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Posts Tagged ‘ラテン語’


『エトルリアという国家で生まれた言語=ラテン語』


   


     12月 3rd, 2014  Posted 1:30 AM

デザイナーという職能になって以来、
デザインという言葉に取り憑かれて生きてきた気がします。
designとはdesignareというラテン語が原語だということから、
その言葉をつくりだしたエトルリア人=エトルリアという都市国家と
その人たちの言葉であるラテン語がどれだけ美しい言葉だったかは、
オウィディウスの詩集には、その韻律が今なお残っています。
私たち日本人には、ラテン語という原語である言語は、
全く教育されていないことが残念至極だと私は思っています。
もし、私たちが英語学習の前に、ラテン語を少しでも学習すれば、
英語教育は大きく変わっていたと私は思ってしまいます。
最近は幼少期から英語というこの考え方に、
私は大きな疑問を持っています。
まず、エトルリアという都市国家の存在は、大学を最初に発想し、
ラテン語を紀元前8世紀〜1世紀には、この言語体系があったから、
やがて、欧州の様々な言語に流れていくことになるわけです。
なんといっても、designareは、do+sign=designになったことです。
do signとはそのまま「目印をつける」という言葉を生み出します。
それは見えて区別することですが、
思考そのものへの目印という意味は、思考決着にいたること、
それは分別をつけることであり、表面的にはどうしても装飾を
引き出すことが、戦後の日本には洋装・ファッションの用語意味が
強調されたがゆえに、装飾は意匠となり、やがては思考決着である
設計に至ってしまったのかもしれません。
したがって、21世紀に入ると、中国がデザインを設計から策略とした
このdesign訳語は日本のデザイン訳語を乗りこえてしまったことです。
比して、台湾が資源とした訳語も私は正解だったと思っています。
オウィディウスとゲーテとの友情関係などを
私はデザイナーになって、ラテン語を追いかけていくとき、
彼らの関係を知ってとても驚愕したものです。
それこそ知的なエトルリア人をもっと知りたいと思った動機でした。
designという言葉が、私をこの国家の知性まで引き込んだことは、
どれほど大きな幸運だったかと思っている次第です。


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『ラテン語・îreから辿っていく』


   


     8月 3rd, 2014  Posted 12:00 AM

ラテニウム地方にいたという人々に会ったことがありません。
だから、その地方からラテン語という、体系化された言語が
その後の、特に宗教思想を拡大していったことも私には不明です。
ただ、学術的、歴史的な知識をどれほど拡大させられるだろうか、
このことを多分、
私は自分の生涯の中で最も私は想像力の基本にするでしょう。
それはîreから辿っていくことになります。
それは、前置詞である「in」と「ex」に関わるからです。
私は知識と想像力は言葉・語彙、その原意の遡及だと思っています。
時に、デザイナーは「センス」が問われますが、
それは知識の前提、ズバリ、語彙その源流にあると確信しています。
たとえば、「ex」はexponentであり、この言葉には高校時代、
数学の教師がラブレターについて語ったことが今でも記憶は鮮やかで
「最も変わらないことであるものはexponent」という講義でした。
だから、以前、eX-DESIGNというデザイン企業を創ったこともあり、
それは「対数」を表していました。
当然、ラテン語の戻れば、ex=exîreは対極にin=inîreがあります。
私はデザイン=design=designareを原意に求めていくとき、
今では、英語でも当然の前置詞=inとexは対極であり、
in=〜中へ、ex=〜外へが実は奪格用語だと知り置くことでしょう。
奪格というのは、前置詞ゆえに次の言葉を支配することを意味。
つまり、in・・・とか、ex・・・は、「・・・」という名詞に
in=中・以内、ex=外・以外を規定しているということです。
したがって、例えば・・・デザインも、デザインの領域で
規定していることがあるのだろうかという問いかけになるわけです。
私はあらためて、ラテン語が、ラテン人となっていく人たちが、
実は、リディア人やエトルリア人が、なぜ、こうした前置詞を
あえて使ってきたのだろうか?
しかも、後の言葉を規定せざるを得なかった理由に、
私は自分の想像力を飛ばして、現代の定義にしておきたいのです。


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『デザイン=designareということばの源流のために』


   


     8月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

紀元前1世紀?、私にはそんな時代は本の中にしかありません。
弥生時代の頃と言われれば、縄文時代よりも稲作が始まったとか、
その時代の方が私には、モダンデザインの始まりを感じています。
しかし、これも私には本の中で辿るより手立てがありません。
その時代に、ラテン語が生まれ、それを成した人々は、
エトルリア人だと学術的には解釈されています。
しかし、私は、そのエトルリア人がどこからイタリアの
ラテニウム地方にやってきてそこでラテン語が生まれたのかです。
そのエトルリア人がでは、どこからやってきたのかも、
確かめなければ、その言語すら、生まれてきた背景が不明です。
学術的な歴史観では、アナトリア半島=現在のトルコであり、
その文化は最初に硬貨=コイン=エレクトロン貨を発明した人です。
私はそこで、あとは紀元前の時代にまで戻って、
想像力で、その人たちがなぜ、イタリアにやってきて、
ラテン語を創出したかを考えることになります。
実際は、現代の紛争もこの時代から綿々と民族対立になっています。
とりあえず、ラテン語は、現代にまで「始めに言葉ありき」を
私たちに与えた言葉だからこそ、ずーっと昔の昔にまで
自分の想像力と遺物と地図で、彼らが国家をつくって滅亡を
見届けなければなりません。
私にとって、ラテン語である「designare」をラテン語から
拾い出して、その言葉がde+siginからdo+siginになる過程、
designという言葉の源流を、Lydia=リディアという国家に求めます。
おそらく、私がデザインという言葉から、その本質に迫るためには、
リディアという国家からイタリアに住み着いて、
欧州の言語の基本、ラテン語であり、
その語彙のデザインというたった一つの源流=designareを
明白にしていくきわめて歴史観からの唯一の方法だと思うからです。


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「デザインは問題解決!・この本質の再整理」


   


     8月 27th, 2013  Posted 12:00 AM

デザイン=designare→design。
ラテン語からアングロ・サクソン語になりましたが、
この本質を伝えるには、漢字一語がその本質を表しています。
「解」文字、この一字です。
牛には角があり、それを刀で・・・ということは、
解体し解剖し、あるいは溶解します。これが第一段階です。
次に、解体して分解したものを、解釈し解説することで理解です。
これが第二段階になりますから、解説されて理解に及べば、
第三段階は、解放されることになります。
つまり、目の前にある問題・課題・話題となっていることに対して
応答し回答し、そして解決することで、人はホッとするのです。
人は、常に問題を抱え込みますが、なんとか解決してこそ、
やっと解放されることになります。
そのために、人は、問題意識となっていることを
より明解にするべく、問題点に目印=signを付けるわけです。
この目印を付ける行為=do+sign=designareと断言できます。
問題解決された応答・回答・解答はいづれも「答」です。
「答」という漢字も優れて良く完成された文字になっています。
竹冠が「合っている」ことは「箱」という文字と対照できます。
それは箱には竹で編まれた蓋が付いていることと同義なのです。
「答」は最適解でなければなりません。
デザインは、問題点を明確にしていく思考過程に目印をつけて、
その分解・解体・解剖・溶解をすることで、
なんとか解釈をつけ、解説をすることで、理解を促します。
充分に理解できれば、人は解放されて人心地をつけられるのです。
私が、designが問題解決のための思考をめぐらしていくには、
具体的にはスケッチを描く=do+signを思考工程にしています。
たまたま、その目印が装飾的に見えるからこそ、
一般的には安易にデザインは装飾だと思い込んでいるのでしょう。
しかし、「解」・「答」という漢字とdesignareまでを
問題解決の思考に配置していけば、本当に「明確」な、
designの本質にたどり着けるものと確信しています。


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「田の象形から、思考の思」


   


     6月 17th, 2013  Posted 12:00 AM

漢字「田」は、頭蓋骨の象形文字でした。
そして、とても大事なことは、3歳までには、
この頭蓋骨には「泉門」と呼ばれている穴が空いています。
この穴は、3歳で閉じられます。
いわゆる「三つ子の魂」と呼ばれるように、
3歳までに、たとえば理系とか文系が決まるように、
頭蓋骨の中の脳味噌には、この穴から吹き込まれる何かが、
影響しているとさえ言われてきています。
しかも、この「泉門」というのはラテン語でも同様に、
「泉」でありその出入り口として「門」と言われているそうです。
したがって、この「田」は決して田畑という文字ではありません。
だから、脳味噌が心で反応していることが、「思う」こと。
もうひとつの「想う」は、
相手に対して、すなわち、対象物に心の動きを表しているのです。
私は、「思考」の「思」を「田」と「心」、
それらの象形文字でこれまで大学でも説明をしてきました。
「思考」とは?
あるいは、「何が思考に」ということも、
詳細に検討することが、デザイン思考の基本だと想っています。
特に、女性が赤ちゃんを持ったなら、
「三つ子の魂百まで」というように、
この泉門についての重大性を語ってきました。
おそらく、私も母の胎内から3歳までの間に、
何かが影響したのかもしれません。
たとえば、米国では、死亡した乳幼児の頭蓋骨を丹念に調査し、
泉門・頭蓋骨・脳検査によって、
ロボット思考の基準すら調べられているということを、
著名な日本のロボット学者から聞いたことがあります。
叶うなら、胎児から3歳までの泉門の解剖学的な所見が必要です。
「思う」ことは、
実は、人間は生まれながらにして、
心と脳での直感的なことが大きく寄与しているのかもしれません。


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「『危機管理デザイン賞』は ‘ヘルメスの杖 ‘をシンボルに」


   


     8月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM

以前、ここで「アスクレピオスの杖」を取り上げました。
危機管理の象徴をどうすべきかを悶々としてきました。
案の上、「ヘルメスの杖」についての記述にも、
感想としての異議をいただきました。
これは、米国陸軍・医療部のマーク(X)について、
喧々諤々の世界的な論争があった当時と同等だと思いました。
あくまでも「アスクレピオスの杖」は、
医学のシンボル(A)ですから、
ルーベンスの絵画としても残っています。(B)
したがって、WHO=世界保健機構はこのシンボルです。(C)
救急車のシンボルはほぼこのマークが普遍化しています。(D)
日本では、赤十字社の救急車のみ赤十字です。
医学や医療は「アスクレピオスの杖」で
杖に蛇が一匹という象徴は歴史的コンテクストです。
ところが、杖・蛇が二匹、そして鳩の羽によって、
「ヘルメス」の活動はスパイ的な泥棒行為まであり、
医療行為や、通信、取引など統合性が「ヘルメスの杖」となります。
私はもう一度、ギリシア神話を基準に、
ヘルメス学と呼ばれる知性確認の体系に没頭しました。
「危機」はギリシア語ηκριδιδ=Krisisが原意語です。
この意味は、「決断」です。
ラテン語になっていくとderisisです。
これは「決定する・選別する」というのが「危機」となり
Crisisに連続します。
Riskに至るまでの、「危機」・「危険」は、
言葉のコンテクストの根底には、生命を護り合うということが、
おのずとと思想観には
「平和」の概念が入ってくることになります。
切手やメダルなどの応用事例も集めて検証しました。
そこでの発見は、軍事的危機というのは、
紛争の解決=平和への希求がありますから、
日本の防衛医大(Y)も「ヘルメスの杖」を採用しています。
私はヘルメス学体系全体には
錬金術師が水銀を医療行為にという伝説も認めて、
「危機管理」は統合的な営為とみなすことで、
「危機管理デザイン賞」シンボルに引用したわけです。
さらに、「ヘルメスの杖」は拡大して、
ビジュアル表現要素にしていくつもりです。


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「伝統とは『裏切る』ことへのアプローチ」


   


     2月 8th, 2012  Posted 12:00 AM

「私たちは美しい切れ味を鍛えています」。

越前打刃物、その産地に掲げたマニフェストです。
余談ながら、マニフェスト=宣言として、
私はデザイン導入テーマを宣言として使っていました。
そして伝統=Tradはラテン語原意そのままに、
伝統工芸技術への裏切り方をシンボル製品開発に
プロセス調査を重ねることにしました。
鉛筆が削れる、そのためにはナイフを鉛筆削り専用を開発しました。
小学校1年生から中学校1年を対象に、ペーパーモデルで検討し、
小学校4年から5年生で手の大きさが急激に成長することと、
小学校2年生になると「器用に美しく削る」ことを発見しました。
その削り角度(写真上の緑線)
そして火づくり鍛造する三層鋼を
特別に素材メーカーで生産してもらいました。
ステンレスに鋼材をサンドイッチしてもらった三層鋼です。
私自身が左利き(左右両利き)ですから、
左右どちら利きでも使いこなすこと。
本革のケースと研ぎ石も付属させた商品にしましたが、
一番の問題は、この刃物(3,000円)も30,000円の包丁も
ほとんど人件費は同等だったことです。
それでも、「シンボル商品」として商品化しました。
そして、プラスチック柄にするまでには10年かかりました。
産地体制でプラスチックハンドルの生産が不可能だったからです。
今もその体制づくりは出来ていません。
最終的な研磨を産地で製品化して商品にしています。
現在ではプラスチックゆえ「プラ・スコラ」という商品名にしています。
私は、もう一度産地体制での生産設計をやり直して、
本来のオール金属+本革シース+研石の「SCHOLA」(学校を意味)を
復元商品化したいと思っています。
そのためには、伝統技をもう一度「裏切って」、
新たな製造工程のデザインが必要だと思っています。


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『資本主義からの逃走』
   「情報記号・印=サインからトポロジーへ・3」


   


     9月 26th, 2010  Posted 12:00 AM

印・sign=情報記号
Designはラテン語・designareから派生しました。
designare=do+signで文字通り、「印をつける」という原義です。
そこで、「印=sign」をややむずかしく情報記号と呼んでおきます。
その情報記号で、きわめて基本的なモノとして、
プラス・+とマイナス・ー、さらに数字やアルファベットを持ち出したいと思います。
私は、design=do+signと考えると、その基本形態の「印=sign」として、
数字とアルファベットがまず浮かぶからです。
特にアルファベットを取り出し、さらにこれらを図形的に分類することができます。
CILMNSUVWZ、EFTY、そしてDOと三つの分類ができます。
アルファベット文字=アルファベットという印=情報記号の造形です。
C・I・L・M・N・S・U・V・W・Zが、
もし、ゴムでできていれば伸ばせば、一本のゴムになります。結局、Iになってしまいます。
この分類とD・Oは、Iを伸ばしながら両端を接続した造形です。
こうした造形形態の分類を、幾何学でも位相幾何学=トポロジーと呼ぶわけです。
点・線・面への新たな興味
アルファベットという印=記号を点・線・面で見詰め直す手がかりに、
トポロジーって何なんだろうと考えたことが動機でした。
なぜななら、点・線・面は造形の基本形態であり、ここから形体と形態を峻別して、
デザインから「次元」を対象にすれば、
新しいデザイン対象やデザイン手法がきっと発見できると思いついたからでした。
そして、幾何学でもなぜ位相幾何学と呼ばれるのだろうかを知識としたかったのです。
位相幾何学の特色をあらためて整理し、分類し、その性質を情報化するときに、
なんらかのデザイン学理になる、ということにdo+sign=designから見詰め直したいというのが、
私の情報記号=印=サインからトポロジーの世界に入っていった理由でした。


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5月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 30th, 2010  Posted 10:25 AM

5月30日 友引(庚辰)

平面にあたかも
立体的な画像が浮かび上がる
そんな絵画を
透視図=PERSPECTIVE PROJECTION
と言う。

perspicereというラテン語、
それは、「はっきりと明確に見る」
という意味である。
そんな意味を語源にした呼び方である。

『プラトンのオルゴール』
デザインは見識と良識の投影


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