5月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
5月 24th, 2010 Posted 9:53 PM
Tags: デザイン, 品, 川崎和男のデザイン金言, 時代
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5月 24th, 2010 Posted 9:53 PM
Tags: デザイン, 品, 川崎和男のデザイン金言, 時代
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5月 23rd, 2010 Posted 9:30 AM
Tags: デザイン, 品, 川崎和男のデザイン金言, 才能
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5月 23rd, 2010 Posted 12:01 AM
動物疫病
21世紀に入って、いきなり、家畜を襲ったのは、
「狂牛病・BSE」=牛海綿状脳症でした。
私はこの事件をLANCET(英国の医学専門誌)で読んだときには、
何らその後、日本でも大変な事態になるとは思いもつきませんでした。
以後、LANCETの予測は的中していきます。
鳥インフルエンザが、
万一、マラリアとの間で突然変異が起これば、という予測も知りました。
人類の滅亡が予測されていました。
そして、日本の「温暖化」が予想以上のスピードで、熱帯にいるべき蜘蛛の出現です。
とうとう鳥インフルエンザが襲ってきました。
インフルエンザがとてつもなく強力で多種になりました。
思いもよらぬ「豚インフルエンザ」が起こりました。
これは人類が豚を差別していたことの結末だと私は思いました。
「馬インフルエンザ」もあるのです。
しかし、馬へのワクチンは相当に万全だったと思います。
なぜなら、馬はサラブレッドという競走馬という存在があるために、
防疫と治療方法があったと聞きます。
しかし豚は食用家畜という産物扱いだったわけです。
さらに鳥インフルエンザにはまだまだ不確定要素があります。
口蹄疫
ラングがパロールになる制度
そうしたら、「口蹄疫」です。
私たちは、病名とか疫病名というラング=術語が、
会話=パロールの中に入ってきて怖さを知るのです。
これはラングがパロールになることは「危険」であり、
「安全破壊」があるという実例です。
会話=日常生活に入ってくる言葉の重要さを、
持って知るべきひとつの制度だと判断します。
日本列島は、島国ゆえに、
これまで世界的な疫病の流行からは遮断されてきました。
しかし、鳥インフルエンザはもとより、
国際的な流通往来、グローバル化は、
疫病流行は巨大な安全崩壊を招き入れています。
宮崎県で起こってしまった「口蹄疫」は、
ある種の細菌兵器のようなものです。
毎日、宮崎県の苦しみを見聞し、
国家的対策の後手後手を知るとき、
わが国に国家防衛は確実に欠落した制度であることを
再確認させられているだけです。
国家防衛
政府という機関、政治家という職能、
この権力義務と権力判断力、権力知識、権力戦略の無力さは、
「和牛」と「和牛の伝統文化」が喪失されていく報道、
そのジャーナリズムの批判性が、いかに無力であるかを知ります。
家畜
家畜というのは、「畜」という漢字には、
「好」という漢字と同列の意味性があります。
つまり、母が赤子を大事にする形象がこめられています。
だから「家畜」なのです。
「家畜」は、人類の家族だと考えることができます。
よって、家畜にここまで頻発する疫病は、
人類の存続性に連鎖しています。
細菌兵器
緊急に、
「疫病」は細菌兵器です。
ある意味ではテロだと判断対処するべきです。
その国家防衛・危機管理・安全維持制度が、
デザインされるべきでしょう。
そしてこのデザインには強靱なリーダーシップが不可欠です。
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Posted in 999「番外編」, 資本主義から逃走せよ!
5月 22nd, 2010 Posted 9:30 AM
Tags: デザイン, 川崎和男のデザイン金言, 手本, 才能
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5月 21st, 2010 Posted 11:58 PM
Tags: デザイン, 川崎和男のデザイン金言, 手本, 未来
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5月 20th, 2010 Posted 1:11 AM
いのち
このところ私は、自分のデザインでも無いモノについて、
論理展開など無関係なスケッチ的エッセイを書いています。
というより、「吐露」していると受け取ってください。
20世紀、ほぼ50年を共時しました。
おそらく、自分の生涯は、20世紀後半から、
2049年(この時100歳)までの「いのち」を考えます。
この歳まで生きられるのか!なんてことも、
「憎まれれば」ですから、確実かもです。
ともかく、私はデザイナーという職能で生きてきましたから、
「かたち」を創ることを最も目指してきたことは自負できます。
そして、「かたち」・「きもち」・「いのち」という言葉に
自分の観念も概念も入れ込みながら、「形態」にしていくことでした。
様々な「形態」をデザインしてきました。
当然、自分のデザインしたモノが、何ゴトかに連続していったり、連鎖すること、
こうしたことは自分で語るコトは充分に可能です。
しかし、「時代を革新する」という明確な認識のモノについても、
語る義務があると考えてきました。
ささやかな義務とささやかな権利
それは、「創る」、「デザインする」という姿勢を保持しているからこそ、
それを義務と考えることにしているのです。
なぜなら、職能義務を尽くしきることに徹する姿勢や態度に懸命であれば、
必ず「何らかの権利」が「与えられる」ことを経験してきたからです。
今夜は、iPadをデザインしてきた人物自身から、
デザイナーとして、iPadでのスケッチ、その最良の方法を聞くチャンスがありました。
それは、私が危惧、つまり自分はその手法をマスターできないかもしれない、
そんな想いをいっぺんにかき消してもらえたのです。
つまり、そんなことを聞ける権利が手に入ったということです。
明らかに、「現代」は、まさに「今日」は必ず「明日」に繋がってほしいのです。
そして、明日は今日よりも素敵な1日であってほしいのです。
iPadの「かたち」で「きもち」がどう動くのかということでしょう。
サクサクと動くのか、
ザワザワと動くのか、
・・・・と動くのか、ということが「大切」なコトです。
たかだか、その程度の義務で、
スケッチの描き方の権利を大仰にと思われるでしょう。
しかし、デザイナーとしての「きもち」は、
そんなささやかなコトが私の「いのち」に直結しているのです。
確実に、新たな体験として、iPadでスケッチを描ける自分になること。
その「きもち」が、これからの「いのち」を日常支えてくれるでしょう。
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Posted in 028「iPadを見つめて」, 資本主義から逃走せよ!
5月 13th, 2010 Posted 12:01 AM
¥
私たちは円という貨幣単位で生きています。
円で生かされていると言ってもいいでしょう。
「円」=Yen (wen)です。
『¥』という記号に生活が在ると考えることができます。
中国は「元」です。
そしてこれも発音ではYuanですから似ています。
この円と元の貨幣呼びには歴史があります。
今、私たちの¥は、国際的な通貨制度の中では、
大きな信用力があります。
『¥』をここまでの信用力としてきた戦後、
いや明治維新以後の先達に感謝をしなければならないでしょう。
そういう意味では、
現状、わが国の産業経済力が脆弱になってきたことに対して、
日本国民は、大きな不安感の中にいます。
それを「不景気」と言って悲しいかな、かまいませんが。
¥の原点は、日清戦争後でした。
それは、日本の通貨制度を改めて見つめ直さなければならない歴史です。
私自身はデザイン界に身を置いています。
デザイナーとして、教育者として、そして日本人として、
『¥』の脆弱化を最も危惧しているのです。
とりあえず、大きなその危惧理由を二つだけ記しておきます。
言い尽くせない不安感は、まだ胸の内に留めておきます。
予知不安
● 中国の通貨制度は、
いきなり国際性での信用を無視するのではないだろうか、と予想するのです。
その背景には、彼らの「市場経済主義」という、かなり不明な背景基盤があるからです。
つまり、大戦後の国際的通貨制度は資本主義経済によって、
現代性の国家間信用に繋がっています。
明らかに、これは「通貨制度」での経済競合でした。
もっと言い換えれば、通貨制度を介在した経済戦争だったのです。
そして自国の信用は、その国の政治家に任せてきました。
この破綻が、欧州の法治国家では起こってしまっています。
中国は人治政治によって、この破綻はありえなくする力があるでしょう。
● それは明らかに通貨制度を超越した彼らが主導したい
世界支配の経済構造が動き始めているということが二つ目の予知です。
この背景基盤は、情報世界での「情報制御」と「情報操作」、
それは、「情報の無料化=Free」というビジネスモデルが
次々と登場してきたことです。
この世界構造に通貨制度を制御する「国際関係的な政治力」が
無効化し始めているという観想です。
私は、円と元とがやがて対立し、外圧で円の破綻があるかもしれません。
あるいは、現在の政治家の法治政治への不信を動機とした、
元による通貨制度で外圧度に、
日中の「衡」状況はありえるのだろうか、と考えています。
円と元はYenです。
許されるならば、全アジア統合的な、
新たな情報化された通貨制度策のデザインが必要だと考えます。
¥+?+$=?
それは欧州・?と米国・$をも統合するための、
新たな「国際的な平和信用度」を構築する「衡・世界観」です。
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Posted in 026「衡(はかり)と単位」, 資本主義から逃走せよ!
5月 8th, 2010 Posted 9:30 AM
5月8日 先負(戊午)
そのことを「感得」している
デザイナーには、
デザイナーとしての
見職があると信じたい。
5月 7th, 2010 Posted 10:26 PM
Tags: コスメティック, デザイン, 川崎和男のデザイン金言, 悲しさ
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5月 1st, 2010 Posted 2:51 AM
スーザン・ソンタグ
Media Integrationの内容と形式について考えています。
いつも、デザイン表現の「内容と形式」に引き戻される感覚があります。
私に、「内容と形式」を徹底的に意識させてくれたのは、
スーザン・ソンタグだったのではないかと思います。
彼女の解釈性や隠喩性の著作から離れられなくなっているのかもしれません。
いや、呪縛されたままなのかもしれません。
歌舞伎という形式
今、歌舞伎座が最終公演を行っていました。
ちょうど、親友の撮影監督が張り付いて記録撮影をしていました。
彼から、「歌舞伎」と「オペラ」の対比した話や、
最終演題「助六」が、いかに凄かったかなどを聞かされました。
つまり、「歌舞伎という形式」は、
演じる役者でその「内容」は格段の違いを見せるわけです。
「クラッシックやオペラの定番という形式」も、
「内容」は、その主体者によって、まったく異なった感動を与えるものです。
デザイン対象としての「形式」と「内容」
私は、デザインするモノが、「形式」としてMedia、
あるいはToolになることを記してきました。
Mediaであるべきモノが、Toolとなり、
Toolというモノが、Mediaになる時代を私たちが引き込んだのか、
または、科学や技術が、
そうした時代に私たちを生かしてくれているのかということです。
本来、Mediaという形式であっても、
その内容はということになります。
Toolという形式においても、同様のことが起こっていると解釈するわけです。
私は、自分がデザインという表現手法を、
職能にできたことはとても幸運だったと思います。
そして、デザイナーとして製品開発で終わったモノ、
商品化して、それなりの評価や投資効果を、
成功ならしめたコトも幸運だったと考えます。
そこで、自分がデザインしようとするとき、
常に意識してきたことは「形式」を変貌させてしまいたい、
欲張って言えば、
「形式」の革新を起こしたいと考えて続けてきたことです。
伝統工芸では、包丁という「形式」をこれが「キッチンナイフ」とか、
液晶TVでも「形式」の変更は無理であっても、
「内容」は変えることができる、という具合でした。
求・思考停止からの解放
今、懸命になっているのは、
すべからくMedia要素という「形式」化を、
「形態」という内容変異ができないかということです。
そのために、「述語命題」については、
10余年前に中村雄二郎先生に直接師事することができました。
先生の新聞連載でイラストを担当し、その都度、教えられてきました。
岩波新書の「正念場」を読んでいただきたいと思います。
しかし、まだまだとても、自分が講義できるまでには至っていません。
それは、特にデザインでは、「コンセプト」を命題としてか、
述語としてか、さらには形式としてか、内容としてか、を
自分につきつけているからです。
そして、正直、
ここで思考停止していることを告白しておきます。
この思考停止を解放してくれる唯一の手段は、
スケッチだということには気づいているつもりです。
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Posted in 025「Media Integration」, 資本主義から逃走せよ!