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『ランドセル廃止を進めるべきだ、新しい学習鞄が必要』


   


     7月 24th, 2017  Posted 12:00 AM



小学校も二つ、中学校も二つ転校しています。
足羽小学校ではランドセルでの思い出は足羽山をよく登って下校、
だから山で栗やら石を詰めて帰宅。
武生西小学校は、目の前の学校だったから、
ともかく小中学時代は教科書は学校に置いて帰っていました。
でも、予習復習は何にも苦無くやっていたと思います。
高校時代は英語と世界史の教科書しか入らないほど最も薄くて黒い牛革鞄。
やはり教科書は学校に置いていたと記憶しています。
現在、ランドセルはすごくカラフルであり、海外ではkawaii鞄とか。
先般も大きくて立派なランドセルを背負っている低学年の女生徒を見て、
ランドセル、大きな肩掛け鞄、手提げまで持っていてかわいそう過ぎます。
もう、iPadとランチボックスでいい時代。
学校に行くには、iPad程度で十分の時代だと思っています。
確か、FBでも友人で社長だったY氏が、
米国の子どもたちの学習がすべてiPad。
これでは日本はもう相当に遅れると投稿していました。
かって、Apple 本社でコンサルだった頃には、
Sweetpea、Popeyeなどコードネームプロジェクトに参画していました。
特にJeepというコードネームのパソコンは生徒や学生向けでした。
ジョンスカリー退社(政治的な理由)で、七つのプロジェクトが全部中止。
今となるとよく40そこそこで、クパチーノと福井へ行っていたと思います。
日本はバブル真ん中の時代でした。
ともかく、ランドセルの市場は大きいかもしれないけれど、
最早とても時代遅れの教育用品だと私は断言しておきます。
AI、 AR、 VR、 IoT、への教育プログラムは、今の教員には、
とても無理でしょう。あのランドセル廃止を進めるべきです。


* 『開発コードネーム・Popeyeからの拡大』
* 『Sweet-peaからPopeyeの最終モデル開発までのこと』
* 『メディア・インテグレーションを追いかけた経験作品』
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
* 『盤という人類文化にAI相手は無意味である』


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『偉大な死は小賢しさで一時無視される、が、必ず残る』


   


     7月 20th, 2015  Posted 12:00 AM



死はこともなげに奪う、ということを現実的に知らされるものです。
揺るぎなくある人が亡くなれば、
後継者はそこそこの能力があるがゆえに、
目の上のタンコブ的存在を追い越して、
あたかも後継の権威づけを簡単に示そうとするものです。
しかし、オリジナリティの天分的な能力がねじ曲げられた瞬間に、
その死ゆえに「失われたこと」の悲しみを再確認してしまいます。
私にとってApple社の存在は
コンピューターへの夢をすっかり無くしていたときに、
Apple Ⅱで見直し、1984年Macintosh 128Kで決定的になりました。
そして思いがけずも私はクパチーノのApple社で、
ジョンスカリーやアランケイと仕事をするチャンスがありました。
それだけに、私のパソコン生活はすべてAppleであり、
パソコンもパッドもスマホもAppleでした。
しかし、最近、大きな違和感を感じるのは、
Apple-WATCHとApple-MUSICのロゴタイプを見たときに、
ジョッブスの最期の置き土産だったiOSと同時に成し遂げられていた
あのレタリング形式がすっかり失われていることから、
WATCHもMUSICも、Apple理念が消滅していると感じてしまいました。
しかし、このことを胸にしまっていました。
ともかくあらためてこのロゴタイプを見詰め直してみても、
カリグラフィーからモノの美しさ、
特にあるべき終着点を知り尽くして決して妥協をしなかったことが
ジョッブスの死とともに抹消されていました。
このことを世界的なコンサルタントであるH氏と話をしていて、
さらに大確認をしました。
「そうですよ。ジョッブスが生きていたら絶対に許さなかったことが
安易にプログラミングされていますよ」
そのアプリケーションも教えてもらいました。
Apple社の後継者達はまだましかもしれません。
おそらく、日本では「デザイン」は未だに政治的にも装飾に過ぎず、
設計=デザインと言っていた中国がデザイン=策略からも
デザインは大きく後退しているだけに。
Apple-MUSIC、Apple-WATCH、
このロゴタイプをもっと注視すべきだと思います。


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