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Posts Tagged ‘ビジュアル表現’


『熊本の草木鳥がレジリエンスのシンボルになる』


   


     6月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



きわめて自分は焦っていました。
熊本地震の現地から、最も気にしていたのは身障者、車イスの人たちです。
やはり避難所には行きづらいという連絡がありました。
現地では終息しない2000回を超える地震。
崇城大学と九州大学に「レジリエンスデザインチーム」を
39大学が後方支援。
しかし、自殺者まで出ると「レジリエンス」そのものが崩れてくるのです。
そこで「負けるな!・泣くな!・生きるんだ!」という標語を思いつき、
早速、シンブルなキャラクターはすんなりと「くまモン」としました。
ところが認可は一ヶ月も先とのことです。皆が頼っているのです。
ならば、熊本のシンボル=楠・竜胆・雲雀に決定をし、
ビジュアル表現に入りました。
ところが若いデザイナーには、草木鳥の基本知識が大欠落。
美大同輩からは欅(自分は思い込んでいた)じゃない楠という指摘。
そういえば、欅と楠では木質も枝振りも全く異なります。
まして竜胆(スズラン)ともなると、
これは高山植物にまで登場する様々な種別があります。
竜胆を家紋にすれば歴史的な象徴の何を重要視しているかが明確です。
そして雲雀(ヒバリ)となればこの鳥は真っ直ぐと上昇して飛び立ちます。
この飛び方には飛翔前の小走り方と、天高くから垂直に降りますが、
実は地上に降りると、
下降地点からすぐに数十メートルを小走りしてしまいます。
美大時代に木質と木立はいっぱい写生をしてきました。
花にいたっては何種類の花を花弁や苞葉をデッサンしてきたでしょうか。
雲雀か雀か鶯かも最近では定かで無い装飾が氾濫しています。
これをデザインと言われるのは真っ平です。
少なからず、草木鳥にレジリエンスはありえません。
よって、熊本の元気のシンボルは、楠・竜胆・雲雀に、
ビジュアルデザインの基本を求めています。
熊本の現地で、負けそうになったなら、
このワッペン、あるいはビジュアルシンボルを
叩いてもらい自分を奮起してもらいたいのです。
これはレジリエンスデザインが果たせる役割だと考えています。

*『レジリエンスデザインは真正面で自殺と向き合う』
*『非常事態の準備は再考しなければならない』
*『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』
*『自然から学んだはずだった・・・のだが?』
*『扇子の季節、伝統センスが壊れ始めている』


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「『危機管理デザイン賞』は ‘ヘルメスの杖 ‘をシンボルに」


   


     8月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM



以前、ここで「アスクレピオスの杖」を取り上げました。
危機管理の象徴をどうすべきかを悶々としてきました。
案の上、「ヘルメスの杖」についての記述にも、
感想としての異議をいただきました。
これは、米国陸軍・医療部のマーク(X)について、
喧々諤々の世界的な論争があった当時と同等だと思いました。
あくまでも「アスクレピオスの杖」は、
医学のシンボル(A)ですから、
ルーベンスの絵画としても残っています。(B)
したがって、WHO=世界保健機構はこのシンボルです。(C)
救急車のシンボルはほぼこのマークが普遍化しています。(D)
日本では、赤十字社の救急車のみ赤十字です。
医学や医療は「アスクレピオスの杖」で
杖に蛇が一匹という象徴は歴史的コンテクストです。
ところが、杖・蛇が二匹、そして鳩の羽によって、
「ヘルメス」の活動はスパイ的な泥棒行為まであり、
医療行為や、通信、取引など統合性が「ヘルメスの杖」となります。
私はもう一度、ギリシア神話を基準に、
ヘルメス学と呼ばれる知性確認の体系に没頭しました。
「危機」はギリシア語ηκριδιδ=Krisisが原意語です。
この意味は、「決断」です。
ラテン語になっていくとderisisです。
これは「決定する・選別する」というのが「危機」となり
Crisisに連続します。
Riskに至るまでの、「危機」・「危険」は、
言葉のコンテクストの根底には、生命を護り合うということが、
おのずとと思想観には
「平和」の概念が入ってくることになります。
切手やメダルなどの応用事例も集めて検証しました。
そこでの発見は、軍事的危機というのは、
紛争の解決=平和への希求がありますから、
日本の防衛医大(Y)も「ヘルメスの杖」を採用しています。
私はヘルメス学体系全体には
錬金術師が水銀を医療行為にという伝説も認めて、
「危機管理」は統合的な営為とみなすことで、
「危機管理デザイン賞」シンボルに引用したわけです。
さらに、「ヘルメスの杖」は拡大して、
ビジュアル表現要素にしていくつもりです。


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「このポスターに見たデザイン界の「差別」」


   


     6月 29th, 2012  Posted 12:00 AM



1980年からの「国際障害者年」正式ポスターです。
ちょうど私はリハビリトレーニングを終え、
「車椅子生活」をスタートさせたときでした。
大きなショックを受けました。
健常者=真っ直ぐなローソクに、
折れ曲がったローソク=障がい者が寄りかかっています。
これを世界のデザイン界トップ連中が選んだポスターだとは?
私は世界のデザイン界ですら、
象徴的ビジュアル表現とは「この程度でしか無い」とは、
デザインの本質はまだ見いだしていないと思いました。
おそらく、このデザインをしたデザイナーは健常者でしょう。
私は、折れ曲がったローソク側の人間です。
たかがポスターで、
これほど見事な表現と思われるかも知れません。
しかし、障がいを背負って生きて行く立場の者には酷です。
私の決意は障がい者デザイナーとして、
国際的にもデザイン界ですら、
人間の無知と差別感に立ち向かうことでした。
健常者だったときには、
思いもしなかった差別感はこのポスターでのショック以上を
これまでどれだけ体験し感じ取ってきたことでしょうか。
とりわけインターネットの裏側での差別発言は残酷世界です。
私は車椅子になったことがどれほどの「幸運」でしょうか。
まず、ふるさとに「内部障がい者」の存在があること、
国際的にも11月には中国でも、
デザインの本質から、
私のデザイナー的人間社会の差別感解消、
その結論を話すつもりです。


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