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Posts Tagged ‘スケッチ’


『ドクヘリがいっぱいある街がいいのかも知れない』


   


     4月 17th, 2019  Posted 12:00 AM

ドクヘリ=ドクターヘリコプターは、
20世紀の終わりに試験運行を開始、
私もこの政策企画書を当時読んだ経験があります。
2001年に本格的な事業が開始されました。
そして、私自身が2006年には、阪大への赴任がドクヘリでした。
というのも、名古屋から心臓発作、
手術のために阪大附属病院へ救急搬送されたのです。
まだまだヘリコプターは、進化しなければなりません。
私が空中で最も興味深い対象物は、ヘリコプターであり、
ダビンチのスケッチでも、ヘリコプターの原図が残っています。
このドクヘリには、パイロット・医師・看護師、
そして救急用の医療機器が搭載され、救急自動通報システム「D-Call Net」
システムの導入後、事故対応から病院治療へと短縮化が図られています。
私が最も愛してやまないのは、
ユーロコプター仕様のドクヘリ(左上)です。
私の救急搬送時の映像も、友人の教授に収めてもらいました。
高度500メートルであれば、揺れもなく多くの人の救助ができます。
もうすでにドクヘリも100機以上になっているのでしょうか?
43道府県にまだまだ53機でした。
大きな病院では、ドクヘリの街が必要でしょう。


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『アナログならば、「ベラム紙」がとっても基本』


   


     3月 18th, 2019  Posted 12:00 AM

トレーシング・ペーパーには種類があり、
デザイナーそれぞれに使い勝手のいい紙を選択していました。
トレーシング・ペーパーは、手が切れるので嫌いです。
私は、PMパッドで、図面を描いてきました。
さらに、ベラム紙上にリキテックスでのレンダリングは、
東芝の上司からやらされ、それもカーデザイン、懸命でした。
それが身につき、ふるさと福井に帰ると、
ベラム紙で図面を描きました。
福井から名古屋そして大阪と、
ともに移動してきたA0用マップケースには、
図面をパソコンにシフトする寸前の図面や、
大判用紙のスケッチが納めてありました。
研究室の奥の奥の部屋においていたこともあり、
開かずの扉状態でした。
図面を見ても、これは何の図面なのかと
記憶に残っていないモノもあり
相当の図面を書いていたと「自分ながら」に思います。
なかには、展示会の照明図面も書いていたようです。
長年取り組んでいる眼鏡では、すでに液晶レンズも描いてあり、
それは、秋田大学でのLCD論文も知っていました。
今とは違うタッチの人物像と眼鏡のスケッチがありました。
情報機器の図面など30代の頃の手描きの精密な図面です。
今ならできる、今だからこそできるモノがまだまだあるようです。


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『「練り消しゴム」での鉛筆デッサンで才能がわかる』


   


     3月 17th, 2019  Posted 12:00 AM

「練り消しゴム」って?
その存在を教えてもらったのは、
美大入試の鉛筆デッサンの前日でした。
鉛筆も、HBとBと2Bだけで描くべきだと知って、
2Hから6Bまで揃えていた私には、これで描けるのかと思いました。
医学部志望からの急転直下の美大受験ですから。
そうして、絶対に白い部分は残すこと、
鉛筆は全て鉛筆の濃さで描き、
なおかつ、デッサン後には指で鉛筆を擦らないこと、でした。
まぁ、少しは入試対策として金沢美大は
鉛筆で描き出すことは知っていました。
しかし、練り消しゴムは、同じ受験生から貰いました。
それで、鉛筆で描いたラインに、押し当てると、
正確に濃さや薄さがはっきりとします。
これまでの医学部の学科試験とは全く異なる記憶力から
実技試験から、美大技能まで、大変に苦労しました。
この実技で、実力のすべてを見てしまおうということです。
暗記ではない、実技は水彩画と鉛筆デッサン、2日間で、
才能を見ているのです。
それ以来、練り消しゴムはスケッチの大切なアイテムとして、
私流のテクニックで、随分と手直しをすることを覚えました。
鉛筆デッサンの前日に教えてくれた彼とは、今も親友です。


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『水彩画で、きっと(高額の)画家になるのです』


   


     3月 16th, 2019  Posted 12:00 AM

水彩画が一番得意だと思っています。
どうしても、アイディアスケッチばかりを描いていますから
とっても微細な水彩画が、段々描きたくなってきました。
いわゆるハガキに四季折々の花や果物などを
スケッチで描いていると、時間をかけて、
どこまで描けるか試したくなります。
その時には、このニュートンの絵筆一本で描き切るのです。
油彩画は一枚も描いた経験はありません。
美大受験の時にはギターペイント一式で受験しました。
何も知らず、同じ受験生から練り消しをもらい
デッサンと水彩画の描き方を直前に教えてもらいました。
その彼も合格し、今は親友、帯の作家です。
1年生の時は、デザイナーを目指す級友たちと比べ
絵から何もかも下手で、父が大学から呼び出されました。
大学を辞めて、浪人しもう1度医学部を受けろ、と
父からは、怒られ、そして叱られました。
主任教授には、夏休みに40枚風景画を描いてきなさい、と
課題をもらい、失意のなか43枚描きました。
市内、河原、漁港、山の入り口を描きました。
そのことをとても思い出しますが、この鍛錬で覚醒しました。
そして、3年も4年ではデザインの課題がとても嬉しかったのです。
43枚の絵を仕上げた私に、教授は言ってくれました。
「才能がある。やがて、スケッチでも暮らしていけるよ」、と。
色鉛筆でのスケッチ画もありますが、
高額の水彩画も書き残したことになるでしょう。(笑)


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『絵手紙ではない、スケッチ程度で写実的な手紙の絵筆』


   


     3月 15th, 2019  Posted 12:00 AM

時間があれば、最近は手紙にスケッチを描いています。
いわゆる「絵手紙」ではないです。
手紙には、自分のスケッチを入れて、毛筆で簡単な挨拶を入れます。
これは、美大時代の故・米田先生がやっていた色紙の影響があります。
その際には、こうした絵筆を使っています。
ほとんどが、最も簡単なニュートンの絵筆だけです。
8色だけしか使っていません。
最近の絵筆は、7万円のモノもありますが、
一般的なニュートンの絵筆で、墨汁も十分に使えます。
もしくは、ほとんど携行用のパレットと絵筆でも十分です。
これまで、随分ニュートンのセットを買い集めていました。
やっと、とりあえず、自分で描けるのは、とってもいいなぁ・・なんです。
オブジェは、葉っぱや、ミカンや、紅葉などを、
これは写実的にを、ともかくこだわっています。
が、アイディアスッケッチ程度の2,3分で、と決めています。


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『あの名作の遠景はやっぱり無くなってしまった』


   


     1月 16th, 2018  Posted 12:00 AM

東山魁夷の「年暮る」という名作があります。
当時は京都ホテルの屋上から、川端康成の提案で、
「今描くべき」と言われた作品(1968年)があります。
「描いておかなければやがてこの景色が変わる」と言われた雪景色でした。
京都ホテルは現在は京都ホテルオークラです。
ホテルオークラのOkuraは私の恩師のスクリプト体であり、
ホールのデザインは故・内田繁、アルドロッシゆえ、
私にとっては、いつもこの絵画の上に現代の京都があります。
4日間このホテルから古書を探していました。
古書といっても、江戸時代の庶民の筆タッチのスケッチ:画集です。
結局、見つかりませんでした。
出逢ったあの時に買うべきだったと思っています。
とても軽快にほとんど一筆描きかと思うとても薄い画集でしたし、
なんだかいつでもこのスケッチを思い出すのです。
京都はワイフの生まれ育った場所ですが、
京都が魚を食べられるのは福井県小浜市からの「鯖街道」があるから、
奈良だって、お水取りは福井から送られてくるのです。
ともかく毎月、映画を観るために出かける街になっています。
車イスの私には、京都と金沢が映画が観やすい街なのです。
大阪はやや不潔で駄目、東京は車イス使用者を規定の場所ゆえ駄目です。
このことは本当に言い伝えないといけないと最近はつくづく思います。
もうどこが観光化していないかが分かる街になっています。
ともかく、今年はこれほど寒いかという街でした。


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『思いついて思い込んだ羽二重と絹石鹸をデザインする』


   


     11月 24th, 2017  Posted 12:13 AM

デザインの基本原則について、私は次の三つをあげています。
● 思いつき=idea
● 思い込み=thinking
● 思いやり=design
そして、思いつきは直ぐに否定が可能です。
その程度はひらめいただけの「思いつき」にすぎない、と。
さらには、考えすぎでそんなに思い込んでも、実現は不可能かも、と。
思いついて、思い込んで、さらに思いやりを尽くせばデザインになる、と。
自分に翻ってみれば、私はともかく思いついたら直ぐにスケッチを描き、
そのスケッチから立体化=モックアップモデルを図れば結局、
思い込んでいる自分に出会います。
ずーっと思いつきを重ねながら思い込んでいる自分を、
企業や研究所、学会などに重ねると、
なぜ、せめてここまで思い込んでいないのかと、腹立たしくなります。
最近は、思いついて思い込んで、そのことを語り伝えても、
デザインにたどり着けないとなると、いらいらする自分に出会います。
そうしたなかで、5年も考え込んでデザインし商品化したい一つに
「羽二重」があります。
それも蚕から繭に、そして絹織物でも縦糸2本、横糸1本の羽二重です。
もう5年近く自分がこの羽二重で身体を洗っています。当然顔もです。
そこに、繭から創られた絹石鹸です。
おそらく、石鹸っていうのは製造過程はそれほど複雑ではありませんが、
どれだけ石鹸を使ってきたでしょう?
そうなると絹石鹸が多分、一番、泡立ちがいいのです。
それを羽二重で受け止めて、顔を洗うのに使うことが一番です。
最近、私はこの思いつきと思い込みに囚われているのです。
証拠?、それは多分、私の顔でしょう。
68歳=もう老人ですが、決してそうは思われたいないと自負します。
いわゆる顔肌にあのほうれい線も、シミなどまったくありません。
幸いにしてハゲでもなくて、年齢を言えば周囲には仰天してもらえます。
だから、羽二重と絹石鹸をデザインしたいと思いついている状態です。
ちなみにこれを「美洗顔として羽二重と絹石鹸」をセットにすると、
思い込んでいるのです。
いづれ、これを自分デザインにするつもりです。

* 「日本語の曖昧さを観念化と概念化で見定める」
* 「PKDの途中報告」
* 「3Dプリンターの素材と成型精度」
* 『枕革新をねらう羽二重からの新素材デザイン』
* 『素材産地のダブルブランド・「羽二重」HUBTAE』


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10月09日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

10月09日 先負(己巳)

自然形態での花・植物、
これらに関連している
ある規則は
スケッチで学ぶ必要がある。
それは
「美しさ」を知るためだ。

川崎和男の発想表現手法


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『薔薇というシンボルから花言葉も消した問題解決』


   


     10月 7th, 2017  Posted 12:30 AM

美大時代に、絵・スケッチが最も下手だった私が練習で描いたのは、
薔薇と菊の花が一番多かったことを思い出します。
薔薇は花弁と茨・棘の関係を最もよく観察していました。
菊は花苞と葉っぱの葉脈でした。
花というと直ぐに、薔薇と菊が練習した思い出に重なります。
47歳の母を見送ったとき、彼女を取り囲んでいた菊は好きではありません。
薔薇の品種改良はとてつもなく進化しています。
薔薇というロマンティックさもありますが、
一時は薔薇の花言葉をすべて暗記していたこともあります。
最も、よく薔薇で女性へのアプローチなどはふやけた男だという意志は、
今でも全く変わりません。
しかし、薔薇それぞれの色を見れば、
最近の映画では、決して間違ってはいけないはずなのに、
花言葉に気づかない監督?や助監督?に呆れることが多いです。
最近はある企業ブランドの薔薇をシンボルとしてきたその理由からも、
このようなシンボル、あるいはマークはあり得ないだろうと思って、
幾何学的にとか、特に化粧品とかの
ブランドマークとかを全て見詰めています。
そして、なぜ人は薔薇にロマンを求めるのかは、
どうも自分には似合わないとか思いながらも、
「薔薇は美しい」対「美しい薔薇」を再考しているのです。
これはあの「花は美しい」と「美しい花」を薔薇に求めているのです。
決して薔薇はあれほどの棘があってもロマン性は傷まないのです。
だから、それこそクライアントがもっと薔薇をシンボルに求めたい、
その気分・気持ちと商品価値性を現代整合性を見直しているのです。
もう一度、菊と薔薇を見直し、さらには牡丹という花など、
花言葉を決めてきた極めて人の物語性的な存在感を求め直しています。
きっとそれはグラフィカルなシンボル性の目印としてのデザインなのですが、
私自身は、花言葉も放れ、ロマン性を翻したそんなデコレーションとしても
薔薇という存在感に問題解決を必ず置きたいと思っています。

* 『「酉年」シンボルにモダンデザインの名作がある』
* 『製品記号論で語り直す時代がやっと訪れた』
* 『注射器はまだまだ痛い』
* 『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可能』
* 『デザインというスタイリングの二種類』


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『ダビンチのスケッチに想像力は皆無だ、創造のためだ』


   


     10月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

創造性と想像性について、私がこの関係を語り出したことは、
大学人になってデザインの講義や講演でのことでした。
美大時代はひたすらデッサンは東京藝大の石膏デッサンよりも
鉛筆デッサンや水彩画であり、とりわけスタイライゼーションとかレタリング、
柳宗理先生は常にモデリング主体で絵を描くことは叱られるほど駄目でした。
創造力と想像力の関係は、それこそクリエーションとイマジネーション。
これらについて語らねばならないほど、時代も社会も産業においても、
創造力と想像力が大欠落してきたからだと思います。
私が手元において常に見ているのは「レオナルド・ダヴィンチのスケッチ」、
手稿集がまとめられている、とても分厚い本です。
彼のスケッチで、ほとんど知られていないのは、
馬のスケッチや植物のスケッチとその寸法図があることです。
彼の手稿集は、ほとんどが武器の構造図が多く、筋肉や骨格であり、
私がもう20年も見続けている限り、
たとえば眼球のスケッチは2枚しかありませんし解剖図にはなっていません。
私はメガネのデザインもしていることから、
実際に名古屋市立大学医学部の解剖室で眼球周辺を
自分で死体(女性)の眼球周辺の筋肉から神経と脳内まで、
解剖学の教授から教えられています。
それだけに、眼球周りの写真でもある解剖図鑑は見返すことはしばしばです。
だからメガネのデザインを見て、一瞬にこのテンプルはありえないと、
断言することもできますし、このメーカーがたとえこの著名デザイナーと、
いわゆるコラボレーションでも、絶対に失敗することがわかります。
先般も京都の古本屋で江戸時代の人物素描集を発見しましたが、
ちょっと躊躇していたらら、次回訪れるともうありませんでした。
そういう意味では「ターヘルアナトミア」、
日本で最初の「解体新書」をじっくりと読み直してみたいと思っています。
それはふるさと福井県の小浜藩士の杉田玄白著でもあるからです。
これにどれだけの眼球解剖図があるのかを確かめたいと思っています。
とこかく、クリエーションとイマジネーションとは
まったく無関係だとも言いたいからです。

* 「想像力の尊大さをリドリー・スコットに観る」
* 「見本市と貿易と、国際関係の国家戦略」
* 『現時点でのスタイラスペンの評価』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』
* 「HMDを『スカウター』と呼んでいる・商品化されたモノ」


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