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Posts Tagged ‘メガネフレーム’


『資本主義からの逃走』
    「2010年・行学に向かい合ったか」


   


     12月 26th, 2010  Posted 12:00 AM

「行学」に向かって
この一年のテーマは「行学成就」。
「行学」とは、私なりの定義があります。
行とはまっすぐな道を進んでいくことゆえ、
学問なり実務に正面から立ち向かう修練のことだと考えています。
そして、私は現代の経済社会中心とこの社会を支えている民主主義の真実に懸念があります。
このたとえようもない懸念の中で、「自分の中にあるかもしれない美意識」を職能として、
デザイン・教育・研究に向けて「行動」しています。
無論、やりきれなかったことや、自分が自分に弱いから成就できなかった成果を、
来年を迎えるにあたって直視しています。
成就できたことは、入院する事態にならなかったことは幸運でした。
自分が自分に言い聞かせて実現・具現できなかったことへの反省・自省があります。
知財権の中であらためて自分の職能権利である「意匠権」については学び直すことができました。
特に「アプロプリエーション」を、デザインがどう受け止められるか、
誰も指摘してこなかったことを法学分野に提示できたことは私の修練結果だったと思っています。
さらに人間は自分を育んできた歴史観に自分の存在を差し出す必要があります。
私が自分の行学基盤として、歴史観を常に学び直してきた気がしています。
メガネフレームのデザインは25年間も取り組みながら、
未だにこの難しさと対面していることを思い知りました。
医療機器は、人工心臓からロボット手術支援機器、さらにはワクチンの開発まで、
まだまだ自分の力量が試されています。
具体的に取り組み始めたエネルギー・水などの社会システムに、
これから私の行学の核心があることを確認しています。
そして再確認しているのは、デザインにだけ自分の美意識を重ねることができるということです。


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『資本主義からの逃走』
      「メガネフレーム、地場産業の基本姿勢」


   


     11月 18th, 2010  Posted 1:30 AM

メガネメーカーとデザイン契約
私はメガネフレームのデザインをしています。
すでに、今年は25 周年になります。
といっても、本当は27,8年になるはずです。
私がフリーランスになっているとき、
大学の恩師の紹介で、あるメガネメーカーとデザイン契約をすることになりました。
しかし、私はまったくわからない分野のデザインに取り組むために、
そのメーカーとの契約は待ってもらいました。
ところが体調がすぐれずに、担当医からふるさと帰郷を諭されました。ふるさと福井に帰りました。
すっかり、そのメーカーとのことは忘れていました。
が、そのメーカーは帰郷している私を訪ねていただき、デザイン契約をすることになりました。
しかし、私にはメガネそのものがわからずに、どうしたものかと悩んでいました。
幸いなことに、そのメーカーで私との契約担当だった部長が、
メガネの専門学校の教科書を貸してくれました。
日本にはメガネに関するオプトメトリスト養成制度は大学ではなくて専門学校にあります。
その教科書を読んでもさっぱりわからないまま、
ともかく「企画書」を書くことになってしまいました。
私が最初に書いた企画書は、「アイバンク加入企業」という企画書でした。
クライアント先のメーカーはとても驚き、
担当部長はすぐに金沢美大の恩師にその企画書を見せに行ってくれたそうです。
その恩師は、「川崎なら、ここから仕事をスタートするだろう」と言ってもらえたので安心でした。
アイバンク加入という提案
そこで、そのメーカーの取締役会で、「企画趣旨」をプレゼンしなくてはならなくなり、
かなりな熱弁をふるったものでした。
部長が伝えてくれました。
「デザインを頼んでいるのに、アイバンクとは何事か」と、ほとんどの取締役が怒っているけれど、
社長は認めていて一度話し合いたいということでした。
結局、そのメーカーは「盲導犬訓練への寄付」ということで、私の企画はそれなりに決着しました。
福井県鯖江市、人口6万5千人の街は「メガネフレーム産業」で生きている街です。
私は「目」を対象としている街の社会的な責務は、
「目の不自由な人」や「アイバンク」や「盲導犬」などへのまなざしが、
本来は地場産業の基本であり、そうした製造業企業姿勢にあるべきだということを主張したのです。
そうした社会的責務を基本にしてデザインというのが私としては基本姿勢になってしまいます。
それから、そのメーカーから現在の増永眼鏡は、「私のブランド育成」を支えてくれたのです。
デザインと企業責務姿勢
「アイバンク」運動、これも様々な問題に気づいていますが、
NPOをつくるまでに15年かかりました。SD-waveというNPO団体につながっています。
私のデザイン活動25周年のキャンペーンでは、
私が提唱しているPeace-Keeping Designも同時に展開してもらいました。
そして、メガネは現在、新たな時代に入ろうとしています。


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9月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 14th, 2010  Posted 2:39 PM

9月14日 友引(丁卯)

メガネフレームすら
ロボット化させていく。

ロボットという言葉から
脱出するためには、
花容あるロボットを
先ず実現させていくことになる。

『デザインの極道論』花容


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『資本主義からの逃走』
「# 25周年の経験なれど納得できないアスリートグラス #」


   


     6月 12th, 2010  Posted 2:01 AM

メガネデザイン25周年
メガネフレームのデザインに関わってきて、25年になります。
今年は、クライアントであるメーカーが、
「25周年記念」として復刻番や新作を発表してもらってます。
私のメガネフレームは、大勢の愛好者が支援していただいていて幸運です。
そして、私のブランドのみに、
大勝負をかけていただいている専門ショップもあります。
もうすっかりと、メガネに関わるほとんどの知識は身についていると自負しています。
しかし、メガネフレームは
「明らかにファッションであり、さらに、流行現象の中で翻弄される商品」なのです。

必需品だが
やがて、地球上の人口が70億人になります。
おそらく、人口統計学的な予測よりも早く、70億人に達するでしょう。
引き替え、わが国の人口は「少子化」とともに激減しています。
ともかく、35億人=メガネが不要です。
そして35億人=メガネは必需品です。
現在の調査では、12億人、メガネを所有していますが、
23億人はメガネを持っていません。
この23億人向けのメガネは根本からの「革新」をめざして開発を進めています。

アスリート用サングラス
ところで、メガネフレームには、「スポーツ向け」というのがあります。
プロのアスリートたちは決まって、
このスタイリングデザインをかけています。
しかし、このメガネフレームほど、
どんな人間、人種を限ってみても、
「似合っている」と思ったシーンはまったくありません。
もし、「まあまあ」というのは、スピードスケートや、
サンバイザーなどで、ヘアースタイルというか頭髪を隠してしまえば、
それなりのスタイルに「見える」だけです。
翻って言えば、スポーツ、アスリート、ゴルフなどにこのスタイリングを、
私に言わせれば強引に「商品展開」した企業のオリジナリティは評価できます。
25年の経験から、私は次の三つの方向をともかく道筋をつけたいと考えています。

メガネを必要とする人へのまったく「革新的メガネ」の開発
廉価なメガネへの「生体工学と人間工学」をデザインで導入
あの醜いアスリートメガネの「スタイリング一新」

果たして、ここまでやり切れるかと考えるとき、
私なりの経験と予測、
さらに造形シェイプ、
その創出方法は教育しておきたいということです。


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『資本主義からの逃走』
「 何がMedia Integrationとなるのか・1」


   


     5月 3rd, 2010  Posted 2:27 AM


「容」を「かたち」と、
ふりがなをつけて表現した作家に浸りきっていた時期がありました。
容姿や容貌という字形文字につながる漢字です。
欲の対語とも言われ、「空」のごとく空っぽにも関わらず、
容量という、中にものを入れるゆとりや、
「刀を容(い)れざるなり」など、
着物姿の女性を「美しく」表現するために、
その作家は当て文字にしていました。
デザインするモノの姿は、
容姿、容貌が「美しく」あってほしいという
私なりの願望を私もこの漢字に託したのです。

命題から述語へ
さて、「デザインとは何か」とか、
「自分とは何者か」というのは、命題への問いかけです。
しかし、今や、情報としてモノは、その姿=容を外観化しています。
それは、外観から命題へという傾向があります。
私は、「述語論理」に価値観が集中し始めている時代、
ということを述べてきました。
おそらく、「資本主義とは何か」とか「民主主義とは何か」、
これらも、世界中が、
命題論理に時代も社会もひたすら懸命だったのかも知れません。

私は「容」という漢字で、
モノの容(かたち)=Mediaがデザインである、
とひとまず言い放ってしまう述語的思考から、
integretionへと向かうものと考えます。
これまで記載してきたことに連続させれば、
「内容」がかたち=形態から形式になるから、
それをデザインと呼びます、ということです。

アンチテンション
私の代表的な製品アイテムに「メガネフレーム」があります。
20世紀最後に、
「アンチテンション」という「容」を商品化しました。
「メガネとは何か」という命題を離れたのです。

「アンチテンションがメガネである」という
述語的なデザインをしました。
アンチテンションというのは、
レンズにフレームの歪みを与えないこと、
だから、瞳孔距離を変えてきてしまった「形式」を
変貌させた容貌にしました。
そして、今ではレンズにテンプルを拡げても歪みを与えない
「形式」=「形態」がフレームメーカーでは、
重要なアイテムになっています。
メガネフレームはMediaであり、Toolでもあります。
そして、何がメガネフレーム「容・かたち」となっているかは、
レンズに常に与えていたテンション=ストレスを
解放するという述語的概念に
デザインを与えてきたことだと確信しています。


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