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Posts Tagged ‘デザイン賞’


『AM社のヴァブキュリーを見る夕食会に和服で参加』


   


     10月 8th, 2017  Posted 12:00 AM




阪大へ通学時に運転していたワイフが、
これまで言ったことが無いのに、
「あの車美しいかたち」と、突然言いました。
私はすかさず、「あの車がアストンマーチン」と言いました。
インダストリアルデザイナー達で夕食時にはよく車の話をします。
私自身は、カーデザイナーを育成することもしてきました。
名古屋市立大学ではすべて修士で卒業させて、
カーデザイナーになった全てを企業留学させました。
他のデザイナーほど車にのめり込んではいませんが、男の子としては、
とりわけ車イス生活になってからはかなり多くの外車を乗り継ぎました。
外車だから左ハンドルは車イス使用者の乗降には必須なのです。
運転手付きで、ボルボのステーションワゴン、
スタッフ運転でキャディラックのリムジンにも乗ってきました。
もう人生最期といって今はAMのラピードSを所有しています。
ラピードSこれは車イス車載のためであり、
私人生の車はこれで最終と思っています。
AM社のオーナーとしては車販売では独特の方法を実感。
時々、薪能だったりオーナー対応のイベントなどあります。
が、あまりこうしたパーティには出向かないのですが、
AM社がヴァルキュリーを大阪で発表と夕食、
そこに副社長・デザインディレクターの
Marek Reichman (マレック・ライヒマン)氏、彼のプレゼンテーション、
それならとミーハーな気分で「ドレスコード」=和服で参加。
流石に食事・ワイン(それなりの知識あり)も最高であり、
ヴァルキュリー(Valkyrie)は限定生産と4億円、最高スピード500km/h?、
サーキットレーシングカーをタウンカーにまでという
デザイナー自らのプレゼンテーションは、デザイナーも和服でということで、
ほぼ30名が見て、触って、聞けるという夕べでした。
私の特任助教もドレスコードを守って参加しました。
こうしたプレゼンテーションや車量産での新素材などは、
カーデザイナーである教え子たちに一番参加させたいと思い続けていました。
今、私は自分自身の電動車イスを開発しています。
以前の車イスは相当にデザイン賞を受賞しましたが、
現在の電動車イスでは全く気づいていないデザインを果たすつもりです。


* 『先鋭的なマガジンという美しい情報集約性を読む』
* 『わが人生最期の車は美しいデザインを』
* 『リムジンはただ乗って使用してるのに所有している』
* 『福井時代は運転手付きのボルボで移動しつつも』
* 『二人称のデザインをめざす超軽量と収納性の車椅子開発』


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『SLKからSL500に、そして人生最期の車所有と使用に』


   


     9月 17th, 2017  Posted 12:00 AM



デザイン賞の審査で面白いことは、雑誌などでは知っているけれども、
新製品実物に触って見ることが出来ることです。
大学人になって、Gマークの審査会場で、知ってはいましたが、
ベンツのSLK-230実物そのルーフ形態とその稼働収納を実体験しました。
えっ、ここまでのことが可能になってきたんだと思い、
名古屋に帰るとすぐにSLKを発注しました。私には教材にも・・・?
大学に通学するなら2シーターであるべきという先輩教授の教え、
その意味が、そうだったのかと分かったからでした。
丁度その頃、名市大だけでは無くて、
大阪大学の特任教授の指名も受けていたのです。
そこには特任准教授(現在・九州大学)もいました。
彼と京都での日本デザイン学会に、この車で行き、帰宅途中に、
「後にパトカーが・・・」
「うん、これなら超スピードで逃げるか?」と言いつつ、
「立場があるから、駄目ですよ」、
という会話をしていたら、なんと、そのパトカーはサイレンを鳴らし、
(この車に続け)が表示、
「おい、何でだ?」「スピード出しすぎかも・・・」
サービスエリアで、「スピード違反、ならびに車線変更違反」この2件で、
ゴールドカードのライセンス取り上げになりました。
なんでスピード違反? なんで車線変更のし過ぎ?、でした。
確かにSLKは気づかずに速度アップになり、
それゆえに、前車をすべて追い越して運転していました。
それならSLKは辞めて、もっと確かな車ということになりました。
SL500使用と所有が始まりました。
もっともSL500では曲線よりも直線構成の方が好きでした。
そしてなるべくオープンで乗ることになったのです。
結局、名古屋市大から大阪大学に移籍が決まると、リムジンを手放し、
S320とSL500を大阪に持っていくことになったのです。
身障者で運転OKは「駐車禁止解除」が警察で発行を受けます。
ところが、大阪は本人が出向いて「生きているかどうか」を再確認なのです。
これは大阪では、誤魔化しがあるのでしょう。日本ではここだけです。
また、車イス駐車OKの場所には、平然と市販の車イスマークで駐車する、
そんな状況に何度も出会うのです。ヤクザさんと喧嘩にもなりました。
そこで提案したのが、「四つ葉のクローバーマーク」と法規制でした。
このデザインは私が中心で行うことができました。
ところが、とあることが身障者団体の納得出来ない言い争いが起こって、
私はとうとう相手に喧嘩を売りました。
そうしたら、「警察庁の中で喧嘩はしないでほしい」と言われる始末。
もはや、車、自家用車を所有し使用するのが、人生最期になっています。



* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』
* 「自宅近くに・・・桜と大阪城に」
* 『新製品のモニターとして万年筆を試す』
* 「機械工学とデザインの学際化を・・・大学人としての願い」
* 『リムジンはただ乗って使用してるのに所有している』


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「哀しみのデザインから楽しみのデザインへ」


   


     8月 14th, 2017  Posted 12:00 AM



1989年にあるメーカーいくつかの支援で、
私デザインの車倚子を名古屋にて発表をしました。
それはアルミハニカムコアの車輪、これはセスナ飛行機の羽根部蒸着炉と
すべてチタニウム溶接、ゴム製でのエアー制御のローホークッション。
これは世界的な評価を受け受賞と収蔵になり、MoMAのコレクションです。
以来、この車倚子を乗り越えたモノはまだ無いと判断しています。
しかし、私も年齢とともに身体には変形が起こるとともに、
電動がとても重宝するようになりました。
最初の車倚子デザインは「哀しみにデザイン」を掲げました。
デザインは喜怒哀楽を主眼とすべきがテーマでした。
そして、このところは「楽しみにデザイン」を主眼として、
電動車倚子=これは私の足ですから全くの「一人称デザイン」です。
今では電動車椅子が多種多様に商品化されていますが、私の評価では、
肝心のいくつかが全く気づいていないことが多すぎます。
デザイン賞授賞であっても「これは歩けない老人には」使えるでしょうが、
とても脊髄損傷で、頸椎・胸椎での障がい者には「全く使えないモノ」が、
やたらと氾濫していて、私はデザイナーである前に障がい者として、
絶対に認めるわけにはいきません。交通や建築のとの不都合さが増大し、
ユニバーサルデザイン?、バリアフリー?、これが私の気持ちです。
そんなことを解消解決するには、ひたすら新素材の開発と、
美大同期の光野氏がシーティングエンジニアリングにて、
三つの方向を組み立て、そのスケッチもすべてiPad上で行っています。
三つの方向は
● シーティングエンジネアリングでの「身体保持性能と機能」の高度化
● 電動車椅子として超軽量の折り畳み可能な「走行性能と効能」の充実
● 前輪駆動によるインバーターと無線化での「インターラクション効能」
これらがすべて障がい者補助者への機能に合致させるべきと考えています。
さらに、iPadでのスタイラスも決定してきたことです。
今iPadでのスケッチでとても有効なことは左右利きなので、
右手でも左手でも本当にペンシルスタイラスで何枚も描けることです。
ただ困難だろうと予測していることは、
新素材や新しいキャスターなどの支援出来うる技術企業の発見です。


* 『哀しみのためから楽しみのための電動車椅子開発へ』
* 『二人称のデザインをめざす超軽量と収納性の車椅子開発』
* 「車イスデザインのための文脈づくりに気づく」
* 『超軽量で収納コンパクトな電動車椅子をめざして』
* 『 インクルーシブデザインとは「人称デザイン」である』


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『代表的なシンボル作品が廉価のために失ったこと』


   


     6月 30th, 2017  Posted 12:00 AM



このサイドテーブルがモダンデザインだろうか、と私は考えてきました。
フランスで1930年代にインテリアとプロダクトデザインで、
当時の建築家にも大きな影響を与えたアイリーングレーの作品です。
彼女は元々アールデコのインテリアデザインに強く拘っていたらしいのです。
建築がコンクリートで無殺風景になりがちになることに、
デザインで、アールデコとデ・スティルをベースにしたデザイナーでした。
ただ活動期間は20年間であり視覚障害になったことから引退をしていたから、
引退後の1960年代からのデザインへの眼差し:批評、批判を探しています。
ともかく、サイドテーブルといえば、
このモノが現代も代表的なシンボルにさえなっています。
したがって、この作品が中国製で廉価になっていますが見分けられます。
それはこのテーブルのガラストップとその端面仕上げです。
最近ではガラスカットで端面処理加工無しは明らかに中国製です。
正直、このテーブルのモダンデザイン形式が
最高だと思っているわけではありませんが、
次世代の日本のデザイナーならば、ガラス端面の仕上げは必ずテーパ無しを
デザイン仕様は遵守して欲しいのです。
日本のモノづくりは、今では私には、
明言すれば「安物づくり」で日本のモノづくり産業は不要です。
ところが、最近では世界的なデザイン賞授賞作品にも、
確実なデザイン仕様がおろそかなモノが出てきました。
家電業界が終焉し、やがては車業界も危うくなると私は予測しています。
もはや私はデザイン審査の機会がかなりあります。
しかも審査委員長であることからも、
ほぼ十年ぐらい前には、ともかく日本製がほとんど入賞してしまい、
海外製をなんとか入賞させないと、
この業界が国際的にならないと、気を回したものでした。
ところが最近は日本製が見当たらないし、盗作は絶対に許せないほど、
日本のモノづくりが低迷しているのです。


* 『若手デザイナーの海外個展を応援する』
* 『最先端ラボラトリー展にて講演」
* 『日本の経済界には「伯楽」がいなくなった』
* 『今年度最終「KK適塾」で基幹産業を紹介する』
* 『Max Billの賞杯があったことを思い出した』


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『哀しみのためから楽しみのための電動車椅子開発へ』


   


     11月 1st, 2016  Posted 12:00 AM



「哀しみにデザイン」は「スニーカーのような」車イスとして、
自分のデザインは相当のデザイン賞につながりました。
しかし、当時のグッドデザイン選定では、
一応選ばれましたが、そのような選定ではなくて、
おそらく世界で評価されるということを知る先輩デザイナーから、
「日本デザイン大賞」が設けられましたが、これも「奨励賞」でした。
「日本デザイン大賞」はその結果からかも知れませんが消滅。
そして自分も「車イスのデザイナー」という印象を避けるために、
伝統工芸とコンピュータの独学と実践に自分は向かいました。
「スニーカーのような」というのには、
今後の車イスデザインの核心を込めましたが、全く気づかないようです。
今や世界各国、国内でも電動車イスが様々に開発されていますが、
最大の間違い=車椅子は腰・骨盤では運転不可能なのです。
それは、健常者が設計すると「腰で乗ってしまいます」が、
これで設計は台無しになっているのが余りに多いのです。
車イス使用者が車イスに乗るには相当のリハビリ訓練が必要です。
170gを両手に持ち少なからず7から10パターンの腕力と背筋力が必要です。
さらに、両肘安定が必ず要ることです。
このことは、やはり同級生の光野氏はシーティングエンジニアから
読み取り人間工学の否定と芸用解剖学の素養までを理解していました。
今では、リチウム稼働の電源とダイレクトモーターとインバータ実装で、
しかも、「超軽量10kg~20kg」でかつ「収納性のための折り畳み」可能は、
「電動車椅子」には「絶対的な必要十分条件」ということです。
そして「哀しみのため」から「楽しみのための車椅子」が
二人には見えてきています。


* 「スニーカーは進化しているだろうか?」
* 『客員教授の優れたオンリー教科書があるということ』
* 『二つのビンテージカー番組に生きる文化論』
* 「USBからワイヤレス化と電磁波空間」
* 「SZ-1000・私のオーディオ最終作だから」


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『二人称のデザインをめざす超軽量と収納性の車椅子開発』


   


     10月 31st, 2016  Posted 12:00 AM



「哀しみにデザイン」というプロスペクタスが実働の車イスになった時、
それは「スニーカーのような車イス」になりました。
車倚子をデザインするために、イス・倚子・椅子、
これらの歴史を知りました。日本にもこの歴史はありました。
車イスを見つけ出したのは、シェーカー教徒の生活家具の中でした。
これは自分のデザイン、特に、その造形力を見直す大きなヒントになりました。
そして、このデザインを支えて貰えたのは、
チタンやローホークッションなどの素材いろいろに出会えたことでした。
この車イスで、毎日デザイン賞はじめ、永久展示品になったり、
世界での有名なデザイン賞を数多く受賞できたことでした。
それこそ、MoMAでの展示では決まって日本代表には、
この車イスと敬愛する倉俣史郎氏のハウ・ハイ・ザ・ムーンでした。
しかし、50歳を超える頃から、自分の体には変形が起こり始めるとともに、
電動車イスが必要になり始めました。
幸いにして、美大時代同級生の光野氏は、でく工房・無限工房、
そして、スウェーデンの車椅子企業パンテーラ社の日本法人社長になり、
さらには、シーティングエンジニアリングの権威者になっていました。
「椅子」というのを常用漢字にしたのは光野氏であったことも知りました。
実際に車イスに乗り、デザインもした自分と、
美大時代同級生の我々が辿り着いた、おそらく最期の仕事が
電動車椅子の開発になりました。
すでに国内外には、様々な電動車イスが登場していますが、
我々には、真の車イス、そのあるべきデザイン方向が明確に見えています。
まず、「超軽量」であること、「収納可能」であること、これは絶対条件、
最新の技術仕様とデザインのマッチングが見えています。
そのデザインに今二人でとりかかっています。
私のため=一人称に、あなた=光野にも必要ゆえに二人称の車椅子です。
おそらくそれは「スニーカーを超える」車椅子にしたいと考えています。



* 『モダンデザイン源流を自分デザインにしてはならない!』
* 『「座る」・人間工学からシーティングエンジニアリング』
* 『座姿勢の複合制御性能とその機能化からのIoMeT』
* 「緊急課題になった『リトルネッロ論』の再考と具現化」
* 『昨日大先輩は旅立たれた・栄久庵憲司氏から私の評価文』


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『ローカルな受賞なれど、とても大きな受賞でした』


   


     10月 4th, 2016  Posted 12:00 AM



若い頃はデザイン賞を常に狙っていました。
何と言っても国内では「毎日デザイン賞」や「国井喜太郎産業工芸賞」、
世界的には「国際インダストリアルデザイナーズ協会特別賞」という
ICSID Excellent Awardはまだ私で2名のみです。
デザイン賞はそれなりにおおよそはいただきました。
そしてこの度は「越前市市政功労賞」を県外にも関わらず受賞。
ともかく、越前市に前入りして翌日受賞式に、と思っていましたが、
伝統工芸、越前打刃物「タケフナイフビレッジ」は34年になり、
産地のメンバーから、ともかくこのホテルに来て欲しいと言われたので
ホテルに車で着くと1時間も遅れていましたがやっと到着。
なんと「受賞パーティ」が準備され、越前和紙、漆器、高校の同級生から、
スタート時から支援してくださった美大時代の空手部先輩、
武生市工業試験場で最初に出逢った人までが迎えてくれました。
とても驚愕するとともに自分自身はもう表彰をする立場ですが受賞を受諾。
いわばローカルな賞かも知れませんが、
実は、越前打刃物産地に飛び込み、「タケフナイフビレッジ」を設立。
第二世代の若者がいっぱい跡継ぎが生まれたこと褒章者も2名輩出しました。
伝統工芸産地が、これほどのことをやっていただけるとは、
どんな国際的な受賞よりも価値ありしかも懸命に取り組んでからでしょうか。
その成果は見事に開花してきたことには自負心もあれば、
まだまだ鍛えたい仲間達がこれほど待ち受けてくれたことに大感激。
サプライズでのケーキまでが準備には、涙ぐんでしまって、
「俺を泣かすなんて、なんてことだ!」って涙声になりました。
賞状は「越前指物の額縁と越前和紙」でした。
ローカルで懸命だったことは今もこれほど護って貰える素敵な夜と
そして大きな受賞をさせていただきました。
「指物」についてはデザイナーとして改めて書き残したいと思っています。



* 『Max Billの賞杯があったことを思い出した』
* 『伝統工芸産地を補助金漬けから開放し法律の改正が必要』
* 『親方二人目の褒章受勲・タケフナイフビレッジ』
* 『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』
* 「タケフナイフビレッジ第二世代へ理念を伝える」


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『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザインを』


   


     6月 12th, 2016  Posted 12:00 AM



日本が壊れているから我々も壊れている、
このことを知らないままにしようとしているのでしょうか?
私たちは、3.11で思い知ったはずだったのですが、
報道されないと、どこかで忘れようとしているのです。
かつて若い頃に、自分はある企業に対して、
元同僚で同期の人物を口説いて、その企業のデザイン部門長にしました。
私がパリに飛び立つその日に、彼は突然亡くなってしまいました。
パリで私はあるデザイン賞の授賞最終候補になっていました。
しかし、その受賞式の華やかさの中で、完全に自分を失っていました。
帰国したら、すぐに空港から彼の実家に行かなければならない、
そんな気持ちで一杯でした。
そして、受賞出来なかったときの(悔しさがあふれました)感覚と
同様の気持ちに、3.11でも、今の熊本地震でも、包まれています。
「倒壊してしまった人たち」と「倒壊せずになんとか無事だった人たち」、
この対立があると、現地から情報が入りました。
「負けるな!・泣くな!・楽しもう!」、
このコピーは、現地では絶対に使えません、ということです。
この我々の勝手さになんとここまでも壊れてしまっていると知りました。
しかし、レジリエンスデザインチームに39大学が、
なんとか、まだまだ壊れそうなこの日本列島に、
レジリエンスデザインで最も困難なデザインでの問題解決を
熊本に向けたいと考えているのです。
それは、最も怖れていた自殺者を出してしまったことからも、
レジリエンスデザインの最も重大な使命を果たさなければなりません。
デザインだから可能なことに向かいたいと考えます。
デザインで「最悪な状態」は何としても解決するのです。
自殺防止はレジリエンスデザインの目標の最大使命です。
壊れない自分自身を全員が支え合わなければなりません。
壊れていく生涯ゆえ、この列島の花棌の国の鄙美人で生きることです。
そこで、せめて今このビジュアルデザインを差し出し、
死という平等な、幸不幸を生涯に取り入れ直すことです。
「負けるな!・泣くな!・生きるんだ!」を持ち合うことを提案します。

*『海抜4mの日本列島で大丈夫だろうか』
*『大雨・洪水・山崩れ・・・自然とは調和できない』
*『山は崩れてはならない=つちのかたちデザインが要る』
*『瓦礫と化した自動車が問題ではない』
*『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』


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『Max Billの賞杯があったことを思い出した』


   


     3月 24th, 2016  Posted 12:00 AM



僕は自分の作品を自宅などに置いて使ったり眺めたりするタイプではなく、
置いた方がよければ、というタイプです。
しかし、最近は自分の作品どころか、デザイン賞受賞での
その賞状や賞杯を整理もしたくて
整理を始めました。
そうなってくると、私が最も気にいっている賞杯は、
ドイツの彫刻家でありデザイナーの「Max Bill」デザインです。
これは年号も調べ直すべきですが、多分、1985~1990年?
ドイツのミューゼオロジー賞をいただいたモノです。
受賞の知らせは、突然、ドイツから入り、
賞杯が「Max Bill」デザインと聞いて大喜びした思い出があります。
しかも、彼のアイディアはピタゴラスの定理であり、
自分がテーブルデザインで辿り着いていたアイディアであったことです。
この定理は、単純に、3:4:5の三角形、
正方形が各辺、9:16:25の組み合わせでした。
正直最近は、あったはずのモノなどが、
デザイン試作・モデル・作品・賞状・賞杯などは、
あるはずと悠長に構えていたら、
在るべきモノが持ち出されていて慌てています。
しかし、今、この「Max Bill」デザイン賞杯を見てちょっと安心です。
そろそろ整理すべきMacintoshのハード機器も
それなりに収集してきました。
これらの整理は、そのソフトウエアも見つかってきて
重大なひとつのアーカイブになる気がしています。
昨日は若いときに懸命になっていたLPレコード集のHP実現を知りました。
これもこれからここで紹介をしていきたいと考えています。


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