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Posts Tagged ‘タブー’


『200年ぶりの「青色」発見は大興味がある』


   


     5月 19th, 2017  Posted 12:00 AM



人類が色彩を再現するためには、
いくつかの方法でいわゆる絵の具を創り出してきました。
そして絵の具とした色は人類の絵画を通して文化の基本だと思います。
私は美大時代には「色彩演習」で実際に加算混合や減算混合を学びました。
加算混合は当時はアルバイトで舞台照明で覚えることが出来ました。
減算混合はいわゆる外国製の指定されたポスターカラーで、
一年間にカラーチップを指で混ぜでパネル提出をさせられて体得しました。
同時に、教えられたことは色彩は嫌いな色はつくらないこと。
身体化する=衣類を纏うこと、肌で色の温度を知ること。
もし、外見上恥ずかしいなら下着で身につけることでした。
私は、毎日デザイン賞を受賞してから、身にける色は「青色」にしました。
青色といえば鉱物系と植物系から絵の具となる色を発見してきました。
そして、金沢にはラピスラズリを
日本で最初にインテリアとした「成巽閣」があります。
私はこのブルーを自分デザインのFORIS.TVを商品化しました。
青は売れないというタブーを破って大成功させました。
ちなみに金色は、金沢では金箔ですが
この色のコンテクストで北陸新幹線を考えるとあの青・金色は間違いです。
ところが先日、200年ぶりに「青色」を発見したという報道がありました。
オレゴン州立大学の大発見でした。
今この詳細を徹底的に知りたいと追いかけています。
なんといっても鉱物系ではラピスラズリであり、
植物系では藍色、これは日本では、
作業着があり、これは蚊や毒虫を寄せつけません。
ジーンズはこの色ゆえにガラガラ蛇を寄せ付かない話があります。
今回発見された青色はラピスラズリでは経年変化がありましたが、
この変化が決して起こらないということに私は大変興味があります。
ともかく、衣服繊維であれ、皮革染色であれ、
ブルーは顔料・染料ともに青色は限定されているだけに、
この青色がどのような顔料・染料になっていくのかと期待しています。
ともかく、色彩を身体化できないのは基本的にセンスを失うのです。


* 「モードからファッションへ、そして遡及する記号の再生産」
* 「正直な造形をめざすことは裏表無し」
* 「カラーの決定のために・HSB色空間」
* 「聴覚感覚という触覚の重大さ」
* 「やはり、持ち物はブルーが基本」


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「『第22回日本文具大賞』を発表しました」


   


     6月 27th, 2013  Posted 12:00 AM



この審査委員長になって、私自身が昨日発表しました。
入賞作品10点から二つの部門でグランプリ2点です。
審査委員長として、挨拶をしました。
そして、私が驚いたのは毎年この見本市は大きくなってきました。
入賞作品、グランプリは、日本が選んだ最高のモノです。
私は、この審査に関わってきて言い続けてきたことは、
文具は日本が最高品を毎年毎年開発していることです。
そうして、部門は、当初から「デザイン部門」と「機能部門」
この部門分けにはすでに伝統がありましたが、
私は、なんとしても「国際文具・紙製品」において、
「デザイン部門」は文具としての、
最適解の美的な性能・効能・機能の問題解決であり、
決して、デコレーションではないことです。
その中でも、機能において最も勝ったモノを「機能部門」。
今回も確認のためにこの話をしました。
ようやく、このことを理解していただいた企業が、
それぞれのグランプリを取りました。
グランプリ部門は、この日に発表されるために、
挨拶を求められますが、私が嬉しかったことは、両部門ともに、
代表取締役が見えて、デザインの核心=機能・性能・効能を
両者が十二分に理解していただいていたことです。
なぜこれらの10点が選ばれているかはきっと理解されるでしょう。
さらに、審査委員会は、このアイテムに精通していることと、
日本の通念・タブーは全く無視していることです。
それは、たとえ二年連続であったり、一度グランプリだからと、
このような選出はしていません。
当然、このアイテムでは知り尽くされているブランドならば、
本当に徹底したデザイン開発を再検証します。
この領域に商品展開をし始めた企業はそのプロ性を検分します。
さらに、新たに最初の商品化をした企業の提案も、
企業の大小などには全く拘っていないことです。
文具は、衝動買いの対象になるほど、
とても日常的で、よくこれほどの低価格でと思えるのですが、
「良いデザインの性能・効能・機能」を精査して
審査委員会は選んでいるというこは明白です。
いづれ、日本文具大賞から国際文具大賞に進化することです。


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2月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 16th, 2012  Posted 12:26 PM

2月16日 先勝(丁未)

「わがまま」とか「自分勝手」ということは、
タブーである。
「わがまま」は許されないし、
「自分勝手」などとんでもないことだと
一般的には言われている。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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「最小リモコン=徹底的な黄金比の適用と実装設計」


   


     2月 6th, 2012  Posted 12:00 AM


液晶TVやその周辺機器のリモコン=リモートコマンダーは、
複雑怪奇なモノが氾濫しています。
私は、リモコンは画面上に
オン・スクリーン表示のインターフェイスがあれば、
四つのボタンSWで操作可能だと考えています。
EIZOブランドで国内初のHD(High Definition)モニター、
PCと地デジTV・FORIS.HD用のリモコンです。
マウス機能と背面には音量・チャンネルセレクト、
その他最小限機能ボタンだけのリモコン。
正円マウスは成功しないというタブーに臨みました。
発売直後は商品批評でメチャメチャに叩かれました。
それはマウスだということと実機使用無しの批評でした。
無論、視覚情報で全てのデザイン機能性が伝わることが大前提ですが、
これはリモコンの特殊解でした。
特殊解商品が売れるためには、確かな広報広告が必要です。
この造形デザインにおいては、
黄金比・黄金分割の教科書になるほどの寸法決定をしています。
造形設計で最初に意図したわけでなく、
感覚的な設計をつきつめて実装設計との合理的な合致性を求めれば、
当然の結果となる筐体デザインの造形が決定されていくのです。
したがって、プラスチック成型においても、
実装性=回路基板や電池収納などには
徹底したオリジナリティを仕組む結果になりました。
現在、国内の液晶TVメーカーの衰退は著しく、
国際的競争力低下ゆえの減益報道がありますが、
基本は、徹底した「設計思想とその実務としての具現化」に
オリジナリティが欠落しているのです。
私自身、TV大好き人間ですから、
自宅の視聴覚システムは徹底的に最高を求めています。
その限りにおいては、リモコンに象徴されるがごとく、
国内外のメーカー、すべての商品には大不満です。
造形デザインは必ず徹底したサイズ決定と実装設計が必然だと考えます。


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「タブーにしたのは原子力技術の無知能さ」


   


     5月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM

今、原子力テーマはタブーです。
私は、自然エネルギーを代替エネルギーにするために、
原子力技術はその根本にするべきだと考えています。
ただし、この根本は現在までの原子力系譜そのものを、
断絶させた発想へ転換するべきだと断言しておきます。
したがって、以下の思考を引用し比喩し、
そして言い換えてデザイン思考の下敷きにしてきました。
私はロボット評論をヒントにしています。
それを引用し比喩し言い換えます。
その評論は、J.ボードリアール著作、
「物の体系」です。
次のように引用します。

 ■「もしも原子力が、
その原材であるウランあるいはプルトニウムが、
全く密閉され放射能発生を制御自在なシステムであり、
どのような攻撃からも防御でき、
被曝不能状態であるなら、
そのシステムのエネルギー供給は完全に確約される」。

これは形態論=実装構造論的な言い換えです。
さらに、身体論=機能効用論的には、

 ■「もしも原子力が、
その人工的なシステムとして自然との関係を、
何世代にわたっても安心できる実働システムなら、
私たちは無自覚に信頼をすることになるだろう」。

おそらく、原子力学者はもちろんのこと、
ロボット学者もこの著作は知らないのでしょう。
だからロボット開発にも、原子力開発においても、
まったく無知、強調すれば無知能だったのです。
ナガサキ・ヒロシマを原子力へのトラウマだった私たち、
だから虚偽をつくして「安全神話」化し、
フクシマで決定的に信頼感を失わせた原子力関係者に、
ロボットと人間の共生を熟慮した思考無知さが、
原子力と人間との共生をも打ち壊すような
原子力をタブー化させたものと私は結論づけています。


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『資本主義からの逃走』
   「『解答』こそ、問題解決効果までの答なり」


   


     10月 3rd, 2010  Posted 12:00 AM

解と溶
本来の問題=Problemの解答はSolutionです。
「応答」・「回答」という答それぞれの決定的な質を検証してきました。
問題解決での「問題」対して「解答」の本質的なこれは定義だと私は考えています。
「解」という文字にそのすべてが凝縮されていることを先述しました。
したがって、真の問題・難問の解決こそ、
「解答」でなければならないということが私の信念になっています。
解答こそ決定的な答の本質
● とく、とける、とかすという答え方
「解其左肩」(春秋左氏伝)
ばらばらにしたり、問題である固まり的なことを溶かしてしまう答がある。
● とく、とりのぞく、なすべきことをなすという答え方
「坎下震上・雷水解」(周易)
なすべき時期をみはかって、束縛やしこりを取り除くという答え方。
● 不明な点や理由について、ときあかすという答え方
「閉約而無解」(荀子)
弁解、詳解、略解という不明なことへの積極的なときほぐしていく行動的な答え方。

その他にも、解熱や解毒、そして解怠(だらける)というように身体に対しての解放の様子までが「解答」によって受け止めることができます。
私たちがこまり果てるような問題・難問に対峙し対決して、
問題を解かしたり溶かしたりほどいてしまう結果や効果までが、
「解答」の内容意味としての質を持っているべきだということです。

DesignはProblem & Solutionの手法

■ とかしてしまうという答
■ ほどいてしまうという答
■ タブーや束縛を解き放つという答

デザインは明らかに「問題解決」の方法です。
その問題と向かい合いながら、とく、とかす、ほどいていくというのは持続力や遂行力が必要です。そしてその結果、解放されるという次元までがデザイン効果ということです。
問題解決で単純に答と言っても、
「応答」や「回答」では、それは問題に対する一時的な解決結果でしかありません。
決定的な「解答」は、
解放されるための束縛感を取り除く答であるべきというのが、
私は答の定義だと考えています。


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『資本主義からの逃走』
   「欺瞞的エネルギーこそ、共同幻想である」


   


     6月 15th, 2010  Posted 12:20 AM

エネルギーへの論議
「物質・情報・エネルギー」が現代世界構造の三大要素です。
物質と情報については、これまで考察メモをここに記してきました。
さて、「エネルギー」を大きな課題として取り上げていくことになります。
正直、書けないこともあると告白しておきます。
しかし、後世、私のアイディアや思考が間違いであるということがあったとしても、
提言を書き連ねておく所存です。
ある直感があります。
欺瞞的エネルギーは風景であり光景にはなりえぬ
それは「太陽エネルギー」・「ソーラーパネル」についてです。
私は、これが地球にとって最善のエネルギー源になるとは思えませんし、
考えれば考えるほど、「欺瞞的エネルギー源」にすぎないということです。
ソーラーパネルが輝き、風力発電のプロペラが回っている、
これは「風景」にはなるでしょうが、
「光景」にはならないと考えます。
なぜなら、ソーラーパネルを生産するために、
どれほどの電力を消費しなければならないかということです。
風力発電も決して主力電源・エネルギー源にはならないことは明らかです。
私は、おそらくここでは「原子力」について言説化を考えています。
まず、「エネルギーは原子力」である、と明言しておきます。
そしてこの論議は、「タブー」化されてきましたが、
真にエネルギーを考察し洞察するには、この論議こそ大名目だと考えます。


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『資本主義からの逃走』
  「神の国は、アジアを開放したということ。」


   


     11月 24th, 2009  Posted 8:00 AM

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「明号作戦」というのが終戦間際に決行されました。
第二次世界大戦で戦後わが国は誹謗中傷を受けています。
それこそ、敗戦となった報復は
日本国内の左翼系、マスコミの一部ですら、
平然と「戦死者」への鎮魂も無く罵詈雑言です。
「靖国問題」・「教科書問題」・「慰安婦問題」、そして、
でっちあげられた「南京大虐殺」にまで及びます。
私は、こうした問題に、より知的・冷徹・平衡感覚的に、
実情を遡及すべきことが、
基本的な「愛国心」の基礎ではないかと考えてきました。

しかし、
「愛国心」・「部落差別」・「新興宗教」・「国歌」などを
戦後はすっかり、「タブー」としてきた教育には、
本来の教育思想への大きな裏切りを私は認めざるをえません。
「日華事変」と「大東亜戦争」との差異性を語った講義すら、
私は一部から「忠告」まで受けたのです。
「思想教育など行うべきではない」と。

この歴史観が私的に語られることを「思想教育」という大学人、
私はそうした連中を日本人とは思わないことにしています。
そういう大学人をいづれ論理的にも、制度的にも、
日本人学者であることの資格は剥奪すべきだと思います。

「明号」作戦は、
インドシナを欧州各国からの独立を支援しました。
そこにあった「基盤思想」は、
アジア小国それぞれの解放と独立でした。
あの敗戦間際での日本軍が果たした功績は、
決して公認もされず無視であり歴史史実は皆無です。
それどころか、明号作戦を指揮した人々は、
戦犯として絞首刑された日本軍の幹部将校たちでした。
彼らは靖国に帰国しているのです。
彼らの「アジア小国の開放」功績は、
日本の歴史には明晰に書き残し、
語り継ぐべきだと私は主張しておきます。

なぜなら、欧米宗教で押しつけられた「資本主義」、
日本人自らも「資本主義」を選んだ賢明さを、
私は、間違いでは決してなかったと確信しています。
しかし、そろそろ、
あの「明号作戦」の根底の理想主義を読み返すべき、
そんな時代に入っていると思っています。
アジアの小国、その真なる独立はまだ虚構かもしれません。


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