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Posts Tagged ‘デザイン’


「関西海事教育アライアンス・6年目」


   


     5月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

私は阪大を定年退官しましたが、
特任教授(名誉教授)として研究開発に従事します。
そして、正式な教育授業としては、
「海洋デザイン戦略論」を担当します。
大阪大学・院、神戸大学・院、大阪府立大・院、
この三つの大学院院生に「海事とデザイン」の学際性を講義します。
最初この授業時には「デザイン」の全学生の理解度は世間的でした。
3年目当たりから伝統的な授業受講の意欲のつながりが出てきました。
私は「Ship of the year」の審査委員にもなりましたから、
懸命に、海事・港湾・船舶・造船について、
ほとんど書籍で「海事とは・・・」当たりから読破しましたが、
最大の知識獲得は審査委員になって、
特に造船企業のプレゼンから毎年学ぶことと、
審査委員会での会議談話は書籍読破を乗り越えています。
最初の頃は、「船は見ただけでも船酔い」と言っていました。
しかし最近は海事産業は本当にわが国の重大産業であり文化です。
これまでの講義内容は毎年進化させてきています。
時には社会人=企業専門家も聴講しますから、
専門性では、彼らに現実を聞き出すことも可能です。
一番の問題は、
私は海洋関連では日本が主導力を持っていたことが、
スポーツ競技のように日本が定めた事が禁止されだしています。
したがって、これから海洋国家で領海が大きいことからも、
日本が主導力を取り戻す「若い力」に期待するばかりです。
「海」はシュメール語(スメル語)でもUMIであり、
UMI=Umuは、このままMarineの「m」と深い関わりがあります。
Marine・Music・Material・Motherすべてに、
「母のごとく」に「生まれるため」の羊水から振動という意味、
この意味の深みがしっかりと宿っていることです。
したがって、MarineとDesignはここから始まります。


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「3Dプリンターの素材と成型精度」


   


     4月 26th, 2013  Posted 12:00 AM

光造形システム、私は17年携わってきて、
最初は紫外線レーザーが半導体レーザーに変わりました。
そして、エポキシ系樹脂も、
最初の湿度管理と装置からとても簡便になりました。
素材も、特に医療系は光造形データはシリコン系でも、
ほとんど内臓器官同様の柔らかさで「手術前シュミレーション」にまで、
使えるようになりました。
そして、今、阪大ではデザインのモックアップと
医療関連のスキャナデータを再現するのに使っています。
最大の問題は「造形サポート」設計がデメリットでした。
ところが、3Dプリンターでは、
2000分の1まで回路造形では可能になってきました。
しかし、私は「素材問題」はまだまだ開発が望まれると考えています。
チタンとカーボンもありますが、
カーボンは粉末ではなくて、やはりテキスタイルとしての繊維状成型です。
とりあえず、画像表現されている素材毎の成型は可能になっています。
しかし、私はこの素材提案には新たな感性が必要だと思っています。
何が3Dプリンターの素材かというと、
これまでの素材開発メーカーでは無理がありそうです。
現在私が必要と考えている素材は●●●です。
これは提案されてから具体的な応用範囲が限られていたから無理でした。
しかし、私には目論見があります。
なんとか、素材メーカーに具体物を持ち込んで説得しなければなりません。
画像は海外で試行された素材ですが、
これらの欠点はすべてがソリッド=塊です。
これは光造形がソリッドで考えられた頃と、
同次元の発想が残存しているからです。
3Dプリンターはサポートが無いだけに、
2Dへの吹きつけそのものを変換すべきだと考えています。
ただ、大きな問題は、これからの成形物は、
なんらかの清潔感や耐菌性や耐放射能までが考慮されるべきです。
まずは、「素材、その射出形状のデザイン」が基礎になるべきでしょう。


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「光造形から3Dプリンター時代に来ただろうか」


   


     4月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

1988年代だっと思います。
ニュージャージーで光造形の「歯車」が私に大衝撃でした。
夏毎に2回、トロントで3D-CADの個人レッスンを受け、
必ずこの時代!がデザインを変革すると確信したのです。
そして、名古屋市立大学芸術工学部新設時に、
「光造形システム3D-SYSTEM」を、
研究室に相当な高額で入れてもらいました。
トポロジー形態を空間論として造形と成型し、
ニューヨークとフィラデルフィア大学で、
プレゼンをしたのが世界でも最初で、
トポロジー形態はトポロジー空間論としてデザイン化を要請されました。
しばらくして、貧弱な形式の3Dプリンターが登場しました。
当時、光造形も素材問題(湿度管理)がありましたが、
3Dプリンター素材は、手の平の熱でも溶解する程度のモノでした。
私はいち早く、「MAKERS(原書)」を読みましたがかなり眉唾でした。
案の上、オバマ大統領に吹き込んだ連中がいたのでしょう。
彼は夢を語りましたが、「方向は間違っています」。
3Dプリンターが低額になると、誰でも出来るという話が広がっています。
NHKも番組広報を初めていますが、彼らも真実は見抜いているでしょう。
本当に使える人は国内では限られていることは真実です。
光造形は「サポート」といって、造形物を支える要領が難しく、
名市大時代の大学院では、この修了制作と修士論文が相当あります。
光造形はすでに一つの役割を終えていると思いますが、
3Dプリンターでも、
「編み目」や「アモルファス」的な造形が可能になりました。
すでに、住宅どころか宇宙空間でのモノづくり手法が見えてきました。
間違いなく、データがあれば、自宅の3Dプリンター機能によって、
相当なモノができる、できるかもしれない段階に入ってきているでしょう。
そして、この時代を引き込むのは、
確実に「デザイン」が中心になるでしょう。
すでに、こうした画像のデータはEコマースで取引されだしました。


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「手紙、そして私自身の肉筆は大事」


   


     4月 20th, 2013  Posted 12:00 AM

正直、子どもの頃に「手書きでの日本語書き」は鍛えられました。
とても父に感謝しています。
手書きの文字は、今流行の「美文字」だと自負しています。
もちろん、毛筆での文字書きも大好きです。
あえて、今回は時折、メールでなくて手紙を書くことを写真に撮りました。
相手は、私が最も敬愛するクラフトデザイナーの小松誠氏です。
彼の作品はいつもハッとさせられる美しさがあります。
おそらく、
どんなテーブルであっても、彼の食器や特に花瓶を選んでいる人は、
最高に美しさを見極めた人物だと思っています。
彼も私同様に、大学人を退任と同時に「作品集」を出版されました。
食い入るように彼の作品を見て、欲しいモノをいくつか見つけました。
そこで、彼には手紙を書きました。
彼なら、細字が良いと思いました。
毛筆ではないだろうとか迷いもありましたが、
この迷いも手紙への楽しみです。
さて、長らく大学人をしてきて、
日本人は、文字書きがとても下手が圧倒的に多いと思います。
学生には、かなり厳しく「文字の書き方練習」を命じます。
だから、毛筆展などは、見つけると必ず見ることにしています。
ふるさと福井駅には、毎回、県民の「書」が展示されていて、
ソースカツ丼ともどもに楽しみのひとつです。
「書」という文化については、懸命に見極めの技と、
自分も書写したいものがいくつかあります。
したがって、この手紙を書く楽しみのための万年筆収集は、
とてもあきらめる気にはなれません。
すごい万年筆ではとても高額なモノがあります。
買える価格ではありませんが、高額な時計以上のモノもあります。
そろそろ万年筆収集は辞めようかとも思いますが、
そのペンで、「私自身の文字」を知りたいと思うのです。
かつて、ある高名なデザイナーの先生からいつも、
葉書をいただいていました。
無論、その葉書も毎回優れたデザインでしたが、
まだ読み取る力が備わっていなかったのでしょう。
その先生が突然に逝かれてしまわれたのです。
そのデザインされたポストカードと直筆の文字を失いました。
これは私にとって、なんたる不覚なことだったと今も思っています。
それだけに、私は、ポストカード、便せん、筆記具、毛筆は、
すべからく「私自身」だと思っています。
だからこそ、手書き文字は「私の身体」だとも確信するわけです。


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「軍需こそデザインによる革新の真の目的」


   


     4月 13th, 2013  Posted 12:00 AM

私たちは間近に狂気の国家に苛まれています。
この国家には拉致された同胞が生きていますが取り戻せません。
それどころか、私たち国家をミサイル攻撃を加えようとするあり様です。
ここ数日苛まされています。
私は彼ら指導者だけを全滅させるべきと正直思っています。
ミサイル配備とともに、消滅させることは時代として当然です。
そして、「軍需産業は不可避」です。
ただし、原爆や原発、そして平和を謳歌した私たちは、
「新しい知恵」、すなわち、
全世界から新たな軍事手法の大変革が必要です。
それは、大量殺人をしない新たな軍事です。
軍事脅迫や軍事暴力を革新するデザインが必要だと考えます。
具体的には、命を奪う方法論を消去して、
「失神状態にて暴力の完全防止」させる新たな軍備物品の発明です。
そうした新たなデザインされたこと、
命を剥奪させない「軍需産業」を日本が提示することです。
たとえば、現在、
わが国の警官は拳銃を「警察権力のシンボル」にしています。
万一、発砲すれば裁判にかけられるほどの大事件になります。
しかし、警官は拳銃の練習では200万発の銃弾が必要と言われています。
しかし、本当に使われる銃弾=警官としての義務発砲は10数発。
もしそれを実行すれば「罪人」になってしまう国家です。
無論、押しつけられた憲法では軍隊を持っていませんが、
私たちの自衛隊は見事に国際的には軍隊です。
その軍隊が国家窮乏の時、拉致被害者になったとき、
海外で同胞が生死を軍事行動に晒されたとき、
私たちは軍隊ではないかぎり、何もできません。
であるならば、私たちの知恵は、
人命剥奪の戦争を永久に停止する新たな軍備・軍需をデザインすべきです。
専制政治で狂い果てている国家のために、
私たちは苛まされていてはなりません。
私たちは「創ることで問題を解決」していく国家・国民であるべきです。
まだ攻撃してこない狂気国家を見ながらも、
私たちは新しい軍備=殺人行動を
決して起こさせない産業化をしていくことです。


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「モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ」


   


     4月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

最近ある雑誌のインタビュー記事を校正しました。
そこで、これはもう一度メモとして残そうと思いました。
モノ=物の歴史、
それはわが国では歴史的には神の存在として語られます。
コト=情報も同様です。
モノは「大物主の命」とコトは「事代主の命」です。
そして、このことを仏教伝来に照らし合わせると、
二人の人物が登場してきます。
最澄と空海です。
生年月日説としては766年説と遣唐使説も804年に唐に渡っています。
ところが、最澄は今で言う、国費留学生ですから、
徹底的に理論を学んで帰朝してきました。
空海は、最澄の留学を知って私費留学したと言われています。
しかも、彼は仏教を学ぶとともに、いち早く帰朝します。
ここで、両者の大きな違いが芽生えることになります。
最澄は論理=コトを学んで来ますが、
空海は論理=コトとその実務道具器具=モノを、
留学費用を使い果たし持ち帰ります。
これが、以後、
天台宗と真言宗を大きく生活観を変貌させたことになります。
つまり、仏教の実務、たとえばある儀式を行うにあたって、
空海はモノを使ってコトの重大さを庶民に伝えることが可能になりますが、
最澄にはそのモノが無いために、
あらためて空海にモノの使いかたとコト=論理の表現を、
学びなおさねばなりません。
つまり、
大物主の命はモノの管理に徹しますが、
事代主の命はコト=情報操作の頂点です。
デザインは、モノの造形だけではありません。
デザインは、モノづくりとコトづくりを「かたち」化する実務です。
そういう意味では、
まさにデザインは空海のごとくでなければならないのです。
最澄のごとく、コトづくりでは世界も日常も動きません。
世界観でのコトづくりとは「制度設計」ですが、
日常感でのモノづくりとは「形態設計」にあたりますから、
デザインの真の役割は、
「制度設計=コトづくり」+「形態設計=モノづくり」です。
つまり、あくまでもモノづくりとコトづくりは、
デザイナーが空海のごとくでなければならないということになります。


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「商品力を低下させている流行マーク・小学生も信じない」


   


     4月 9th, 2013  Posted 12:00 AM

地球環境の存続はローマ会議1970年頃に大懸念になりました。
その兆候とともに、エコロジー」という概念が重大視され始めました。
商品世界において、
それは「エコ商品」とか「エコスタイル」や「エコプロダクト」として、
私も当時には、
「地球にやさしい賞」を「エコロジー商品賞」を決めた一人でした。
ブームの火付け役だったかもしれません。
しかし正式なエコ・マークは、企業の商品開発に結びつき、
当然ながら、商業主義的な「エコ・マーク」がデザインされました。
基調の色彩はグリーンであり、
対比色にオレンジ系、補助色にブルー系になりました。
ECOというアルファベットの造形要因は円形ですから、
この展開も見事に応用されました。
それだからこそ私から見れば、このマークで補完された企業商品には、
それこそ小学生ですら大懸念を持つほど、
商業主義の卑近さがたっぷりと宿っている気がしてなりません。
もちろん、デザインとしての完成度は最低レベルが多発頻発しています。
正眼の構えで「地球環境保全」に関わるなら、
あえてこのマークは使わなないからこそ、
ローマ会議以来の懸念を最も重要視しているそんな企業表現が必至です。
万一使ったとしても、もっと知性あふれるモノになっているでしょう。
正直、地方行政の多少ほほえましい程度の
「ゆるキャラ」ほどにも昇華もされていません。
つまりこのマークをさらに深度ある知性で、
まとめ直すという理知識・見識・胆識が欠落しているのを凝視します。
かえって、このマークと企業マークを合わせ見るほどに、
商業主義での「売らんかな主義」が目障りだということです。
日本企業のモノづくりで、企業マークしかなく、
さらにこの「エコ・マーク」添付商品戦略そのものが、
わが国のモノづくりを最低にならしめている、
元凶だと私は断言しておきます。
私は、もう一度、「エコロジー」についての正当で歴史ある学識的な知識を
企業や行政そのものが再確認して、
このマークのあり方を新鮮化してほしいと思うのです。


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「デザインが根付かないままに・・・」


   


     4月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

最近わが国でも流行りだしていることには空しさがあります。
まして、それが欧米で流行っているから、とか聞くと、
私は悲しくなります。
歴史連鎖性の大きな読み違えが明白です。
確かに、パリの街に「人力の何とか」がありました。
日本でも、観光地と言われる乞食(こつじき)街に出没し、
これが今後のエコロジーとかの発言や評論を見かけました。
誰もが乗れる電気自動車も街角の風景になっていました。
電気自転車もありましたが、
カメラを向ける気にもなりませんでした。
おそらく、勘違いのエコ・プロダクトとして語られるのでしょうが、
存在に、デザインの重大な三つが欠落しているのです。
機能性から美しさはありませんでした。
性能性も慌て過ぎですから、それがデザインにつながっていません。
無論、街の景観に溶け込むほどの効能性はまだ育っていません。
おそらく、行政の成せる未来性への道程であることだけは認めておきます。
だから、根本のプロダクトデザインが大欠落しているのです。
この傾向は、全世界のきわめて先進国に見かけられる現象です。
プロダクトデザイン・インダストリアルデザインが、
悲しいかな、ほんの一部のデザイナーにしか伝わっていません。
かつて、「フランスにおける日本年」1997年に、
私はフランス在日大使館の紹介で、
フランス・トゥールーズにて、「経済と文化でのデザイン」に招かれ、
作品展示と講演をしたことがあります。
その時には、デザインの役割について話をしましたが、
あるフランス商工会の偉いさんと、結局喧嘩してしまいました。
彼らの中では、まだまだ、デザインをアート扱いしていました。
それが、残存しているのでしょう。
しかし、フランスの「デザイン都市宣言」の街や、
フランス芸術大学には、「デザインでアルツハイマー病の関係」までが、
すでに論議され、その実務活動も始まっています。
デザインがこの大都市パリに根付くにはまだ歳月が必要です。
まして、パリでも流行していたから、なんてのが出てきたら、
私は見逃さずに、喧嘩師になるでしょう。


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「大学でのデザイン教育=デザイナー育成をめざす」


   


     4月 4th, 2013  Posted 12:00 AM

私は47歳で名古屋市立大学に芸術工学部が新設され大学人になりました。
準備委員会に参加後、博士後期課程設立まで10年間、
芸術工学という領域で、「健康・都市景観」のデザイナーを養成し、
札幌市立大学学長候補を辞退時には、
四つのデザイン領域を芸術工学から拡大と詳細化をしていました。
 ● デザイン理工学=理学・工学へのデザイン学際
 ● デザイン医工学=医学・工学へのデザイン学際
 ● デザイン文理学=哲学・法学へのデザイン学際
 ● デザイン政経学=政治・経済へのデザイン学際
これらの学際を産業・技術・環境・文化への構築でした。
そして、予想していなかった3.11では、
大地震・大津波という天災=地球環境の悪化と
原発事故という人災=エネルギー(水・食糧・電力)のあり方を、
私たちは突きつけられました。
私は、「デザインがまさに難問解決の学際実務」だと確信しました。
よって、防犯防災・救急救命を盛り込んだ、
形態設計と制度設計をデザインが主導し、
それは新たな国際的先進国・日本の産業文化づくりに向かうと考えました。
大阪大学大学院の私の研究室は、
「危機解決産業の創成重要拠点」になります。
そのために「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開始しました。
研究開発から実務としての新産業を起業させます。
さらに、その専門家を工学博士として誕生させたいと狙っています。
まず、大阪大学大学院の博士課程(学部生と社会人から)を
採用したいと思っています。
彼らを危機管理工学をさらに強靱にした
デザイナーであるテクノロジストに仕上げる覚悟です。
もちろん、これから危機管理に関わる産業での
商品化・記号化・情報化は、「危機管理デザインセミナー」で鍛えます。
これから、このプロモーション活動とともに、
これまでのPKD・までいProjectと、
新たな防犯防災と救急救命の装備を創ります。
インターン生を募集します。


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「本当は地味なのに」


   


     4月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

ワイフの多分趣味、あるいは実用なのかは不明ですが、
「髪留め・ヘアークリップ」のブランドがあります。
これは日本国内の有名ブランド街などで見ると、
どれだけ店舗デザインという
いわば一般的には店舗デコレーションに多額の費用がかかっています。
ところが、この有名ブランドのパリ店は、
私がこれで十分だと思うほど、
シンプルで、装飾もなく、ただ漫然としていて、
20年あまり店舗デザインが変わっていません。
だから、ワイフもこの店でしかヘアークリップを求めませんが、
私もこのシンプルさが多分、長い間に変貌していないと思います。
しかし、
訪ねるたびに、
目新しいデザイン(解決という意匠)の新作が仰天するほどあります。
一度、ソォーと彼女の髪留めのコレクションを
写真に撮りたいと思うほど見事です。
プロダクトデザイン、インダストリアルデザインという専門家としても、
「デザイン」の解決策、意匠案、装飾性のバランスを見るのです。
もちろんパリでは絶対に超高額なブランドショップも、
くまなく見ることにしています。
そうすればどれだけその店が優しくて美しいかを、
再確認することができます。
パリは美しい街ですが、車倚子には以前から、
バリアフリーになってはいますが、行動は相当に困難です。
多分、私の車倚子だから走行が出来るのだと確信しています。
これまで、入れなかった場はほとんどありませんでした。
人の手をかりなければならないこともありました。
そして、
車倚子を無視する相手にはいつも堂々と喧嘩を仕掛けました。
嫌なヤツは海外にも必ず居る者です。
そういえば、昔は、
「あなたがそんな喧嘩を仕掛けると、銃で撃たれるから」と、
現地住人の友人にひどく叱られた想いもあります。
それは、胸ポケットに手を入れた瞬間でした。
話がずれましたが、
「髪留め」という言葉、あるいは「かんざし」という日本語も、
そして女性にとっての髪留めのデザインは、
私がデザインしてみたい一つです。
きっと、これもやり出せば、5年はかかるかもしれません。
アイディアは、もう随分見てきましたし、
こんな「かんざし」があってもいいと思っているぐらいです。
そういう意味では、こうした今では超有名ブランドのパリ店、
その「地味さ」には、
真のデザイン理念があると思えてなりません。


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