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Posts Tagged ‘デザイン導入’


『自宅地下の駐車スペースは?!』


   


     3月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

元々、ある大手企業の大阪本社ビル跡に、
私の自宅集合アパートがあり、地下4階までに各家別に自宅所有の
地下駐車場があります。
おそらく高層の集合アパートにこれだけの地下駐車場は建設困難。
私は車イスで車移動をする場合に、雨天の日などは、
屋外駐車場では、ずぶ濡れになってしまいます。そこで、
大阪では地下駐車場の完備しているところを探していました。
運良く、この地下4階までが自宅所有あるいは賃貸の駐車場、
これらが完備している所を見つけました。
しかもそれは耐震構造がどこまで整備されているかです。
地下4階まで掘り下げていることと、この建物は32階建てゆえに、
建設許可は国土交通省大臣許可が法的に必要とされています。
正直、これは稼働的な耐震構造ではありません。
構造材としての柱構造材はこの地下4階すべてで一応確認できました。
3.11以後には、可動式の耐震構造が商品化されていますが、
今回ゴム材製造大手企業のデータ改ざんを見ると情けなくなります。
わが国はいつ大地震が発生するかは全く不明です。
そこにつけ込んだこの構造素材のデータ改ざんはまさに儲け主義。
この企業トップがTV報道で、
自社企業社員の個人的作業とは言い訳にすぎません。
私は、最近、5000億企業志向と2兆企業志向へのデザイン導入を
図っていますが、企業トップの力量を存分に知ってしまいます。
つまり企業トップにしてしっかり、それぞれの企業社員にしての差異を
明確に見抜いてしまいますから、
耐震構造体でのデータ改ざんは正しく企業オーラがあるとするなら、
誤魔化しだらけの儲け主義企業の顔=イメージがあまりに明快です。
ところで、私の自宅はこのビルの32階トップにありますが、
もし、南海トラフになれば8階まで大津波が来るという予測です。
そうなると地下4階も水没します。
どうすれば?、というのも私のデザインテーマです。

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『最近はリチウム急速充電の電動車椅子に乗っている』


   


     9月 29th, 2014  Posted 12:00 AM

私は交通被災で車イス生活を余儀なくされました。28歳の時でした。
当時、東芝のデザイン部長(電気釜デザインで歴史のI氏)から、
「新しい車イスにはデザインが絶対必要だから君が」と、
言われましたが、絶対にやるものか、と考えていたのは事実です。
しかし、リハビリの訓練中に、これは使えないと考えてから、
結局自分の車イスは自分でやることになってしまいました。
私のデザイン活動には、こういうアイテムが多いと思っています。
自分が欲しいというよりも必要と感じたモノのデザインです。
車イス、メガネフレーム、ナイフ、カップ、そして、
今はICD=埋め込み型の除細動器などや痛くないシリンジが目標です。
さらに、障害者としての制度については、
これは自分の役割だから、先頭に立ってでも発言をしようと。
そのために嫌なタイプに思われても、厳しく提案してきました。
なんといっても、新幹線に車イス乗車が大変に困難な時代には、
陳情したことがありましたが、当時の扇千景大臣がすぐに視察され、
それから3年後にJR全線でのエレベーターが設置されました。
それでも、最近、米国の旅行者の方の車イス仕様は、京都駅側が
「反対」したとか聞くと、見逃すことはできません。
私は月1回はふるさと福井で産地活性にデザイン導入のために、
サンダーバード号を使っていますが、随分と対応がよくなりました。
しかし、電車、駅舎、エレベーターなどにはこれからも発言します。
正直、無念なことは、私デザインの車イスはMoMAにも永久収蔵作品。
しかし、体力的には電動車椅子を使用していますが、
米国のADA法=障害者への社会制度法律は日本以上に厳しいのに、
わが国の飛行機や社会的な交通機関には大間違いがあり過ぎます。
乗車客が居ないときには、こうして車イスを置かせてもらえます。
しかし、これは乗務員の方の柔軟さがあるからです。
エレベーターには平気で若者が乗り込んできます。
海外の先進国では絶対にありえないことですから、私は怒鳴ります。
まったく感情的ではありません。冷静に怒鳴ります。
東京オリンピックまでには、日本はもっと制度改善は必要です。

『パリには車イス対応が最初から叶っていた!』
『エレベーターという発明と社会倫理』
「誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決」


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『30年前のデザインを伝統工芸産地で商品化して今なお・・・』


   


     6月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

新規起業しても30年後には1000社あっても2.8社しか残りません。
越前打刃物産地に「TAKEFU KNIFE VILLAGE」の商品は、
30年経ってもまだ商品であり、組合企業として未来があります。
このデザインをした頃は、高額過ぎる、木の柄がついていないなど
いっぱい非難されましたがメンバー達は私についてきてくれました。
武生特殊鋼材で、ステンレスと鋼をサンドイッチ構造の鋼板開発
「高品位ステンレス鋼700」を新素材化してもらい、
鋼部分は「ハマグリ刃」構造にて伝統技を継承しました。
グリップはステンレスとして、握ったときのバランスを設計。
木製であれば大腸菌繁殖は避けられませんが、
グリップとブレードの一体化が熱湯で「清潔」さを確実にしました。
今では、あたかもグリップとブレード一体化包丁は当たり前です。
しかし、このナイフのビッカース値硬度という切れ味はありません。
私はこうした伝統技を新素材と一体化で進化させたからこそ、
今なお商品は投資効果と費用対効果を長期に成功させたと思います。
ステンレスとサンドイッチ鋼の溶接によって、
「火づくり鍛造」という技は伝統を裏切って完成させたことが、
デザイン導入を産地が認めてもらえたデザイナー冥利です。
第一世代は10名でしたが、第二世代は20名になりました。
私は伝統工芸産地の後継者不足はリーダーであるべきデザイン能力、
その知性と美学性、その実務能力にあると考えています。
最近は造形力と新素材開発力、これらの無能なデザイナーがいます。
それを税金で無責任な行政が口出しをして台無し例を見ます。
無知な行政などに伝統工芸を任せてはならないのです。
私は、第二世代には、新たな製造方式と新素材で、
「もっと、美しい切れ味」を年内には発表をしたいと考えています。
そして、東京を超えて、欧米・アジアで日本のモノづくり、
その神髄を見せて、さらに現地を拡大していきたいと思っています。

『鉛筆削りナイフ・伝統技の記号づくりと情報づくり』
「タケフナイフビレッジの次世代へ」


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『伝統工芸産地へデザイン導入時の試作をやればこそ』


   


     6月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

私がふるさとの越前打刃物産地にデザイン導入をしました。
すでに30年前車倚子で福井にUターンして取り組んだデザインです。
東京で最も花形のオーディオ製品開発を障害者ゆえ諦めて、
伝統工芸産地にデザインを何としてもと取り組みました。
今、この産地には第二世代後継ぎが生まれ、活性化しています。
比して、全国各地の伝統工芸産地はやがて消滅していくでしょう。
その最大の理由も分からずに、やれ産地活性だ、やれ見直しだ、
このようなことを叫んでいるデザイナーを見ると、
「何も分かっていない」と、とても苛立ちます。
伝統工芸産地には、「系譜」が綿々とあり、その無知さを、
これまた仕事でしか無い行政に何が出来るというのでしょうか?
有名デザイナーを連れてきたとか、若手新進だからとか、
呆れかえるほど知性無き輩には、喧嘩を挑まなければなりません。
その確信は三つあります。まず、知性ある美学性が大欠落しています。
それゆえに、美学性などは当然皆無で自己顕示欲だけです。
マスコミ受けに、行政が乗っかろうとしている実例だらけです。
これらはいづれすべてを列挙しようと考えています。
先般も、やはり行政がやりだすとここまで酷いかを知りました。
行政に猫撫で声でのリーダー気取りは高校時代なら殴っていました。
このような輩は、あたかも伝統工芸の瀕死状況を訴求しています。
ふざけないでいただきたい。その輩は産地を利用しているだけです。
私には30年取り組み、今なお最新に向かう手法があります。
なぜなら、デザインは時代を競歩しなければなりません。
その知識から知恵が美しさに向かわなければ無意味です。
この無意味さもわからない連中は、歴史で抹消されていくでしょう。
その前に、私が抹消させたい輩の実名や組織名を発表すべきでしょう。

「タケフナイフビレッジ第二世代へ理念を伝える」
「750年をタケフナイフビレッジで革新して30年」


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『ふるさとからの「越前たけふしきぶ姫」届く』


   


     10月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

またお米をいただきました。
私は「越前市ふるさと大使」をさせていただいているので、
このようにして、ふるさと越前市からは時々産物が届きます。
とてもありがたいことであり、しかも、越前からの産物は、
最高に素晴らしく美味しいことです。
今年は、常に最低でも月に1回はふるさとに帰っています。
幸いにして、大阪から北陸線で2時間で帰ることができます。
「越前たけふしきぶ姫」はもちろん最高級のお米。
「こしひかり」元来福井が発祥の土地柄ですから、
私はずーっとこのお米で育ってきました。
行政的な合併によって、今は「越前市」ですが、
その中心は「武生」。
かつては国府があり、紫式部が父親とともに住んでいました。
だから、当然のことに公園が有り銅像もありますが、
私自身は違和感をもっています。
それは、彼女が国府である武生にいた頃には、
雪が降って寒くて、都=京都に比べたら田舎過ぎていて、
書き残した歌には、「都が恋しい」という歌が多いことです。
世界でも長編小説の源流である「源氏物語」作者として有名。
けれども、これほど田舎扱いをする彼女を象徴化などには、
私はどうも納得していません。
ようやく、また市長選挙が終わり、市長は連続してもらえます。
この市長が大学卒業時に会っています。
彼はそれから松下政経塾で学んで地元の首長になりました。
だから、大学卒業時からの知り合いであり、
彼だからこそ、特にふるさとの伝統工芸には特別な心情をもって、
その活性化策やデザイン導入には見識があります。
先般も、「タケフナイフビレッジ共同工房20周年」では、
もっともっと広大なプランを二人っきりで話すことができました。
ワイフは京都生まれ京都育ちですが、
福井の食べ物の美味しさにはいつも驚喜しています。
「越前たけふしきぶ姫」コシヒカリ特別米は美味しいお米です。


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「春日部での桐工芸産地とのこと」


   


     10月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

春日部といえば、「クレヨンしんちゃん」の住処です。
今では、春日部が、
桐タンスなど桐木工の伝統工芸産地であることを
知っている人は少ないでしょう。
1980年代は、
「地方の時代」や「第四次全国総合開発計画=四全総」が施行され、
「地方の活性化」が盛んになっていました。
バブル経済を迎える寸前だったと覚えています。
私は、ふるさとに車椅子でもどり、
福井県内の伝統工芸産地に「デザイン導入」を試みていました。
幸いにも「タケフナイフビレッジ」は有名になりました。
そして、そうした産地への「デザイン導入手法」についての講演も
随分と引き受けていました。
この本には、春日部で中心となっていた影山和則氏が、
公的機関からのデザイン活動をまとめた「デザイン史」になっています。
私が、影山氏に、
いかに厳しく接していたかも描かれていて赤面ものですが、
私は、全力で伝統工芸産地、その職人さんや、流通と闘っていました。
もっとも、牙をむいていたのは「四全総」を背景にし、
権威を振りかざしていた官僚や
その身内的なデザイン・プロデューサーたちでした。
おそらく、「喧嘩師」と言われ始めたのもその頃だったと思います。
しかし、この本に記録されているとおりに、全国各地の伝統工芸産地は、
デザイナーを引き入れて懸命でした。
あれから25年後の今日、
生き残っている産地はほとんど無いと言ってもいいでしょう。
私は、「タケフナイフビレッジ」は今も健在であることを自負しています。
この本に描かれた全国それぞれの産地活動は
一つのチェックリストになっています。
「あの産地はどうしたかな?」という具合です。
私は、この本には80年代、
少なからず理想的な国家体制の中で、
伝統工芸という
日本文化をデザインが引き受けようとしていた事実史があります。
是非とも、次世代デザイナーには読んでもらいたい「デザイン史」本です。
その理由は、
国難となっている日本が再生するためのヒントが
当時の全国各地の産地での懊悩する姿がいっぱいあるからです。


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「タケフナイフビレッジの次世代へ」


   


     7月 31st, 2012  Posted 12:00 AM

1981年頃から、
すでに存在していた「武生打刃物工業研究会」に、
私が参画し、「伝統工芸にデザイン導入」を始めました。
すでに研究会は、「伝統的刃物のレプリカを150点ほど」、
自分たちで鍛造製造をし、その技の習得をしていました。
もう越前市の越前打刃物産地「タケフナイフビレッジ」には、
後継者の若者がグループ、次世代に引き継いでいます。
そこで、私も、彼らへの課題を伝えています。
「ミニナイフの開発」に入りたいという一つのアイディアがあります。
世界には沢山のミニナイフが存在。
ミニ・ミニマムにしていく技術・技は
相当に錬磨しなければならないでしょう。
ミニナイフへ、
「ハマグリ刃火づくり鍛造」の越前打刃物の伝統技をベースに、
「先端的なデザイン」を実現してもらいたいと望んでいます。
私なりに、ミニナイフも収集してきました。
その収集品の中でも、特徴と新たな革新をねらったり、
ミニマムにするには相当の工夫や製造技術には
創造性が求められていることが明白です。
たとえば、日本の「肥後守」でもミニはあります。
切れ味はありますが、伝統とはそのままの温存ではありません。
ファッションメーカーだからこそ、皮革張りをミニで実現したモノ、
銃器メーカならではの繊細なガンのような仕上げや構造、
ナイフギルドだからこそ可能ならしめたミニマム設計の実現、
アウトドアだから、ここまで詳細設計の具現化など、
早く産地にこれらを持ち込んで、参考にしてもらいたいと思っています。
ただし、これらを乗りこえるべきデザインを
私自身やり遂げなければなりません。
だから、ここに参考資料とした形態は全く考えていません。
素材も選び抜き、構造も、ミニマム化の様式も
すべて変革しなければ私の存在価値はありません。
これは私自身へのプレッシャーです。
早く、産地に帰りたいと思っています。


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「Ship of the Year・日本船舶海洋工業界の今後」


   


     7月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

2008年から審査委員を拝命しています。
同時期から「関西海洋教育アライアンス」で、
神戸大・大阪府立大・大阪大の大学院合同講義にて
「海洋デザイン戦略論」も担当しています。
船酔いする私には考えられなかったことですが、
全てではありませんが、デザイン対象として、
海洋・港湾・船舶・造船などに
またひとつ大きな興味を持つようになりました。
デザイン領域は、この海洋関連からも眺め直すことができます。
審査委員も海事教育も、恩師の指示でした。
恩師はグッドデザイン制度も創設者の一人でしたが、
Ship of the Yearを創設し以後審査委員長として、
なんとしても日本の造船や港湾へのデザイン導入リーダーです。
弟子として、海洋船舶業界のデザイン高度化を目指しています。
5年この海事業界に関わり、
日本の船舶や港湾の国際的な位置関係も知るようになりました。
正直、日本の造船は地味だと思いますが、
技術先進国として毎年、驚愕する技術が登場します。
しかし、特に、造船がデザイン主導システムになってはいないだけに、
保守的な船舶だと思います。
ところが、プロペラ駆動や、船舶でのハイブリッド化、
そして急速充電リチウムバッテリー船舶などは、
確実にこれからの造船業界を国際的にも牽引すると確信しています。
風力発電のプロペラなどは、船舶業界の技術導入や、
港湾を現在は土木工学が中心ですが、
絶対に海事工学的に開発すべきだということを発見しています。
今年度の船舶のどこが評価されているのかは、
下記websiteで知っていただきたいと願います。
http://www.jasnaoe.or.jp/commendation/soy_2011.html


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「造形の言語道断」


   


     2月 1st, 2012  Posted 12:00 AM

私のデザインは、簡潔な「造形」をめざします。
多分40年間でデザインしてきたモノのデザインは、
徹底的な造形、その簡潔さ=Lessにつきると思っています。
オーディオから始まり、伝統工芸から制度設計まで、
デザイン対象領域の拡大を図ることで、
デザインの本質的な目標と目的、
その社会的意義に倫理性と美学性を求めてきました。
その代表作が、タケフナイフビレッジを設立し、
伝統工芸にデザイン導入を図り、
その作品としての「商品化展開」をしてきました。
それは素材開発から造形にモノは集約しますが、
全体的な産地存在性を明確にするコトのデザインにつないできました。
今あらためて、その中のモノ=作品としてこの「fluctus」には
簡潔な象徴性があると私自身が納得をしています。
時折、私は何にこだわって、
あるいは何をめざしてデザインをしていますか?という質問を受けます。
その回答は、「自分が一番欲しいモノ」に他なりません。
そして、デザインの目標=ゴールと目的=オブジェクトが
合致しているのは「簡潔さ」です。
それは、シンプルさを超えた意義までという意味です。
だから、「Simple is best」では済まされないことです。
「Less is more」にまで至っているかどうかということになるでしょう。
それを実現するには、多分、「最大公約数的な一人称」と言っておきます。
つまり、自分の言葉=造形言語の言語道断さまで
自分を追い詰めることだと考えています。

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