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Posts Tagged ‘メガネフレーム’


7月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 3rd, 2013  Posted 7:08 PM

7月3日 庚午(大安)

メガネフレームすらロボット化させていく。
ロボットという言葉から脱出するためには、
花容あるロボットを
先ず実現させていくことになる。

『デザインの極道論』花容


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「I seeの世界観」


   


     6月 13th, 2013  Posted 12:00 AM

英語では「わかった」ということをI seeと言います。
私はおそらくこの40年、「みる」ということを語ってきました。
少なからず、「みる」という漢字、それぞれについても、
どれほどのことを語り、
さらに、「みる」道具や機器をデザイン開発してきました。
メガネフレームからパソコン・ディスプレイ、
そして、ヘッドマウントディスプレイ、医療機器に及びます。
結局「みる」という行為が最終的には「理解」することです。
この理解によって、人間は解放され、自由になるというまでの、
私のひょっとすれば、宗教観だったのかもしれません。
そして、たとえば「見える」というのは、
必ずしも健常者のことではありません。
目の不自由な方=盲目の人についても、
自分のデザイン対象にしてきました。
今もデザイン対象にしていることでは「点字」の世界があります。
たった6個のブツブツ、その凹凸感で、文字・数字になります。
もちろん、和文と英文には違いがありますが、
たとえば、「ト」と「T」が同一であったりすると、なぜか、
私はうれしくなります。
正直、目が見えれば、その凹凸無しでも見えてわかるのです。
しかし、私たちは、目が見えるからといって、
その視覚で判断出来ることがどれほど貧しいかということです。
そして、そのことに気づくべきだと思ってきました。
たとえば、大学人になった当時は、
「市街調査のワークショップ」もいくつかやりました。
そんな時、私は主催者側に、
必ず、白杖を持った人たちを加えてもらいました。
それは、彼らは、「見えていない」という感覚では、
決して解らない、「風の向き」や「水の流れ方」を
感じ取ってくれるのです。
だから、私は、I seeというだけが、
理解したということにはならない気がしています。
むしろ、仏語のvoir・avoir・ savoirという変化は、
ことさらに見ることから、
理解するまでの働きがあると思っています。


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「常に目周りは気になる」


   


     4月 11th, 2013  Posted 12:00 AM

私のデザイン対象は、「目や見えるモノ」が多いと思います。
Head Mount Display=HMDは、1995年以来追いかけています。
最初は国内大企業と通産省でベンチャー、
名市大時代は、HMDで中国での学会発表、
国内ベンチャーで製品化決定後、
商品化にいたらずいくつかの企業にヒント提示。
そして、新たな国内大企業での新製品開発に成功し商品化生産計画中です。
必ずモノにしたいし、
最も先進的で世界のHMDを革新したいと思っているモノです。
そして多分、メガネフレームのデザインは30年以上、
しかも世界でも専門ブランドとして、
最高技術を持っている増永眼鏡に育ててもらいました。
だから、メガネフレームはファッションとしての要素と医療機器として、
両方の「性能性」=医療機器・「効能性」=ファッションと
「機能性」を考慮しなければなりません。
私がメガネフレームデザインで問題化しているのは、
「デザインによる機能性」です。
これがずーっと混乱のままです。
その証拠が、未だに昔タイプに流行回帰する商業性が強く残っています。
日本人には似合わないウェリントンタイプは、
流行回帰しているにすぎません。
比して、ジョンレノンのような完全な円形レンズタイプは、
現在のレンズをメガネ店舗で加工してもらうには最も容易です。
そして、ブラックメガネフレームも流行回帰しますが、
ブラックは黄色系人種ならばそれなりに似合います。
が、決してウェリントンタイプはありえません。
プロの私から見れば、メガネフレームは時代毎に新規デザインで、
装着者の顔のアイコン性を明確に決定します。
つまり、その人のアイデンティティに直結していますから、
絶対に「新規のメガネフレーム」が必要です。
そして、新規のメガネフレームをデザイン出来るのは
世界的にもほぼ5~6社とそのデザイナーだけです。
私は、メガネはさらに新規の機能性を近視や老眼や遠視にかかわらず、
もっともっと「新機能開発」可能なモノづくり製品だと思っています。
それだけに、メガネが商品展示可能なマネキンなどを見ると、
詳細に長時間眺める癖があります。
今後のメガネフレームはデジタル化と
新素材開発・眼球保護の屈折率補完、
そしてその詳細な解説・情報化が決め手でしょう。


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「商品が記号となった実例・私の体験と確認」


   


     11月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

米国大統領選挙が終わりました。
前回の大統領選挙で最も話題・醜聞を提供したのは、
サラ・ペイリン副大統領の登場でした。
そして、この話題の中心は、
「米国民は彼女を見ていない、見ているのは彼女のメガネだ」。
このメガネのデザインこそ、私のデザインだったことです。
私もこの大騒動に相当に巻き込まれました。
そして、私が確認したのは、
まさに「モードの体系」そのものの実体験により、
「モード」が与える消費社会の構造で、
いかに私のこのデザイン意図、
つまり、造形言語(集約されたコード体系)が
形態言語(モード)として消費されている現実でした。
あらためて、ロラン・バルトは「モード」を
端的に「流行・ファッション・ファッド」と
定義している正当性を再検証しました。
結果、存在しているモノと書かれているモノを対照化しているバルトから、
私の再確認は、マルクスの価値論への上書きになったと自負しています。
特に、メガネフレームは「アイコン性」という形態言語を持っています。
そして、そのアイコン性が表情に付加されることで、
「人物表情」を造形言語化させてしまうわけです。
私はメガネフレームのデザインをすでに30年以上携わってきました。
だから、長年にわたって同じ形態のメガネをしている人物は、
時代性、現代性において
「自分の表情」すらアイデンティティを時代から切断しています。
大多数の人がメガネに無頓着過ぎると言っていいでしょう。
彼らはすでに「自己統合性の欠如」に気づいていない無自覚な人格です。
自己確認する能力が育まれていないのではないかとすら思うのです。
つまり、メガネはまさに「モードの体系」に存在していますが、
メガネという商品が、ペイリンで話題になったことこそ実は、
「商品の記号化」を明白にしたものと判断しています。
私は、自分のデザイン結果が本来「商品」であったモノが、
すでに「記号=コードとモード」、これらの体系の中で、
とてつもなく、変質してしまった消費社会構造を知ることができました。
私は、あの大騒動に巻き込まれながら、
「コードとモード」、さらには「ツールとメディア」、
これらが交差している現実感をものすごく実体験できました。
さらに、この実体験はいつでも回帰することができます。
それは、以後、この当時の大統領選は映画になりました。
「Game Change (大統領選を駆け抜けた女)」です。
したがって、この映画はまさに大統領選挙とは、
「モードづくり・モード戦略」そのものであり、
本来の政治リーダーを選ぶ手法が
コードを操作するモードにどれほど呪縛されているか、
これが現代民主主義だとするなら、
もう一度、私たちは「すでにモードでしかない民主主義」、
そのものを再構築しなければならないとさえ思ってしまう次第です。
現実、わが国の待ちに待った選挙も、
「モード」戦略に融解していく構造が見え始めていると、
私は認識しています。


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「いつも見かける私の作品はすでにアノニマス」


   


     9月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

私は国内はほとんどANAを利用しています。
幸いなことにANAのカウンターでは、
かつての私の作品・モニターが使われています。
EIZOでのモニターは、病院でも、阪大病院も、
名古屋市立病院でも使われています。
私の作品ですがこれらはすでにアノニマスデザインとなって
社会に溶け込んでいます。
メガネフレームなどは、ブランド名になっていますが、
こうしたアノニマス性を獲得していくデザインが、
インダストリアルデザイン職能の社会的な大きな役割です。
現在、いわゆる工業デザインは
日本では特に低迷状況であることは否めません。
確かに、このモニターをデザインした頃は、
国内はもちろん海外への貿易においても、
日本製・made in Japanは力を持っていました。
次々と製品企画・開発計画を提示し、
製品開発から商品化の連続性は多忙でもあり、活気も十二分でした。
しかし、現代日本の特に、家電や情報系のプロダクトデザインは
韓国や中国の追撃を受けています。
そのためか、大企業ブランドの終焉が始まっています。
3、4年前から、デザイン部門が、
現在の危機予測をしていた企業もあります。
そして事態はもっと深刻になっているようです。
3.11はその決定的な打撃を与えました。
戦後、高度経済成長とともに、
日本の工業デザインは世界を圧倒してきました。
今、わが国の大問題は三つあります。
1・自然災害大震災への対策問題
2・領土問題
3・拉致問題
この三つに取り囲まれながら、
経済性においては貿易製品の充実化を果たしていかなければなりません。
やがて、
空港カウンターや病院から、私の作品が消える日が近づいています。
工業デザインの「アノニマス性」が世界No1であり続けることこそ、
日本が生きのびていくことです。
やがて、私もリタイアしていきます。
次世代に語り残したいことを緊急に進行展開しなければなりません。

*写真左:ワイフが搭乗手続きをしています。


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「易しそうなテーマだが難しそうなデザイン解」


   


     7月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

本当にいつも私に持ちこまれるデザインテーマ、デザイン対象は、
相当の研究から入らないと問題解決出来ないモノばかりです。
誰も取り組んでいないデザイン領域が多くて、
スタッフも常に挑戦を求められ、しかも私からの要求は「三日主義」です。
三日で目星をつけてデザインプロセスを組み立て、
アウトプットは必ず厳守。
例えば、
メガネフレームも極めて難しいデザインテーマは永遠だと思います。
テロ対策特殊装備、学校安全対策装備機器、
不妊症の検査用具の一新などや、
公表出来ないモノ多数です。
ついつい、写真のような製品がやってみたい、
文房具や日常的な道具、アウトドアなどの課題に限りなく憧れています。
「どこかから、ノートとかボールペンの依頼来ないかなー」
私の口癖であり、
スタッフは「ボスが怖がられていて、絶対にありません」と、
念を押されます。
しかし、
いつもスタッフとは、あらゆる分野のプロダクトデザイン新商品は、
ほとんど情報、そして実物に触ることにしています。
このカトラリーセットは、スタッキングと、
形態言語となっているデザイン解は素晴らしいと思っています。
デザイン学科2回生程度の実習テーマにできますが、
ここまでの「美しい解」が正解でしょう。
山岳部だったので、今でもアウトドアのカトラリーセットは、
少なからず、全世界のモノを徹底して見ていますが、
私自身、出張用の道具にしています。
結局、プロダクトデザインは、そのデザイン対象、
デザインテーマ、デザイン課題への問題解決は、
すべからく難問解決だと断言できます。
インターンシップも、「あそこは怖い、難しそう」と、
学生達も来ません。私の存在があるからでしょう。
ただ、私のスタジオ・研究室は「明日の理想を具現化できる」こと。
これは、はっきりと明言出来ることです。


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「ウェリントンタイプ眼鏡など忘却すべし」


   


     2月 5th, 2012  Posted 12:00 AM

眼鏡には定番のスタイルがあります。
そして、流行的なファッションとして繰り返しています。
その代表が「ロイド眼鏡」=正円レンズと、
「ウェリントンタイプ」=上辺長・下短辺の台形レンズです。
おそらく最も安心できる定番スタイルです。
これを不易流行のモノと私は思っていません。
メガネフレームは時代との共時性があり、
こうした定番は、顔表示を古くさくする野暮さが、
時代的な流行時と共時しない限り、
そのまま自分のセンス放棄を顕示します。
だから不易流行のモノにはなりきっていないのです。
ウェリントンは日本人に似合っているというのは、全くの大間違いです。
顔幅の細さと鼻の高さが無ければ決して似合いません。
しかもそのリーダー的な映画スターたちに
現代性は無いとすら私は思います。
そして最もメガネフレームの
性能・効能・機能は「かけごこち」に終局します。
「ロイド」も「ウェリントン」も結局は、
フレーム自重を軽減不可能の構造であって進化することも不可能です。
我田引水ながら、
私の発明した「アンチテンション」は、すでに定番になってきました。
テンプルを広げても、レンズに応力はかかりません。
だから、瞳孔距離を変えませんので、乱視になることを防止できます。
このタイプ構造は真似られていますけれど基本的なかけごこちを失えば、
意味ありません。そのようなモノも氾濫しています。
2000年にシルモ・グランプリを受賞したモノとしては、
その軽量さ、体感重量、かけごこち、
そしてファッションの不易流行性は確約できます。
「アンチグラビティ」、『アンチテンション」、エアストリーム性など
表面的、装飾的な類似品を多く出ることで、本物が浸透するでしょう。
新たな素材開発と新たなフレーム構造構成を
さらに発明的な革新を狙い続けていくつもりです。

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「メガネフレームはまず自助具でありき」


   


     11月 8th, 2011  Posted 12:00 AM

メガネフレームのデザイン、
懸命に取り組んでもう25年以上になります。
インダストリアルデザインでの設計が、
産地に受け入れられてもらえたのは、
メガネフレームメーカー・増永眼鏡の指導と支援、
これがあったからだと思っています。
増永眼鏡は、フレームメーカーとして100年以上の歴史、
日本での眼鏡枠製造老舗、海外にはKOKIブランドとして、
最も信頼のある企業であり、技術力ではトップメーカーです。
メガネフレームは、ファッションであり流行に左右されます。
しかし、ファッション=自分演出のおしゃれ道具ですが、
根本的には視力支援器具、
いわば医療器具であることは免れません。
したがって、3プライスと言われるビジネスモデルでの
低価格商品は常にファッションというより、
「流行」だけをテコにした市場でありますが、
これは日本独特の市場展開なのです。
なぜなら、海外では度数の無いサングラスは、
どこでも買い求めることができますが、
医療器具としては、眼科医の処方箋が必要です。
眼科医というよりは、
「オプトメトリスト」=6年の大学専門教育と国家資格と、
「オプティシャン」というフレームとレンズの加工技師資格、
この二つの資格がなければ眼鏡ショップは経営できません。
日本だけがこうした資格無しでメガネが販売されているのです。
単なる広告宣伝でファッション性だけで語られる眼鏡は未完成です。
メガネフレームそのものがレンズが無ければ、
それはキーホルダーのようなモノにすぎません。
最近は、素材・重量(レンズ無し10g)・形態、
この形態がデザインだと受け取られていますが、
顔の形、耳、鼻などとのフィッティング=かけごこちは、
「性能デザイン」になっていなければなりません。
安易なデザイナーブランドや建築家が片手間デザインは、
「遊びのデザイン」として楽しめますが、
これをファッションとしてのメガネフレームだというのは、
生理的、倫理的、美学的には、私は認められません。
私は、いわゆるブランドフレームでも、いい加減なモノは、
それを着用しているユーザーの社会的存在性を自らが貶めています。
フレームの形態は、造形性能と造形機能が、
ある意味での「形態言語」になっていなければなりません。
私の提示した「アンチテンションスタイル」=レンズに応力無しは、
すでに「不易流行」のフレームデザインの一つの様式になりました。
メガネを着用している人、コンタクトレンズの人、
レーシックをしてしまった人、その手術を考えている人、
あらためて「視力」と「メガネ」、
この「造形言語」を読み直してください。
メガネフレームは「自助具としての性能・機能」が、
「効能」として、視力を支援し目を保護するモノです。

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6月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 21st, 2011  Posted 9:15 PM

6月21日 丁未(赤口)

メガネフレームのブランドは、
ほとんどがファッション系の
デザイナーブランドである。

悪口をいわせていただければ、
ファッションデザイナーのフレームは
デザインではなくて
デコレーションであり、
メディカルな思考など皆無である。

『デザインの極道論』花容


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「資本主義からの逃走」
  「商習慣を遵守し、そして解放するのは・・・」


   


     3月 26th, 2011  Posted 12:34 AM

私のふるさと福井県。
その鯖江市の地場産業といえば、
最近では認知度の上がったメガネフレーム産業があります。
メガネフレームであって、それは眼鏡の部品にすぎません。
しかし、フレームが眼鏡の商品性を決定しますから、
デザインは商品性決定の大きな決め手になっています。
私はこの地場産業・部品生産にデザイン手法を導入している一人です。
すでに25年以上関わってきました。
様々な工業製品と比較すれば、
部品の部品性、素材性、そして身体・顔、頭部に装着します。
したがって、いわゆる人間工学的な設計は不可欠です。
私の作品であるメガネフレームには、
私の名前がそのままブランドになっています。
一つは、KAWASAKIということで、
それはそのままmade in Japanを明確にしていることです。
さらに、素材と装着感には常に先進性を求めてきました。
ところで、福井県としてこの地場産業をPRするアンテナショップがあります。
「Glass Gallery 291」というショールームであり、
ショップでもあるのです。
ところが、眼鏡業界においての商習慣では、
フレーム製造メーカーは、卸、そして小売りという流通、
このシステムを遵守しなければなりません。
しかも、日本は眼科医の処方箋無し、
小売り店舗で測定してレンズ調整までしてもらえるのです。
この流通システムに一つのビジネス・モデルが介入できました。
レンズ+フレームを店舗で安価に即刻手に入れることが出来ます。
しかも、フレームは中国製が大氾濫しています。
結果、地場産業の大打撃は、そのまま地方都市活力が奪われているのです。
この問題解決の課題を私は、デザイナーとして四方向からとらえています。
福井県眼鏡組合が出店している、Glass Gallery 291では、
これまでの眼鏡業界の商慣習・安価ショップ・中国製に対しての
新たな流通慣習づくりにデザインを関与させるつもりでいます。


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