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Posts Tagged ‘プロダクトデザイン’


「iPad Stylusを使うと分かること」


   


     2月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

最近またスピードライマーカーやコッピクも使っています。
それは学生やインハウスデザイナーにマーカースケッチを教えるためです。
そして、iPadでスケッチやラフレンダリングも実演して見せます。
iPadのスタイラスは自作もし、
さらに市販されているモノは随分試しました。
最近は、oStylusが進化してoStylus DOTになりました。
自分なりに、導電ウレタンを仕込んで、
タッチ感覚の柔らかさなども試してきました。
最もタッチ感覚を確かめるのは「草書体」を書いてみるのが一番です。
アップル銀座で、私なりの使い方、
コツを実演して見せたいと考えています。
SketchBook-Proがプロダクトデザインでは使いやすいと思っています。
やがて、コピックで紙に描いていくのは
一つの表現形式にはなるでしょう。
が、おそらく、iPadの進化とともに、
スタイラス一本で、鉛筆からボールペン、
マーカー、水彩表現まで完璧になるでしょう。
実際はもうそうした表現形式は統合されていると判断しています。
それは、書道がスタイラス一本で確実にまかなえるからです。
アップル銀座でショーアッププレゼンする企画を進めたいと考えています。

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「書店の存亡・バーンズアンドノーブル」


   


     1月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

電子出版と書店、この構造の進展は加速度的になっています。
とうとう米国でトップの大型書店経営が怪しくなってきました。
amazonの革新的なeコマースは、書籍だけでなく、
本当にもはや、デパートの存在も危うくさせています。
バーンズ・アンド・ノーブルには、
私は1週間通った経験があります。
学位審査での医学英語合格をなんとかしようと、
最適な参考書を選びにともかく渡米し通い方法を考えました。
手に入れたのは「Clinical Interview」系の医学書でした。
200ページから400ページの書籍3冊の中で、
ともかく一番薄い本を受験用にしたことがあります。
確かニューヨーク市内には4店舗あり専門分野毎の店舗でした。
医学書だけでなく、聴診器や医学臓器モデルも売っていました。
おしゃれな店舗もあって、いくらでも立ち読みもできれば、
店舗内にコーヒーショップもあり読書ができる空間でした。
電子出版というのは、なんともいまだに語感が慣れませんが、
私自身も「自炊」が当然になっていますし、
ほとんどamazonで書籍は手に入れています。
書店には大変に申し訳ないことですが、やっぱり便利です。
年末に京都寺町通りの大書店が無くなっていました。
これはとても大きなショックでした。
ああ、自分にも責任があるけれど・・・ごめんなさいです。
京都は学生が日本でも最大に多い街にも関わらず、
書店が無くなってしまったのです。
学生も書店・本屋通いはしないのでしょうか。
書店が街に残る手法は一つだけあるのではと思っています。
それはショップ構成と書籍のショーアップ戦略が必要でしょう。
デザイナーとしてプランは持っています。
バーンズ・アンド・ノーブルが電子ブックnookを商品展開始めた時、
私はこれでこの書店企業の終末が見えました。
まず、電子Book「nook」は全くデザイン的に何の魅力もありません。
単なるビューアーというプロダクトデザインというモノ、
その程度の経営意思決定力では競合勝負不可能です。
しかも、ダウンロード方式にも革新性はありませんでした。
つまり、21世紀に入って世界の構造が変革し始めています。
そして書籍という形式・形態、しかも
情報というコンテンツとコンテクストが変貌。
要は、今世紀、「情報」を核とした変貌や変革は、
世界構造をも変化させているのです。
「書店」は前世紀の街要素・知識情報の象徴になってしまったのです。
思い切った「書店形式」がデザイン的に必要です。
そして、電子Bookという安易なプロダクトデザインでは、
世界変革は困難どころか終焉に加速度を持たせてしまうということです。

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「進化した光造形・ラピッドプロトタイピング」


   


     11月 12th, 2011  Posted 12:00 AM

私が大学人になった一つの理由です。
それは、光造形=ラピッドプロトタイピング、
この手法をプロダクトデザインに導入したかったからです。
米国で、ALIAS社とプリンストン大学で開発途中の光造形、
そのモデルは小さな平板の歯車でした。
その歯車がきっと立体になるという直感でした。
日本では手に入らない光造形原書を読みまくりました。
「クラインボトル」がモデル化されていた写真、
これは多分、合成写真だと思いました。
自分で試したい、その気持ちが大学人につながりました。
1996年、名古屋市立大学に芸術工学部新設時、
私の研究室には、光造型機(紫外線レーザー)と、
周辺のワークステーションと初期の3D-CADが入りました。
結果、「クラインボトル」を当時の3D-CADでは、
ほとんど製作が困難でしたし、
3D-CADからSLAデータへの変換などで自分を鍛えました。
素材も湿度影響などでとてもやっかいなものでした。
したがって、3D-CADソフトの変遷は全て見てきたと思います。
今や、半導体レーザーでの光造形はすでに一般化しました。
そして、光造形での素材も初期のエポキシ系からは
相当に進化し透明になり、湿気影響なども全くなくなりました。
そして、この組み合わせた「クラインボトル」は、
研究室訪問のゲストにプレゼントしているモノです。
今回、KAIST=韓国科学技術大学院大学へ持参のために量産。
そしてこのクラインボトルを二つ組み合わせて製作可能も、
ラピッドプロトタイピングなればこそ可能になります。
この組み合わせを、米国・フィラデルフィア大学でプレゼし、
ティニアである教授達との会話から、私が「人工臓器」、
なかでも「人工心臓へデザインを」という動機になりました。
これまで、私は名市大から阪大の研究室につながるまで、
この製作によって、様々なノウハウを持つことができました。
「点・線・面」の概念が、
それこそ、カンデンスキーの芸術的予測は、
数学領域での「空間論」と対峙することを暗示していました。
点には大きさがあり、それは限りなく正方形であり、
線には太さがあり、面には厚さがある、という予想です。
光造形=ラピッドプロトタイピングは、
もっと造形教育に取り入られるべきものだと思っています。
米国の大学では、デザインや建築の実習では当たり前です。
すでに、3D-CADは6D-CADに進化していることも
「モノづくり」日本に多次元CADは不可欠な領域です。

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11月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 10th, 2011  Posted 10:57 AM

11月10日 赤口(己巳)

デザイン手法、
プロダクトデザイン・
インダストリアルデザインでの
表現内容をアートとして、
永久収蔵されるのは
本当に心からうれしい。

デザインそのものを変容し
革新できないかと苦しんできたが、
それは報われたことになる。

『デザインという先手』あとがき


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『資本主義からの逃走』
「『工業デザイン』と『デザイン工学』の大きな差異」


   


     10月 26th, 2010  Posted 12:00 AM

「デザイン工学」
私は「工業デザイン専攻」の卒業です。
「工業デザイン」は言葉となっていますが、
「デザイン工業」はありません。
変わって、「デザイン工学」という言葉は生まれています。
「工学デザイン」は日本語には見あたりません。Product Design Engineeringはあります。
「工業デザイン」はインダストリアルデザインを意味。元来は産業デザインでした。
今、工業デザインは、インダストリアルデザイン・プロダクトデザインまでを包含しています。
NHKでは、「工業デザイン」という領域がアナウンス用語になっていて、
インダストリアルデザイン・プロダクトデザインは使われません。
そこで、「工業デザイン」と「デザイン工学」とを比較すれば、
当然、これには大きな差異性があります。
「デザイン理工学」と「デザイン医工学」
「デザイン工学」に、工業デザイン・インダストリアルデザイン・プロダクトデザイン、
さらには建築デザインから新たな工学的な専門領域も含まれた言葉になっています。
私は、「デザイン工学」は領域設定があまりにも広大になるので、
「デザイン理工学」と「デザイン医工学」に分別しています。
さらに、「デザイン工学」をもっと拡大して、
「デザイン文理学」と「デザイン政経学」、
さらには「デザイン数理学」などや「デザインロボティックス」などの範疇も提案しています。
「デザイン」(動詞)+「情報」(名詞)
「デザイン」(動詞)+「情報」(名詞)というのは、
デザインする対象領域の「情報」に対して、
対象と実務営為を詳細化することと学際化を意図している言葉だと私は判断しています。
「環境デザイン」は「デザイン環境」にはまだ至らず、
「映像デザイン」が「デザイン映像」にはまだなりえていません。
同様に、「メディアデザイン」が「デザインメディア」にはなっていませんが、
環境や映像やメディアがすべて「デザイン工学」に包含されていると考えることもできます。
けれども、わたしは、あらためて「デザイン●●」を、
デザイン実務を詳細化・綿密化・統合化・学際化する呼称になりうると主張しています。


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『資本主義からの逃走』
   「『か』にひそんでいる非在している・つつましさ」


   


     7月 9th, 2010  Posted 12:00 AM

形態論
「か・かた・かたち」は、著名な建築家の「形態論」です。
学生時代に、この論理を知って以来、
私は、デザインする「かたち」への手続き・思考の構造に、
この論理を率直に受け入れることで、どれだけ助けられたことでしょうか。
やがて、フリーになり、デザイン対象が拡大するとともに、
特に、インダストリアルデザイン・プロダクトデザインにおいては、
自らもデザイン対象の拡大をめざしてきました。
今なお、「デザインが、なぜそこまで?」と言われたりもしています。
しかし、「デザイン」が一つは、「形態創出」で問題解決を図れるというある種の信念は、
「か・かた・かたち」論を再度、
自分で論理を明確にしようと取り組み始めました。
一つは、日本の伝統工芸産地での職人さんたちから教えられたことがあったこと。
もう一つは、1985年頃に「光造形システム」に出会ったこと。
この二つでした。
もちろん、それまでに東芝で経験したオーディオで、音響生理学や回路、
オーディオと音楽はじめ、地場産業の実情、中小企業の技術の格差などの経験はあります。
こうした経験の中で「かたち論」を醸成してきました。
私の中で、「か・かた・たち・かち・かたち」であり、
「か」
さらに詳細に、「か」・「た」・「ち」という一文字一文字を分解していったことが、
今日まで連続していることは確かです。
「ち」については、chiとして海外で日本語の意味性を語るのに最も明快であり、
エスノメソドロジーから記号論的思考を支えてくれています。
「た」については、今回は省略しますが、これも奥深い意味があります。
さて、「か」というこの表音性と表意性に注目をしなければなりません。
具体的には、「か細い」という言葉が端的です。
「細い」という感覚をさらに「か」が付着することで、
「細さ」の感覚が、より細く、より弱さある細さを意味しています。
「蚊」という生物の存在は、たった一文字です。
香・華・歌などにも、「か」という発音と意味があります。
発音も、弱く、意味そのものでは、次の言葉があります。
化・可・仮・加・価などにもその壊れそうな儚さまでの意味が、
それこそ、インクルーシブされているようです。
発音においても意味の付加性についても「か細い」感覚があります。
私は、「質=たち」に付着あるいは付加されている「か弱さ」が
か+たち=かたち、という解釈を自分に取り込んでいます。
つまり、「質」のか細さやか弱さをも統合している構造体だと考えるわけです。
「質」という確実さを感覚に、訴求するときには、控えめさがあると思います。
非在のための「か」
なんといっても、「かたち」という形は存在していません。
「質」がいくら存在性が強くて、明確な認識を与えていても、
「かたち」には、「つつましさ」が当然、付着していたものと思っています。
もし、モノの形態=モノのかたちを簡素で簡潔であろうとするなら、
「かたち」の存在というのは、控えめな、「つつましい質」だと理解するのです。
私は、これを非在している「質」が「かたち」だという具合に、
言い聞かせることが最近は増えてきたと思っています。


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5月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 10th, 2010  Posted 8:23 PM

5月10日 大安(庚申)

それでもなお、
美しいモノの真実とは何かという
問いへの答を求めて、

プロダクトデザイン時代の終焉を
見つめながらたたずんでいるのだ。

『デザインは言語道断』感得


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5月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 9th, 2010  Posted 9:30 AM

5月9日 赤口(甲寅)

ハードウェアという従来の領域に、
ファームウェアおよび
ソフトウェアを加え、
それらを一体として
扱うデザインの時代が
すでに始まっている。

インダストリアルデザイン、
そしてプロダクトデザインの
時代は終わりを告げたのだ。

『デザインは言語道断』感得


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