kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘ジャーナリスティック’


『カメラの増大=視点が社会制度に組まれていく恐怖』


   


     4月 7th, 2016  Posted 12:00 AM



iPhoneはじめスマホになって以来、
カメラは生活に最接近したモノになってしまいました。
カメラは記録機器でありますが、その撮影されたコトが
表現される場は、このブログもそうですが、SNSと結びつき、
Twitter、Facebookどころか、今では写真中心のInstagramにまで
様々な表現それは自己表現風、自己表現的な写真本来の目的が拡大です。
僕はなるべくカメラを自分の収集目的や趣味にはしないと決めていますが、
気がついたら、なんと、なるべく高性能で使い勝手を
自分流に判断をするとともに、海外製まで手に入れています。
現代、カメラは自分のもう一つのeye-pointどころか、
表現道具として、この技術進化は空恐ろしい状況になっています。
自宅や研究室にもカメラはいつでもいわゆる「監視の目」です。
これは大きな問題提起を投げかけています。
実際、最近の防犯はカメラが目となっていて、
犯人逮捕も防犯カメラのデータに頼っていることが増加しています。
スマホを持参していることで、人は、自分の目だけではなく、
記録媒体として、写真どころかビデオやムービーにまでが
あたかも社会性の善悪判断、その要因になってきています。
それこそ、表現はジャーナリズム化=日々の記録となり、
そのジャーナリスティックな判断をある意味では放棄しているのです。
それは、表現者のカメラという道具、プロのジャーナリズムの道具が、
一般化することで、社会判断を鈍化させていることになります。
人間は「消失点」を持っています。
しかし、カメラの消失点は制御可能です。
さらに、人間の視覚は最も遠景=星を見つける光年、
その距離感把握能力があり、
現代のカメラ=もう一つの視点・eye-pointがある意味を
十二分に検討する必要があると判断しています。


*『視覚空間は存在しないことを認識する必要がある』
*「岸辺のアルバム=家族平和とは安泰」
*『彼は映画の社会的メッセージを知り尽くしている』
*『デジタルカメラはなるべく買い換えない』
*『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』


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『中国の月面着陸ロケットの思惑・範原発を!』


   


     12月 25th, 2013  Posted 12:00 AM



嫦娥3号というロケットが月面着陸を成し遂げました。
1976年以来、人類が月にまた大きな夢を果たしてくれました。
しかし、このロケットは、
中国の何か得たい知れない思惑があるのでは、
私にはどうも素直にこのニュースを受け取れません。
「嫦娥」とは、中国の月の伝説、「仙女」という意味らしいのです。
宇宙開発を成し遂げたなら、その宇宙の資源は、
地球上の全人類の共同資産という協定があったはずです。
ところが、今回の月面着陸には、月にある資源、
特に私には、「ヘリウム3」と「レゴリス」という物質、
こうした資源の独り占めが目論まれている気がしてなりません。
さらに残念なことは、
この中国の野望をジャーナリスティックな報道が、
わが国では全く軽視されてきたことです。
おおよそ100万トンのヘリウム3が月面に埋蔵されていること。
中国はやがて、
この資源のサンプルリターン計画があるのではと思います。
「ヘリウム3」25万トンで欧米の消費電力は4万年分に相当する、
そんな単純計算もなされています。
「反原発」に私は大賛成です。
その理由は、今回U239とU240という自然界にはあってはならない、
元素がプルトニウムから出た限りは見切りをつけるべきです。
だとするなら、
私は「範原発」で国際的にも、広島・長崎・福島の経験で、
もっと新たな原子力技術開発とエンジニア育成をするべきです。
日本では、「北朝鮮の粛清」・「都知事への辞任要求」、
さらには「社長銃撃」と
「ソチ五輪へのフィギュアスケート代表選考」が報道されて、
まったく「ヘリウム3」という月面埋蔵資源の報道が無いことです。
私たちは、「反原発」への感情論から、
もっと賢い「範原発」の大きな資源として、「ヘリウム3」を熟知し、
中国の月面着陸から今後始まるであろう計画を知るべきでしょう。


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「『SILK』Projectが示唆している重大さ」


   


     3月 1st, 2012  Posted 12:00 AM


金沢21世紀美術館での現代アートはいつも共時性があります。
それこそ美術館の社会的存在性=効能性にいつも驚愕させられるのです。
私は米国在住の日本人アーティスト・角永和夫氏の作品「SILK」は、
その制作から廃棄までというドキュメンタリーで
ジャーナリスティックな芸術表現の恣意性に呪縛されました。
9m*15mの漁網上に2万頭の蚕が
室温27度の中で三日三晩かけて平面繭を吐き続ける「家畜行為」を利用、
自然界を人間が制御することの
根源的な意味性を私たちに投げかけているのです。
私は、「自然との調和などありえない」、と主張してきました。
蚕・養蚕産業・家畜・人工的な改変・産業廃棄物
すべてを芸術表現とすることで、
人間、人工的行為と自然との対決観を見せつけられました。
この芸術表現の恣意性が
全く共時性があるということを熟考してみてください。


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