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Posts Tagged ‘デザイン’


「ブランドが語りきろうとする高密度品質とは」


   


     9月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

私は、文房具というアイテムにおいても、
これだけの品質と、そのデザイン展開で「最高品」を選ぶとするなら、
やはり、このブランドになります。
私にとって、ノートはスケッチブックでもあってほしいのです。
当然ながら、大きさ、紙の高密度、
そして記録としての保存性を確認すると、
このシリーズノートはほとんど完璧だと評価しています。
だから、なかなかペンを走らせるとか気軽に使えるかというと、
高価格なモノゆえ、正直、怖いほどの緊張感がありますから、
日常的な気楽さで対峙するというわけにはいきません。
しかし、翻って考えてみれば、自分のアイディアを前頭葉に集約するには、
これだけの品格・品質・上品性をまず「目の前」に置いたとき、
自分のアイディアそのものが、
高密度な想像性と創造性を遠慮無く差し出せるものだろうか、
そのような自問自答をこのシリーズノートに、
スラスラと発揮できるかどうかに繋がっています。
結局このブランドが相当な高価格ゆえの品質への詳細で精微なモノとして、
その完成度を基準化しています。
私は、このシリーズノートには、
自信をもってあるプロジェクトの発想の原点を描き込むこと、
それこそ、
発想の決断を自分に問い直している自分自身に出会うことができます。
ブランド、それは「牛の焼き印」が原意でしたが、
現代では、企業メーカー・作り手が、
ユーザーにこの品質・品格・品性を問い詰めてくるのです。
ということは、ブランドが提供しているのは、
安易な「使い易さ」では無いということです。
<あなたは私たちの商品を手に入れましたね>
<さあ、あなたはコレを使いこなす決断を持っていますか>
<私たちがこの商品に託していること、理解できますか>
これほどの世界観を突きつけてくるのです。
ブランドが創出すべき最も重大なことは、
単なる性能や機能や効能だけでは無いということです。
自分の物欲を果たそうとする決断、「覚悟」までを問いかけているのです。
それだけの「モノづくり」こそ、ブランド、
その存在性の証こそ、「焼き印」なのです。


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「やっぱり、チュッパチャプスにもどる」


   


     9月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

金平糖、チョコレートと書いてきたら、
何度も書いてきましたが、このチュッパチャップスに戻らざるをえません。
なにしろ、これは武器です。
詳細は以前にも書いてきましたが、
私の居場所にはすべからく置いています。
ポケットには必ず2つ入っていないと不安になるほどの代物です。
あらためて写真に撮ろうと思っても、
これがなかなか思うようにいかないほど、
ある種の存在感があります。
プレゼントで本当に山ほどいただいて、
賞味期限切れになりましたが、大丈夫です。
飛行機に搭乗するとキャンディをもらえますが、
あの手よりもキャンディはコレが極めつけです。
しかし、私論的には、武器ですから、飛行機に乗せてはダメでしょう。
だから私も飛行機には持ち込みません。
私は、外出時にどうしても気分でカバンを様々に変えますが、
そうしたら、すべてのカバンには必ず入っていて、
それらが賞味期限切れになっていましたが、
どこまでが賞味期限切れなのかを試してみたい衝動にかられます。
私は、金平糖にしろ、チョコレートにしろ、
このチュッパチャプスにしても、
新たなデザインが可能なのかと思っています。
理由は、
賞味する対象物へのデザインはありうるのだろうかということになります。
なるほど、金平糖の完結な美しさ、種々様々なチョコレートの美は、
それなりの専門家領域の伝統的な技の結晶です。
けれども、この伝統を変えられるデザインは必ずあると思っていますから、
次世代に、金平糖もチョコレートもチュッパチャプスも、
デザイン対象にしてほしいのです。


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「チョコレートの決定打は決まっている」


   


     9月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

私の世代はMeijiの板チョコで育ちました。
だから、どんなチョコレートも私は受け付けませんでした。
それが信念というものです。
そのパッケージは亀倉雄策デザインでしたが、
最近、パッケージが変わってしまってから、
私のチョコレートへの感覚は一挙にそれこそ「革新」したのです。
チョコレートといえば、もうブランド定番があります。
そして、「大人の味」といえば、ともかくカカオ70%以上でしょう。
そして、ブランド定番では、
必ずこの72%は欠品になっていることが多いのです。
もはやミルク系31や72%ではもの足りません。
せめて74%以上でなければダメになりました。
これはほとんどクセになる苦みが必要になってしまっています。
そして、最近はとうとう100%です。
スタッフからもそれは苦すぎるとか言われますが、
「子供だな?」と言ってしまいます。
正直、最初はこれは薬に近いと思っていましたが、
まったく、身体が受け付けてくれるのです。
ということで、
100%が最も身体にも効いてくる
チョコレートの核心だと思うようになりました。
本当は、60を過ぎたら葉巻にしようと、
若いときにはパイプタバコに拘っていました。
でも、チョコレートはMeijiの板チョコ以外は、
たとえ高級ブランドの海外物であっても、
私にはほとんど味覚的な楽しみは皆無でした。
そしてMeijiのパッケージが正直、私には馴染みがすっかりなくなってから、
様々なチョコレートを試してきた結果が、カカオ100%でなくては、
チョコレートではないとすら思うようになりました。


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「博士号学位取得論文が一段落」


   


     9月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

昨日、いつものICD(除細動器)の定期検診を受けました。
エピソードと言われている心臓への機器異常は皆無でした。
良かった、というよりも、
今年度から博士論文指導では、
特に、Skypeで二人の学生はもとより、
研究室の学生までを罵詈雑言の限りでした。
「バカモン、何をやってる!」何度、怒鳴っていたでしょうか。
しかし、何も心臓異常は起こっていませんでした。
「パワーハラスメントでもなんでも構わん、
ヤレと言ったらやり通せ、その資料も読んでないのか」、
これをどれほど言うかというより叫んできたかわかりません。
『造形言語と形態言語によるデザイン造形の数理的解釈論の考察』。
『糖尿病を対象とした医工連携の問題解決による先端的デザインの研究』。
この二つが二人の学生それぞれのテーマでした。
デザインと言語的な解析を記号論と数理科学的な分析を試み、
もう一方では、
480万人の糖尿病患者はやがて2000万人と言われる健康問題へ、
医工連携への現実的な解決から未来的な解決のデザイン提案研究でした。
ようやく、私の研究室テーマである、
先端的かつ学際的なデザイン手法と医療系との融合を
二人の学生が専門家として、博士号学位論文にまとめました。
まだ、これからは博士前期課程の学生、その修士論文指導が始まります。
夜中であろうが、常に、
Skypeは繋ぎぱなしで私の怒号を彼らに与えてきました。
少なからず、私のデザイン活動はそろそろ幕を下ろす季節になりました。
私の社会的・教育的役割は、
これまでの知識と経験をできる限り語り尽くすことになっています。
これからこの準備原稿は
3名の副査教授のこれまた厳しい検閲が始まります。
それは主査である私自身が詰問されることです。


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「高層は50階以上がいいようだ」


   


     9月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

私の自宅は32階建ての最上階にあります。
バカほど高い所が大好きだ、ということの自分証明です。
名古屋でも9階建ての最上階に住んでいました。
上に誰かが住んでいるのは生理的に嫌なんです。
理由は書くことがはばかれますのでやめておきます。
来宅される皆さんは確かに景観の素晴らしさを誉めてくれます。
しかし、32階ですから地上100mであり、
上町台地なので標高では120mです。
32階程度では、遠景はそれなりにいいのですが、
近景を見ると、まったくダメです。
それは日本のビルディング建築が
いかにいい加減であるかを見せつけてくれます。
だいたい、7階以上のビルの屋上がまったくデザインされていません。
これは、クーラーの裏パネルや液晶TVの背面が、
まったく手抜きデザインしているのと同等です。
かつて、冷蔵庫の裏側がまったく平面になったとき、
ようやくそれは壁際につける必要がなくなりました。
私のデザインしてきたモニターや液晶TVは、
絶対に正面より背面を美しくすることを心情にしてきました。
ビルの屋上にこそ、建築の本当の気配り設計が具体化されています。
高層に住むならば必ず50階以上だと、
景観上、近景のビルの屋上もほとんど見えません。
自宅からは夕日が沈んでいく遠景が見えます。
そのあたりがふるさと福井方面です。
明石大橋も望めますが、すぐに近景に目を落とせば、
がっかりしてしまいます。
出来るならば、地上500mぐらいに住みたいです。
そうなれば、「天」は間近に存在していますから。


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「いつも見かける私の作品はすでにアノニマス」


   


     9月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

私は国内はほとんどANAを利用しています。
幸いなことにANAのカウンターでは、
かつての私の作品・モニターが使われています。
EIZOでのモニターは、病院でも、阪大病院も、
名古屋市立病院でも使われています。
私の作品ですがこれらはすでにアノニマスデザインとなって
社会に溶け込んでいます。
メガネフレームなどは、ブランド名になっていますが、
こうしたアノニマス性を獲得していくデザインが、
インダストリアルデザイン職能の社会的な大きな役割です。
現在、いわゆる工業デザインは
日本では特に低迷状況であることは否めません。
確かに、このモニターをデザインした頃は、
国内はもちろん海外への貿易においても、
日本製・made in Japanは力を持っていました。
次々と製品企画・開発計画を提示し、
製品開発から商品化の連続性は多忙でもあり、活気も十二分でした。
しかし、現代日本の特に、家電や情報系のプロダクトデザインは
韓国や中国の追撃を受けています。
そのためか、大企業ブランドの終焉が始まっています。
3、4年前から、デザイン部門が、
現在の危機予測をしていた企業もあります。
そして事態はもっと深刻になっているようです。
3.11はその決定的な打撃を与えました。
戦後、高度経済成長とともに、
日本の工業デザインは世界を圧倒してきました。
今、わが国の大問題は三つあります。
1・自然災害大震災への対策問題
2・領土問題
3・拉致問題
この三つに取り囲まれながら、
経済性においては貿易製品の充実化を果たしていかなければなりません。
やがて、
空港カウンターや病院から、私の作品が消える日が近づいています。
工業デザインの「アノニマス性」が世界No1であり続けることこそ、
日本が生きのびていくことです。
やがて、私もリタイアしていきます。
次世代に語り残したいことを緊急に進行展開しなければなりません。

*写真左:ワイフが搭乗手続きをしています。


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「オフィスチェアの進化の座り心地」


   


     9月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

わが家にあるワーキング用のオフィスチェアです。
私は車椅子生活になって、
本当に椅子の座り心地は「特殊な検証」が出来るようになりました。
まず、バランス保持は健常な人とはまったく違います。
というより、バランスをとることは、
リハビリのトレーニングで出来るようになりました。
このトレーニングが出来なければ、倒れてしまいます。
バランスをとるというのは「身体保持機能」に直結しているわけです。
つまり、健常な人は気軽に椅子に座れますが、そうはいきません。
だから、身体をどこまで保持してくれるかは
デザイン効果の程度が明らかになるということです。
次に、寄りかかってのいわゆる座り心地は、
背もたれへの圧迫感が身体に戻る力を確めます。
さらに、肘かけは身体保持のバランスと背もたれの性能性で
機能的な座り心地が決定するということです。
そういう意味では、選び抜いているのがこの2脚のチェアです。
特に、ハイバックの「イプシロン」は、マリオ・ベリーニのデザインです。
彼の最初のオフィスチェアは、
車椅子になったので選んだモノは大学で使っています。
それは皮革仕様では最高級ですが、
「アーロンチェア」が大ヒットして、
素材性能や細部の調整が当たり前になり、
この「イプシロン」に進化したものと判断しています。
特に、パソコン作業をしっかりと支援するには、
「ヘッドレスト」のデザインには細部への拘りが必要です。
ともかく様々な椅子を見てくると、
感触的にも「座り心地」という性能がデザインに直結しています。
私のような車椅子に座っている人間には、
もう一つの検証方法があるという紹介でした。


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「スタートレックという未来考古学のメディア」


   


     9月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

「スタートレック」は1969年の月面着陸が一つのイベントです。
しかし、このストーリーは、
そのまま20世紀から31世紀までの歴史を遡及することにあります。
ストーリーは1944年からスタートしシリーズ構成されていて、
この熱狂的ファンをトレッキーと呼んでいます。
そのトレッキーにとって、シンボルが「コミュニケーター」であり、
これが現代の携帯電話の原型・アーキタイプと言っていいでしょう。
私は、携帯電話のデザインにも取り組んできましたが、
最終的なモックアップモデルは、ソニーに向けてデザイン開発しました。
ある時期にはドコモで、「ドコモスタンダード」という
人間工学関連のマニュアル開発を一年やりました。
そしてFOMAの登場を見越してデザイン開発をしましたが、
当時のドコモトップたちにあきれ果てプレゼンを会議途中で放棄しました。
彼らは激怒していたようですが、
案の上、彼らが「ガラパゴス化」したのです。
以後、ソニーからの特別依頼でケータイをデザインしました。
その直後にスマートフォンが登場しましたが、
私には未だに不満が残っています。
なぜなら、「スタートレック・コミュニケーター」、
この示唆していた夢は未だに開発されていません。
これは「コミュニケーター」のガジェットに過ぎませんが、
まさに、20世紀から31世紀まで、
そのエピソードが集中している26世紀を挟んで、
すべて考古学的な視点、つまり、私はこれを未来考古学、
その編年体の中に存在するツールやメディアにこそ、
人類の夢、
人類のとめどない想像力がいっぱい存在していると思っています。
だから、コミュニケーター?スマートホン?ケータイを遡及する、
真摯な態度がデザイナーには必要だと考えています。
iPhoneアプリで、このガジェットそのままがありますが、
デザイナーはここからも大きなヒントを得るはずです。
サムソンとアップルの訴訟問題も、
ここから傍観すると実に想像力にとってはつまらない問題です。


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「商店街・地下街は壊れていくのかもしれない」


   


     9月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

大阪に来て以来、京都の地下街は私の遊び場になっています。
しかし、日本全国、地方の商店街、そして地下街も,
年々、その活性度を失ってきていると思います。
この京都の地下街は、来る度に商店の入れ替わりが多く、
大きな店舗である書店や洋品店などは縮小されていくのがよく分かります。
私は、フリーランスになって地方のデザイナーとして活動をしてきました。
だから、当時から地方都市と大都市比較を様々に調べてきました。
当時、大都市の条件を決めていたことがあります。
地下鉄があること、
地下街があること、
そして、著名なチェーン店舗があることや
競合しあうデパートがいくつかあることでした。
そこで、地方の商店街も
それなりの「地方色や伝統性」などの存在価値観の有無、
これはかなり重要な要因でした。
そんな大都市の商店街・地下街と
地方の商店街はすでに同等に寂れ始めていると言っていいでしょう。
これはデパートの存在価値が失われてきていることとも連鎖しています。
結局は、ようやく21世紀でのすべての街存在のパラダイムが
大変革し始めていると考えるべきでしょう。
大阪も最近は、デパートの新築や新たな駅前開発がありますが、
私は未来性を見通していないことを残念に思って見ています。
さて、先月、この京都地下街はいくつかの店舗が改装中でした。
今回新装開店されていたのは、
100円ショップやマッサージ店やネイルサロンなどでしたが、
大きなアクセサリーショップなどは店仕舞いされていました。
社会風潮がそのまま地下街に反映しています。
京都は観光都市ですが、
その観点からは金沢の地下街のような「京都らしさ」は皆無です。
地下街には絶対に店舗を構えないというブランド店舗があることは、
ある種のブランド・アイデンティティ・デザインポリシーです。
それでも、
この地下街から寺町通りへの観光プロセスが全く思慮されていません。
そして、今、最も恐れることは、
地下街にまでおよぶかもしれない天災への
防災対策デザインがあってほしいということです。
商店街・地下街は今世紀には大変革してしまうことを想像しています。


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「USBからワイヤレス化と電磁波空間」


   


     9月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM

明確に記憶していますが、
レガシーインターフェイスからバスインターフェイスが汎用化される。
こんな情報を1993~4年頃に、
当時、EIZOモニターをデザインしていましたから、
私はとても興味と期待を持って待っていました。
USB=Universal Serial Busになって、
本当にPCはじめデジタル機器のコードコネクションは便利になりました。
最近は、miniUSBやmicroUSBでコード・マネージメント、
これはEIZOブランド商品で私が提示しましたが、
おおよそ、この写真にあるようにほぼ5種程度でいいようです。
無論、
私にとってはオーディオ用のUSBコードの進化に最も注目しています。
USB性能の進化は、転送速度と機器間の相性問題があります。
だから、安易なコードがUSB3.0といえども、私自身は信用していません。
オーディオ用のUSBケーブルが、miniやmicroになり、
しかもノイズ対策が完備してほしいと思っています。
機器設計デザインの立場だと、
microUSBが基盤実装上でも効率的なレイアウトが可能です。
つまり、データー転送の信号ケーブルと電源コード、
ローパワーデバイスとハイパワーデバイスだけでなく、
さらに、
各種機器間のコネクションケーブルになってほしいと思っています。
しかし、将来は、USBコネクションもワイヤレス化が望まれますが、
これも空間の電磁波問題は、まったく見通しもついていません。
私としては、このUSB進化の系譜が
そのまま「医療機器」のコードコネクションをまず完成させ、
そのワイヤレス化、当然電力デバイスへの進歩であり、
この時の電磁空間が与えるであろう人体への影響です。
私には、ICDが身体に埋め込まれていますから、
電磁波空間は生死に関わっています。
明言すれば、
電磁波空間も放射能空間も同次元・同位相なのかもしれません。
考え過ぎかもしれませんが、
それでもUSBは大きな進化だったことは間違いありません。


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