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Posts Tagged ‘デザイン効果’


『イノベーションは現代では決して生まれない』


   


     12月 8th, 2021  Posted 2:25 AM



現在、デザイン界は大きな誤解をくりまえしています。
それは、「C.I.からブランド」に行政が返還した時だったのです。
「デザイン思考」が「イノベーション」に直結している事です。
決して「Design Thinking」が「Inovation」には、
是対に関わっていないのです。
「技術革新」をイノヴェーションと言った過ちから志向しのです。
私はその前に学術歴史とデザイン効果を置き忘れた
「革新と改革」だった学術倫理と政経学、経営学、商品学でした。
私は一早く、「コンシリエンスデザイン+レジデンスデザイン」。
これに突き当たるのです。
従って私は「コンシリエンスデザイン」をデザインの教育者として、
取り組んできたのです。
中心は、「共感」からのマーッケティングあり、
デザインの中心である「美しさ・優れたこと・明日を拓く」
これを忘却しているのです。
シュンペーターのモノづくりの「やがて資本主義は壊れる」でしょう。
私は民主主義も資本主義も、これらは人間の幻像を歌っているのです。
成果としてのデザインは、今だから言えるのですが、
「幻想ではありえず、限定されたデザイナーに過ぎません」です。
「美しい」を判断出来る個々人の「感性」なのです。


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『東京藝大からの二人の講師を迎えて「KK適塾」』


   


     2月 15th, 2017  Posted 12:00 AM



第四回KK適塾は、東京藝術大学から名誉教授の河北秀也氏と
大学院教授の北川原温氏を講師に開催しました。
河北氏とは日本デザイン学会50周年記念講演では、
グラフィックDを河北氏が、プロダクトDを私が、二人とも確かに、
デザイン学会の今後に警鐘を鳴らしてお互いに学会に関わらず仕舞い、
今や当時の警鐘はさらに拡大していて、私から言わせれば、
デザイン学は「瀕死の状況」だと思っています。
河北氏のiichiko全てのアートディレクションは、
学術誌出版まで彼のトータルディレクションです。
北川原氏はある建築コンペ公開審査で彼の案を絶賛したこと、
最近のミラノ博日本館の素晴らしさ、
現代も日本のアートも語れることで講師をお願いしたということです。
河北氏の学術誌出版のパトローネ主導までのアートディレクションは、
グラフィックデザインの商業的なあり方には現代のクライアント奉仕よりも、
商業主義を主導するグラフィックデザインは今や唯一だと言えるでしょう。
北川原氏は、今回も長谷川等伯の芸術性を登場させ、
ミラノ博日本館は見事な日本の伝統的な建築様式を
イタリアの地に展開し海外を驚愕させました。
三人ともにいわゆる美術学校出身ゆえに、
学生時代には何を学び遊び、そして三人が今度は教育者となって、
今、次世代には何を期待しているか、
そうした語り合いを観客に聞いていただきました。
私の評価は、河北氏はグラフィックデザインを要としながらも、
かつてのポスターから現代の学術誌出版まで、
今、このアートディレクションは皆無と言っていいでしょう。
日本の伝統的な建築技術の再現、どの現代化から未来性創出、
その裏側には現代アートから日本美術までを語れるのは北川原氏でしょう。
二人とも、私と違ってまだまだ未来を創ってくれるでしょうから、
彼らには16:9のデジタルアッサンブラージュのプレゼ形式を見せ、
コンシリエンスデザインでの「大ガラス」私見を語り継ぎたかったのです。
北川原氏のアートと日本の伝統建築技術、その代表作ミラノ博日本館、
河北氏のアートディレクションと商業主義主導の学術文化創り、
同世代が確実に歴史に刻んだデザイン効果を伝え残したものと確信します。


* 『パトローネが文化を再考察させるデザイン戦略』
* 『アートからの革新=フォンタナの作品から』
* 「長谷川等伯と狩野派の対決から」
* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』
* 『マルセルデュシャンの立体化からアッサンブラージュ』


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『美しさの判定は言語判定での倫理に宿っている。』


   


     6月 21st, 2016  Posted 12:00 AM



おそらく現代も、特に「イノベーション」をとか、
「デザイン思考」だとか、
「ソリューション」という言葉が多用されています。
そこには必ず「コンセプト」という、あたかもデザイン効果があるという
そのような企画が大氾濫しています。
しかし、これらでは明らかにデザイン成果はゼロだと断言します。
企業経営とデザイン=企業デザインと経営のイノベーション、
あるいは
伝統工芸とデザイン=産地活性化のデザインイノベーション、
この二つが明確に自分には見えています。
ところが、これらの成果・成功を、デザインで意図している背景には
「コンセプト」・「ソリューション」・「イノベーション」が
必ず存在していることを最も自分は危惧しています。
「イノベーション」の原意とそこからの歴史を思い出していただきたい。
「ソリューション」のテーマは「問題」でなければなりません。
ところが、ソリューションでの答は応答であり、回答に過ぎず、
そうした答えがイノベーションに成ることは決してありえません。
それらのデザイン成果をあたかも生み出すであろう、
それこそ「デザイン思考」には
ぴったりと「コンセプト」が張り付いています。
観自在からの概念や観念ではなくて、
あくまでも言語性と記号性の問題です。
そこにはstory:物語、argument:議論というライン性が明確にあります。
すなわち、思考のブラックホール、論理の対象性、
これらを破壊する発想は決して「コンセプト」には存在していないのです。
この感性を強化しているのは知性でも理性でもありません。
それは倫理性・倫理観という健全な想像力です。
この想像力は限定された人間にのみ存在していることを判定すべきです。
デザイン意図とデザイン内容に、
「造形言語」と「形態言語」によるデザイン、その造形手法は決して
「コンセプト」や「デザイン思考」はありえないのです。
最大の理由は、デザイン造形でのイノベーションとは、
「美しさ」を判断する倫理性があるかどうかだと思っているからです。

*『デザインは解である』
*『デザインは記号論的な『造形言語と形態言語』での論理化』
*『「形と性能」・デザイン成果=造形言語と形態言語』
*『盤・盆・膳」という文化は木に宿る』
*『現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ』


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『日沈む景観であっても景気はデザインが主導する』


   


     6月 13th, 2016  Posted 12:00 AM



大阪城は現在、大阪谷町に残っています。
秀吉は日いずることと日沈むことの両方見ていたのだと思います。
大阪には夕陽丘と名前があるごとく、
日沈む美しさ、その「景観」の歴史性があります。
自分自身すでに大阪に住んで10年です。
そして自宅からは日沈む「景観」を毎日見詰めているのです。
遠方には瀬戸大橋や大阪湾までが見えるときもあります。
この10年大阪の景気は低迷を連続し、しかも大阪は犯罪が最多。
この10年大阪そして関西の景気は、少なからず行政力低下が、
「景気」刺激無能と、断言できると考えることが可能です。
理由は、産業の基盤である「金型づくり」は、
国内では25%のシェアを持っています。
ちなみに、関東62% 東海1% 中京12%で、技術力は中京です。
このことは自分が大阪にデザインの焦点を合わせてきた見通しでした。
大阪そして関西が例えば兵庫県の地場産業は他県を圧倒しています。
それなのに「なぜ、景気がこの低迷?」という理由を
昨日、この関西軸でデザイナーたちと対話をして、
関西のみならず日本全体での産業とデザインの関係を再整理しました。
無論、関西地方だけではなく、
日本全体のデザインと景気への期待観が終わっています。
しかし、自分が天職としてきた特に工業デザインにおいて、
決定的にある経営者から学ばされたことは、
「川崎さん、要求されるデザイン対価がこれだけなら、
デザイン料を2倍にすれば、デザイン効果は2倍になるね」、
この提案に震え上がった経験があります。
無論、この企業に不況の時代は皆無であり、業績はずば抜けています。
最近、デザイナーの若手は中国での仕事に惹かれているのは当然です。
若手から私にも中国依頼の仕事への参加を伝えてもらいます。
このことには「デザイン=策略」としている策略的な一党支配が明確です。
比して若手デザイナーの仕事を先人デザイナーが奪うことに平然たること、
さらに、盗作平然たることは絶対に許してはいけないのです。
「景気」を根本で変動させるデザインの再成立をめざします。

*『シュンペンターと象形文字を同次元に考える』
*『高層は50階以上がいいようだ』
*『景観への精神状況がそのままファッションに連鎖している』
*『悪夢は醒めたのだろうか・・・・・』
*『日本の低迷は企業経営前の知識不足』


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『存分なデザイナー能力が性能・効能・機能を編集表現』


   


     4月 30th, 2016  Posted 12:00 AM



編集者としてのデザイン、デザイナーとしての編集、
あるいは、デザイナーという編集者には
いわゆる
写真・イラスト・グラフィック・タイポグラフィ・レイアウトという
あらゆる表現手法が、デザイン発想を支援する性能があります。
これは小誌の性能を感性刺激としてくれるもう一つのデザイン能力です。
その代表誌は、いわゆる一般的なデザイン誌ではありません。
つまり、表現者がデザイナーであるという効能性を担保している小誌です。
これは著名であるデザイナーN氏の才能が可能にしている
デザイン戦略です。
したがってN氏と自分との年齢差は丁度10年という大先輩ゆえに、
これからの10年を指示してもらうと同時に
やはりデザイナーになるためのトレーニング時代はほとんど同一でした。
とてつもない厳しさに耐えてこそ、デザイン能力が鍛えられてきました。
この同一な体験があるからこそ
この小誌が訴求している全てを受容できます。
デザイン表現がデザインの性能をしつらえ、
デザイン効果がデザインの効能を仕組んでいることを知ってこそ、
初めてデザインが常に機能性で語られる一般性を拒否出来ます。
これからの自分の10年、その大きなヒントを得ています。
編集者でありデザイナーであるからこそ仕上がっている小誌には
デザインの性能と効能があるからこそ、
デザインと機能の関係が明白です。

*『ハーバート・バイヤーを忘れた「デザイン風」の闘争』
*『ようやく出版されたDEO=デザイナーのあるべき職能観』
*『ロゴタイプ書体その基本ルールには伝統がある』
*『誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決』
*『デザインは機能美ではありえない』


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「ブルーを持ち歩くというファッションとデザイン効果」


   


     8月 31st, 2013  Posted 12:00 AM



亡き父は万年筆を大事にしていました。
父には悔やんでいることがとても多いのですが、
今私の万年筆のコレクションを見たらどう言うだろうと思います。
父は一本の万年筆を大切にしていました。
私は日本文具大賞の審査委員長をしていますから、
文房具には果てしない興味があります。
書店で文房具にまつわる雑誌を眺めていて許せる雑誌は一冊。
普段、文具を使っている人や著名人、
特にファッション関係のプロの持ち物を見ると大落胆します。
先日は、3冊ほどの文具雑誌を見ていて呆れかえりました。
大憤慨している私にワイフは、一般の人のデザイン感覚だから、
自分の意見の正当性をなぜそんなに!、と叱られました。
そこで、とりあえず、ホテルで今持ち物の文具やケースを、
テーブルに置いて写真を撮りました。
ご覧のとおり、ほとんどがブルーでした。
ワイフがプレゼントしてくれた万年筆は、限定品なので、
これにピッタリのボールペン(手に入れる動機に)そのケース、
そして、なんと言っても「日本ってスゴい」のは、
いつでも尖っているシャープペンシルはホントにすごい、
消えるボールペン、日本人だから出来たことです。
これで3度目になるパッド用スタイラス進化を自分用のペン。
パッド上では、やっと草書が表現できるまでになりました。
そして、最近は5800mAまでの急速充電池と、
さまざまに試してきたデジタルブレスレットです。
正直、このブレスレットにはネットワーク通信と、
新たなケータイ・アプリケーションのアイディアが一杯あります。
このブレスレットにこそこれからの文具のデジタル化思考中です。
なぜ、こうした文具にこそ「ファッション」と、
最も語っていかなければならない「デザイン」の関係があります。
それは、ファッションを「モードの体系」にまとめたがゆえに、
「書かれたファッション」=モードとしたロラン・バルト。
彼をモード・ファッション、そしてデザインを日常、流行として、
もう一度再定義を文具から語り直すヒントがあるからです。
多分、これでは意味不明!、これから書き残していきます。


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