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Posts Tagged ‘デジタル’


『K7の最高機種デザインはAurexデザインだった』


   


     9月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

「K7」、フランスでは「K=カ、7=セット」の表現でした。
カセットテープとLPレコードに私はデザイナー初期の頃には
最も関わっていたと思います。そしてもはやそのソースは伝説です。
これがカセットでは最高のモノ、TDKメタルカセットテープです。
しかし、TDKの商品ですが、デザインは東芝オーレックスチーム。
当時のKチーフは、Aurexブランドのために引き抜かれて、
私の直属チーフであり、私のようなどうしようもないデザイナーの
わがままを見護ってくれていました。今も恩師の一人です。
オーディオデザインにとって、最大の敵はS/N比でした。
アナログ信号に対する雑音比の問題です。
今となると、デジタルはそのS/N比消却だけであり、実際は、
信号をとりまいている雑音に安らぎがあったのだと思います。
カセットテープにはモーターだけでなく、テープそのものにも、
振動系が被さってテープの雑音制御が必要でしたから、
テープ重量と回転振動系をアルミ無垢材で物理的にも押さえ込む、
この方式開発はチーフ指示がありそのモデル化図面化をしましたが、
テープ製造はTDK発注となり、結局このデザインを売却したのです。
Aurexブランドに出来なかったのは、上層部の判断でしょうが、
若気盛んだった私が噛みついていましたが、チーフは大人対応で、
「デザイン権売却」を成功させていました。
だから私は以後のカセットテープはこれを使っていたようです。
フリーランスになってからは、カセットテープ関連を
様々に商品アイテムを開発してヒット商品を出していました。
車イス生活でふるさと福井にいた頃、貧窮すると必ず東芝から、
デザイン依頼がありましたが、後になって、それはすべてKチーフが
私を助けてくれていました。
あるとき、私がタケフのナイフ開発の頃、チーフはその出来映えから
「カワサキ君、これで君は必ず復活してくるよ」と励まされました。
時折、私の講演会を最後尾で聴いていただいています。
チーフが私に、
「そういえば、君には金の儲け方を教えなかったね」と
言われたことがありました。彼は幾つかの企業を成功させています。


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『パソコンの小さな歴史の物語り』


   


     2月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

パソコンの登場とともに私の生涯には、MacとEWSがありました。
ともかくデザインツールとしてだけではなく、私の感性の中で、
コンピュータの進展とともに、その功罪を分別してきました。
したがって、コンピュータ・デジタル・ネットワークとは、
特に自分の青春が終わったと意識したときから、
大きな歴史と小さな歴史を体験してきたと思っています。
ちなみに、自分の青春の終わりはジョン・レノンの暗殺でした。
東京を離れてふるさとに帰り、伝統工芸とパソコンがありました。
パソコン、特に、Macintoshとの小さな歴史には、
大抵の人にとってはそんな時代もあったかという物語りです。
3.5インチのフロッピーディスクの時代がありました。
1980年代の教え子が聞いてはいたけれど初めて見たということで、
私はとてもびっくりしたことがあります。
3.5インチのフロッピーディスクの時代には、
ブルーのディスクが黒になり、
突如、カラーのフロッピーディスクが登場しました。
それは、無機質になろうとしていたパソコン周囲が煌めきました。
そんな小さな物語りをいくつも私は体験してきた気がします。
それこそ、私がオーディオ機器のデザインだけではなく、
オーディオアクセサリーデザインにも一杯取り組みました。
本当は大きな物語りの歴史が社会にある以上に重大なことです。
それは小さな物語りを創ってきた人物との出逢いと深い関係、
それこそ人生の偉大な思い出だったのだと思います。
「川崎さん、これ実現したよ」とカラーフロッピーがありました。
まだベンチャー企業と騒がれることもなかった時に、
その企業は様々な闘いをしていました。
そして、私の活動をまったく目立たずに根本を支えてくれました。
同年代のそんな企業のリーダーが逝ってしまいました。
体調的には無理をして、大阪にまで逢いにきてくれたのでしょう。
彼が私に期待してくれたことをやり遂げるつもりです。
「まだいっぱいやることあるのに」と、すごく無念です。
小さな物語りをいっぱい創ってくれたからこそ、
大きな物語りが成り立っていたことを私は熟知しています。
もう一度逢いたいよ、Kさん!


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『ネットワークの保全として「暗号」の再デザインを』


   


     1月 29th, 2014  Posted 12:00 AM

子供の頃第二次世界大戦の物語りを面白く読んだことがあります。
父は7.5年も従軍していましたから、その物語りを
ただ面白がっていた私、このことをどう考えたのだろうと、
そんなことを最近はよく考えます。
中でも、「暗号合戦」の話でした。
「紫暗号」という日本ならではのこれは武器でした。
そして日独海軍共用の「エニグマ暗号」がありました。
この暗号を解読した数学者の思考が現代につながっています。
暗号と現代は、そのままインターネット回線での秘匿信号です。
「デジタル」をその原意から再検分すると、
「指折り数える」という行為であり、その進化拡張なのです。
とりわけ、最強の暗号といわれた紫暗号の解読手法、
あのエニグマ暗号の解読がチューリング博士であったことは、
1980年代に入って見事に、三人のコンピュータ科学者に連続。
リヴェスト、シャミア、アドルマンであり、
彼らのイニシャルを使った「RSA暗号」こそ、
現代のネットワーク回線での二つの手法になっていることです。
簡単にいえば、「開閉の閉記号」は誰もが使え、
「開閉の開記号」を管理という二方法がインターネット方式。
しかし、私はこの領域であっても数学的思考だけの脆弱性があり、
この方式にこそ、デザイナーの関与がこれからは必然でしょう。
解説をしていくには、多分、私のデザイン経験から、
詳細にまとめ直す必要があるとつくづく考えるようになりました。
それは、パスワードを使おうが、
どのような個人的なデータ秘匿の管理方法でも必ず解かれます。
「デザイン数理学」と言い出していることには、
まだまだ時間的な進化要素を整理しなければなりませんが、
私は「プライバシーと情報」をデジタル発想でまとめ直すとき、
ともかく、新「暗号」の改革にはデザイナー発想が必要だと、
主張と強調をしておきます。


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「記号はNetworkとServerと私たちのimageに存在する」


   


     11月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

三つ目の波が「情報革命」でした。
その革命によって、
「情報化」・「情報」はNetworkによって繋がっています。
もっとも具体的なNetworkは、「インターネット」であり、
それはwww-server、
あるいはName Domain Systemとして地球に覆い被さっています。
1970年代から、今日の情報社会までの急激な変貌は、
私たちの意識まで変えてしまいました。
結果が、端的に
「情報=知識・意識・諜報・案内」というコンテンツとして、
私たちはもう一つのコミュニケーション方法として手に入れてきました。
しかし、功罪相半ばを認めておかなければなりません。
おそらく、世界中の人が毎日、
電子メールを読み、インターネットにアクセスしています。
「ユビキタス」時代は、すでに「クラウド」時代に突入しています。
そして、その基盤であるデジタル処理が、
Serverによって、管理と運営と維持されています。
私はその基本程度は常識として知っておいてほしいと思っています。
数年前に私はコンピューター企業の代表的企業後援の講演で
「コンピューターが消える日」を通告したことがあります。
その時以来、よく質問をします。
「サーバーって何種類あるのだろうか?」、と。
大学院生ですら知りません。
すでに彼らは幼少の頃にはもう日常生活にパソコンは存在していたのです。
私が、ここに掲げているサーバーには、それぞれの役割があります。
せめて、その役割程度は常識にしておいてほしいと思っています。
なぜならば、
私がこのところ
「記号」・「記号化」・「記号学」・「記号論」を持ち出しているのも、
実際は、自分をパソコン能力に喩えれば、
自分の脳内にこの五つのサーバーが、
その人の能力そのままのスピードとメモリーで構成されているからです。
「頭の回転が速い」とか、「知識の箪笥引き出しが多い」というのは、
まさにサーバーになぞらえることが可能です。
それは、あなた自身のイメージのサーバーも、
この五つに必ず分類することができるでしょう。
なぜなら、私たちが共有しようというイメージが「記号」であり、
その「記号」の存在野=存在装置がサーバーだと言ってもいいからです。


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「kobo Touchから見えてくる『青空文庫』の偉大さ」


   


     8月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

電子書籍はなんといっても
評価すべきは「青空文庫」の存在です。
88?90年代、HyperCardの出現時にこの「青空文庫」が登場してから
これまでの活動は大評価すべきデジタル図書館と言っていいでしょう。
そして、日本の出版業界は
大手出版社・出版流通制度に縛り付けられていて、
「デジタル文化」をガラパゴス化したと私は指摘しておきます。
そして、楽天はカナダ・kobo社を傘下にして、
ようやく「電子リーダー」を商品化しました。
ところが、私も購入して大落胆せざるをえませんでした。
批判をしたいとは思っていません。
なぜなら記述すれば、それは「非難」になるものと考えます。
これでは、日本の書籍のデジタル流通を
またまた台無しにしてしまった商業主義そのままだからです。
商業主義であってもいいのですが、問題は、
読書文化を踏み台にして「利益獲得商品」にすぎません。
まだ救いになっているのは、
「青空文庫リーダー」として成立しているということですが、
青空文庫1064冊/11407冊収蔵までしか読めないことが
商品背景に電子書籍データが不完全なことを示しています。
商業主義だけ出版社などは読書冒涜も告白愚弄の有様表示。
私の領域、プロダクトデザインとして評価すれば、
順当なデザインと言いたいところですが、
背面の造形処理などはアマチュアだと指摘しておきます。
読書中の掌的触感は無視されています。
つまり、デコレーション処理造形では「滑りやすくグリップ感』無し。
最もKindleはじめほとんどがこのグリップ感を実現化していません。
願わくば、これはイニシャル商品です。
そして、電子書籍リーダーのシステムは完備し始めたところですから、
第2弾商品は、
「日本ならではの国際的商品化」を絶対に目指してほしいと願います。
「自炊」を個人的、研究室的に進めています。
私たちの「自炊ライブラリー」は、
仲間内的にはさらに大きくしていくつもりです。
今回、kobo Touchは、クレームが多発しましたが、
それはみんなが電子書籍リーダーを渇望しているからです。
むしろ「青空文庫」はまさに裏方として、
本当に日本の読書体系を地道にデジタル化してきました。
私は、「青空文庫」こそ、
すでに書籍のデジタル化を見据えてきた偉大な活動であり、
このことをもっと称讃すべきだと思っています。
kobo Touch2に大きな期待を持っています。
少なくとも印刷書籍形式とデジタル書籍は
「読書文化」として共存していくことが望ましいと考えています。


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「ISOTでの勘違いを発見」


   


     7月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

今年の文具展は一つのエポック的事件でした。
二つの事件がエポック性を語っていました。
1 アナログとデジタルとの融合が開始されました。
2 二極化スタートの芽生えかも。
まず、デジタル文具が様々な形式で登場してきました。
文房具としてのデジタル化とは、
そのようなシステムは長続きするわけがないという商品の存在です。
それをビジネスニュース番組でも、
「未来の文具」として取り上げているのです。
それはTV報道全般が最近では、
裏付けの知識が欠落していることと連動しています。
「未来の文具」をまったく会場で見つけていないことです。
その商品では無くて、
これが「未来の文具」という見立てが出来ないのです。
アナログ的文具性をデジタル文具との関係で見極めていたのは、
やはり、グランプリになった二つの商品です。
「書く」という文具基本を重要視した二つのノート形式です。
一つはラグジュアリー価格で「書き心地」を世界最高にしたノート。
これは機能性だけでなくて、日本の文具を二極化、
やっと日本の文具の付加価値性を高めていくスタートになりました。
もう一つは、「書く」ことの意味性=アナログ感覚を
デジタル文具に対決化させたノートです。
比して、デジタル化を中国で、
本当はアナログ作業なのにデジタルに見せかけているノートですが、
これは相当なる勘違いであり、海外労働力だけを頼った商品、
文具文化、たとえば情報の垂れ流しは国防的にも大変に危惧されます。
私も使ってみましたが、この高額商品は今後進展しないでしょう。
もっと、
デジタル化をすっきりとさせているメモノートの方を私は選びます。
もう一つは、OEM発注していて、
自社ブランド商品にしているにも関わらず、
その製品の素晴らしさを理解していないブランドが散見できました。
これも勘違いです。
結局、ユーザーの厳しい商品選別眼に、
文具メーカーや文具ブランドは気づいていないということです。
日本の文具がもっともっと貿易輸出品になっていくには、
このエポック性を
再吟味することを文具業界に伝えておきたいと思っています。


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「2012『日本文具大賞グランプリ』は書くことの再確認」


   


     7月 5th, 2012  Posted 12:25 AM

第23回国際文具・紙製品展=ISOTは盛大でした。
今年度の文具大賞は、ひとつのエポックだったと思います。
私は審査委員長として、次のことを総評として表彰式で述べました。
アナログとデジタルの融合がスマートホンで開始しました。
文具メーカー(作り手)より、ユーザー(使い手)は、
明確に、自分の日常での文房具のアナログ生活と、
スマホやPC、デジタル生活を身体的に、
能力認識として使い分け始めたことです。
それはグランプリが機能部門もデザイン部門も「ノート」。
つまり、結局は「書く」という行為に、
文房=記述・記録・筆記を決定していることでした。
私は、紙と文具において日本はトップだと確信しています。
それだけに、Made in Japanを体現している業界です。
ただ、欧州のブランドメーカーに比べれば、
低価格商品が多すぎると私は常に思ってきました。
しかし、機能部門グランプリ=Premium C.D. NOTEBOOKは高価格で、
シルクのような紙質面と書き味は世界でトップでしょう。
日本だから、日本の紙質だから、という技術言語になっています。
さらに、デザイン部門のデイリー・プランナー“エディット”は、
日常的なメモがスマホゆえに、
あらためて、一日1頁への記述を大切にという製品企画が見事に、
現代的なアナログ性とデジタル性との使い分け、
「書く」という行為ゆえに、
一日をどう生きたかということまでを商品言語にしています。
ともかく、取材マスコミも格段に増加し、
国際展の風格が育ってきました。
まさに「文具は日本がトップ」ということを
会場いっぱいに活気がみなぎっていました。


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「私のマサカのデジジャラ」


   


     4月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

ケータイのデジジャラ。
すでにデジジャラという言葉は死語です。
デジジャラというのは、
ケータイ電話に様々なアクセサリーを付けることでした。
おそらくデジタルなモノに対する、
 「自分用」の明示性への願望なのでしょう。
かつて私は面白がって、ドラえもんのケータイに、
これほどキティちゃんグッズがあるという見本をつくったことがあります。
どれほどケータイアクセサリーになりうるかを見極めておく、
資料になりました。
本来、iPhoneにはカバーもつけるべきではないデザイン、
それがApple Designのデザイン意図として明快です。
しかしやはり、ケータイもスマホも、
「自分用=MyType」にすること、
それが人それぞれ、
自分用表現を望んでいることは一般的なことなのでしょう。
3.11後、「ふだん」と「まさか」というwebsiteを研究室でつくっています。
それは「まさか」の非常時に何を持ち出すべきか、
「ふだん」身に付けておくべき最小限のモノを情報化しています。
なんといっても、スマホは必要です。
スマホに健康保険証や運転免許証まで取り込んでおけばいいわけです。
それに最低限はホイッスルと印鑑です。
そこで、私は様々なホイッスルからLEDライト付きを選びました。
そして、印鑑も最も小さいモノとさらにedyカードを付けています。
日本人にとって印鑑は必要不可欠なモノになっています。
印鑑の歴史は日本人のルーツに関わる文明文化的な歴史性があります。
3.11のあの非常時に、
一番無くて困ったモノが、行政的な手続きで印鑑だったということです。
というわけで、現在私のiPhoneはこのスタイルになっています。
私は、自分なりの「ふだん」と「まさか」のデジジャラを
デザイナーとしてそれなりに考えると、
そこに次世代スマホの形式があるものと判断しています。

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「手描きスケッチのツール」


   


     10月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

私のデザインは「スケッチ」で始まります。
「スケッチ」は、手描きに終始しますが、
「手」で発想しているという感覚は身体化しています。
手が「脳」になっているという感覚です。
そして、iPadでのスケッチもほとんど身体化しました。
ソフトはSketch Book Proですが、
これまで鉛筆・ボールペンの感覚がスタイラスに届かず、
スタイラスの自作から、ほとんどのスタイラスを試し、
さらに改良をしてきました。
デジタルペンも市販されているすべてを試しました。
最近、WacomのInklingとO-Stylusで、
iPodとMacbook Air 11″がすべて連動して、
「スケッチ」は手書きからデジタルにほぼ連動しました。
ともかく自分の持ち物すべてに幼稚園児のごとく名前を入れ、
「青色病」とワイフに言われるほど、
持ち物は青色に拘っています。しかも名前を入れます。
スタイラスとデジタルペンについては、
さらに深く伝えたいことがあります。
「スケッチ」と「草書」をほぼ、私の身体感覚で、
手から平面に移行させるには、様々に工夫と訓練もしてきました。
書道は父の指導でそれなりに草書もマスターしています。
本格的な「草書体」で手紙を書いても読むことがすでに困難です。
しかし、「ひらがな草書」は「スケッチライン」に、
確実に繋がっていると私は思っています。
しかも、Inklingは、デザイナーが最も望んでいたツールです。
紙に描いたラインの「カスレ」が見事に反映します。
タブレットより、ともかく紙にボールペン感覚で、
確実にそのスケッチは、パソコンソフトにリンクします。
これなら、老後は「スケッチ三昧」で過ごせそうです。
しかも、書道も、スタイラスでほぼ確実に、
身体化している筆先とiPadに再現が可能になりました。
「草書」は子供の時に父が、
とても厳しく指導してくれたおかげです。感謝しています。
ジョブズ氏が「カリグラフィ」を学んだことが、
彼の美学的感覚を磨いたのだろうと思います。
私もカリグラフィは、美大時代に鍛えられました。
ともかく、カリグラフィとは「美しい文字を描く」ことです。
よって、日本人にとって書道での「草書」を書く行為、
それは「スケッチ」でのライン描きにぴったりと連結しているのです。
ともかく、「スケッチ」や「書道」などのツールは、
すべて収集しなおかつ、
すべからく使いこなしてしまいたいほどです。

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「資本主義からの逃走」
  「再生音源形態の進化と進歩に可視化を再確認」


   


     2月 4th, 2011  Posted 1:52 AM

進化・進歩
進化と進歩には違いがあります。
進化とはevolutionであり、
進歩とはadvanced、progress、improvementです。
和英を対照化すれば違いのニュアンスがわかると思います。
音源は、エジソンの蓄音機からスタートしました。
これは円筒形に刻まれた振動を再現する装置でした。
これがEPやLPというレコード盤に進化しました。
テープに音源が記録と再生のテープレコダーは、
カセットテープに進歩します。
CDも登場します。これは進化でした。
ところで、CDが直径11.5cmは、カセットテープの対角線と同じです。
これは人間が親指と人差し指で挟める幅の長さになっています。
ここで、最初のエジソンの「円筒形」を基本に見ていくと、
次のようなことが「形態発生論」的に見つけることができます。
円筒形を細幅テープ状にしたものが、テープ、カセットテープに進歩しました。
円筒形の断面が円盤です。
この円盤に溝があるのがレコード盤に進歩し、
円盤にデジタル信号が配列されたのがCDという進化でした。
そして、音源はこの形態発生的に大革新が起こりました。
これがシリコンメモリーです。
音源の進化と進歩は、物質形体の円筒形・テープ・円盤に、
アナログとデジタルの配列で、決定されてきたことになります。
見えなくなる・かたち
これらの形態的な配列は物質上で進化と進歩が、
歴史的に連鎖してきたわけです。
そうして、デジタル配列が物質を離れて、「情報化」されたとき、
音源は、すでに「見えない存在」になってしまったということです。
私が、あらためて、進化と進歩をもう一度確認する事例を「音源」の系譜で再確認しました。
物質・情報・エネルギー、
それぞれに「可視化」と「見えなくなるかたち」を追いかけてみたいと考えています。


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