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Posts Tagged ‘コンセプト’


6月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 22nd, 2019  Posted 12:00 AM

6月22日 赤口(庚寅)

概念、
すなわちコンセプトから
自分を開放しないかぎり、
デザインは常套的に常識に
適合してしまうわけだ。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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『「未来学」なら、伝統工芸を止めるという「裏切り」を』


   


     4月 26th, 2019  Posted 12:00 AM



編者である福井県立大学の教授(FB)から、
私宛に一冊の本が届きました。
これは「越前和紙」のあるプロジェクトの記録本でした。
私が福井にいる頃に、もう30年ほど前になりますが、
越前打刃物や越前和紙などの産地に、
インダストリアルデザインを導入しようとしていました。
ちょうど、産地で結成した「オータキ・ペーパーランド」で、
NewYork展も行い、職人たちは、話題と評価を得て自信をつけました。
「和紙」がユネスコ無形文化遺産に選ばれた時には、喜びもつかの間、
それは三つの産地のみで、最も歴史が長い福井の産地は外れていました。
このことに怒りの文章を綴っていたら、地元出身の参議委員の議員氏から
お呼びがかかり一緒に文化庁との話し合いにも出掛けました。
今では、福井の産地もユネスコ世界遺産に選ばれています。
本にまとめられたこのプロジェクトにも見過ごしていることがあります。
いい加減に昔からの道具とトロロアオイという媒介物を捨去ること。
当時から、製造工程を私は準備しています。
今では、伝統工芸の復活というコラボレーションをやっていますが、
新たな産地として、それこそタイトルの「未来学」は書かれていません。
新しいペーパーが書かれていません。
「未来学」なればこそのコンセプト(もうこれ自体古い)が
欠落しています。
書籍にも当時の私の厳しい言葉、職人と見つめた展望、
達成そして感謝があります。
なかなかの書籍がまとまり、私の活動に文章を寄せてくれた産地の方々、
編者の先生に御礼を申し上げます。
「KAMI」=商標は不認可と「森羅万象紙爲」がコピーでした。

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Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ


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『1992年に私は「ライフスタイル」を書いている』


   


     8月 18th, 2018  Posted 12:00 AM



未来について、という意味でのコンセプトという書籍は減っている。
もちろん20??はありますが、デザインコンセプトではありません。
これが、この書籍の基本であり、それこそ未来だと思っています。
現在はなかなかこうした書籍が減っていることが、
建築界、デザイン界でも減少しています。
これが1992年出版でした。私は多分「ライフスタイル」でした。
ちょうどその頃には、「生活様式」が市場でも専門的なモノではなく、
そのモノを取り囲んでいるモノ全般で、そのモノを生活様式で語っていました。
私がその頃には、ある哲学書で「ライフスタイル」が中心でした。
したがって、ライフスタイルがどこまであることで、日本と海外が異なり、
日本では敗戦後に米国の進駐軍からもたらされていました。
私は1972年に社会人デザイナーになりましたし、
1991年には毎日デザイン賞を受けていました。
そしてその頃には「バブル」経済。
私はほとんどApple本社と仕事をしていました。
ともかく東京は狂っていると思っていたのが
福井いる私のバブル経済への感想です。
そしてこの書籍は2018年になって建築家・デザイン批評家・デザイナー達の
現在のことがほとんど当たっています。
この書籍では、二つのことが欠落していました。
まず、地震国家であることと少子高齢化のことでした。
私のレベルでは、当時は図表・図解化を起こしていました。
この図解は、スタッフ募集の時に彼のポートフォリオにありました。
その彼は今では大学人になっています。
なお、この書籍は今も売られています。


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『正三角形でのデザイン発想で造形言語と形態言語』


   


     8月 4th, 2018  Posted 12:00 AM



江戸時代から「絵図をえがく」というのは、
泥棒が使い、刑務所用語となって、今でも警察用語になっています。
絵や図が発想の起点だと考えていいでしょう。
だから、デザイン発想の一つのやり方だ、と私は考えてきました。
ところで、「絵」は難しいけれど「図」ならやさしいと言うこと。
「絵」は誰かが「下手」と言えば、「絵」は性格的に苦手になるものです。
だから誰でも「絵」や「絵画」を否定的に批判することは駄目です。
「図」はたとえば地図をかけばそれなりにコミュニケーションができます。
そこで、正三角形は四つの配置があります。
右の各図にともかくA・B・C を三角形の頂点におけば、
いわば、「木」があって「林」なり、それが「森」になる、とか
「森」は「林」からなって、それぞれが「木」であるという、
このようなシナリオが書くことができます。
そこから、A・B・Cはコンセプトという要因や要素になります。
これが、発想での正三角形の応用だと考えることができます。
もし、「造形言語」といってコンセプト3つでシナリオを描けば、
今度はさらにシナリオによって「形態言語」が生まれます。
三角形での「造形言語」は「用途」のコンセプトを決めて、
「形態言語」として「内容」をシナリオ化できます。
正三角形の発想、その一つを論理化したいと望んでいます。
これは発想方式として私は書籍化することを考えているのです。


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11月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 10th, 2017  Posted 12:00 AM

11月10日 赤口(辛丑)

コンセプトでJobは概要された。
そして
イノベーションが必ず起こると
すべての産業界が誤解している。
「ラインがgigを造る」
それは新たなアライアンスイニシアチブを
公益化する。



川崎和男の発想表現手法


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04月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 26th, 2017  Posted 12:00 AM

04月26日 仏滅(癸未)


概要=コンセプトと呼ぶ
その時代は終焉している。
概要をポイント=点ではなく、
ConceptよりLine
というべきなことを
知ってもらいたい。



川崎和男の発想表現手法


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『リニア的アプローチではなくパラボラ的上昇志向』


   


     6月 24th, 2016  Posted 12:00 AM



「デザイン思考」の大欠陥は、結局はデザイナーの思考や発想で、
理系から文系へ、文系から理系へ、それぞれ接近しても
そこそこの中間点での融合知識に定着することです。
その指摘は、あるデザイン戦略家から、
明確に、リニア的な上昇ではなくて、
パラボラ=放物線上での合致点を指摘されたことでした。
その彼からの指摘を聞かされた自分は、
すぐに大阪大学の招聘教授になってもらいました。
これは理系と文系の融合ではなくて、「統合」に辿り着き、
結果、「コンシリエンスデザイン」
さらには「レジリエンスデザイン」の学域設定になりました。
大きなヒントは、リニア的アプローチではなくて、
パラボラ的な合致点の上昇化指摘がとても明解だったということです。
この指摘から、デザイン戦略家としての彼からは、
次のような「コンセプト」と「デザイン」での
美への姿勢がメールされてきました。
これもなおさら自分には理系・文系ではなくて、
造形美からコンセプトは語れず、
コンセプト美から造形は生まれるはずはないということです。
むしろ、美はもともと最初から存在していて、
ただ、コンセプトからでも造形からでも近づけるだけでした。
これはsilienceの原語意味と適合しているということです。
たとえば、大道芸人の素晴らしい演芸に人は感動します。
あるいは、ある人が政治批判を道端で語っていて、
それを聞いたとき、とても賛同できうる知識というより知恵です。
いずれも無名の人の,
その宝石のような美しさある知恵=silienceだということと同価値です。
「コンシリエンスデザイン・レジリエンスデザイン」
どちらも新たな、それは次世代デザインになっています。

*『学術+芸術の統合性=コンシリエンスデザイン:KK塾』
*『曼荼羅図に「思」と「考」を配置して論理を確認する』
*『造形の言語道断』
*『モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ』
*『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』


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『無駄な投機だった医工学の廃止が証明できている』


   


     6月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM



文系と理系が大学教育では完全に分離してきました。
文理融合は必然の教育テーマになっています。
都合のいいことは、これをまた米国の大学から、
d.Schoolのそれこそコンセプトを知らされると、
余りに見事、i.Schoolを掲げて、
文理融合というより、デザインの発想を取り入れるのが大きな手法となり、
「デザイン思考」がその決め手ということになりました。
しかし、理系を文系に、文系を理系に接近させたところで、
その合致点は、結局、理系そこそこ、文系そこそこ、
デザイン思考ならば、デザインには確実な実技がともなっています。
具体的には、「スケッチが描けること」が必須なわけです。
スケッチが不得手であったなら図解の基本は?となり、
現実にデザイナーが居なくては、この教育は全く不可能なのです。
阪大は、デザイン思考に疑念を持ち、徹底的にその源にもどりました。
それは「コンシリエンス」という
知識・知恵の造語を19世紀に見つけました。
それを自分は「コンシリエンスデザイン」として、
最も何も社会化出来なかった医工学に当てはめる論理を打ち立てました。
そうしたら米国のMITでは「コンシリエンス」に
科学−社会自然学を適合させていました。
とても明快になりました。デザインは「問題解決」ゆえ、
その対象を「看医工学」に差し向けると、
一体これまで何を実現してきたのか、
どれだけ税金を投機し無駄に終わってきたのか、
その医工学の欠点が明らかになってしまいました。
なぜなら、看護学・医学・工学・保健学によって、
安心・安全・最新医療環境・予防までが明快に論理解決できたことです。
明言すれば、医工学のこれまでの効能性ゼロを証明してしまったことです。

*『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』
*『『デザインとは何か?』=デザインとは前頭葉である』
*『手描きスケッチのツール』
*『プロとして元気の素は鉛筆への作法』
*『イラスト・漫画はデザインスケッチでは無い』


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6月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM

6月22日 仏滅(乙亥)


理科系の発想と
文科系の発想は
決して重ならないけれど、
「コンセプト」と言えば
なんとなく
思考と発想はつながっている、
かもしれないと思う・・のか?



川崎和男の発想表現手法


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『理科系と文科系の分別が堕としこめたこと』


   


     6月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM



日本の中学・高校の教育が人間の能力を堕としめたこと。
それは理科系と文科系をはっきりと分別してしまったことです。
理科系を強めれば、自ずと文科系の能力は伸びません。
文科系を強めれば、自ずと理科系は苦手になります。
数字が好きか、言葉が好きかと、
中高生の能力を選別することが、あたかも教育であり、
それは課題:Questionに回答:Answerを暗記させました。
その判定が、明らかに大学入試に反映し、
それをもっと特化させたのが私立大学に順序づけをしたのです。
あまり公にはされていませんが、日本の私立大学はトップの大学でも、
世界的な順序では、400位程度です。
それにも関わらず、
発想=クリエイティブな人間を社会も時代も求めています。
だから、大学教育では文理融合とか、
学際化とかを日本だけが喧噪しています。
この状況を自分自身も高校時代から引きずってきました。
たとえば、理科系からは医師が最高の職能と言われ、
文科系からは弁護士が最高の仕事と言われてきたわけです。
それが人間の能力を最も反映させた社会を幸福にしているのでしょうか?
この大きな疑問を明確にしていく必要を考えます。
もはや、文理融合もありえず、学際化なども不要です。
ただし、文理融合を成し遂げ、学際化が出来る人間を
果たして教育で可能かどうかが問い詰められています。
そして、理科系であれ、文科系であれ、
両方の職域での思考は「コンセプト」にいきついています。
これを破壊したいと考えています。

*『「コンシリエンスデザイン看医工学」の提案』
*『機械工学とデザインの学際化を・・・大学人としての願い』
*『2015年新学期から・コンシリエンスデザイン看医工学!』
*『話題への応答商品、課題への回答商品、問題への解決商品』
*『研究棟看板「Consilience Design Interdisciplinary Studio」』


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