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Posts Tagged ‘ニュートン’


『水彩画で、きっと(高額の)画家になるのです』


   


     3月 16th, 2019  Posted 12:00 AM



水彩画が一番得意だと思っています。
どうしても、アイディアスケッチばかりを描いていますから
とっても微細な水彩画が、段々描きたくなってきました。
いわゆるハガキに四季折々の花や果物などを
スケッチで描いていると、時間をかけて、
どこまで描けるか試したくなります。
その時には、このニュートンの絵筆一本で描き切るのです。
油彩画は一枚も描いた経験はありません。
美大受験の時にはギターペイント一式で受験しました。
何も知らず、同じ受験生から練り消しをもらい
デッサンと水彩画の描き方を直前に教えてもらいました。
その彼も合格し、今は親友、帯の作家です。
1年生の時は、デザイナーを目指す級友たちと比べ
絵から何もかも下手で、父が大学から呼び出されました。
大学を辞めて、浪人しもう1度医学部を受けろ、と
父からは、怒られ、そして叱られました。
主任教授には、夏休みに40枚風景画を描いてきなさい、と
課題をもらい、失意のなか43枚描きました。
市内、河原、漁港、山の入り口を描きました。
そのことをとても思い出しますが、この鍛錬で覚醒しました。
そして、3年も4年ではデザインの課題がとても嬉しかったのです。
43枚の絵を仕上げた私に、教授は言ってくれました。
「才能がある。やがて、スケッチでも暮らしていけるよ」、と。
色鉛筆でのスケッチ画もありますが、
高額の水彩画も書き残したことになるでしょう。(笑)


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『絵手紙ではない、スケッチ程度で写実的な手紙の絵筆』


   


     3月 15th, 2019  Posted 12:00 AM



時間があれば、最近は手紙にスケッチを描いています。
いわゆる「絵手紙」ではないです。
手紙には、自分のスケッチを入れて、毛筆で簡単な挨拶を入れます。
これは、美大時代の故・米田先生がやっていた色紙の影響があります。
その際には、こうした絵筆を使っています。
ほとんどが、最も簡単なニュートンの絵筆だけです。
8色だけしか使っていません。
最近の絵筆は、7万円のモノもありますが、
一般的なニュートンの絵筆で、墨汁も十分に使えます。
もしくは、ほとんど携行用のパレットと絵筆でも十分です。
これまで、随分ニュートンのセットを買い集めていました。
やっと、とりあえず、自分で描けるのは、とってもいいなぁ・・なんです。
オブジェは、葉っぱや、ミカンや、紅葉などを、
これは写実的にを、ともかくこだわっています。
が、アイディアスッケッチ程度の2,3分で、と決めています。


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『深緑色の画面・深緑から利休鼠』


   


     2月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



今回の「KK塾」で私は画面表示・モニター基準色を紹介しました。
これはモニター設計、それもCRTから液晶ディバイスになってからも、
かねてシリコングラフィックス社とALIAS社でCG制作を見ていた時期、
その経験からのカラー表示を紹介したのです。
これにはいくつかの理由とその意味があります。
それは視覚的に安全なカラーと疲れないカラーがあるからと、
最近ではモニターからの青色が突出していて「ブルーライトカット」、
これがあたかも流行となっています。
100円ショップ商品の遮断メガネには、
大きな勘違いがあると思っているからです。
人間には可視光線というニュートンによって発見された
紫から赤色までの7色(白色人種では6色)の色環があります。
とりわけ、モニターからの色表示はすべて光=電磁波ですから、
これらが視覚的に害を成すかどうかはまだまだ研究の成果が必要です。
しかし、紫外線や近赤外線・遠赤外線は、可視光線を超えていますから、
有害なことは納得できます。
特に「ドライアイ」は角膜の三つの層に悪影響を与えていることは
立証されていますから、メガネは「ドライアイ対策」が必要です。
今回私は、深緑を提案しました、
といっても、
PC:Macからの出力もプロジェクターと一致していませんから、
基本的にはPANTONE®カラーのNo.7712から7720までを準備しました。
肝心なのは日本語で言うところの「深緑色」です。
この色をベースにしたときに、これがいわゆる鼠色系になると
これは「利休鼠」になっていくことことを知った時は
大きなショックでした。
しかもその「利休鼠」の色は北陸の初冬の曇天の空の色でした。
私がかつて液晶モニターからの近赤外線が持つ危険性を公表したときに、
あるメーカーは私を訴訟しようとすらしました。
しかし、その近赤外線は特にプラズマ画面からが多くて、
日本ではある省から危険勧告があり、
欧州からはその様式のモニター輸入は全面的に拒絶されたのです。
今、この画面色を私はワープロでの背景画面に使っています。


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『ベクトル論理では「何がデザインか」となる』


   


     12月 25th, 2015  Posted 12:00 AM



「力」という概念は「ち」と「から=空」だと考えています。
そして「力」の概念は単純にはベクトルで一つの理解点ができます。
ベクトルには、作用点・大きさ・方向があります。
そこで、医学と工学で作用点から医学と工学の合力ができます。
この合力の大きさはストレートにすでに「医工連携」になります。
同様に、文系と理系の合力が「文理融合」というわけです。
そこで、これらそれぞれの作用点に「デザイン思考」を置いて、
あたかもそれぞれの合力は、学域を拡大力化して大きな効果、
すなわち、イノベーションとなって変革・革新をしてくれるという
そのような錯覚あるいは錯誤感を与えていることは間違いありません。
これは私自身も「力」を概念化して発展的な希望論にするときには
利用・運用可能な手法であることは間違いありません。
こうした「力」=作用点・大きさ・方向はニュートン的な合力形成です。
私はこれが明確な誤りだと断言できるわけではありません。
しかし、「力」の概念が進化していることをさらに深度を深める必要を
私自身デザイン手法であるデザイン思考そのものの
進化と深化を提唱します。
あらためて、この図示を見比べてほしいと考えています。
二つのことに気づいて欲しいのです。
医学と工学で確かに「医工連携」力が出来上がります。
これにデザインが加わるとするなら
医工連携とデザインでの方向が必要です。
さらに、文系と理系で「文理融合」が出来あがり、
これにデザインが関与した場合の論理は生まれていません。
そこからが今年4月からの私のミッションでした。
そこで、この合力にそれぞれデザインとの合力では
「何がデザイン」になっていくだろうかがテーマでした。
つまり、「デザインとは何か?」ということの要素や要因が浮かびます。
これはすでにニュートン的な力学での合力である、
それこそベクトル的な論理では無理なことが明らかになりました。
そして私のミッションである合力ベクトルでの「力」は、
ニュートン力学から量子論的な力学での、
「強い・弱い、いずれかの相互作用」と
「重力」と「電磁力」のメタファー的な力学を関与することが必要でした。
相互作用は距離感や学域の効用効果の範囲を決定します。
同様に、重力的なことは時代性の影響力であり、
電磁力は、経済と文化と歴史がフレミング的な影響力を与えると思います。


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『医工連携を看医工学ベクトルとしてさらに強化』


   


     12月 1st, 2015  Posted 12:00 AM



「KK塾」で、私はコンシリエンスデザインを冒頭に紹介しています。
今回は、医工連携+デザインで看医工学がコンシリエンスデザインと
極めて密接な関係があることを語りました。
まず、ベクトルとして医学と工学を再定義しても「デザイン思考」では、
語り切ることが不可能なことを伝えました。
その最大の理由は、デザイナー的な思考方法での欠落部が多いことです。
しかも「デザイン思考」は米国からのコピーで、ブーム化しただけです。
医学と工学に、看護学と保健学が加わってこそ、
医工連携では、とても現実的な形態設計もさらに制度設計も困難です。
それこそ、コンシリエンスデザインであり、
これがデザイン思考というブームでは不完全なことをまずは二次元、
二次元ベクトルでの要素を増やすことの提唱をしました。
医学と看護学は安心を与え
医学と工学で対症治療になること、
それも対症療法という曖昧さを排除しました。
さらに、保健学が工学に与えることが安全になり、
看護学と保健学が予防になることをベクトル的に示すことで
看医工学こそ、
医工連携+デザインの真のベクトル的な論理としました。
今回の「KK塾」での私のコンシリエンスデザインこそ、
デザイン思考をブームから解放して、
これが日本からの発信になるという提言にしました。
実は問題は、この2次元上でのベクトル展開だけでは
とても語り切れるものではないことを
次回の「KK塾」につなげることをつたえました。
これは、滋賀医科大+国家プロジェクトEDGEでの基調講演を
さらに深めたものになったものと思います。
私は、2次元上での思考展開では、
いつまでもニュートン的なベクトル展開の限界があると思ってきました。
これこそこれからの実務デザインで、
その革新性につながっていくと考えています。
これはコンシリエンスデザインが
次世紀デザインの基本理念になるでしょう。
今回の「KK塾」の提唱性であり、それは前回、テクノロジストであり、
阪大招聘教授とした濱口氏への講演からのヒントへの回答でした。
しかも、
今回、東大大学院で世界最小のマイクロナノロボット開発者、
生田幸士教授に、
「ブーム」となった時点で、その思考、その行動、
その実績は終わっていると断言してもらいました。
私は、ニュートン的ベクトルでの領域学、その実力を
量子力学、すなわち3次元的アナロジー化していくことを次回示します。


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「『まさか』=想定外をめざす詳細造形」


   


     2月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM


詳細なデザイン造形をなんとしてもめざすこと。
私の造形の姿勢でありたいと考えてきました。
それは、ありえないことを徹底して考え抜くことです。
それこそ、言わば「想定外」。
「まさかそんなことはありえない」という表現です。
単純なことですが、そこまでは考えほしくない、
クライアントは求めていないことが多かったと思います。
それでも考えつかないことにまで、
自分を追い込むことは我が儘ですが生き方ゆえやむをえません。
「我」が、「まま」=そのままにして果てるまでです。
これは「ホイヘンス」と名辞した壁掛け時計にすぎません。
「ホイヘンス」は物理学者で「波動説」を唱えた人です。
しかし、ニュートンの存在が目立ってしまいました。
そして「振り子時計」の発明者であることも忘れられています。
だから私にはどこか親しみを感じました。
だから、「壁掛け時計」なら彼の名前を商品名にしようと考えていました。
そこで、「まさか」というのをたかだか壁掛け時計に仕込むには、
壁掛けでもあるけれど、置き時計にもなる、
そんな造形を自分に求めたのです。
それを私は「まさか」という大層なコトにまで風呂敷を広げたのです。
その造形はサイドビュー=側面表現に表すことができました。
無論、ユーザーにとってみれば、
これが「まさか」の表現だったなんてどうでもいいことなのでしょう。
そして、側面を見て選んでもらうこともないことは重々承知しています。
さらに、背面にはビス留めはまったく見えません。
私は「簡潔さ」という造形表現のポイントには、
ここまで自分を追い込んでいく姿勢が必要だと思っています。
そうして「振り子時計」である正面も
振り子とは思わせない動きを設計しました。
それが「ホイヘンス」への私なりの敬愛だと自分に言い聞かせてきました。
すでにこの商品はもう販売されていませんが、
私が「想定外」=「まさか」ということだと瞬時思い、
自分のデザインワークで想定外をめざしたのは、
この「ホイヘンス」だったと思い出したのです。
だから、きっとこれからも私が想定外をも
デザインに込める原点には
「ホイヘンス」という人物に通じていると納得しています。
彼の「波動説」は当時は、ニュートンの影に隠れてしまいましたが、
今再び、「粒子説」と「波動説」は想定内になっています。


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「見えることの安心・信頼そして不思議」


   


     4月 17th, 2011  Posted 12:00 AM

人間には見える、見えないがあります。
見えるのに見えない人もいれば、
見えないと思うけれど見える人。
その「見える対象」は三つです。
■「守護霊」、見えるという人がいます。
フゥーンとしか、私には言いようがありません。
もし父母、祖母祖父となれば、先祖すべてが守護霊だったら、
部屋中いっぱい居るんだとからかいたくなります。
■「UFO」、確かに見たんだ、という人がいます。
私は友人にしたくないタイプです。
ただ、私もUFOも写真や映像で見るのは楽しみです。
そして、UFOって飛んでいるのかも知れない、
宇宙からやってきているとしたら夢があると思っています。
■さて、絶対に存在しているのに「見られない物」です。
それは、ウランやプルトニウムです。
これは存在していますが写真や映像で見たことがありません。
放射能となれば存在しているにも関わらず「見えない」のです。
いわゆる電磁波が存在しています。
可視光線は電磁波のある部分です。
おおよそ300nmから700nmの幅内にある、
紫から赤までの色彩です。
この可視光線は、硝子の塊を室内に置いておくと、
晴天の日には、室内に虹色が見えます。
室内にこの虹色がいっぱい発生する日はなんだかうれしいのです。
可視光線をプリズムを使えば見えるということを
ニュートンが発見して教えてもらえたのです。
なんとしても、「放射能」が見える物・モノが必要です。
ガイガーカウンターで放射能の測定値を数字で見れます。
ところが、現政権、そのリーダーや閣僚の方針や哲学は、
まったく見えてきません。
これが最も私たちには、放射能より恐怖だと指摘しておきます。
パフォーマンスする女性ホステス閣僚などは、
その行動アピールが「見えている」にも関わらず、
かえって、信頼より無能さが見えるのも不思議なことです。
さらに、存在しているならHAARPも是非見て確認したいモノです。


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『資本主義からの逃走』
「虚空回帰は空虚感排撃のデザイン」


   


     8月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

エーテル=虚空
古代西洋哲学には、土・水・空気・火に対して、
天体に充満している媒質概念・エーテル=aitherがありました。
私が最も不思議に思い続けていることは、
古代インド哲学・サンスクリット語でも、
大気や万物の存在空間を アーカーシャ=ākāśaと音声的にも近似した概念があったことです。
aither≒ākāśaはとても酷似していることです。
土・水・空気・火≒地・水・風・火、そして「虚空=ākāśa」です。
万物、世界要素の五大があり、これを五感(香・味・色・蝕・声)で受け止めて、
広大無辺、永遠、清浄などが私たち人間界と天界にあるという認識論です。
この認識論は、コペルニクス、ガリレー、ケプラー、ホイヘンスにとどまらず、
ニュートンの絶対空間論にまで及んでいました。
つまり、aither≒ākāśa=虚空概念だったわけです。
したがって、私たちが「空虚感」というのは、
認識すべき世界要素をまったく全廃している喪失感です。
私たちは、現代、ある種の「空虚感」に苛まされるとするなら、
「虚空」という概念が本来もたらしてくれる恩恵を失っているということです。
私は、あらためて虚空蔵菩薩という可視化されたシンボルを見詰めなおさざるをえません。
しかし、私の言説がオカルトや非科学性につながっているという誤解は受けたくありません。
ともかく、「空虚感」を与えないデザインをめざしたいだけです。


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