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Posts Tagged ‘ポストモダン’


『佐藤和子氏の「博士学位論文」で背中を押してもらう』


   


     6月 8th, 2020  Posted 7:24 PM



アーカイブとして、日本のデザイン史に残る
博士学位論文を献本して頂きました。
デザインジャーナリスト「佐藤和子氏」の
「ポストモダン社会のデザイン」
「イタリアのアヴァンギャルド・デザインの根底にあるもの」です。
私の経験上では50代を超えての「博士学位論文」は
絶対に無理だと思い知らされていました。
「何も書けない学生」が博士号取得を望みます。
80代になってからの論文審査、この果敢な挑戦に敬服、
その成果の結晶を受け取りました。
十分なキャリアと実績に裏打ちされた研究により
「イタリアと日本」のポストモダンにおける
密接な繋がりの論述でした。
佐藤氏はこれまで永らくイタリア在住で、
日本とのデザイン交渉事や、論筆に尽力され、
日本のデザインを俯瞰し本質を捉えた論評を出されていました。
受け取ったばかりなので、目を通したにすぎず、
今後はしっかりと読んでいきます。
もはや、博士号論文はじめ前向きな挑戦には
年齢制限を設けてはいけないと思います。
正直、私もブログをベースに3冊の本にまとめたいと
思いながら後回しになっています。
これだけのまとまった博士学位論文を受け取り、
背中を強く思いっきり押されました。


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11月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 26th, 2019  Posted 12:00 AM

11月26日 先負(丁卯)

私は、エコデザインこそ、
ポストモダンの形式として、
今世紀末のデザイン運動になって持続し、
サスティナブル化していくならば、

もう一度、
カンデンスキーのデザイン原論である
「点」の最終行とクラマタのこの素材を
テキストにすべきだと提案しておきたい。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点


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11月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 23rd, 2019  Posted 12:00 AM

11月23日 赤口(甲子)

私は、エコデザインこそ、
ポストモダンの形式として、
今世紀末のデザイン運動になって持続し、
サスティナブル化していくならば、

もう一度、
カンデンスキーのデザイン原論である
「点」の最終行とクラマタのこの素材を
テキストにすべきだと提案しておきたい。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点


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11月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 10th, 2019  Posted 12:00 AM

11月10日 大安(辛亥)

言い逃れ的なデザインと化す
エコデザインの悲しさを再確認してしまう。
エコデザインこそ、
ポストモダンデザインで
なければならないのではないだろうか。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点


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『私の必需品呼び鈴がありますー今喧騒の大阪です』


   


     5月 20th, 2015  Posted 12:00 AM



私はベッド上で過ごす時間がとても長いと思います。
呼び鈴は二つあります。
これは私がワイフを呼ぶためのモノであり必需品だと思っています。
国民投票があり、大阪は市長が敗北しました。
ローカル政治には、どちらが正しくどちらが誤りということが、
改めて確認された大事件だったと思っています。
そして今日も、賛成派は反対派にほとんど罵られ、
反対派は賛成派に、シルバー民主主義こそ「年の功」だと喧騒です。
私たち夫婦は事の成り行きを見定めて、事前投票をすませました。
明らかに、一人のローカル政治家はトリックスターとして、
自分で自分の政治家未来を封印してしまったのです。
賛成派の純粋な二重行政反対や、反対派のトリックスター批判、
この背後には、最も隠避された仕掛けがあったことは事実です。
大阪市の都構想の是非が、投票という民主主義そのものを
私は信じきることができません。
したたかな隠避された土木事業既得権を私はいづれ明白にします。
都構想など、現代の地方行政には無理当然であることです。
賛成であれ、反対であれ、投票行為そのもののウロボロス性は、
いずれも今頃遅れて取り囲んできたポストモダンの、
大きな物語と小さな物語で喝破されていることは明白です。
あたかも民主主義こそ最高の論理で、
賛成と反対が弄ばれていただけでしかありません。
私はこの呼び鈴を鳴らすことで、
自分の立ち位置を見つめ直すだけでした。
そして、明らかに、この論理で弄ばれていた大阪人、
それは私たちも、私たちなりの投票しなければならなかった、
この現代を生きなければならない、寿命への過程でした。
それこそ、小さな物語にひとまず自己を置いてみて、
もっと賢明だからこそ、懸命に寿命ある寿ぎの時まで、
この大阪の地に生きようと思うわけでした。
呼び鈴はとても乾いた音がしています。


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10月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 4th, 2012  Posted 9:30 AM

10月4日 戊戌(友引)


私は、エコデザインこそ、
ポストモダンの形式として、
今世紀末のデザイン運動になって持続し、
サスティナブル化していくならば、

もう一度、
カンデンスキーのデザイン原論である
「点」の最終行とクラマタのこの素材を
テキストにすべきだと提案しておきたい。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点


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「若手芸術家の紹介から学ぶ『範・感性』の確認」


   


     3月 6th, 2012  Posted 12:00 AM


ルーブル美術館は年間来場者数400万人と言われています。
比して、21世紀現代金沢美術館は
日本では最高200万人近くの来場者数です。
美術館としての社会的存在性を
金沢という街と相補的な関係性を保持しています。
母校の卒業制作展とともに、
「若手芸術家の発掘」企画展においても私はまた学ぶことができました。
日本生まれの英国人アーティスト
ピーター・マクドナルド「訪問者」の企画展で、
私は欲しくてたまらない彼の作品(↓)を見つけました。
彼の自由な平面構成絵画に表現された彼の「感性」です。
あらためて私は「範・感性」と言っておきます。
デザインにおいても「感性」表現、
「感性工学」が基本的学識になって久しいのですが、
私なりには一家言を持ってきました。
その一つは、デザイン教育者として、
徹底的に「感性」を哲学的知識として講義し、
デザイナーとして、自分の「感性」と対峙してきました。
特に、私の「感性」は、まず音響があり視覚的刺激があり、
生きがいの感受性の確認でした。
理性・悟性・感性を歴史的定本から学ぶとするなら、
ギリシア時代、感性を低次な認識知としていたことは、
カントの理論的集約によって理性以上に重要な大きな世界観になりました。
さらにそれはニーチェから構造主義やポストモダンまでが
その再定義や認識性を与えてくれました。
私にとって、
「感性工学」という範疇に自分のデザインは配置していません。
むしろ、直観と感性をDIVINATIONとして
デザイン対象に込めてきたと想っています。
そして、彼の作品を日常生活に置いてみたいと思うほど、
彼の感性から「範・感性」を感じ取ることができました。
少なからず、現在進行中のデザインプロジェクトには、
絶対に取り入れたと考えています。


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