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5月3日 staffblog


   


     5月 3rd, 2012  Posted 12:08 AM

5月3日

PLANE ?テープディスペンサー 届きました!
桑沢での学生時代、
1年生の課題テーマが
テープディスペンサーで、
デザイナーへの出発を
決める課題であったそうです。

BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
金沢美大でのハサミの課題
思い入れをもっていました。
当時の指導教官が退官される時、
海外の美術館のコレクションになった
タケフナイフビレッジのハサミと、
課題提出したハサミを
感謝をもって見せたところ、
感涙されたとのことでした。

モノには
いろんなモノ語りがありますね…。
リールなしの
コンパクトなテープディスペンサー、
どうそチェックしてみてください。


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「ビーズのきらめきに・・・・・」


   


     5月 1st, 2012  Posted 12:00 AM

『ゴルゴ13』がビジネス書になると思っていたら、
やはり、ビジネス書「ゴルゴ13の仕事術」がありました。
私はほとんどビジネス書は読みませんが、
ついついamazonしてしまいました。
この連休中に済ませてしまいたいこと、いっぱいありますが、
最も子供の頃から、そんな予定をすべてこなしたというのは、
「受験時代」ですらできなったのでもう諦めというか「諦観」です。
となるとやはり「ビーズでブレスレットづくり」に夢中になります。
京都に行くと大量に素材を買い求めてきます。
「夏用」を買い込んであります。
が、やはりその他の部品アイディアがあって、
それがあればアクセサリーの根本を革新できるはずだから、
アクセサリー「ブランド」持ちたいとも考えてしまいます。
しかし、そろそろリタイアを考えていますから、
このビーズで遊ぶことも一つのやり方だと思っています。
車椅子生活を宣告されて、読みあさった本は、
すべからく「老年生活」のハウツー本でした。
老後は「ものづくりと園芸が最適」という内容ばかりでした。
そしてやってはいけないことは三つありました。

  • 商品として売ってはいけない・そのような金銭欲を離れること。
  • 人に教える立場になって「先生」と呼ばせてはいけないこと。
  • 「展覧会」などで見せびらかしてはいけないこと。

これを読み終わったとき、
(どうしよう、プロのデザイナーは商品づくり、教育、展覧会開催)、
これがプロの核心だからと随分戸惑いました。
「先生」と呼ばれることは恩師から、
「先生とは先頭先陣を切って生き延びること」だからと教わりました。
だから、リタイアしたら趣味に徹することだと確信しています。
父は70歳ですべての社会的な立場から離れました。
そして79歳、散歩中に道端で倒れて逝ってしまいました。
9年間は、中国(戦地めぐり)・沖縄・靖国神社行事出席でした。
それは7年半も軍人だったことへのなんらかの慰霊だったのでしょう。
その気持ちを存分に使い果たしたのかもしれません。
私もビーズの彩りや輝きを単純に「無」のきもちで見つめられます。
ブレスレットをプレゼントすると
まだまだ僅かの人ですがみんな喜んでくれます。
リタイア後を真剣に考える人生の季節になりました。
ただし、「命がけ」で果たしたいことはまだあります。
「戦闘と戦陣」に向かっていく時間に
限界が見え始めていることは確かです。


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「発声するロボットVo-Calへのデザイン支援」


   


     4月 29th, 2012  Posted 12:00 AM

大阪大学大学院にはいくつかのロボット研究部門があります。
なかでも、浅田稔教授は、
認知発達関連をERATOプロジェクトを率いた
「発声するロボット」研究の第一人者です。
私が阪大に移籍する前から彼の研究では、
デザイナーとして論議をしてきた間柄でした。
大学内で会うということはほとんどなくて、
学会や講演会で出逢うことが多いわけです。
これまでほとんどのロボットは、
電子音の組み合わせで発声していました。
人間のように呼吸=空気圧変調で「発声」するモノは皆無でした。
あるときある講演会で、
浅田教授の「発声アイディア」のプレゼンを見ました。
「オ」という音声がまだ出来ないというプレゼンでした。
私はそのプレゼンですぐに思いついたことがありました。
それは聾唖障害者の発声支援機器のアイディア提案の経験でした。
そこで「ア・イ・ウ・エ」は、
丸筒・直線的シリンダーに空気を送れば発音可能ですが、
「オ」はそのシリンダーを90度曲げなければならないということです。
そこで、浅田教授の研究室を私の研究室でデザイン支援になりました。
直線的シリコンシリンダーをプランジャーで押してやるだけで、
「アイウエオ」発声は可能です。
しかし、「ことば」を発声するには日本語はかなり簡単ですが、
舌や鼻音や歯の擦音まで多国籍言語ともなるとまだまだ要因は増えます。
が、日本語しかもなんとか関西弁「モーカリマッカ?」まで、
状況を認知して発声するという発達するロボットをテーマにしました。
機構としての機械要素であるプランジャーを5本セットし、
そのスタイリングデザインを追い求めました。
結果、なんだかインディアンの羽根飾りが頭部にある形態になりました。
この実装形態そのままをメカノイド的にまとめた結果から、
私は次のような寓話を思い出しました。
それは、ナホバ族インディアンの話です。
「かって動物も人間も同じ言葉を話していました。
しかし人間が動物を攻撃して殺して食べるということを聞いた動物たちは、
鳴き声に変えてしまった」という話です。
いわゆる人間の呼吸器官のイミテーションを機械工学的に実装設計すれば、
その形態は身体化するときに、
その寓話を引き出すデザインになっているということです。
私は、「呼吸」・「ことば」・「発声」に至る前の
「状況認知」はそのまま、
寓話に近い「身体論」から「形態論」になっていくということです。
つまり、ロボットデザインは、人間=ヒューマンとは何かを突き詰めれば、
「これがロボット」に連鎖しているということです。
そして、「ロボットとは何か」を突き詰めれば、
今度は逆に「これが人間のあるべき姿」に連続していることになります。
したがって、ロボットデザイン、その基礎学が工学の下敷きでもあり、
その基礎学の構築があらためて、
「人間とは何か」を知らしめてくれるということです。
となれば、原子力の「安心運用」にロボット工学は必然であったはずです。
ところが、何でも「原子力」と「ロボット」を結びつける研究には
大学研究費は文科省に絶対に認められてこなかったと聞きました。
これこそ、科学と技術を冒涜してきたのが原子炉政策であり、
政治としての省庁はそのことに荷担していたことは明らかです。
「産業用ロボット」から、
「家事ロボット」や「福祉ロボット」、「娯楽ロボット」に、
日本の政治はロボット工学を呪縛していたことは明白でした。
だからこそ、
デザインでこそ「ロボット工学」を仕切り直す必要があると考えています。

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4月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 27th, 2012  Posted 2:25 PM

4月27日 先負(戊午)

業界のデザイナーや
デザイナー志望の学生たちは、
世の中にあるものを
デザインで改善していきたいと
みんな願っている。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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4月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 25th, 2012  Posted 9:30 AM

4月25日丙辰(先勝)

デザインは時代的な、特に経済的な潮流と常に
共時性を持っているが、
デザイナー個人のなかでは、
まさしくデザイン史は
デザイナーの遺伝子のごとく、
それぞれのデザイナーの造形に大きく影響を
及ぼしているものだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』7モンドリアンへのオマージュ


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「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」


   


     4月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

フリーになっても、オーディオデザインで生きていく、
その気持ち、志は変わっていませんでした。
東芝Aurexでは、音響機器の工業デザインに留まらず、
イベント企画=Aurexコンサートやオーディオフェアなど、
ショールーム設計、レコード編集、量販企画まで
なんでもかんでも興味いっぱいに首をつっこんでいました。
意匠部長(現デザインセンター長)にはしばしばしかられつつも、
チーフがいつも私の自由行動を許してくれていました。
実際は意匠部長もかわいがってくれていたのです。
上司には本当に恵まれた東芝は、私を鍛えあげてくれていたのです。
音響機器デザインをより拡大したい、
この想い、デザイン領域の拡大という志は今も変わっていませんが、
オーディオにビデオアート・作曲録音・多チャンネルHi-Fi再生を
作品化しようとしていました。
30-Channelというのは、
30個のフルレンジスピーカー=ロクハンを曲に合わせて
一個一個制御しようと考え実現しました。
リレー回路でSPチェンジするプログラマブルコントローラーでした。
今ならパソコンで簡単に可能です。
しかし、この投資は発表はできませんでしたが、
現在、「アンビエントアライアンス」に繋がっています。
「興味を持ったら、徹底的に納得するまで実行する」。
これこそ「行学」の基本だと私は思い、行動を起こしてきました。
どれほど当時は無駄遣い=浪費したかしれませんが、
人生において重要なことだと考えます。
だから、このことは教育者としても、
自分で作為的に重ねてきた経験ですから、
学生、次世代デザイナーには強調主張しておきたいと思います。
そして、そのようなことを試みているデザイナーということで、
フォーライフ・レコードや
「流行通信」、PLAYBOY 誌や平凡パンチ誌にも伝わり、
フォーライフ・レコードからデジタルガレージ設立や
「流行通信」に連載を持ちました。
けれども、徹夜仕事やメチャクチャな生活習慣で、
すっかり体調を著しく悪くしてしまいました。
父や金沢美大の恩師からも「帰ってきなさい」、
常に診てもらっていたドクターから
「ふるさと」へ帰れと命じられてしまいました。
丁度、ジョン・レノンが暗殺されたこともあり、
(私の青春は終わった)との気持ちいっぱいになり、
大きな挫折感を持ちながら、56豪雪になろうとする福井に戻ったのです。

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4月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 23rd, 2012  Posted 9:16 PM

4月23日甲寅(大安)

デザイナーという職能は、
芸術家でもなければ建築家でもない。

むしろ、
造形活動を通して生活に楽しみを与える、
それも確実に与えることができうるものだと
確信している。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』7モンドリアンへのオマージュ


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4月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 22nd, 2012  Posted 9:30 AM

4月22日癸丑(仏滅)

デザイナーは、
概念からのかたちを捨て去り、
観念からの発想に
身をあずけるべきだろう。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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「ヘルベチカは文字の結論になっている」


   


     4月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

キャスロンとフーツラを最初に学びました。
美大入学とともに一年間、
レタリングの「訓練」が私のデザイン初体験でした。
デザインストロークというフリーハンドでの直線と曲線描きを
完全に手に覚えさせます。
カーペンターペンシルでのラフなアルファベットの書き順も覚えます。
スクリプト体はまさに毛筆での草書のごとく
身体化させなければなりません。
こうしたことが「HIRANO DESIGN METHOD」の基本です。
そして、前回紹介したスクリプトは
今もトレーニングをし続けています。
iPadでのスタイラス運筆は
この応用をそのうちAppleStoreでプレゼンする予定です。
東芝時代はマイクログラマがオーディオ機器には不可欠書体でした。
そして、ヘルベチカの進化は見続けてきたと思います。
一般には印刷はグーテンベルクが教科書的な説明ですが、
本来はアルドゥスの存在無くして印刷の進歩はありえなかったのです。
そして、ヘルベチカ、つまり「スイス」という名の書体は、
活字の鋳造技術とともに発展しました。
なおかつ、この書体の発案者と職人技を成し遂げた二人の人物を
世界中が支援していくのです。
ある意味ではパブリックドメインの事例の一つです。
というのは、このDVDで深く知ることができました。
しかも、この書体づくりに関わった人たちはまだお元気なわけです。
デザイナーに限らず、
このDVDは教養として観ていただきたいと思います。
結局はこの文字=書体が歴史を統合して、
「結論」を出してしまったのです。
「これなら、満遍なくみんなが分かる」ということでしょう。

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「ロケットとミサイルはグッドデザインの問題」


   


     4月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

ロケットもミサイルも形態はほとんど同じです。
どう見ても「カッコいい」存在です。
しかし、北朝鮮の「ミサイル」は見事に失敗してくれました。
大迷惑な国家が存在しています。
なんとしても同胞の拉致問題が先送りされ続けています。
これも現代日本が抱えている最大問題です。
さて、ミサイルとロケットの違いは、
一言で言えば、推進力ある存在がロケット(エンジン)であり、
衛星や爆弾を飛翔誘導させる存在がミサイルです。
だから、ミサイルがロケットを積んでいることもあれば、
単に誘導させるだけならロケットではないということでしょうか。
1970年代に、ミサイルはその「かたち」からして、
美しくて機能性があるから「グッドデザイン」という概念を満たしている。
となれば、武器であるモノはすべからくグッドデザインであり、
デザインの本質との照合性が武器には最適合することになります。
グッドデザインは兵器デザインに適合してしまうという議論です。
当時から、この議論は棚上げされてきた大問題だったと思っています。
私が一応デザイン学者という立場を
最重要視すればこの問題に対峙しますが、
学者と言うより実務家デザイナーなので、
この問題は放り出してあることを正直に告白しておきます。
ロケットは、
自身の質量を失いながら推進力というエネルギーを使う存在ですが、
ミサイルは、誘導するモノがデザイン対象に照らし合えば、
もし爆弾という武器、衛星という兵器ならば、
決してグッドデザインではありません。
しかし、もし、誘導飛翔させるモノが文化性あれば、
その搭載しているミサイルは
グッドデザインとして評価できるということになります。
この関係は、原子力と放射能の関係に重畳しています。
原子力が原爆になること=兵器・武器であり、
放射能、つまり放射線が
人体の健康保健になっていれば善としての存在です。
民衆を飢えさせる独裁国家のミサイルは、
たとえ掲載されているモノ=誘導飛翔させられる
文化的衛星であっても、
それはグッドデザインであるはずがありません。
それにもまして、
誘導飛翔する機能性が不完全な設計であったわけですから、
元来、グッドデザインになる要因=factorは無かったということです。
ミサイルも原子力も、「矛盾」という大問題を人類に投げかけています。
私たちは、ミサイルや原子力を創り出してしまった以上、
この最適解をグッドデザイン評価に求めることも
一つの解決方法だと私は思っています。

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