kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘シンボル性’


10月07日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 7th, 2017  Posted 12:00 AM

10月07日 先勝(丁卯)

この薔薇からのイメージは
シンボル性そのものである。
それは人間が薔薇の花に抱くイメージの
遺伝子であるのかもしれない。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』19 ビュー・ポイントからのミス・ブランチ


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『「恐竜」、このシンボル性のイメージ訴求デザイン』


   


     12月 25th, 2016  Posted 12:00 AM



恐竜は私の生涯にとって重大な存在になっています。
それはわがふるさと福井県のシンボルでもあるからです。
それもあってか、米国の自然史博物館で世界で最も巨大な恐竜を観た、
その感激はとても大きなことでした。と同時に、福井県勝山市に、
恐竜博物館があり、今では世界でも有数の博物館どころか、
新たな恐竜がそれもフクイナントカという名辞されたのがあるほどです。
それだけにとどまらず、福井駅構内から駅前には実物大があります。
ところが、先般、京都のデパート、その中で著名なファッションブランドが、
「恐竜」をメインシンボルとして、商品だけではなく、
展示シンボルとしました。
先日、東京銀座の同じブランドショップでも、この一環したイメージ戦術が
見事に展開されていました。
福井県の恐竜イメージ展開とブランドイメージでの恐竜イメージ展開は
どうみても、福井県がどれほどのマーケッティングデザインを展開しても
明らかにイメージの訴求力はファッションブランドに負けていました。
つまり、シンボル化された一方は行政でのイメージ展開力と
ファッションブランドでのデザインによるイメージ訴求力を比較できるのです。
福井県人の一人、しかもデザイナーとして、
恐竜の知識だけでなく、恐竜イメージのデザイン価値づくりにはそれなりに
自分なりのデザイン展開とイメージ訴求手法を考えぬいていたのです。
が、明確にこのファッションブランドとの差異化が厳然としてきました。
これは差別化戦略では無いとだけ記述します。
もっとも、地方行政にブームとして展開した「ゆるキャラ」でのイメージ、
それは数体の「ゆるキャラ」以外は全てイメージ訴求は全くデザイン皆無です。



* 『恐竜の里になっていたふるさと福井』
* 『ふるさと福井はまだまだ恐竜の聖地になれる』
* 『「創育」と「想育」の中心はやはり恐竜の存在だ』
* 『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
* 「『マーク+ロゴタイプ』が経常利益を決定している」


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『なぜ、あえて「日本刀」と呼ばれたのか?!』


   


     10月 19th, 2014  Posted 12:00 AM



私がふるさとで越前打刃物に関わり再びデザイナーに戻れました。
オーディオに関わり、刃物で復活できた私には、
アナログ・デジタルという技術と伝統工芸が私を鍛えたと思います。
その最大の核心は、ダンディズムを鍛え上げ、
どこまで、一心不乱に修練と精進を身体化させる全うさを学習。
すでに歩けなくなった体であっても生と美を真っ直ぐに見抜ける、
美でもって判断と評価できる力が備わってきた感覚があります。
その実例に、「日本刀」というモノのシンボル性を上げます。
世界中、どの民族も歴史を鍛える武器を持っていたことは事実です。
その武器の中で、なぜ「日本刀」が最高の技能表現であり、
わが日本では三種の神器でもあり、武器を超えて象徴、すなわち、
思想の頂点であり、なおかつ生と死を繋いでいるモノです。
それは一方で、偽物をいやというほど氾濫させてもいます。
特に、武田信玄は文字に最大に拘っただけに、彼の書状ほど、
偽物は多く、彼の刀も武者人形では鮮やかさで語られています。
武者人形は私は外孫一番だったこともあり祖父が買ってくれました。
しかも、当時の武者人形の刀は本物でした。
つまり模造品では無くその刀を引く抜くことが恐かった思い出です。
私は、日本刀は平安末期から鎌倉時代は実用品、武器そのモノであり
江戸時代には文化的な刀装が美しさを創りあげますが、
その模造品であったとしても、根幹の偽物やコピーは禁止でした。
つまりもはや作者不明であっても倫理性あって美学を語ったのです。
昨今では、作者が逝けば、モノ真似、コピー、いや盗作をして
平然としている者を見かけます。まず、倫理観を喪失しているのに、
あたかも自分の創作とは、大嘘つきです。
あたかも、武田信玄刀と言って武者人形飾りと同レベルですが、
時代は真の歴史性を無視する傾向が風潮化されていることを憂います。
結局、本物への真贋洞察には多大な知性を基盤にした感性が必需です。
これは創作者や表現者だけでなく経営者にも取り憑いています。
それが、現代の日本を台無しにしている元凶だと断定します。


「オーディオの恩師はダンディズムの恩師でもある」
「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」


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「稲穂と麦穂、どちらを選ぶか」


   


     4月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM



ふるさと福井には30歳で一度戻りました。
当時は、その自宅裏はすべてが田んぼでした。
だから、春から秋の実りまで、
稲の成長から稲穂の金色を本当に詳細に見つめました。
そのおかげで自分の
特に、「緑色」と「金色」の対比を身体で覚えました。
そして、福井郊外の麦畑で、
麦の鮮やかな緑からこの実りもしっかりと見ました。
稲穂と麦穂の対比を克明に私は覚えてしまったと思っています。
父が私に言いました。
私もデザイナーとしてほんの少しマスコミに出るようになったとき、
「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」、という言葉の意味はわかるだろ、と。
でも、父と何かしら確執し闘っていた私は言い返しました。
「僕は麦だから、稲穂なんかまっぴらご免だ」、と。
つまり、稲穂は頭を垂れますが、
麦穂は、麦が成長途中に踏みつけられます。
それは霜柱にやられないように麦踏みがあるのです。
だから、私は<踏みつけられてきた>という感覚がありました。
自分は踏みつけられても、
実ったら金色に輝いて頭は天に向かうとさえ思ってました。
そのことで、相当に父と言い争った経験があります。
実際に福井で、
「あなたは彼の息子さん?、彼は優れて温和な人ですね」と、
どこでもいつでも父は誉められていた人物でした。
それに比べれば、30代の私はことごとく、すぐに喧嘩してました。
現在もあまり変わっていないと思います。
これはもうすっかり自分の理念・哲学です。
絶対に「麦穂のように生きてやろう」。
だから、踏みつけられればそのぶん頭を上げようとさえ考えています。
しかし、多分、人間は「稲穂のごとく頭を垂れる」方がいいのでしょう。
そんなことがよく分かる年代になりました。
でももう死ぬまで、「いい人」で生きぬきたいとは思いません。
嫌なヤツは嫌ですから、明確に嫌なヤツをやっつけて
私らしく生きぬきたいと考えています。
ただ、私は、
「稲穂」と「麦穂」には人間のあり方の大きなシンボル性があります。
この対比は、
見事にそれぞれの実りまでの「緑色」と「黄金色」に顕れています。
この対比色の見間違いそうな差異色にシンボル性の意味があるのでしょう。
死ぬまで、稲と麦は見続けたいと思っています。


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「『007』形態言語を変更した新たな造形言語の失敗事例」


   


     10月 27th, 2012  Posted 12:29 AM



映画「007」は50周年の新作ができたということです。
なるほど、私にとっても大好きなこの映画、
少年時代から今日に至るまで、
私の生涯の楽しみだったということです。
デザイナーとして、この映画のアイコン性を確かめてみましょう。
まず、007のロゴタイプとオープン画像の渦巻きが
最もそのシンボル性を確立しています。
そして、主人公は世代が代わり、
物語りに登場する武器である拳銃が
「ワルサー」であることもよく知られています。
しかし、ワルサーも物語り年代に合わせて、
武器アイテムもワルサーのモデルチェンジと重なっていたことは
007マニアは知っているでしょうがほとんど知られていません。
ワルサーは明らかに三つの形態言語を持ってきました。
ワルサーという拳銃の歴史上では、
007に登場してきたモノの、
第二世代のPPKとP5は、ほとんど一般的には見分けがつかない
確固たる形態言語を持っていました。
したがって、第三世代の形態言語になろうとしているP99が
最近の小道具武器になっています。
しかし、
第二世代の形態言語を新たなモデルチェンジするための造形言語は、
銃器マーケットでは失敗作と言われています。
性能を含めた商品デザインとしては不成功になっています。
私は、デザインすること=造形と呼び、
デザインされた形態を言語と定義しています。
つまり、
デザイン意図を込めて造形すること=designing language=造形言語、
デザインされた形態=designed language=形態言語と呼んでいます。
したがって、この50年の歴史に登場したモノとしての拳銃デザインは、
アイコンとしてのイメージ=記号化された形態ですら、
造形言語の変更が失敗に至ることを示しています。
つまり、なぜPPKやP5を造形言語を変更してP99にしたかは、
拳銃市場の流行の読み違えがあったからでした。
しかもこのデザインは欧州の著名なデザイナーによるものです。
この失敗が拳銃市場では大きな問題になっていることは事実です。
私は、商品デザインにおける造形言語と形態言語の関係=構造を
この「007」のアイコン=記号からも解読出来ることを、
特に、次世代デザイナーに熟知してもらいたいと考えています。
私は、造形言語と形態言語・アイコン・記号のデザイン実例として、
「007」は参考事例になると明言しておきます。


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