」だって。
「教科書問題・靖国問題・慰安婦問題・南京大虐殺問題」、ヤッパリ!
「J アラート」ってこんなデザイン?駄目です。
防衛アラートの問題解決を提案したいです。
パトリオットがもし発射されたら、その周辺は発射の爆音でどれほど、
周囲の建物が被害甚大かも言っていないのです。
「虐殺チームの創成」って、それは戦争でしょ!
韓国が宣言しましたって宣戦布告でしょ、
戦争があまりに近接しているのです。
「夏の空には何かある」ってこの詞、そして作者は
「Jアラート」とは全く詩情には皆無だったはずです。



* 『諦め:自己防衛は不可能になってきた大不安』
* 「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」
* 「ハプティックス・アクチュエーターの実現まで」
* 「仕分けされたプロジェクトの重要性から現政権を否定」
* 『大戦学理を超えた平和構築の情勢報告』


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『日本の経済界には「伯楽」がいなくなった』


   


     1月 30th, 2017  Posted 12:00 AM



本来ならケータイは日本の産業の核心であったはずです。
もはや公に出来る始末になってしまいましたから、
私の体験を伝えておきたいと思います。
ある企業でコンサルタントとして、製品分類をしました。
この一群は「商品化OK」です。しかしこれらは全て駄目と伝えたら、
商品化OKは海外のみで、国内は電話業者のキャリア達条件が厳しく
このデザインですと回答を受けました。
このとき、ケータイの国内市場は滅亡し始めていました。
教え子も、修士卒業は全てケータイグループに配属。
彼らからすでに国内の閉鎖した市場ではケータイデザイン困難と聞きました。
私自身、大手電話企業とまず、操作基準をキャリア達に提案、
その後、丁度、FOMA開発でのエージェントインターフェイス提案を
その企業トップへのプレゼで、彼らに呆れかえってこの企業滅亡と、
プレゼを切り上げて日本は敗北すると言い放ちました。
その後、最後のプレゼはiPhone対抗をある企業に提案しましたが、
結局、メーカーは電話企業のキャリア達の条件に敗北しました。
それは明確に企業ブランドマークの改変とその停止とともに、
日本からのケータイはガラケーと呼ばれ、
スマホ仕様はApple追随になって負けました。
このケータイからスマホでの新たなデザイン提案が否定された時こそ、
典型的に日本の産業基盤を失ってきた代表例だと思います。
今年念頭に日本の経済界は企業合併を推奨したという報道を聞いたとき、
私は日本の基盤産業である、家電・情報・精密などのメーカー企業が
とうとう終焉し始めてきたと認識しなければならなくなりました。
経済界にリーダー=伯楽が全くいなくなったのです。
日本の企業名が、銀行はじめやたらメーカー名を長々とし始めたとき、
日本の基幹産業、その基盤は崩壊してしまったのです。
日本の企業ブランド、あるいはブランディングという言葉は残っても、
日本の「企業らしさ」は義と善と美に成立していたはずです。
とりわけ美はデザインそのものであったはずです。
そのデザイン評価に「かわいい商品」というモノづくり姿勢こそ、
日本の産業基盤から義を売り渡し善という企業倫理も失ってしまったのです。
「かわいいデザイン」などあるわけが無いのです。
義も善も「きれい」である形容動詞の世界観が基本です。
義も善も失った美=デザインを取り戻さなければなりません。
私自身のデザインには「かわいさ」など求めるつもりは全くありません。


* 『藝と醫を略字化したことは本質を見間違える!』
* 「 何がMedia Integrationとなるのか・2」
* 『柳宗理作品の軽薄で見識不足な批評は叱られる!』
* 「独裁されてきたケータイからの解放」
* 『スマホのアイコンはインフラ的な高品位性が不可欠である』


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『米国は壊れてしまっているその追随国家観を捨てよ』


   


     1月 20th, 2017  Posted 12:00 AM



日本人には米国への大きな誤解を捨てられずにいます。
私はApple社でコンサルタントをしていて以来、
周囲からは「右翼」と呼ばれます。
全くの間違いです。少なからず「左翼」ではありませんが、
右翼ではないのです。
それは米国相手に仕事をしてみれば一辺にわかることです。
現在の民主主義なる多数決などは絶対に信用しないこと。
白人主義、キリスト教教義への大疑問、
しかもポピュリズムでの勘違いから、
米国後追いには大きな疑念を持つことが絶対に必要です。
今回、米国の大統領選挙には、ヒラリーにせよ、トランプにせよ、
米国全体の文明度が後退してきたことゆえに、私は選挙戦最初から、
共和党・トランプになることは当然のこと予想していました。
それは何と言っても「変」なのです。何がか?と言えば、
黒人を解放したのは共和党のリンカーンであり、北軍が勝ったのです。
にもかかわらず、民主党のオバマ大統領が選ばれ、
私のメガネはペイリン副大統領候補に選ばれるとともに、
ふるさと福井県小浜市はオバマ礼賛を行うというポピュリズムでしかなく、
米国では民主義よりもポピュリズムでの世界観の大破壊が進行したのです。
明らかに民主主義は破壊されてヒラリーであろうがトランプであろうが、
「白人主義」がトランプを選び出し、
その背後でのとんでもない世界征服観念が
米国の底辺集団の人気だけを押し出してしまっているのです。
米国の正当な知性は失われました。
世界がとんでもなく壊れていくようです。
米国内の混乱から遠ざかるべきでしょうがそれさえ不可能でしょう。
英国はEUを離れ、ロシアの強権発動、中国の一党独裁、
さらに北朝鮮の狂気、韓国の大混乱、それを相手に大丈夫でしょうか?
なんとか、わが国の義と善と美という神道的発想だけが頼りです。
私は右翼ではありません。ただし、左翼の能無しではありません。



* 「商品が記号となった実例・私の体験と確認」
* 『ロシアでの冬期オリンピックに象徴されていたこと』
* 『中国の模倣づくりは市場経済論と一党独裁で破綻する!』
* 「拉致問題解決が先決、現代問題解決は不可能を表徴」
* 「軍需こそデザインによる革新の真の目的」



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『レジリエンスデザインは真正面で自殺と向き合う』


   


     6月 10th, 2016  Posted 12:00 AM



正直、油断をしていました。
デザインが最も対抗するべきは「死」への態度でした。
したがって、Resilience designとは、
人間が、ストレス・プレッシャーに対抗するための
「強靱な精神力」をデザインすることでした。
勿論、あの3.11天災人災においても自殺に追い込まれた人がいたこと、
その反省から、レジリエンスデザインの必要性を掲げてきました。
まさか、熊本地震において、
まだまだいつ終止符となるかもわからない地震は連続しているのです。
わが国の報道も、もう落ち着いたかのように熊本関連のニュースは無く、
それだけに気が抜けてしまっていたのかも知れません。
現場である崇城大学、九州大学からは、行政が極めて大変であり、
ようやく写真記録も、という報告はありましたし、
報道されないともはや我々は忘れがちになってしまいます。
「自殺者が出た」というニュースで、
とても混乱しました。
デザインが自殺と面と向かったとき、
何ができるのだろうと必死で考えている
そんなアイディアをまとめています。
国際的なコンサルタントにもヒントを求めました。
「恋愛感情を持つこと」、
「何事かに熱中して生きている実感」を維持していることがその答でした。
人は、自分で自分の命を絶ってはならないのです。
その最大の理由は、命は自分のものではないからです。
直接的には父母に与えられた命ですから、
自分でそれを断絶することは辞めるべきです。
「葉隠」の、
「死ぬ事と見つけたり」の意味をもう一度振り返るべきです。
プレッシャーやストレスに押しつぶされようとも、
それを突き返す強靱なる自己を持ち続けるには、
デザインとして生き延びる力を守り抜ける
自克心の育成、激励が必要なのです。
「レジリエンスデザインチーム」は、
なんといっても「自殺」と真正面で対決することを再確認しています。
その早急なデザインアイディアを実務実践するつもりです。
「負けるな!」「泣くな!」「生きるんだ!」というこのフレーズから
Resilience Designを展開していきます。

*『病院という制度の中の患者心理・私の場合』
*『大雨・洪水・山崩れ・・・自然とは調和できない』
*『瓦礫と化した自動車が問題ではない』
*『コンシリエンスデザイン仮説をレジリエンスデザインから』
*『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』


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『自宅玄関のデジタルサイネージとデジタル照明実験』


   


     8月 30th, 2015  Posted 12:00 AM



私は自宅玄関をリニュアルしました。それはデザイン実験でした。
システムは、すでにニプロ研究所のショールームで実現したことを
さらに、デジタルLED照明を玄関の人感センサーと時間対応まで
業務用ではなく、家庭用で可能な手法にしました。
最も家庭用が出来るまでは、まだ時間が必要だと認識しました。
それは、国内照明メーカーはもちろんのこと、
これまで映像機器開発をしてきた私にとっても
デジタルサイネージ化は不可能だと判断をしてきました。
実際、デジタルサイネージはまったく国内展開の成功例は皆無です。
結局、新たな映像開発はまだ明らかにできませんが、ある企業に
新規開発事業部門によって、実際のコンサルタントと開発中です。
デジタルサイネージは、私の作品や自宅からの遠景、そして海外、
時間対応などをiPhoneにアプリ開発でLED照明と組み合わせました。
これは偶然にもショールーム展開でのアイディアが果たせたことと
運良く照明学会全国大会の特別講演の依頼を受けたことでした。
そこで、なんとしてもこれからの照明とデジタルサイネージを
自宅で実験実施することができました。
デジタル照明ではWiFiとIR=赤外線通信、人感センサーを使いました。
玄関天井はLED照明と鏡面、55インチモニター縦使いでした。
現実にはLCD液晶モニターはまだまだ大画面ほど技術開発が必要です。
そして石材タイルや玄関扉もカーボンファイバー照射面も再確認しました。
石材の選択は、実はもう一つの目的がありました。
それは音響システムでの壁面としての整合性をいくつか考え、
これまでの試聴経験から自宅の音響空間づくりを条件にしました。
正直、
私はデザインよりもオーディオ、さらにビジュアル化が面白いので、
この教育をしたいとすら思っているほどです。
玄関のリニュアル化については、
これからのコンテンツ開発やアプリ開発のヒントが生まれました。
そして一昨日の講演会から帰ると翌朝には家電大手企業の
照明関連工場での封鎖と人員整理ニュースが入りました。
私の自宅玄関には、明らかにこれからのデジタル照明アイディア、
それこそ造形言語と形態言語がヒントになっていると思います。

*左=デジタルサイネージ 鏡面内映像モニター
*右=全面・鏡面
*玄関天井=ステンレス鏡面周囲にリボンタイプLED


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『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』


   


     8月 28th, 2015  Posted 12:00 AM



私は危機解決学としての実務デザインとして、ここから開始しています。
私は生きていくことを、
いやそれだけを懸命に考えていたのは青春から壮年期でした。
今や、人間が生きていくことが死んでいくこと、
このことが老年期になると日常的に思い至ってしまいます。
最も、私は28歳で交通被災、45歳で心臓障害、62歳で敗血症ですから
よくもまだ生き延びていると思います。
確か、28歳で交通被災したとき、心無いドクターは私に、
「君は40歳が限度、ほら統計でも明らかでしょう」と言われました。
ところが気づいたら40歳になり、Apple社でコンサルタントでした。
63歳で阪大を定年退官して、
ひたすら、March 11.2011・東日本大震災へのデザイン復興策を
デザイン中心主義で考えついたのは、
「最悪な状態」に対してそのデザインは?
いや、何が最悪な状態へのデザインか、でした。
その根本は、「生き延びる」ことです。
確実に日本での犯罪は減少していますが、最近の殺人事件では、
まだ13歳程度の中学生が殺されます。
私は「コンシリエンスデザイン看医工学」で、学際の統合化を
四つの解決学にむけたデザイン、その具体化に取り組んでいます。
防犯・防災・安全・安心への実務的デザインの具現化です。
特に、防犯では、もっと確かな監視カメラや、犯罪者への管理です。
すでに首都直下型地震も予測値が具体化されてきたと思います。
感染症の増大も日々高まってきています。
危機管理学では机上の論理に終わるでしょう。
それなら、「最悪な状態」=生き延びることへのデザイン提案です。
ただ残念なことは、なかなかこの問題解決にデザインをという、
次世代デザイナーが本当に少ないことです。
もうサラリーマン化している企業病のエンジニアもデザイナーも不要。
私は「最悪な状態」にデザインを賭けてくれる次世代デザイナーを
真剣に求めています。


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『「ブランド」論を語る無知なコンサルタント信ずるなかれ』


   


     11月 29th, 2014  Posted 12:00 AM



「ブランド」を語る、書籍、TV教育、企業・行政指導が流行です。
いわゆる「ブランド論」が盛んに、いや喧騒に語られています。
ところが、肝心な原意を語らずして、
なぜブランドは商業主義風的、経営主義風的な言説が可能でしょうか?
元来は、焼焦げた跡を意味していました。
それが、酪農での牛の烙印になることから、ブランドが始まります。
ところが現在は、酪農で、烙印を押すことは禁止されています。
それはよくわかるはずです。
烙印を押すというのは火傷をさせて「持ち主」を確定することです。
現在は牛の耳にラベルを付けることになっています。
このラベルのデザイン、この考え方はデザインから生まれました。
すなわち、ブランドはラベルになってしまったということです。
したがって、烙印からプラスチック製のラベルというコンテクストを
「ブランド論」では二つの文脈的な解釈が必要だということです。
烙印→ブランドは、その所有者がものそのものに目印をつけて、
明らかに区別していたということになります。
もう一つはラベル→ブランドは育成者がモノづくりに目印をつけて、
明確な分別をつけているということです。
そして最も重大なことは「アイデンティフィケーション」、
自己同一性という心理学で、すでにこの区別と分別は論理的にも、
デザイン手法として決定していたことです。
このことの断片も知らないブランド論は勘違いと大間違いなのです。
このことを語るコンサルタントは詐欺師と断言できます。
決まって、彼らがブランド論で「差別化」を発言します。
生産者を、商品を、企業存在を差別論で語り出せば、それは間違い。
なぜなら、ユーザーを差別化したところにブランドの区別と分別は
消滅しているということです。
ブランドを判別することを差別しているブランドこそ、
区別され分別されて、その差異性で決定付けられていることです。

「C.I.デザインの源流としての思想」
「ブランドを語る前に、ブランドマーケッティングの大欠点」


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「自宅Wifi環境の変革と自分のCloud化」


   


     6月 26th, 2013  Posted 12:00 AM



1984年Macintosh128Kに出会ってから、
ユーザーであるばかりか、
デザイナーとして、Apple社のコンサルタントも努め、
おそらく一番に、パソコンモニターもデザインしてきました。
Apple Linkでクパチーノとの連絡通信し、
同時に、maruzen marunetでまだServeの会員だった頃に、
やがて、自宅のWifi環境までをCloud化するとはという感慨です。
正直なところ、どれだけ、パソコンから自分を切り離すこと、
これがプロのデザイナーにとって、最も大事なコトだと思います。
しかし、特に、Mac関連機器が新発売になると、
どうしてもデザイン評価とともに自宅内システムが変わります。
そこで、新たなAirMac機器に変更すると同時に、
自分だけのCloud化を開始し出しました。
出来る限り、自分のパソコンからケータイ、パッドまで、
自分流にすることにしています。
また、そうしたことが出来る時代になりました。
私は、自分の研究でも「アンビエント・アライアンス」を提案。
この具体例はそのまま今後も展開していくつもりです。
いずれは、「メディア・インテグレーション」の世界は、
無論インターネットや自分のCloud化が重なるものと思います。
5GのWiFi環境下が、
本当に身体への影響を与えているかどうかはわかりません。
可能ならば、部屋壁面にはすべて水を流したいと思っています。
大阪大学の自分の研究室も「壁面に水を流す」と言い張りました。
文科省相手に出来るわけがなかったのですが、今でも私の夢です。
モニターも液晶表示画面が身体影響、視覚眼球影響などは、
それなりに明確になりました。
最も大きな影響は、「ドライ・アイ」問題です。
これは、私の次期眼鏡フレームデザインで正解商品化します。
ともかく、Wifi環境と自己Cloud化は、
これからのパソコンやその他のコンピューター機器制御に、
自分なりのシステム構築ができるかどうかは既に一つの趣味です。
そうして、これから一番の問題は、
「身体性との関係」だというのが私の提案。
一つは、循環器系や免疫系などとの環境調和だと思っています。
パソコン環境と身体の健全性確保が、今、私たちのテーマです。


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「連塾・最終回=10年を語る前に、松岡正剛という『ち』」


   


     5月 28th, 2012  Posted 12:00 AM



「連塾」の指南者、
松岡正剛は10年を彼らしく「切断」しました。
10年間この「連塾」を率いた彼について、
いつの日かという彼の前での「私純情」を語るときが来たと思います。
1991年、箱根の「強羅花壇」で私は彼と出会いました。
箱根で「国際マルチメディア会議」がありました。
Apple社・ジョンスカリー会長が全世界から、
当時のコンピューター専門家から企業トップを集めた会議でした。
三日間缶詰での会議でした。
懇親会は「強羅花壇」が会場であり、
現マクドナルド社長の原田氏が営業本部長として総括されました。
民間からは私と松岡氏、そしてA氏(元官僚)B氏(作曲家)4名。
私はスカリー会長の直属デザインコンサルタントでしたから、
この会議中も、会議の合間にデザインモデルのプレゼンをしていました。
懇親会もどこまでお金がかかっているのかという盛大さでした。
ところが、和室に入れなかった私が別会場に一人の時、
松岡氏が入ってこられたのです。
(この人が『遊』の編集長だ!、やっと会えた)
そんな感慨と、『遊』の超美人女性デザイナーKK女史に会えるかも、
私は瞬間的に想像したことを思い出します。
それから、交流が始まりました。
私も読書量は人並み以上という自負がありましたが、
松岡正剛は100万冊は読破しているとすら思っています。
あらゆる分野に精通し、特に「日本を語らせたら超巨人知」でしょう。
千夜千冊(もはや1000冊を超えています)は、
おそらく世界にもあり得ない「書評アーカイブ百科」編集事実です。
「千夜千冊は世界的事件」という評価まであります。
私の著作も取り上げていただきましたが、
それは私へのラブレターでした。
「だから、私も松岡正剛に惚れ抜いています」と、
「連塾終了」の知らせ直後に彼に知らせ、
懇親会でも連塾参加者の皆さんにまで惚れていること発表しました。
昨夜、別れるときに「紙墨相発」を送るから、
松岡氏も「私の自宅に必ずまた行くから」と。
「連塾」、そのテーマは「日本という方法」でした。
これからがこの方法論が必至になっています。
これから時々、彼との話題・課題を書いていきます。
その季節が私に訪れたのでしょう。


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『資本主義からの逃走』
「 Media Integrationに向かってきた系譜・2 」


   


     4月 23rd, 2010  Posted 12:00 AM

Multimedia & Art Festival 1992
「マルチメディア」と喧伝されていた時期は長かったと思います。
1990年代であり、ちょうど「バブル時代真っ盛り」でした。
私は東京の「変な浮かれ様子」を北陸・福井から、
極めて冷静に眺めることができたのです。
東京からはいっぱい展覧会や仕事も殺到して舞い込んできましたが、
私の直感は、「これは変!、おかしい」と思ったので、
断れるものはすべて断っていました。
今になると、この判断は正しかったと思います。
当時、マスコミの寵児と言われたスター達は、
名前も思い出すことができません。
デザインに関わったコンサルタントとかコーディネーターは、
消えてしまっています。
私自身、仕事は、Apple本社とのProjectに関わっていたので、
日々充実していました。
1992年夏、箱根で「マルチメディア国際会議」が開催されました。

この国際会議には海外から600名、国内は企業トップ達200名でした。
これだけの国際会議は以後も経験したことが無い大規模なものでした。
民間人はたった4名で、3日間ともに参加していたのは、
松岡正剛氏と私だけでした。他の著名な方は会議内容がわからなかったから、
すぐに帰ってしまったのだと思っています。
この時から、松岡氏との交流が始まったのです。
主催しているApple社には、会議中にも関わらず、
途中、途中でプレゼンテーションを当時会長だった
ジョン・スカーリー氏にしていた。
この会議をすべて統率していたのは、現・マクドナルドの原田社長であった。
そして、この時の基調講演は、以後、私の「情報」への視点を大きく変えた。
そして「的中」していることでした。
Dr. Gordon Moore
基調講演のキーノートスピーカーはDr. Gordon E. Moore氏 でした。 
「ムーアの法則」を提言し、時代は彼の法則を実証しました。
彼の講演では三つのことを語ったのでした。
土・ガラス・空気
これからの時代、コンピューター・パソコンは、
● 「土」・・・これはシリコンを意味していました。
● 「ガラス」・・・これは光ケーブル=光通信です。
● 「空気」・・・これはインターネット・空中に情報です。
そして、私はこの会議で、スカーリー会長が、
「マルチメディアは意味が拡散するだけだから、
Media Integrationへと収束する方向を創ろう」と
プレゼ会議での発言に感動し、
今日まで、私は「何がMedia Integrationか」を、
デザイン領域の中で追いかけてきたと考えています。


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