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Posts Tagged ‘サッカー’


『少子化は雑誌の世界をすでに破壊していた』


   


     10月 6th, 2016  Posted 12:00 AM



2300年には4700万人ともいう推定統計、
いや、日本民族は消滅しているのではとかも言われています。
所詮、もう老齢期の自分にはオリンピックがみられるかなー、
いや、日本にオリンピックはもう要らない事態かも。
待機児童問題?、「少子化」?という正直現実味はありませんでした。
「エッ、あの雑誌が?」、これはとてもショックでした。
「小学一年生」しか残らない、「小学二年生」も休刊、
もの凄く驚きました。
自分は幼稚園も、キリスト教関係から仏教系に、
理由は、大きくなって知ったのはキリスト教関連の幼稚園を退園だったとか。
小学校も二つ、中学校も二つ、高校は結局予備校も、これが生徒時代。
さて、この「小学一年生」しか残らない雑誌って、
今の子供たちの情報量と情報の質に耐えていくのでしょうか?
おそらく、TV-CMなんて、信じるワケがないでしょう。
彼らの情報は、決して紙媒体の上の情報など、どうでもいいのでしょう。
そういえば、3.11直後の子供たちの憧れの職業は?
まず、アスリートたち、サッカー、野球それもメジャリーガー、
次にアイドル、そして歌手であり、消防隊員、自衛隊員です。
残念ながらデザイナーも建築家も3.11の悲惨さを
大きな夢に変える職能はゼロでした。
「小学一年生」という雑誌もきっと休刊になったときに、
新たな「少子化」と老人社会の情報はどうなっているのでしょうか?
この大問題にデザインは先鞭をつけなければなりません。



* 『人口ピラミッド視覚化で明確な高齢社会の重石』
* 「TV番組の役割は終わっていることを再確認!」
* 「2018年=日本の大学制度は崩壊するかもしれない」
* 「今なぜ『大奥』なのだろうか、もしも、という幻想・・・」
* 「初音ミクが象徴している近未来はアンドロイドなんだ!」


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『サッカー競技が露わにした資本主義社会の監督不在』


   


     6月 28th, 2014  Posted 12:00 AM



ワールドカップ「サッカー」への国益とも思える程の期待、
それは意図されていた資本主義社会の狂乱が日本を包みました。
私は「性愛と資本主義」その最終稿「サッカーと資本主義」によって、
サッカー競技での商業主義としての監督や解説者を批判しました。
それは、敗北を指揮したリーダー力の大欠落を象徴していました。
しかし、それはわが国のサッカーチームがシンボルだっただけです。
・政治における野次騒動においての議長も、
・期待していた現政権の大臣においても、
・地方行政での首長采配の無能さにおいても、
・大企業に及ばず、中小企業の経営者においても、
・学校の校長や学長においても、
・独立法人の理事長においても、
・すべからくの意志決定者指導者は当然として、
間近にいる補佐役でも、私は、指導力・采配力、
補完すべき立場人間にこそ、
いかに、日本の資本主義社会の収奪が露呈していたことです。
かくいう私はどうかということですが、批判者は論外を旨とし
批判すべき立場を棚上げにして陳述を明確にしたいと考えます。
つまり、それはなぜ、性愛と資本主義、それにサッカーが事例、
このことを「監督論・リーダー論」で批判から非難までを
書き留めておきたいからに過ぎません。
私は、資本主義社会でのプレーヤーは倫理的にも「納得と肯定」を
念頭にした諦観を基本とした性愛があります。
この性愛とは世俗的なエロス的ではなく、あくまでもリビドーです。
このリビドーの倫理的な真剣さと真面目さがあります。
比して、監督やリーダーが収奪している醜さには、
身を賭しての「強い反抗」があるべきだと考えています。
少なからず、私はワールドカップでの資本主義が明確に、
中南米やアフリカ諸国に移動あることに注視をと絶叫します。
そして彼の地には、リーダーがすべからく不在であることです。
すなわち、サッカー敗北のこの日本にも、
すべからくの領域でリーダーは不在だということは明化されました。

『サッカーは資本主義を象徴し収奪されたスポーツか?』
「大好きな画家・これが私のまなざし」


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『ワールドカップは人類の驚喜構造が今なお連続している』


   


     6月 11th, 2014  Posted 12:00 AM



日本流呼称には「サッカー」があります。
今ではスポーツ競技が資本主義経済を背景とし、
資本主義経済国家でなくても、
この競技には地球人すべてが驚喜します。
その驚喜は好戦性と民族性を歴史的にも、
根強い心理構造をため込んできた、今はスポーツ競技です。
サッカー、絶対に手を使わない足だけでの競技は、
元々の歴史的な動機や系譜は抹消せざるをえないほどの好戦性を
見事に資本主義経済での商業化を成功させたと言えるでしょう。
おそらく、日本中の子ども達にはこの選手になる夢があります。
私世代では、小中時代は野球であり、高校あたりから、
このスポーツ競技を知りました。
私は、野球やサッカーのプロ選手たちはすべからく、
修練と精進を重ねているスゴイ人たちだと思っています。
そういう意味では、好戦的でフリーガンと呼ばれる連中が、
歴史的な系譜での驚喜の構造をいまだに残しているからこそ、
私は人類が驚喜性・狂気性までを閉じ込めたのは知恵だと思います。
間もなく、開催地そのものが超犯罪都市でワールドカップです。
願わくば、観戦に出かけた同胞には何の犯罪も無いことを祈ります。
このような犯罪都市に日本人が居るならば、
自衛隊員が守備すべきだとさえ思ってしまいます。
日本人は自国で国民を護り抜く、そんな国家であるべきです。
この競技で選ばれた選手たちは各国の商業チームのヒーロー達です。
このゲームの驚喜の構造こそ好戦的傾向を資本主義ゆえに、
進歩させた人類の方策として私は賛同しています。
Best8にまで到達し、観戦客の無事を祈るばかりです。



「絵画に惚れることの重大さ」
「なでしこJAPANと国民平等意識」
「新たな日本ブランド・なでしこJAPAN」


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「元気になろう、元気になれるスゴイ写真だ」


   


     8月 24th, 2012  Posted 12:00 AM



8月20日、銀座に50万人だったとか。
ロンドンオリンピックはワクワク感を与えてもらいました。
素直に喜びたいと思います。
アスリートの選手達には敬意と敬服を捧げます。
そうしたら、こんなスゴイ写真が
女子サッカー選手・丸山桂里奈さんが与えてくれました。
本当に、徹底的に悲嘆し哀しむ事態にわが日本は落とし込められています。
領土問題での対決は勿論ですが、未だに拉致問題も、
さらには女性ジャーナリストの殉死です。
1000年に1度とはこれほどまでに
私たちから希望や夢を奪い取っていくのでしょうか。
銀座の光景は、マスコミが与えてくれたものではありません。
スゴイ、良かった、元気をみんなで共有できると私は思っています。
無念ながら私なりに懸命なのですが、
デザイナーとしては何もまだ進めることができません。
デザインも夢を叶える職能です。
しかし、デザイン界も元気になれない状況に追い込まれたままです。
サッカーの香川選手が、「君が夢だ」というCMを観ると、
そうだろうなー、子ども達が憧れていることが良くわかります。
子どもたちに憧れない職能は、
どこかに欠陥があると考え直すべきでしょう。
それにつけても、マスコミ、特にTV番組が、
アスリート選手への無礼な態度を見かけます。
TV界の勘違いは笑止千万です。
彼らはどれだけ夢を与えてくれているのでしょう。
その敬意ない番組は、TV時代の末期症状だと断言せざるをえません。
2020年、オリンピックを誘致することを実現するべきでしょう。
元気になって、未来の幸運を創り出さなければいけません。
領土問題と同時に拉致問題も緊急課題です。
急ぐためにも元気になりましょう。
スゴイこの写真はアスリートが与えてくれているのです。


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「絵画に惚れることの重大さ」


   


     5月 4th, 2012  Posted 12:00 AM


絵画にはいつも目配りをしています。
それは美大で学んだこともありますが、
「絵が大好き」という天性の嗜好性があるからでしょう。
心臓疾患で長期入院162日間入院をしたことがあります。
ちょうどその時に、
以前から美術雑誌で見かけ心を奪われていた画家がいました。
彼の初めての日本展開催を知り、
妹にカタログ購入を頼みました。
その後、フランスで彼の画集を随分探し回りました。
しかし見つかりませんでした。
ところがそれは書棚の一番上に大量に並んでいました。
まさかそれほどの人気画家とは思ってもいなかったのです。
モンパルナス付近の美術書専門街でも、
そこの書店主は「家族全員が大好きだ」と告げられました。
フランスでは本当にポピュラーでした。
ともかく、大好きな画家はいっぱいいますが、
彼はその中でも一番です。
パソコンなどのデスクトップ画面は、
必ず彼の絵にしています。
あるとき、
グラフィックデザイナーから画家に転身した友人から、
「誰の絵が好きか」と尋ねられて彼の名を上げたら、
「買えばいいじゃないか」って、簡単に言われました。
「彼の名をあげるなんて最高にいいよ」と評されました。
私は「色彩論」を教えるときには、
彼の絵画での私なり解釈の色彩調和論を講義します。
この「サッカー」などを見ても明らかに、
具象性と抽象性、さらにマチエールもミックスメディア性など、
現代絵画を革新しています。
現代絵画と現代音楽は相通じるところがあります。
「絵画」と「音楽」は美学の対象分野であり、
私にとっては、デザインをするときの背景、
特に造形と色彩選びの基盤・下敷きであることは間違いありません。
そして、彼のこの絵が代表するように
世界の画壇に大きな影響を与えるものとしてスターになりました。
これからさらに一般的にも有名性を獲得することを約束されました。
ところが個展準備の制作中、個展直前に自死しています。
どういうわけか、私は自死を選んだ画家が好きなようです。
フランスに行くと必ず彼の画集を探し求めています。
彼の作品で欲しい物が数点あります。
彼の名は「ニコラ・ド・スタール」です。
「絵画」を眺めるということと自然風景を見ること、
すなわち「鑑賞」するということの重大さを心眼にしていくことは、
きもちの振幅にα波を与えるようなものです。
このα波がいのちを活性化するのです。
このα波を絵画に込める苦難が作家を冥府に誘い込むのでしょうか。
デザインも絵画同様「鑑賞」してもらうことを願っています。


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