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4月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 14th, 2010  Posted 7:22 PM

4月14日 先負 (甲午)

Cultural Strategist=文化戦略家、
これがコンピューターを道具にした、
これからのデザイナーの
新たな名前になるべきだと思う。

『デザインは言語道断』勢力


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『資本主義からの逃走』
「*ファッションそのままデザイン、着こなしのDandyism*」


   


     4月 14th, 2010  Posted 2:13 AM

Fashion
Designを語るとき、ファッションとの関係を話します。
それは、「デザイン」という言葉、
この言葉は「洋装デザイン」として戦後定着したからです。
だから、デザイン・ファッション・流行が一直線上にある、
そのことは至極、一般的な認識であり、常識だと思っています。
そこで私は、この普遍的なデザインファッションについて、
それは現代の大げさに言えば、
資本主義との密接さを語るために記述しておきます。
私のファッション感覚です。
男がファッションを意識し始めるのは、私は学生服からでした。
高校時代には「仕立て」てもらっていました。
中学からの憧れでしたから、
母はその想いをすぐに聞き入れてくれました。
高校指定の規則がありましたが、そのままですが、
校章入りの金ボタンでも、その下はファスナーで、
最上級の布地でした。いわゆる礼服と同等の布地でした。
大学時代には、なるべくスーツとネクタイで登校する友人もいました。
だからジーンズよりも、スーツ姿をなるべきいっぱい見てきました。
企業に就職したら、粋がって、ドレスシャツや、
とてもサラリーマンとは見られないことをしていたようです。

ふるさとに帰ったときは、
如何にデザイナーっぽく見られないか、ということで、
ワイシャツは白、地味なネクタイ、髪も短めを意識しました。
それこそ銀行員のように見られることを戦略と考えました。
二つの理由がありました。
まず、デザイナーという職業は
服装からも「遊び人風」にみられます。
もう一つは、車イスです。
車イスでカジュアルなファッションは、
働いている印象が与えられないとか、
威厳ある姿には見えないのです。
やはり、人は「車イス=障害者=プロとは見ない」
という感覚があります。
私は、イタリア製のダブルで白ワイシャツと、
ブランドものの地味なネクタイ、
この印象が与えるファッションデザインをベクトル化しました。
したがって、ある意味ではデザイン界とか建築界では、
スーツやネクタイを、「自由業的な印象」という先入観で、
ネクタイをしないとか、スーツよりジーンズが、
まさしくプロっぽい、そんなムードがあるようです。
私は、かえって、この選択は間違っていると思います。
Dandyism
最高級と言われるスーツやブランドモノには、
それなりの性能性がほぼ完璧です。だから機能性があります。
それはジーンズの機能性を超えています。
おそらくすべてのブランドのネクタイを試みてきていて、
その「モノ性能」は評価できます。
まさしく、それは、私の万年筆、腕時計、カメラ、自動車への
趣味感と一致しています。ダンディズム思想があります。
ワイシャツもスーツも同じです。
私は、ファッション性としての一面である
「見てくれ・見栄・外見」の効能性、
それが読み取れないデザイナーセンスは疑っています。
この話は、連続させないと、
デザイン論=資本主義論にならないでしょう。


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『資本主義からの逃走』
「Appropriationー”知財権制度”・反抗させない本質的デザイン3」


   


     4月 13th, 2010  Posted 12:01 AM

異議申し立て
Appropriationが、デザイン発想の斬新さという流行
私は、Appropriationをしているという無自覚なデザインに、
大いに異議申し立てをしておくべきだと考えてきました。
しかし、引用・借用・盗用かどうかという線引き、
その困難さゆえに、この兆しが見え始めた20世紀末から
どうやって、
デザイナー職能に対しての批評発言をためらってきました。
デザインが「欲望の刺激装置」と言い放ち、
デザイン価値・対・価値デザインを、
「知財権」の有無、その制度の見直し時期を見計らってきました。
ようやく、私はデザイナーとして、具体的な製品によって、
知財権、その中の最も権利主張が弱い「意匠権」を見直しました。
結果、
三つの見方に至っています。
● 外形・外観の盗用では意匠権は成立困難であること。
● 盗用はやはり倫理性の欠落からデザイナー見識が問われること。
● 知財権としての成立はほとんど不可能であり、
 制度破壊が一時期は讃えられても、
 やがてはある種のデザイン・スキャンダルに終わります。
すなわち、
デザインの本質は、一時的なブーム=流行性では、
その本質的な存在感をすぐに喪失することは
歴史的に明白になっていくものです。
流行学
なぜなら、「流行学」という学域があります。
これはマーケッティング論や経営学の領域学ではありません。
「流行学」とは、疫病や伝染病の流行性の学論です。
したがって、Appropriationは伝染病的なメタファー表現にすぎません。
そのことを明示していると考えていいのかもしれません。
現在、知的財産権が明確であるのは「著作権」のみです。
なぜなら、これは登録して権利取得とその収益独占ではありあせん。
「著作」という表現で、すでに「存在」が公認される制度です。
比して、意匠権・特許権・実用新案権・商標権は、
あくまでも登録です。

果たして、Appropriation、あるいはAppropriation的登録は、
まったく知財権登録では、拒絶・遮断・裁決は明確です。
Business Design Model
すなわち、デザインは、その本質において、
「倫理性」が大きな骨格であるかぎり、
Appropriationは、やや長期であっても「流行」にすぎないのです。
デザイナー職能でのデザイン対価を社会公認させれるには、
決して「盗用」は許されないということです。
私が「Business Design Model」という提案の
背景論理はここにあります。


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『資本主義からの逃走』
「Appropriationー”かわいい”という印象を引き込む危険性・2」


   


     4月 12th, 2010  Posted 12:01 AM

kawaii
「かわいい」という日本語はすでにkawaiiという世界語。
kawaiiは、日本文化として世界の若者に発信できる文化語です。
私はこれは素晴らしいことだと評価してます。
しかし、「かわいい」を
designしかもappropriationに結びつけることに意義があります。
まず、「かわいい」の意味を吟味しておくべきでしょう。
「か」という接頭語は「蚊」という生物名からも、「小ささ」を表します。
「川」すら、小さな「水分や渦」+わ「和」=大きさです。
幼さや小さなものへのいとしさが形容詞になっていることです。
愛らしさや愛らしいこと、愛情をもって大切にしたり、
殊勝さから、労しさ、痛々しさなど不憫さや可哀想だ
という形容動詞にまで連続している感情用語だということです。
この感情用語であることに、
まず、評価言葉としての不安定さを認めておくべきだと思います。
なぜならば、感情用語というのは、
感性を陰陽学でいうところの「陰」の世界観があるからです。
感情を単純に言い直すと、
「感性にドロドロとした汚れが流れ込んでくる現象」という解釈があります。
感情がきわまるというのは心が哀しみや怒りという理性では
留めようもないことが流れ込んでいっぱいになることです。
「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しい」という、
ジェームス・ラング説があります。
不気味の谷・論
だから、「かわいい」という愛しさと悲しみには
連鎖性が心理的にあるということです。
ロボット表情学として、私の学生が修士論文で分析した、
「笑っている表情」、
その分析には、「怒りから悲しみ」が見事に分析され、
いわゆる、ロボット学での「不気味の谷論」をさらに詳細化しました。
私は、「かわいい、かわゆーい」というモノを所有する意識根底には、
「自分顕示」の置換性、転用性が起こります。
さて、私はこのことを非難しているわけではありません。
本質論としてのアブダクション的なデザイン面を語り切る論理が、
この「かわいい」から「きれい(形容動詞)」、
そして「美しい」へという手続きを明確にしたいからです。
ところが、この手続きやアブダクション性を転用するのに、
「盗用性」が加われば、これはさらに強化されることは明白です。
この「盗用的表現」+「かわいい」=欲望の刺激強化です。
そのことを私は指摘しておきたいと考えます。

無論のこと、私自身、キティちゃんからドラエもんまで、
「かわいい」と言われるアイコン性は、
日常への愛しさの反射対照性として容認し、
かつ、私自身がまず大好きです。
しかし、プロのデザイナーとして、
どこまで「かわいい」と「盗用と思われる表現」、
その隔絶性と融合性の線引きは、職能義務と考えています。


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『資本主義からの逃走』
「AppropriationーDesignに紛れ込んできている危険性・1」


   


     4月 11th, 2010  Posted 12:01 AM

応用美術
DesignがArtの応用にすぎない、という見解があります。
あるいは応用美術という歴史上でデザインが存在してきた、
この解説も、ほとんどのデザイナーは熟知しています。
私自身も、美大の産業美術学科という領域で、学びました。
したがって、特に、現代美術の様々な展開や、
歴史的な事件は、デザイナーの基礎知識として重要です。
この現代美術、現代アートとデザインとの境界には、
大きな戸惑いや、アートとデザインの融合性を確認する、
そんな事態は常に発生していることは認めています。
しかし、問題は、
Designが職能として、「かたち=外観づくり」だけ、
そんな印象が今なお強烈に有る、いや残っているのです。
私も、デザインは「かたち」に終結するが、
「かたち」と言っても、「形式」や「制度」、「システム」、
しかも「インタンジブル」な設計や戦略や策略と連呼してきました。
「欲望の刺激装置」
歴史的に見れば、
確実に「欲望を刺激する外観創成」だったことは否めません。
ところが、
さらに、いわゆる商品形態の区別化を
「商品の差別化という付加価値論」に呪縛されてきました。
そこで、「盗用」です。
「盗用」という言葉は、反倫理性がありますが、
この反倫理性を滑稽さやパロディで回避し、
判断停止を意図した芸術が登場しました。1919年代です。
無論、それ以前も、「表現の多様性」として、
生まれたきたのが、マルセル・デュシャンアンディ・ウォーホルによる、
強力な引用性のさらに複製化ということでの著作権への抵抗です。
L.H.O.O.Q.

デュシャンのL.H.O.O.Q.という作品がもっともその事例でした。
確実な著作権という制度に対する表現性の確立でした。
「モナリザ」は万人が知っている絵画、アイコンです。
このモナリザに髭を書き込みました。当然、複製のはがきに書き込んだのです。
それが話題になると、今度は「髭の無いモナリザ」です。
初めからモナリザには髭がなかったのですから、
創作性を引用=(盗用)パロディ化し、また元に戻すことで、
その創作性への思考停止、制度混乱を意図しました。
伝統的となってしまったアイコンの複製での意識操作や
作品への新たな鑑賞方法を破壊して、これが革新的アートだと主張しました。

さて、私は、応用美術であるデザインが唯一、
「かたち創出職能」=「購買刺激装置という付加価値」へ閉じ込めたことは、
デザインにとってその本質性を失わせたことだったと判断しています。
そして最近は、実質のモノのかたち=アイコン性だけを引用、
というより盗用しているにも関わらずデザインの自由性の謳歌、
この流行、氾濫、さらには正当なデザインという主張を見ます。
盗用は破壊を作動する
それがデザインの多様性であり、それはデザインの否定によるデザイン、
すなわち「面白い発想」という評価にデザインが対象化されることは、
デザインの本質性を破棄し、破壊したものと考えます。
しかし、この判断には私自身も、「盗用か引用か」、
という曖昧性の判断停止が起こっていることは認めなければなりません。
もっとも端的には、ロボットなどのヒューマノイド系、
それはSFでも登場する人間クローンがロボットというのは、
借用・引用・盗用なのかという問題解決は、
緊急な解答が必要となっていることです。
しかも、もっと大きくて深刻な問題は、
デザイナーに「Appropriation」という芸術史での事件を読み込むことなく、
「差別化のために創造表現という勘違い盗用」をしていることが問題です。


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4月09日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 9th, 2010  Posted 7:21 PM

4月09日 仏滅(甲申)

私は自分が天職として選んだ
デザイナーという職業に就けて
これほどの幸運はなかったと思う。

それは、デザイナーは自らの「姿勢」を、
すなわち社会とどう対峙しているかを
いつも自分に問いかけて
いなければならないからだ。

『デザインは言語道断』姿勢


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『資本主義からの逃走』
 「* 夢の大きさは、祖父への約束 *」


   


     4月 9th, 2010  Posted 1:58 AM

祖父
私は、一人っ子で育ったから、何でも手に入りました。
といっても、それは祖父が居たからでした。
私は、祖父は「金持ち」だとずーっと思っていました。
なんといっても白髪と高い鼻筋でロシア人だと思っていました。
祖母に尋ねたことがありました。
「おじいちゃんってロシア人みたいだね」って。
「そうだよ、4分の一はロシア人の混血だよ」と。
そのことをずーっと信用していて、
母に聞いたら大笑いして、
「おばあちゃんにだまされたね」って言われました。
と同時に、
「おじいちゃんに何でも買ってもらうのはもうやめなさい」。
「おじいちゃんは、破産しているからお金が無いのよ」と。
祖父は、頼まれればすべてを受け入れ、
印鑑は押すは、借金は引き受ける、という人でした。
宮大工の大棟梁頭だったので、
製材所から瓦焼き工場から、紙漉工場、竹材加工場、
さらには、穏坊(火葬場の坊主)まで
一族を抱えている家系のお坊ちゃん育ちでした。
三階建てで、伯父・叔父たちはベッドで育ったくらいでした。
だから、どう見ても破産しているようには見えませんでした。
祖父が絶対に喜ぶことは、本を読んでそのあらすじの話をする。
だから小学時代には日本文学全集はほとんど読んでしまいました。
読めば、おこづかいや何でも買ってもらえたからです。
そして、絵を描くのです。
それは未来の絵を描いて説明することでした。
だから、わたしは鍛えられたのだと思っています。
勉強の話などしたことがありませんでした。
勉強なんて常に一番でなければって思うようになってました。
自転車を福井県で最初に買ったことが自慢でした。
なんでも一番が大事だと言われてきました。
SPレコードプレーヤーも大きなのから小さなモノまで3台もありました。
夢は、語れば語るほど必ず手に入る、
「が」、「それでも」、「けれども」、
ということを教えられたと思います。
ただ、祖父は山々の名前をすべて教えてくれました。
そして、「ご先祖さまには申し訳なかったことをしてしまった」と。
私は、「大きくなったらその山々をぼくが必ず買い戻すから」と、
約束してしまったのです。

私はデザイナーになって、40年です。
61歳になって、まだ、この夢を追いかけています。
だから、欲しいモノは、まず自分で創る。
そうすることで、デザイン対象を拡大することができたと思ってます。
デザイナーは「夢」に向かっている職能です。
だから、「夢」を小さくすることなど絶対にできないのです。
デザイナーになっている私を知ったら祖父は喜んだでしょう。
なぜなら、「未来への夢の絵」、今でも描いているからです。


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『資本主義からの逃走』
 「* 東京の白っぽい桜、想像力と創造力が・・・ * 」


   


     3月 30th, 2010  Posted 1:20 AM


もうすぐ4月、上京してきてからの寒さが怖いと思います。
桜も戸惑っているような蕾や開花も、寒々しい感じです。
ふっと、社会人になって就職してきた時の桜の色を思い出しました。
北陸育ちで大学も金沢だった私には、
東京の桜がとても「白っぽかった」ことが重なりました。
気持ちはすこぶるもうデザイナー気分でした。
しかし、これから始まる社会人、そしてデザイナーになるぞ!、
そんな気分に、なんと桜が、
白い華に見えていたのはなぜだったのだろうかと思います。
もう40年も前の感覚に振り戻されました。
自宅には、教え子が贈ってくれた
盆栽の桜は見事に桜色で花開いていました。
その桜を見てから上京し、
早稲田大近辺や霞ヶ関近辺、そして六本木近辺の桜は、
あの上京した当時の「白っぽい桜色」です。
連日、大学人として、デザイナーとして、
ひたすら「何に自分を向かわせるべきか、懸命」です。
自分が正直に行動していることは自負できます。
白っぽい桜色
社会人としては、日吉から銀座に通勤していました。
東横線で、大きな施設が綱島にありました。
労災病院でした。
ラッシュアワーの車中から、その施設の周囲にも桜が咲いていました。
28歳、その施設の体育館から、
東横線を見つめる日々がありました。
「もう、二度と東横線には乗れないな、
なぜ自分はこの施設の体育館でリハビリをしなければならないのか?」
車椅子生活のためにリハビリ施設から見えた桜、
それもとても「白っぽい桜色」だったのかもしれない・・・。
あのリハビリ施設で、現在、大学人になっている自分など、
まったく想像もしていませんでした。
想像力がデザイナーの資源です。
その想像力に自分の未来など決して見えていませんでした。
その程度の想像力なのに、「想像力をなんとか創造力」として、
デザインを蓄積してきたものだと思います。
あらためて、また東芝のデザインセンターを訪ねます。
これまでもいくたびか、
フリーになっても行きました。
講演にも行きました。
しかし、今度の訪問は何かあらためて自分の想像力を
確かめに出かけるのです。
1972年同期入社、多分1600人ぐらい新入社員だったはずです。
今、その一人が社長として「原子力事業」を率いています。
私が育った東芝が、「未来を原子力」に向かわせています。
自分の想像力と創造力を再び重ねることになるのかもしれません。
まったく不明ゆえに、
私の想像力が「白っぽい桜色」なのかもしれません。


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『資本主義からの逃走』
 「* 人前で喋ること、きっと得意分野ですが・・・ *」


   


     3月 29th, 2010  Posted 12:25 AM

講義・講演は大好き
「講演」は私の大きなデザイン活動だと思っています。
なにしろ、一人っ子(母違いの妹がいます)だった私は、
まったく無口すぎるほどの母と二人でした。
父は、職業上、全く家には居ない人でした。
だから、子供の時から「口達者だった」ようです。
小学時代から、弁論大会は必ず優勝していたくらいです。
中学では英語の弁論大会に出場することも大好きでした。
私は人前で「上がる」という感覚がまったくわかりません。
聴衆が少ないと「やる気」が失せるほどの性格だと思います。
したがって、大学人としての講義、
デザイナーとしてのプレゼンテーション、
講演会は、ほぼ、得意分野と言ってもいいでしょう。
苦手なスピーチ
ただし、苦手が一つ。
それは、結婚式のスピーチです。
結婚式には、使ってはいけない言葉があります。
さらに、新郎新婦の名前を決まって、ど忘れしてしまいます。
この失敗から、結婚式は電報で勘弁してもらっています。
しかし、その電報文には満身の力を込めて絶対に結婚式場に、
全く「存在」しているようにと校正と添削の限りをつくします。
だから私は「お笑い番組」が大好きです。お手本だからです。
古典落語も随分と覚えていた時期もあります。
大学の講義は、絶対に準備をします。
同じ講義は絶対にやらないことを堅持しています。
ところが、昨年後期は大変でした。
「英語」での講義を決心したからでした。
前準備は大変であり、それは海外の大学講演のごとくでした。
あとしばらく大学人を続けるでしょう。
講演会は、デザイナーの義務と思っていますし、
私を講師として呼ぼうと言っていただけるなら応えたいのです。
おそらく、そういう意味ではプロです。
次のようなアドバイスをします。
「気合を入れる」!
これは、自分の「気」と聴衆の「気」を合わせることです。
それは、聴衆の「気」の波長をいち早くつかんで、
自分の「気」の波長を合わせていくことだと確信しています。
「気負わない」!
気負ったら、聴衆の「気」に自分の「気」が、負けます。
決して気負ってはならないことが大事です。
そして、もっとも大切なことは、
「言葉」の適切な、「切り方」です。
ただし、それは私が心がけながら最も出来ていないことです。
しゃべり尽くす前に「切り上げてしまう」のが、
ここまでだ!、ということはまだまだ修練が必要だと、
充分に知りながら、これができません。
大切さと大事さ
「大切」というのは、大事さの切り方のでしょう。


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『資本主義からの逃走』
「デザイン対象としてのプライバシーと情報化に向き合う」


   


     3月 27th, 2010  Posted 12:01 AM

情報化
情報時代での「情報化」は、あらゆる物事に及んでいます。
上記はあまりにも一般的ですがあえて記しておきます。
そして、「物質・情報・エネルギー」が現代要素・要因なら、
これらは、
● 物質の情報化・情報の物質化
● 情報の情報化・情報化の情報
● エネルギーの情報化・情報化のエネルギー
という曼荼羅的な組み合わせの相互性や補完性が発生しています。
Privacy
その中でおそらく、
民主主義が最も権威性と権力性を持ったのは、
「プライバシー・自分性の保全」だったのでないでしょうか。
これは、
● 情報の情報化・情報化の情報のドメイン、
その中で検証と検討が不可欠になってきていると思っています。
前述してきた「マスコミ」や「マスメディア」との構造に、
深くプライバシーが関与してしまったからだと考えています。
私はデザイナーという立場で、
プライバシー化する(させる)ツール、
プライバシー化する(させる)メディア、というモノを
最も考えてきたからです。
そして、プライバシーの情報化と情報化のプライバシーに
メディアデザインするモノと
ツールデザインするモノを突き詰めている感覚があります。
以上の記述を読み解くことができ、
なおかつ、職能として「造形化」できるデザイナーが、
確実に減少しているとさえ思っています。
あらためて、問題提起をしておきます。
プライバシーの情報化とは何(ツール・メディア)なのでしょうか。
情報化のプライバシーとは何(ツール・メディア)なのでしょうか。
さらに、これからの「デザイン」が「プライバシーと情報化」に向かい合うとき、
何が「プライバシー・情報化」デザイン解決か?
何がメディアというモノとして「プライバシー・情報化」に、
何がツールというモノとして「プライバシー・情報化」に、
この二つを話題・課題・問題として、デザイン解決できるかということです。


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