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Posts Tagged ‘ラジオ’


『音像もCDとインターネットで聴覚を確かめる』


   


     2月 7th, 2019  Posted 12:00 AM



音響も音楽も、両方確かめられる「音像」は、
今ではほとんどCDで決めています。
「音像」は、明らかにステレオ感覚ですが、
加齢による聴力の変化が影響しています。
どうも右耳の聴力が劣っていると感じていて、
右耳からの音は左脳、
つまり論理的な思考をつかさどる言語脳の
ステレオ感の判断が迷っているようです。
若い頃には、左右の聴覚は完全に一致していました。
右脳、左脳の違い同様に、右耳、左耳から取り込む
音の情報処理は異なります。
そういった特性や、耳の加齢も考慮して「音像」を意識しています。
インターネットラジオからの放送も視聴して、
別段ジャンルや言語にもこだわらず楽しんでもいます。
もはや、チューナーの時代ではありません。
だから、私のJBL4343は、最後のメインテナンスは、
十分にオーディオマニアの技術者にお任せしました。
先般は、B&Oでセッティングしようと思って
それをこのブログを書いていたところ、心配した先輩のマニアから
すぐに電話がかかってきました。
JBL4343がどれほど凄い製品なのかをあらためて聞きました。
もう部屋数以上のオーディオシステムの組み合わせを持っていて、
あくなき音への探求でまだ楽しみたいのです。
そうして、ビジュアル、テレビや映画などは間違いなく、
オーディオに頼ります。しかし、現在でのTVでは、まだまだのようで、
周辺システムをやはり追加させえて効果を高める必要があります。
立体映像になれば、
ことさら立体音響、音像の世界観が必要とされるでしょう。


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『電源いらずの美しいホットメディアのAMラジオ』


   


     2月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM



中学時代に「技術・家庭」という授業がとても楽しかったのです。
確か、技術の先生は美大出身だった気がしています。
そうして思い出すのは「半田付け」の授業では、
3球スーパーラジオがどうしても造れなかったのです。
高校時代には級友で電子回路に詳しいのが3名ほどいて、
真空管が1球、2球は造れたけれどと言ったら、
電気関係は向いていないと言われました。
企業に入ってチーフが電子回路図を広げてスイッチの位置とか、
電源位置などエンジニアとわたりあっていて、
デザイナーなのにエンジニアに回路図で対抗とは、
ということで、このチーフについていこうと思ったのです。
今もつながりがありますが、ベンチャーを大企業にしてしまいました。
私自身が回路図を書き直したこともありますし、
回路図が美しいのはオーディオの音も綺麗だったことを思いだします。
最近、AMラジオにこだわっていて、時間があればとかで、
ゲルマニュウムラジオ、1球、2球で電源無しのラジオを
絶対にデザインしたい、そんなことを考えています。
マクルーハンが、ホットメディアで「部族の太鼓」と言っていたラジオが、
今ではPadとそれ用のオーディオスピーカーシステムだと、
なかなかいい音なのです。
何を聞いているかといえば、なるほど、ホットメディアで、
確かに現代の太鼓かもしれないという気がします。
なんだか、時間を充分にとって、半田付けで、
これももう一回練習をしないと出来ないかもしれません。
まして老眼ではどうなのかとか思い巡らしながら、
この回路図の電子部品がとても進化しているのを見ています。
ともかく、ラジオはひとつも商品化していません。
が、製品化モデルは3点ほどあります。
FMでは無くて、しかも電源を使わずに、HiFiのAMラジオって、
とても美しい存在のモノ、そこからとてもいい音がするのです。
それだけで、絶対に美しいホットメディアの現代の太鼓のようなモノ、
それが造れると妄想しています。


* 『「トリタン」というフィラメントの明かりを今も求めている』
* 「手習いまだまだ諦めずに・・・」
* 「想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず」
* 「新しい部族の太鼓かインターネットラジオというメディア」
* 「「ラジオ聴覚メディアの強さは革新された」

  


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『ふるさと福井の大震災を胎内で経験していたと聞く』


   


     7月 1st, 2016  Posted 12:00 AM



1948年(昭和23年6月28日16:13pm)福井大地震が起こりました。
地震規模はM7.1、1945年の大空襲は日本での三大空襲の一つでした。
羽二重によるパラシュートの産地だったからです。
地震1ヶ月後には集中豪雨により、3度も市街地は破壊されました。
自分はまだ母の胎内に命がようやく出来た頃で、
翌年の2月にこの世にでてきました。
大地震が発生した時、母は実家の竹藪に入ったそうです。
母の実家裏の竹藪は300坪ほどありました。
そして竹藪は竹の根が強くて地盤がしっかりしていたそうですが、
夕焼けと同時に福井方面の空が真っ赤だったと聞きました。
戦争から復員して、父はノンキャリアの警察官であり、
その若さから、
県境を自転車で乗り越えて石川県警に伝令を努めたそうです。
福井から県境に行くまでに数人の倒壊家屋に閉じ込められた人を救ったと、
戦争の話は従軍7.5年ながら、一切話さなかったことにくらべれば、
小さい頃にそのいくつかのエピソードは聞かせてもらいました。
阪神大震災の時には、父はすでに退官していましたが、
私はまだApple本社とのつながりがあり支援金と、
PowerBook100台が東京から福井に届き、
それを福井県警が最も早く神戸入りをするときに運んでもらいました。
と同時にキヤノン販売には、神戸にあるショールームのプリンターを
避難所にいるボランティアに開放していただきました。
しかし、その直前まで開発していた「ラリア」という
非常事態専用SOSラジオの中断が
とても悔しかったことを今も忘れていません。
以後、行政がらみのデザイン意義はないものと考えています。

*『最近見なくなった竹藪、その思い出』
*『都市伝説であれ、地震雲あり空をよく見よう』
*『あれから20年・・・阪神淡路大震災のこと』
*『想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず』
*『児童を守らねばならない! そんな国ではなかった』


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『あれから20年・・・阪神淡路大震災のこと』


   


     1月 19th, 2015  Posted 12:00 AM


関西では阪神大震災のことがより詳細なTV報道が増えています。
あらためて当時のことを思い出せば、この20年間、
そしてMarch 11.2011東日本大震災での反省とは大きく異なります。
あの日、私は福井におりました。大きな揺れを感じてTVを観て、
唖然となるほどの大惨事で映画の場面かと思いました。
神戸の友人には当然電話がつながりませんでしたが、
メールで彼の周囲のことを知り、私もすぐにAppe社にメール。
直ぐに支援金とPC100台を福井宛に送付してもらいました。
多額な支援金でした。そのときに対応していただいた方々がいます。
父はすでに福井県警を退職していましたが、福井県警は最初に、
神戸に入ったのです。福井震災の体験があったからでした。
が後に最初は新潟県警という誤りがありました。
そうして、キヤノン販売も被災地ショールームにあるコピー機を全て、
避難所に具えることがOKされました。
当時はMacに精通した連中がかろうじて情報の整備をしたのです。
私が最も気がかりだったのは身障者の人たちがどうしているかであり
デザインが間に合わなかったモノ、それはラジオだったのですが、
これもクライアントが無かったことで実現していませんでした。
この震災から、私のこころの中で、危機状況へのデザインでの対策は
大きなデザインテーマになってきています。
当時も、大きなデマが流れていました。それは火災爆発の危険性流布。
あれから、情報化手段は確実に大変化してきています。
なんといってもスマートフォンの普及であり、この情報ネットワークは
以後、3.11・東日本大震災でさらに強化されたと思います。
ところが、スマートフォンの発売は格段に増加しましたが、
こうしたネットワークも無いスマートフォン販売企業は不要です。
明日にでも日本列島は大震災の予測があります。
それだけに、まずはスマートフォンには呼び笛とミニ印鑑が必需品であり、
震災時のトレーニングは毎月必要だと言っていいでしょう。
これはリスク対応ではなく、クライシス対応だと付け加えておきます。


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「わが家PCオーディオのセンターは、まず音像」


   


     6月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM




プリアンプは、LINN KLIMAX KONTOROL SEが中心。
そして、パワーアンプはモノラルAMPZILLA2台で、
JBL4343を「音像」再現で動かしています。
そして、B&O BeoSound5、リッピング音楽ソースは、
プリアンプ下のハードディスクにあります。
しかし、音質を向上させるために、
最近は、iPod classic -160Gにようやく現在は5台、
Appleロスレス・エンコーダで、
ようやく持っているCDを半分まで貯蔵しました。
まさに、音源を貯蔵したという感覚です。
したがって、音楽ソースは、
PC音源とインターネットラジオになりました。
ともかくこのプリアンプ・パワーアンプはJBL4343ですが、
すでに30余年になります。
JBL4343は、私のこれまでを見つめてくれてきた愛機です。
これまで4回入院、すなわち、リペアしています。
そろそろこのスピーカーを引退させてあげようかと思っています。
何度もそう想いましたが、
やはり手放せません。
すでに、スピーカー技術も進化していますが、
死ぬまでこのスピーカーと付き合おうと思っている次第です。


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「手習いまだまだ諦めずに・・・」


   


     5月 16th, 2012  Posted 12:00 AM


私は美大ゆえに4年間、フランス語受講で単位は取得。
40年ぶりの同窓会でフランス語受講していた同期生に、
「4年やり通したよな」と言ったら、
「エッ、貴男のこと記憶に無いわ」と
一笑にふされてしまいました。
きっと、教室では存在感全く無かったのでしょう。
彼女は卒業と同時にヨーロッパに行ってしまいました。
最近、帰国したとのことでした。
60還暦から考え抜いていたのが、「60の手習い」でした。
ある経営者は60から中国語をすぐにマスター、
最も彼は、英語もドイツ語も堪能でしたので、
とても敬服していたことを思い出し、
62歳、昨年からフランス語やり直しを始めました。
そこで当然、私は「かたち」=モノから入ります。
ラジオを出張用も含めて買い直しました。
そうしたら、ラジオの進化にびっくりしました。
今ではパソコンにも連動するなど、
性能は格段にラジオでは無いのです。
これも精微な出来映えですが、あまり知られていません。
というわけで、
今年に入ってからもまだやり続けてやろうと企んでいます。
英語も未だまともで無いのに自分でも「なぜ?」なんです。
ただ、学生には言ってきました。
私の世代は英語だけでなんとかだったが、
君たちの世代はもう3カ国語ぐらいは絶対に必要だと、
教師として教条主義を発揮しています。
ベトナムからの留学性には、
日本語以上に多言語をやりなさいと伝えています。
おそらく私はリタイアしても
フランス語で読書程度はと思います。
今、イヴ・サンローランの原書は絶対読破と思っています。
4年もフランス語をやっていたのに、
最初にパリに行ってまったく駄目だというトラウマでした。
さてあらためてここで暴露することで、
自分に喧嘩を売っているのです。
それにしても、今は外国語習得の情報環境は整っています。
フランスの友人にも、
エコール・デ・ボザール(フランス芸術大学)での
ワークショップなら必ず・・・なんて
大言壮語してしまっていますシ〜ィ・・・。


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「想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず」


   


     1月 9th, 2012  Posted 12:00 AM


1994年にギャラリー・間で個展をすることができました。
「プラトンのオルゴール」という個展をしました。
その個展の作品・インスタレーションは、
2006年に金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。
その個展で一つの作品を提示展示しました。
「東京ラリア」という名のラジオです。
これは災害用を意図して、電源無し・振って発電し、
NHKだけが聞こえるラジオ=受信機能と
発信には笛をつけました。
その笛の吹き方は、表面に触覚マークがついています。
「・・・ーーー・・・」というだけのものですが、
これはモールス信号のS・O・Sを表しています。
フッ・フッ・フッ・フー・フー・フー・フッ・フッ・フッで
SOSになります。
これを個展と同時に草月会館での講演でも見せました。
そうしたところ、東京消防庁と東京都から具体化の話になりました。
しかし、様々な経緯で可能にはなりませんでした。
そして翌年1995年に阪神・淡路大震災が起こりました。
(来るべきことが起こった!)
私の想像力と直感が当たった気がしましたが、
咄嗟にこの「東京ラリア」が出来なかったことを悔やみました。
こうした体験を何度してきたでしょう。
新潟県中越地震前に「佳設住宅プロジェクト」を
ある住宅メーカーと進めていましたがトップが倒れてストップ。
この「夢」も本当に間に合いませんでした。
中越地震直前にあった出来事も書き残したいと思っています。
この時は、日本の原子力技術学会・大学人と大喧嘩しました。
これは、本当に今回の原発事故での原子力専門学者、
特に御用学者の態度をすでに私は体験していました。
いづれも、デザイナーという職能の悲しさです。
デザイナーはデザイナーでしかなく、
具現化する投資やその具体化推進の経営者がいないのです。
だから、私自身の経済的な投資力を持たなければなりません。
製品開発のアイディアは「夢」となる想像力と直感ですが、
これは「夢」というより必然的などうしても実現を急務とする義務です。
残念ながらその力量が私に無いことが悔しくてたまりません。
先般、Facebookでこのラジオのブログを紹介したら、
覚えておられた方、やがて私の連載の編集者さんが
詳細に説明を投稿していただきました。
そこであらためて、ブログアップしておくことにしました。
まもなく、私は昨年の3.11から取り組んできた「夢」というより、
デザイナーの義務としての「復興計画」の企画提案をします。
万一、これが受け入れられなければ、
それは私に「説得力」というデザイナーとしての基本能力不足だと判定し、
残された時間の使い方を再熟考し直す覚悟でいます。
たとえ、想像力と直感でデザイン対象を見いだしたなら、
それはそれなりに「社会化」することが、
デザイン職能の義務だと考えます。
これは私自身の存在証明ですから、それが無くなったなら、
私の存在価値は自分で決定する必要があるでしょう。
「東京ラリア」の基本的な動機とその考え方は、
iPhoneアプリ「HELP CALL」に連続させていることを追記しておきます。


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「現代の重大概念と技術支援とのギャップ」


   


     1月 7th, 2012  Posted 12:00 AM


「光景」とは人間の生死を対照化する景観です。
そしてその光景景観=生死境界には、
現代性を共時する言葉・概念が表れています。
その一つが「コミュニケーション」という概念と手法だと考えます。
3.11の大天災時に、
生死という光景を決定づけていたのも「コミュニケーション」でした。
それは「コミュニケーション問題」として
再検証すべきものになっています。
NHKは日本の最大マスコミとして、
災害情報発信においては毎日トレーニングをしていると聞きました。
よってその放送があまりにも冷静過ぎるとの批判さえあるらしいのです。
推測ですが原電での事故トレーニングは行事でしかなかったのでしょう。
さて、今回の連絡コミュニケーションはラジオ・テレビではなくて、
地元では、地元それぞれの地域内放送でした。
それは日常ツールであり、メディアでは無かったのかもしれません。
そしてSocial Networkでのtwitterが最も情報の拡散を果たしました。
写真にあるようなケータイの充電風景と、
ホワイトボード上に書き込まれた現場情報の共有情景、
この風景と情景によって、「光景」を決定づけている、
「コミュニケーション」の手段でありツールでした。
つまり、「コミュニケーション」は、
メディアとコンテンツがその概念の中軸のように思われます。
しかし、ホワイトボードとケータイという「ツール」が
コミュニケーションの基軸でした。
私は、現代、communication論として、
media・contents・toolとして再考するならば、
あらためて、toolのデザインがcommunicationでは
com=二つ対峙する関係がnicateお互いに分け合うこと、
そのためのtool論が本当は大問題だと知ることになりました。
コミュニケーションにとっての重大事は、
コンテンツが中心では無いというのは私の持論です。
コンテンツよりもコンテクスト=文脈、
それは「分かち合う脈略」がコミュニケーションの定義だという主張です。
あらためて「コミュニケーション」という現代重要概念の共有共時性は、
contextとtoolをこれからいかにデザインと技術支援し、
技術進化を果たしていくかを確実にすべきと判断します。
単純に「コミュニケーション」は、語れば語るほど、
現代社会観での光景論を喪失していることを露呈しているのでしょう。
communication=tool+contextが正解なのかもしれません。
よって、mediaとcontentsは
光景=生死からは離脱した概要だということが可能です。


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「資本主義からの逃走」
   「「ラジオ聴覚メディアの強さは革新された」
  


   


     3月 3rd, 2011  Posted 12:00 AM

ラジオはメタ・メディア
放送局の取締役会顧問だったことがあります。
TVとラジオの営業と編成戦略、このデザインコンサルタントでした。
放送会社の企業C.I.に関わっていたからです。
当時もTVよりラジオの方が営業的には基軸が強固でした。
TVは単なる地方局として中央の中継基地でしかありませんでした。
しかし、ラジオは独自の番組編成が自由だったので、
その地域に密着した番組づくりがすこぶる可能でした。
その時すでに私はラジオはオールドメディアにはならないと確信したものです。
マクルーハンのいう「ホット・クール」という分別や
「部族の太鼓」という比喩ではないと思ったものです。
CDやPCが登場し、デジタルメディアになったとき、
私はホット・対・クールではなくて、
「ウェット・対・ドライ」という私なりのメディア分別思考で、
メディア機器にそうした造形言語化をしたものです。
今、私はiPodをFM電波で車内に局部音場づくりに凝っています。
しかし、大阪市内はFM電波が混雑していて、ようやく最近最適周波数を決めました。
CDパッケージソフト時代は終わった。
もはやCDというパッケージソフトは、Disc自体の素材性・物理的脆弱性がありますし、
輸送コストなどを考えれば、ラジオメディアは音波であり、
このメディアはインターネットで格段に世界規模になったものと判断することができます。
世界中のFM音楽番組は、まだCD音源の圧縮方式などが様々であるだけに、
Tuning-Mediaという音源、つまり「メタ・メディア」として革新的な進化を遂げつつあります。
しかし、このことにオーディオメーカーなどまったく気づいていないようです。
なぜなら、CD音源やDownload音源の再生装置システムその根本的なデザイン設計は、
これまでのオーディオシステムを全く超えていないことがそのことを証明しています。


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「資本主義からの逃走」
「新しい部族の太鼓かインターネットラジオというメディア」 
  


   


     3月 2nd, 2011  Posted 12:00 AM

マクルーハン・メディア論から
CRTはまったく製造生産されなくなりました。
ブラウン管TVはまったくなくなりました。
私はCRTから液晶ディバイス機器のデザインをしてきました。
表示ディバイスは、メディア機器形式の根本を変革進化させてきたと思います。
TVというマスメディアはデジタル化し、さらにマスメディアであることも終わるでしょう。
マクルーハンは「人間拡張の原理」、
そのメディア論としてラジオや映画、TV、新聞などを明快に切り込みを入れてくれました。
しかし、彼が登場したとき、
彼のメディアをクールとホットに分別したことは最初は嘲笑されていたということです。
彼が、メディアに対して明確にしたことは、
私たちにとってのメディア形式が内容よりも意識の問題提起だったと考えます。
『部族の太鼓』か、インターネットラジオ
昨年末から自宅の音響システムをネットワーク化とデジタル音源データベース化をしてきました。
そして、思いがけず驚いたのはCDをiPod化したりその圧縮方式や、
再現システム化をしてきたのですが、
こうしたことよりもっと強力なメディア形式として「ラジオ」でした。
「ラジオ」なんてすでにオールドメディアであり、
マクルーハンも「部族の太鼓」と比喩したものでした。
ところが、インターネットラジオは、
まさしくマクルーハンが近未来の地球をグローバル・ヴィレッジと定説化しましたが、
あらためて「部族の太鼓」としての形式内容を与えるメディア形式として、
CDの聴覚対象である特に音楽、
その産業形式から放送受信形式まで、私たちの意識内容を激変させるでしょう。
インターネットラジオという形式のモノとその産業構造となるコト激変を確信させられました。
インターネットラジオは音楽産業界を変える
インターネットによって、
FMラジオ放送が地球全体に存在しているチャンネルすべてを聴取することができます。
それこそジャマイカからブラジルなどあらゆる都市でのFM放送の中でも音楽番組が聞けます。
そうした放送を聴きながら、さらに自分がどんな音楽を聴いていたかを新たなシステムは、
自動的にセレクト分別して、
「あなたはこのジャンルが好きのようですね」とまで、プログラム化してくれるわけです。
それは、「部落の太鼓」を選別し分別してくれていることになります。
ネットワークが私の身体聴覚の快感意識にまでリンケージしてきたということです。
私は、CDをデータベース化するどころか、
このインターネットラジオのオートチューニングが、
私の意識、その再確認を試す時代だということに感激しているわけです。


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