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「クールビズ・ネクタイ文化は終わろうとしているかも」


   


     8月 8th, 2013  Posted 12:00 AM



私はネクタイを結ぶことが好きな人間です。
だからどのネクタイが使いやすく装飾性や布地にこだわりました。
ネクタイは収集品であり、堅苦しいという感覚はありません。
しかし、現代はすっかりと特に夏期にはクールビズスタイルです。
先般もコードスタイルにノーネクタイ・クールビズ指定です。
私自身も、ノーネクタイでの日々が極端に増えました。
そしてこのスタイルのスーツ姿でもフォーマルになったようです。
最近、この傾向が見事に市場性を決定しているようです。
インターネット・通販でのバーゲンで、
いわゆる高級ブランド品であるネクタイの驚愕的市価を見ました。
9.11以後に、あのアーミーナイフ企業が破綻寸前に近いのです。
ひょっとすると、「ネクタイ文化」は終焉するかもしれません。
世の中からネクタイからスーツ文化も終わろうとしている、
そんな風情になってきたようです。
私がスーツに拘ってきたのは大学時代からです。
どうせ日本人はスーツとネクタイに不慣れならば、
大学時代から慣れるべきと考えてきました。
これは父がすでに高校時代から晩酌の相手をさせられて、
ウィスキーと日本酒に慣らされてきたようなものです。
タレントという職能にも関わらず、ネクタイが似合わないことや、
酒につぶれる人間性を造らない教育に近い気がしています。
以前、就職直前にネクタイの結び型を指南したことがあります。
ネクタイ結び型も3種類とシャツ襟のパターンも身だしなみです。
しかし、スーツ、ネクタイ、シャツスタイルに変化の兆しです。
実は、このファッションスタイルの変化は、
人間の日常感覚や共時感覚を相当に変革されることでしょう。
私はメガネフレームやHMDのデザインをしていますから、
なおのこと、この兆しには要注目です。
私はネクタイパターンに時代性を見てきましたが、
シャツとそのボタンやアクセサリー変化が出てきたことに、
これからの意味があると思っています。


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「欧州の紋章とタータンチェックから学ぶこと」


   


     11月 7th, 2012  Posted 12:00 AM



英国の伝統柄・タータンチェックやツイード、
欧州のセーター・編み方などは、伝統的なアイデンティティ表現です。
最初に車を所有したとき、室内のブラックに対して、
私はタータンチェックに興味を持ちました。
これからの季節はタータンチェックのシャツやストールは、
それなりの自己表現・ファッションやオシャレ感につながっています。
ところが、タータン柄でも、画像のMACLEODは、
ほとんどシャツは見かけません。
ピクニック用の敷物は持っていますが、シャツを探していました。
京都の洋服仕立て屋さんで、いっぱい調べてみました。
確かに、紋章と柄には、
歴史的な意味・勇敢さや戦争時の心構えなどが克明にありました。
日本のようにやはり英国での戦乱時に、
明確な理念・哲学がファブリックにおいても、
「雄牛」との対決を事例とした話や、
14世紀にこの家系が誰によって男爵家系となり、
16世紀には売却されていくのか、
なぜか、シャツでの応用は現代でも見つけ出せないのか、
そんなことに心をめぐらしつつ、
あらためて、
「企業戦略としての国際的な存在性デザイン」に思い巡らしています。
タータン柄はおおよそ3000種もあるらしいのですが、
少なからず、300程度は暗記しておこうかと思うほどです。
タータンの色彩背後に潜んでいる「物語り性」は、
もう一つの色彩論になるでしょう。
タイガースの黄色と黒の対比調和のシンボル性と
非常に近似性を感じました。
ということは、この色だから、ファッションとするなら、
それなりの現場でのT.P.Oがあるのだろうと想像しています。
日本のすべての復興は、ともかく、政治もリセットされる中で、
もう一度、挑戦するデザインを感じています。
実は、予定では「中国で展覧会」をやっていることになっていましたが、
政治事情ゆえ、中止になっています。
国際関係が「文化交流」でなんていうのは幻想です。
「いざ、カマクラ!」という思想は、
このタータン柄の哲学になっていました。
なるほど、私の性格がこの柄を好んでいることに自己納得しています。


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「ブランド の表現統一には、センスと見識あるディレクターが必然」


   


     9月 29th, 2012  Posted 12:00 AM



このブランドのグラフィックス表現力は一流です。
パリ本店で、一枚のシャツを見つけました。
私の大好きなクロッキータッチの素描画が描かれているシャツでした。
美大入学当時は、クロッキーは相当に鍛えられました。
だからたまらなく私の物欲に直線的に飛び込んできました。
そのシャツの素描画が、バッグの内面ファブリックにも使われました。
そのバッグは
英国鞄ブランドのグローブ・トロッターとのコラボ商品であり、
「ヴァルカン・ファイバー」と呼ばれる
伝統的な紙を多重層にした素材を
さらにこのブランド用に協同開発されたモノでした。
軽量さは格段に改良されていました。
そのバッグの内装生地にはシャツと同柄の素描が描かれていました。
もちろん、シャツと裏地は別生地でしたが、その接着あるいは圧着技術は、
このファイバー素材を見事に活かしていました。
このブランド組織においても、
シャツ部門とバッグ部門は異なっているはずです。
だから、ディレクターの存在を感じます。
このコラボ的な商品開発において、
自社ブランドのクロッキー描画グラフィックスを選んだことです。
つまり、ブランドは、モノづくりの根本的な理念を表現するには、
「何が、そのブランド表現の核心なのか」は、合議制ではありえず、
「一人の決定者」が必要だということです。
国内企業では、センス無き経営者の趣味趣向が優先され、
価値観は「好き・嫌い」だけでしかなく、
デザインを「たかがデザイン」としか見ていない経営者が
本当に日本は増殖し過ぎました。
エンジニア出身であろうが営業経験者であろうが、
その人の「ファッション性」を見るだけで、野暮ったい経営者が、
デザイン=ブランドの核心の決定者であっては企業は衰退するだけです。
私は、このバッグとシャツのグラフィックスの素描画を統一し、
このブランドが「馬具製造からのメーカー」であったことを
さりげなく表現する決定をしたことに注目しています。
日本のメーカーが「ブランド化」するには、
まず、経営者のデザインセンスそのものが大問題だと指摘しておきます。


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