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Posts Tagged ‘レコード盤’


『左脳と右脳は、左右の耳に加齢化しています』


   


     2月 9th, 2019  Posted 12:00 AM



まもなく、私は生から死を迎えます。
おおげさな言い方ですが、今月、古希70歳になります。
それには、もはや「何にも要らない毎日」の生活があるのです。
闇雲に物欲に負ける生活は終わり、
もちろん審美眼が年齢とともに備わっているのです。
今は、身体のことで、左右の耳と左右の脳のことが一大関心事です。
自身にとって確かに異なっているのは、
右耳からの情報=ミュージックは
左脳が劣っているのは加齢のためです。
一般的にも、耳と脳との関係を深掘りして調べています。
アナログの再興で、デジタルとともに、
音響システムを構築できるいい時代です。
そしてレコードから、いい音を出すためにプレイヤーと
周辺小物を調整していますが、
レコード盤を押さえ込むスタビライザーも、
自分でデザインしたモノがあります。
幸いにして、40年も前のカートリッジは、
「ナガオカ・ジュエルトーン」で販売されています。
私デザインは、きっと私よりも、かなり長生きになるでしょう。
デザインしたスタビライザーがあるのかを、
オークションで探してみると、存在してるのです。
それはとても幸運なことだと思っています。
「何も要らない毎日」には、
感性=右脳を、購買すべきかどうかを迷っています。


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『オーディオ装置では、音響か?、音楽か?、』


   


     2月 6th, 2019  Posted 12:00 AM



オーディオに携わる中で、
私は音響として耳に音を入れ続け、
音楽を聴くという感覚が薄れていきました。
東芝で十分にそれこそ勉強できたのは、
まず何と言ってもモーツアルトとショパンからでした。
そしてクラシックでは中学生から
「中央アジアの高原にて」と「フィンランデア」です。
様々なジャンルを耳にして、それから思いっきり、
バド・パウエルにつながりました。
多分、彼のストックホルムでの、ほぼインスタレーション演奏を
聴いて以来、レコード盤を結構集めました。
ともかく、レコードショップに行けばレコード盤からCDと、
彼の全集を集めました。
この音楽は、普段音響としてオーディオから流れる音として
捉える私に、心に響く音楽を届けてくれました。
今も、私はクラシックを音響として、製品判断に使うことが多く、
一方、ジャズを音楽として聴いています。
東芝でAurexに携わり、初めて音響装置でいつも聴いているのが
音響なのか音楽なのかを考え、
結局感じることで自分の好みがわかったということです。


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『音場づくりにはCDデッキを整流器を通して』


   


     2月 5th, 2019  Posted 12:00 AM



自宅には関西だから60Hzの交流が流れています。
そこで、交流を整流にするために、オーディオやTVなどは、
廃盤商品となっている整流器2台を通して
整流し100Vを常に流しているのです。
そしてCDプレーヤーは、BeoCenter2が
おそらくトップのオーディオデッキだと私は思っています。
そして、これらは音場づくりのソースなのです。
デッキよりもリモートコマンダーで、制御をしていますが、
デッキの操作作法、扉の開閉といった手順がいいし、
表面のヘアライン=円形の仕上げも美しい製品です。
最近ではレコード盤のプレーヤー、
29歳頃にデザインしたカートリッジで視聴したくて
それに合うプレイヤーが欲しくなります。
ここ最近のレコードの再興で、新しい製品が出てきていますが
マークレビンソンが初めて造ってきたレコードプレイヤーは、
振動系があります。それは失敗でしょう。
私は、マークレビソンやマッキントシュは、
東芝時代から絶対に間違っていると判断しているので、
納得できるモノ=レコードプレイヤーを
どこかで造りたいと強く思っています。


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『現代音楽は絶対に知らなければいけません』


   


     1月 31st, 2019  Posted 12:00 AM



シェーンベルクとクセナキスが最高。と、
ほとんど口にしたことがありませんでした。
私の終活=終活とは、整理を付けるということ、
ワイフに言わせれば、結局やっていないと言われますが、
レコード盤は自宅には100枚だけにしました。
中でもシェーンベルクとクセナキスのレコード盤は特別です。
ところが、研究室には名古屋の事務所から
移動した400枚が収蔵してありました。
仕事柄、また趣味的にも音楽のジャンルは
幅広く精通していましたが、
実のところ、言えずにあるいは言わずにいましたが、
現代音楽が私の身体感覚に合っていると感じています。
「なぜ、この自分たちの音楽がわからいのか」と言っていた
「電気グルーヴ」のTV番組を視て
私は彼らの思想を初めて聞きました。
音、メロディ、リズムも視聴者が楽器や演奏者と結びつけた想定、
創造から超えた音楽の存在は、頭だけで理解しようとすると
まずは「わからない」となるんだと思います。
デザイン教育の中で、図解、図式を教えていますから
「図譜」を何枚も書いて見せました。
21世紀美術館での私の作品展パンフレットには、
ビートルズの音楽をクセナキス風の図譜にして
グラフィックとして表現しました。それこそ、
シェーンベルクの図譜では12音を確かに置いています。
クセナキスは、大阪万博でも音響装置として
鉄鋼館の貴重なプログラムに参加しています。
千個のスピーカーで12chのテープ再生が可能、
フランソワ・バシェの「音響彫刻」を備えた鉄鋼館では
クセナキスの「ヒビキ・ハナ・マ」が演奏されました。
IBM360での作曲やレーザー光線による音楽実験場となりました。
『スペース・シアター:EXPO’70 鉄鋼館の記録』に収録されています。
私はこの世に何を置いていくべきか、
終活でしばらく整理しつづけます。


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『生録は、今はデジタル、しかしアナログで感得』


   


     1月 30th, 2019  Posted 12:00 AM



生録(ナマロク)が1975年頃、流行りました。
オープンリールデッキを持って行き、演奏者の奏でる音を、
自分のオープンデッキで録ってくるのです。
今の生録はリニアPCM録音で、すでに協会があるほどです。
それぞれの生録は、明確に異なっています。
当然、当時はアナログで、現在はデジタルです。
そしてオープンリールデッキは骨董品扱いです。
実際は、もはや倉庫の中にある骨董品の私のデッキと
ミキサーを駆使して作曲をしていました。
PCM録音も、名古屋で開催されたジョージ・ベンソンのコンサートで
車イスだから自由にナマロクをやってしまった経験があります。
「やってもらっては困ります」。
「何でだ?」、と言えば、まさか車イスが、となり、自由でした。
しかし、オープンリールデッキ8chでやれれば
きっともっと音が良かったと思います。
それこそレコード盤を造るメーカーは2社しか残っていません。
しかし、2社は残っていますから、このブログでもデジタル、アナログ
未来と過去をつないで、進化とその真髄が
失われないよう紡いでいかなければなりません。
そういう意味でも、骨董品となっても、
しっかりと書き留めなければと思っています。
ナマロクもアナログ時代の方がやっぱり良いのです。
「感得」とは絶対にアナログが基本だと思っています。


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『リボンカートリッジとMCでのアンプ』


   


     1月 24th, 2019  Posted 12:00 AM



かつて、オーディオではレコード盤がありました。
しかし、CDの登場でレコード盤は一挙に市場を失いました。
ところが、最近ではレコード盤が再度登場しています。
それこそ、33回転から45回転ではレコード盤が厚くなること。
MMとMCのカートリッジの大きな違いや、
レコードプレーヤーの盤を乗せるゴムからスティール、ガラス、
カートリッジの4本には、何がいいのだろうか、なんてことは、
余程のマニアでなければ、これらの質問には答えられないでしょう。
レコード盤には静電気があって、それの塵取りアクセサリーの
デザインをおそらく私が最も多くやっていました。
絶対に作品集に載せたいと
思っていた作品がやっと見つかりました。
私はAurexをやり、フリーとなって、
ナガオカでデザイナーとして製品を手掛けていました。
Aurexでは、エレクトレットコンデンサーを人知れずやっていました。
東芝の音響部門で数々のデザインをした経験を活かし、
同時にAurexではできなかったデザインを、
ナガオカで実現しました。
もはや四半世紀になる間、
私のデザインしたカートリッジ製品が今も販売されています。
それは、今は山形県東根市のふるさと納税返礼品にもなっています。
レコードのカートリッジはナガオカの創業者が発明をしたのです。
ナガオカではMCのアンプを、
それこそ、回路基板までデザインをしました。
このアンプを絶対に紹介をしたいと、
作品集に掲載したかった写真です。
ようやく初公開できました。

エレクトレットコンデンサー
アクセサリ
ガラス


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『世界でトップだったアナログ45回転レコード盤の復活』


   


     6月 20th, 2015  Posted 12:00 AM



家電の量販店というのは長続きしない。
だから、量販店的な店舗は社会や時代を反映したとしても
私は大した存在では無いと思っています。
第一家庭電器という量販店が1970年代には攻勢を極めていました。
でも、私はこの量販店の中のオーディオ専門部隊は、
Aurexブランドを差別無く評価をいただいていました。
当時、オーディオがやりたくて東芝に入社しましたが、
「洗濯機をつくっている会社にオーディオができるか」と言われ、
若かった私はどれほど喧嘩をしてきたでしょうか。
ところが、
第一家庭電器にはDAMというオーディオマニアの会がありました。
そこではAurexをデザイナーながら売り込む私を
かわいがっていただき、
そこでは、大きな販売企画を東芝を口説いて、
CFまでやらせてもらえました。
またDAMには、決して販促品ではない45回転の周波数特性を
Hi-Fiにする特別盤を録音から製造をし、配布していました。
私自身、そこでは45回転シリーズにはデザイナーとして加わったり、
バイノーラルレコードも創らせてもらっていました。
そのレコードプレス直前のテープが残っていました。
そこで、DAMレコードというおそらくこれ以上のレコード盤は
世界でもトップクラス72枚が非販売ということで、
インターネット上に復活存在することになりました。
日本のアナログオーディオの極地が蘇ったと言っていいと思います。
東芝EMIでこのレコード盤制作は行われていましたが、
その要の方が逝去された遺言で、
DAMでのこのレコード企画を全統括のW氏から突然電話を受け、
ようやく、HPを7月1日から、公開するとの連絡がありました。
このレコードの録音・ミキシング・プレス全てが最高でした。
だから、私もLP3000枚程度を整理しても、約50枚程を残しました。
そのほとんどがこのレコード盤です。
45回転でとても分厚いレコード盤72枚には、
日本がアナログレコードでは最高の品質を実現していました。
デザイナーに成り立ての頃、
私はこのDAM でも徹底的に育てられてきたと感謝しています。


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『教え子で得をしたことがあります。・・・』


   


     4月 29th, 2015  Posted 12:00 AM



柳宗理先生にとって、私は反抗的な弟子でした。
ところが、私は先生の薫陶を4年以上も受けていたことで、
とても得をしたことが二つあります。
一つは、ニューヨークMoMAで、アッキーレ・カステリオーネ氏が
個展を開催していた時、ちょうど私は招待されていたこともあり、
その個展の会場で、彼に挨拶をしました。
「君は日本人か?、日本には親友がいるんだ」。
「私は柳宗理先生に学びました」、と言うと、
彼はとても喜んで、強くハグされてしまいました。
「そうか、そうか、教え子か」と喜んでもらいました。
(とんでもない教え子にも関わらずでした)
そして、東芝でのデザイナー時代には、よくオーディオの師匠、
菅野沖彦先生です。東芝時代には数名の評論家の先生自宅に、
企画や新製品の評価をもらいに出入りをしていました。
その中で最も親しくなり、先生には新製品企画を応援してもらいました。
そんな折りに、美大で誰に学んだかと問われました。
「柳宗理先生でした」と答えると、
「これをあげる」と言われてもらったのはLPレコードでした。
しかもそのレコードの制作ミキサーは、菅野先生自身のものでした。
柳先生の母上である、オペラ歌手だった柳兼子女史のレコードでした。
彼女は、あの柳宗悦の奥様でした。
東芝時代にレコード盤は2000枚ほど持っていましたが、
CDになってからは50枚ほどに、そのCDもハードディスクです。
けれどもこの50枚ほどのレコード盤の中にまだ私は持っていました。
最近は、やはり、もう一度、LPの再生システムを、
組み直すべきかとさえ考えています。
それは、LPレコードを整理しなければ良かったとさえ反省をしています。
私は、柳宗理先生に学んだのは、デザインだけでは無くて、
これほど得をしてしまったとさえ思っています。




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『アナログの極致=レコード再生のカートリッジ』


   


     9月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM



私がジュエルトーンで心血を注いでデザイン懸命だった一つは、
カートリッジのデザイン設計でした。
音響はまず、レコード盤から音を検出して、この入り口で音が決定。
しかもこの小さな機器は高額なモノですから、輸出には最適です。
さらに、この設計では新素材とダイヤモンドが駆使されて、しかも、
最も大事なことはコイルの巻き方に依存することになります。
私はおそらく世界で商品化されているカートリッジは
すべて聴いてきたと思っています。
東芝の試聴室は総研(現中央研究所)と磯子の音響工場内には
すべてのカートリッジや名作のスピーカーと新作機器がいつでも
自由にレコード盤を聴いていました。
ある時期からレコード企業から私宛に試聴盤が届くまでになり、
試聴盤いっぱいで買ったことがありませんでした。
車イスになって、オーディオを廃業にしようとさえ考えていた私を
当時まだ勢いのあったナガオカの試聴室によばれて音を聴きました。
「川崎さん、もどって来ないか?」ということで、
私は赤坂にナガオカがパトローネになってもらって、復帰しました。
ナガオカの経営陣と喧嘩をして別れることで体も壊して、
ふるさとに戻ったのですが、ジュエルトーンでのカートリッジは、
今もナガオカが復活して未だにとても高額なままに売られています。
デザインはまったく変わっていません。パッケージは当時、
厚肉成型のままに、音楽ジャンル毎にカートリッジ変更が可能です。
一度、私の作品として買おうと思っていましたが、
全てはとても高額になりますが、すべて揃えて置きたい気持ちです。
カートリッジにはマニアには神話がそれぞれにありますが、
なんといっても、カートリッジ、リード線、シェルそれぞれに対して
私はやはり振動と針先への問題解決をしていますから、
デザインとしてはとても自信作だと今でも自負しています。
このカートリッジ、リード線、シェルについて書き残すつもりです。
今でもオーディオ機器は売られていることを考えると、
私はとても素晴らしい領域から、デザイナーになれたと幸運でした。


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『無論、すべてがヒット商品になったわけではないが・・・』


   


     9月 21st, 2014  Posted 12:15 AM



ジュエルトーンブランドは徹底的にレコード盤周辺の
アクセサリー群を考え出せばできる限り商品化をしていました。
大ヒットを連続させていましたが、かなりその経過の中では、
自分の想像及ばずで失敗例もつくりました。
その一つに、レコード盤をパックするように、化粧品のごとく、
いや、女性が顔のパックをして不純物を皮膚から取るようにと、
レコパックなる名辞とともに、その道具化を狙いました。
これならレコード盤上、レコード溝に入っているチリを取り除く、
と思って、懸命に化粧品パックを製造しているメーカー相手に
そのパックを開発しました。
あるとき、革靴が汚れたと聞いて、皮表面のゴミも取れるはず、
そう思い込んだ私は、それを試みましたが、大失敗しました。
ひょっとすると、これは失敗作になるかも知れないと予感しました。
レコード盤をパックするという発想は当時話題にはなりましたが、
市場では、それほどヒットはしませんでした。
ともかく、レコード盤、レコード溝をクリーンにすることを
毎日毎日考え続けていた気がします。
ブランドイメージはすべてアイデンティティを遵守するために、
液体系はすべて真っ白のボトルにパッケージPIも統一していました。
結果、全国のレコード店舗での商品陳列は最も美しくなりました。
デザインは決して装飾やカッコ良さを求めて企画や設計せずに、
すべからく、商品存在性は問題解決でした。
商品陳列も店舗がより整理整頓や掃除がしやすくなりますから、
それが結果、美しい店舗になっていくことでした。
今ではレコードショップは、CDショップになりましたが、
街からこうしたショップもいづれ無くなっていくことだと思います。
アナログ時代からデジタル時代になって、
音楽ソースはすでにダウンロード購入される時代になりました。
20世紀の商品デザインは、特に、商品存在は効能性を生み出す
問題解決の手法であり、それは今も変わってはいません。


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