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Posts Tagged ‘ワイフ’


『経年変化無し素材開発と道具使用を次世代に』


   


     7月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

「カッターナイフ」という日本人の発明は凄いと思っています。
一昨年に、このカッターナイフの刃先カットとそのストッカーユニットを
「日本文具大賞」で受賞させたことがあります。
最近、美大に入学してくる学生が、カッターナイフの意味を知らないと
そんな話を聞いていました。
これは私も経験したことがありますが、剪りを知らず、
木工でいきなりその刃をことごとく折られたことがあります。
もっと、大変な事態は半田ゴテを知らずに火傷が多くて、
旧帝大でも半田ゴテを使わせるために保険に入らせることもありました。
自分の研究室でも半田ゴテ使用を5000回練習ということもありました。
この傾向はますます強くなっているようです。
さて昨夜、盟友・光野有次氏が再計測しながら、特に「背もたれシート」を
彼の自作したナイフで大まかにカットしてくれました。
その風景を見詰めていたワイフが今度は、
彼のカットしたウレタンフォームを「カッターナイフ」で
もう一度、調整をしてカッティングし、再構成をしました。
このウレタンフォームが成しえてきたことはとても意義深いことでしたが、
この素材には経年変化が起こります。
私の作品でウレタンフォーム素材は海外の美術館では永久収蔵されません。
今、ようやく経年変化無し、硬さもコンピュータ制御可能で、
なおかつ人体内に設置してもOKの素材が出来ました。
これは3D-Printerで可能になってきた技術です。
これを3D-Printingと呼んでいますが、やがてこれまでの経年変化や
リサイクルに高コスト素材は無くなっていくでしょう。
HUSATやHCDでのとりわけデザイン医工学・デザイン看医工学の対象には、
新しい素材が適用されていくものと判断しています。
光野氏とワイフのおかげで、
変形してきた体型を矯正する車イスシートが幸運にも出来上がりました。
新しい素材での電動車イスデザインは、自分の役割になったようです。

*『3D-Printingの基本にもう一度戻るために』
*『日本戦略は二つある。3D-Printerと3D-Printing』
*『三つの革命・予測は当たっていた』
*『3Dプリンターブームは「軽薄な流行」にすぎない!』
*『なぜ、私がヘッドホンにこだわるのか』


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『トリックスターになってやる。』


   


     5月 19th, 2016  Posted 12:00 AM

メガネフレームのデザインに関わっておそらく30余年もやっています。
それはそれなりの自負はあります。
一方で、雑誌評論のレベルそのものは年々低下。
所詮は「流行・ファッション」で
デコラティブなモノもデザイン扱いされます。
これ実はワイフのコレクションで、
「メガネ」モチーフのアクセサリーです。
このアクセサリーに眼鏡をつるせます。
ところで最近は「モンスター老人」とかで、
老人はすぐにカッ〜となるとか。
そうです。私も明らかに「モンスター老人」ですが、
「モンスター老人を超える人物」が目標です。
そういえば、父は本当に穏やかでした。
若いときに「川崎さんは、あの人の息子さん?父上は本当に穏やかな人」、
なんて言われると(こいつ、怖がっているならもっとだ)と演技しました。
この演技力は磨きに磨きがかかってきたと思います。
自分が生涯をかけて取り組んできたことを破壊されるなら徹底的に、と
相当に「超モンスター化」、これをトリックスターと言いますが、
これに徹した生き方をしなければなりません。
実現しない研究が異次元空間である大学には蔓延しています。
それは私自身も大学でつぶさに見てきましたから、
実務性の無い「産学共創」などは
税金の無駄遣いであることがすぐ傍らです。
そしてデザインなど、
ましてデザイナーなどがどれほど軽く扱われたかを
すべて書いて告訴すべきことだと認識しています。
何の役にもたたないロボットや医療機器はすべて論文のなかで、
研究権威だけが「有識者」扱いされているにすぎません。
実務としてどれだけ多くを輸出品として不成立だったでしょうか。
この自負心でトリックスターとしての
「超モンスター化」をねらっています。
メガネフレームの競争相手は1社のデザイナーだけです。
不細工なメガネをしていると(嗤ってセンス無し)と思っています。

*『センスの有無?は、香りか臭いかだと思う』
*『四十暗がり・シニアグラスがこれでいいわけがない!』
*『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』
*『乳牛は決して美味しいミルクを絞り出すわけではない』
*『デザインというスタイリングの二種類』


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『ずばり、自分ぴったしのモノ世界のモノマガだ』


   


     5月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

「mono」マガという雑誌は、創刊時の編集長から代々の編集長が知人です。
現在の編集長は日本文具大賞の審査委員です。
編集長に文具のデザイン評価をしてもらっています。
そして、この5.16号の特集記事は、なんと、私の趣味が結集。
ワイフは、「ああ、とんでもない特集号・・・」と言いました。
「オーディオ」・再度ブーム来たるか!
「万年筆」・これもブームで、なんたることは1000万クラスが紹介。
「日本のジーンズ」・ジーンズは最近の若者には人気がないとか?
ということで、さてさて、熟読開始でした。
しかし、オーディオは元来ほとんどプロでしたし、
現在自宅のオーディオ環境は絶対に最高級環境を常に再考リニュアル!
それだけに、現在のオーディオはなんと遅れた商品開発なんだってこと。
全くデザイン依頼もされないし1970年代のブーム技術がデジタル化だが、
哀しくなる商品が多くて、でもかつての私の商品は今も生きていました。
万年筆に至っては最高品が1400万円かい!っていうやや怒り。
でも、このクラスになるとやっぱりクリップはこの形態になります。
そして、万年筆選別は極めて正確ながら、あれが無いとかです。
最近の若者はジーンズをはかないから、車にも興味が無いと聞きますが、
実は、ジーンズの生地、そして縫製は日本が世界でトップであること。
もっと若者は知るべきだと思います。
この「モノ」に関わることで「蘊蓄の箪笥100」は、
代々の編集長にこれだけの出版を願っています。
そして、「なんで、聞いてくれなかったのだろう?」
「なんで、デザイン依頼が無いのだろう?」
スタッフは、「決まっているでしょ、怖がられているからです」と。
んー・・・・そうなんだと納得です。

*『失われてしまっているジャーナリズムは雑誌に歴然』
*『売れるより売る文具大賞グランプリ』
*『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可』
*『LTRASONE・問題解決を成し遂げているヘッドホン』
*『青は藍より出でて青し、ジーンズを見つめて』


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『電動車イスの効能的制度設計からの性能・機能デザイン』


   


     4月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

車イス生活を余儀なくされて、僕は車イスをデザインしました。
結果、その車イスはMoMAはじめ美術館やデザインセンターに
永久収蔵され、自分が最も必要とする自助具を自分でデザインし、
しかも車イスデザインのあり方を二つ決定しました。
一つは、走行性能と身体保持性能の両立です。
もう一つは性能決定による必要重量の機能化です。
しかし、すでに僕の障害では「電動車イス」が必要な事態になっています。
最近の車イスの技術進化は様々な性能・機能のモノが登場していますが、
僕には車イスデザイン設計での大間違いを発見しています。
健常者が「腰」で運転しても無意味です。
さらに、重量は20kgが限度です。重量設計を間違えれば、
性能は勿論、効能=社会的存在の意義がありません。
現在の僕の電動車イスは、ワイフによってカーボンファイバー風と
シートをやり直しています。が、まだ不満足です。
そして何よりも電動車イスは社会的な制度上の問題が山積しています。
僕の経験では、飛行機搭載の問題がありますが、
これは米国では1990年「障害をもつアメリカ人法」=
(Americans with Disabilities Act of 1990 ADA):
包括的障害者差別禁止法という
効能的制度が不整備という問題があるからです。
したがって、コンシリエンスデザインによって、
この対象である「看医工学」の実務形態設計と
制度設計があるということで、一つの代表目的にしています。

*『最近はリチウム急速充電の電動車椅子に乗っている』
*『これは最適ではない・誤った車椅子対応車輌デザイン』
*『チュッパチャプス武器論・戦術結果は「効能」成果#3』
*『あらためて自転車を!、車倚子の私から』
*『車イスデザインのための文脈づくりに気づく』


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『閏年の2.26=67歳なり』


   


     3月 1st, 2016  Posted 12:00 AM

2月は奇妙な月です。
4年に一度閏年、29日まであります。
私は2月26日生まれでギリギリ良かったのかもと思います。
しかし、2.26とはなんとも危ない波乱がかった生年月日。
早生まれでした。
今年は体調も良く、ヨーシ、大学まで車で行くぞ、となり、
ガレージからワイフに車を出してもらったら、
「アレっ?エンジンがかからない」
故障か?
バッテリートラブルか?
何のことはない。運転の仕方を忘れていただけでした。
何しろ、私の車は片手でハンドル、片手でアクセル・ブレーキ操作。
気づくと、いけない、いけない、すぐに高速になってしまいます。
キャンパスに入って、車から電話、
「僕、着いてるけど、パーキングの車どかして〜」。
助教が仰天しているのを思いっきり楽しんで、
プロジェクトを一つ一つチェックして、夜は新御堂を走って帰宅。
そして目覚めたら、な、なんと風邪を引いてしまいました。
体はなんだか浮揚していてとうとう訪問ナースの方に2日も点滴。
仕事がつまってきているし、そういえば、姪っ子は受験だったし。
「師走」というのは、歳末では無くて現実は2月です。
2月は卒論や修論発表、そして入試と先生は大忙し。
僕にはバレンタインがあって、誕生プレゼント、お祝いメール。
特に、プレゼントは「なるほど・・・やっぱり才能がある」と
決定さえできます。
今回67歳にもなった僕には、メールが圧倒的でしたので、
ここで改めて御礼をしておきます。
さらに、プレゼントには「流石に」と僕をうならせてくれた
元スタッフや元教え子には絶対にそれ以上の御礼をするつもりです。


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『貧しいモノづくり・イヤーホンで確認可能』


   


     2月 18th, 2016  Posted 12:00 AM

私はオーディオの世界に入り、しかもデザイナーになっても
デザイン対象はオーディオ機器を選びました。
これ自身、私は人生で最高の出逢いであり、
プロのデザイナーとなっていくにも素晴らしいことだったと思っています。
今ではオーディオはすべからく趣味の世界になっていますが、
音響空間は自宅から車に至るまで、
私は絶対に最高級であることを熱心に求め続けてきました。
だから、ワイフにはきびしくチェックされていますが、
ワイフ自身、自宅のHi-Fi空間になじんでいるために、
自分のイヤーホンも、結局は最高級品を知識なく選んでしまっています。
このところ、私はドイツのベンチャー企業から生まれた
電磁波を防止したヘッドホンにすっかり囚われていました。
もうヘッドホンでコレを超えるモノは無いとさえ思っていました。
そこで、インナーイヤーホンが気がかりとなり、
随分と投資もしてしまいましたが、いい加減にその結論をと考え、
その結果が、
イヤーホン自体が再生周波数帯域はどうしても18Hz~19.5KHzであり、
これを基本にして、ヘッドホンアンプ・iPhoneとのケーブル、
さらにイヤホーンケーブル、この3点がどうしても必要、
あるいはケーブルの問題は絶対にある、というのが
私の結論になりました。
オーディオ関連にしろ、電気関係でも、エンジニアが絶対的に、
どうしてもこの仕様を満足させたいということがあります。
かつて、最高の設計を実装してさらにそのスタイリングを決定することで
商品化したとき、それは大変な高額商品になりましたが、
技術的な最高峰はすんなりと受け入れられたことがあります。
イヤーホンであっても
「ただ音が鳴っている」程度の商品が蔓延しています。
音響での身体までも溶解するような「音」があるのです。
そのための機器からコードや周辺装置は選び抜く必要を私は考えます。
モノの貧しさはそのままユーザーの貧しさだと私は思っています。
この貧しさとは、決して金銭的なことではありませんが、
それこそ、知的であること、品性があること、見識が問われます。
正直、街ではイヤーホンやヘッドホンがファッションになっていますが、
なんと貧しいモノを選んでいるのかと思うことしばしばです。
同様に、
よくもまあこの様な貧しい商品化をする企業があると唖然とします。


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『わが人生最期の車は美しいデザインを』


   


     1月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

ベンツSL500を10余年乗って使ってきました。
車を10年以上も乗るなんてことはありませんでした。
なんとかワイフを口説いて、私の人生最期の車を選びました。
私にとって前提は、車イス対応ゆえに、二つの大きな条件があります。
車イス収納と両手だけでハンドル操作とブレーキ・アクセルを、です。
ともかくAMには、男の子としての背景に007がありました。
選び抜いた車は、4ドアスポーツタイプ「ラピードS」。
注文後7ヶ月、途中直接ディーラーがAM英国本社で、
車イスユーザー用のアタッチメントを検討してもらって、
国内での取り付け工事。これさえ最初のことのようでした。
アタッチメントは全く進化していないことをFBでぼやくと、
いくつかの提案をいただき、ディーラーが工事企業を調査し、
英国本社ともコンピュータ制御と取り付け検討で部品決定。
その間のやりとりはこれまでに未体験多くて、
モノづくりの根本で新しいやり方を知りました。
こっそりと1/12サイズモデルを探し出してワイフに叱られました。
ところがなんと本社対応では、
全ての注文仕様で素材も同等の1/8が注文可能だと知りました。
しかも、そのモデルで軽自動車2台は購入可能を知りました。
ナンバープレート番号入りの写真と、
左の取説を今はじっくり読破中ですが、
エェッという機能はこれからの自動車のあり方、
それはデジタルとアナログの使い分けがとても明快でした。
結局、自動と手動の使い分けで、
絶対コンピュータ制御を避けて、マニュアル制御を護り抜く、
この考え方には大きく同意しました。
私には、車とオーディオ、そしてカメラには、
これからのアナログとデジタルの
インターラクションの決定手法があります。
それは特に、車とオーディオには共通項が多いことでした。
それこそ、カーオーディオは自宅で使用のB&Oが仕込まれていました。
しかも現代流のBluetoothで制御が可能になっていました。
ある時、ワイフが、
「あの車とても美しい」と初めて言いました。すかさず私は、
「あれがアストンマーチンだから、どーお?」
「・・・・・」、妻の完全沈黙、あれからの説得でした。
ともかく、徹底的な美しさだけを最期の車に求める結果が選んだ理由です。
本当はSL500を手放すことは随分とためらいました。
私は自分の人生は、すべて左ハンドルでした。
車イスには絶対、左ハンドルでなければ、通行上にも問題があります。
さて、これから3年かけて自分用にしていくというのがポリシーです。
なるほど、自分の身体との整合性を求めていく過程を楽しむということ。
67歳になって最期の車を、ゴールドカードの免許証のまま、
私が最期に乗っていた車にするつもりです。


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『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』


   


     11月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

「Porcelain Nude」。
インテリアデザイナー森田恭通氏、パリでの個展タイトルです。
ヌード写真の美しさを彼の美学で真正面から切り取り撮影し、
プラチナ焼き付けの写真パネルと磁器転写アートとスツールにまで展開。
それもパリではトップクラスのギャラリーで個展を開催しました。
森田恭通氏と最初に出逢ったのが、もう10数年前、それもパリ。
ちょうどルイヴィトンの旗艦本店が建築改築中のために、
仮店舗内でのお互いが買い物中でした。
ワイフが知り合いであったことから初対面をして、
それ以後は伊丹空港や飛行機内で出逢いました。
そのうちに彼の活動を見ているデザイナー友人達が多く重なり、
ますます彼のデザイン活動を知るようになりました。
なんだか私と彼とは顔つきも似ています。
なるほど彼の母親は福井県出身でしたから、
それは私の判断では、
北陸福井とロシアアリューシャン列島系の鼻筋高い顔立ちです。
ちょうどパリに行く機会と彼の個展が重なり、
私はオープニングパーティに出かけました。
正直、そうしたパーティ出席は避ける性分の私ですが、
なんだか彼の活動は見逃せないデザイナー直感がありました。
今度は写真家としてのデビューとその写真を磁器装飾に展開するという
バウハウスからスタートしたキネティックアート的な
フォトコラージュ手法を革新しました。
ヌード写真撮影を自らが行い、それを磁器に展開することで、
さらに彼が最もインテリアデザイン対象としている
レストランやホテルで使用できるモノの効用デザインを果たしました。
フランスでの磁器づくりでは相当の苦労があったはずです。
聞けば、何度と造り直しをしたそうです。
しかもそうしたスタッフには、私の教え子を師匠とする子も居ました。
森田氏は創りたいと思ったら、直接、自らがクライアントを決めて、
自分のデザインアイディアのプレゼンテーションで説得をして
デザイン実現させる
まったく数少ない国際的なデザイナーです。
パリには何度も行っていますが、幸いにインターン生だったフランスの子や、
カーデザイナーとして教育してきた教え子は、全員、海外企業留学しています。
しかし、この個展はやがて歴史的になるであろうテロリスト銃撃戦により、
非常事態宣言により、この個展は中断を余儀なくされました。
しかも、このギャラリーに女性が逃げ込んだことから、
森田氏とそのスタッフ達は閉じ込められたと聞きました。
それはギャラリーと銃撃戦現場の劇場は200mしか離れていなかったそうです。
全員が無事でした。
彼の革新したフォトコラージュ的な磁器アートは、スツール天板まで展開。
私は、インテリアデザインをベースにしながら、
今後はまたデザインの拡大化が出来るデザイナーだと評価しています。
私の役割は、さらに彼のデザイン拡大展開に対して、
私の経験の限りを伝えておきたいと思っています。


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『非常事態宣言の街=パリにて、決意!』


   


     11月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

パリには三つの目的を持ってやってきました。
三つとは、ちょっと内緒ですが、それよりも大変な事態発生でした。
到着翌日の夕方は「森田恭通氏」の個展オープニングに出て、
現地時間11月13日には、英国駐在の教え子が会いに来てくれました。
彼は、帰英前にその個展を見て英仏間特急電車ユーロスターに乗車。
その時に、パリ6カ所で「同時多発テロ」が起こりました。
ホテルでFBには「無事ですか?」、「大丈夫ですか?」
・・・ん、何?・・・・
TVをつけると、非常事態宣言、パリでの多発テロリズムが発生、
「武器があるから闘うよ+絵文字」とか親友に返答していたら、
「冗談言っている場合じゃない、帰国できるのか?」って怒られました。
ともかく、CNNとBBC(何がWord New?)を見て事態を確認。
ところが・・・NHKは何も伝えてこない!・・・?
現地のTV報道とは格段の違いがある・・・なぜだ?
部屋にあるTV2台を使って、報道を見比べてみるが、
嘘だろう、CNNもBBCも視点が違うのです。
CNNもBBCもeye-point=視座からテロを見ている。
しかし、現地TVはview-pointである被害都市で実態を見つめている。
だから視線=まなざしは動揺し全く視野と視界が異なっているのです。
これがあの3.11も二つの視点違いで情報流布されていたなら、
私は身震いが起こりました。
ジャーナリズムはもう全世界が盲点だらけの報道になっているのです。
哀悼の表現は、PRAY FOR PARISと花とキャンドル、
ライトアップされているフランスのトリコロール色。
これは明らかに全世界の「悲しみ共有の表現」ですが、
現地TVではテロリスト容疑者逮捕、
その荒々しい警官たちの「怒り」は拳銃とマシンガンが暴力的に使用。
もし、日本だったら、これほど荒々しい事は絶対に不可能だと確信します。
非常事態ながら元阪大インターンのフランスの子も駆けつけてくれました。
ともかく、翌々日に新聞を買い、目を通しました。
タイトルはなんとか読めても文章はわかりませんが、
これだけのテロはまさにACT OF WARです。
銃撃戦を報道で見ていたワイフは、怖い、怖い、このホテル襲われない?
帰国の飛行機に自爆テロリスト乗ってこない?
・・・・・・私はひたすら、
8世紀の銃で今なお宗教対立は許せないと思うだけなのです。
1994年にPKFもPKOも銃で平和は大間違いゆえPKDを提唱していました。
「このデザイン活動を急ぐんだ」と自分に言い聞かせるだけです。
一流のエンジニア、一流のテクノロジストにこのショックを
デザイン開発に変えないといけないというメールをしました。
パリでの銃撃戦は映画を超えての恐怖を与えています。
戦争の形式を大変更する、これがイノベーションであり、
IoTをIoMeTに変えるために私はパリにきているのでしょう。
「IoMeT as PKD」は帰国次第、早々に取りかかるつもりです。

* PKD=Peace-Keeping Design


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『場踊りと言語舞台・「影向」によって』


   


     11月 5th, 2015  Posted 12:00 AM

松岡正剛氏を介して田中泯氏と石原淋女史に出逢いました。
田中泯氏は故・土方巽の現代舞踊を引き継いだ人だと知ったのは
田中泯氏と知り合いになってからのことでした。
土方巽の暗黒舞踊とまで言われていたダンスというより、
あのパフォーマンスこそが演劇を進化させるものだと思ったのは
美大時代に現代芸術に興味を持っていた頃でした。
が、ダンスあるいはパフォーマンスが最重要だと知ったのは、
ミシガン州にあるクランブルックアカデミー校に講義に行った時、
ダンスというよりパフィーマンス学科が、
2Dデザイン学科、3Dデザイン学科と同列にあり、
演劇や舞台芸術をまさにデザイン革新するというのを
教えられて、その授業を観たときでした。
田中泯氏は一般的には、俳優として著名な人ですが、
石原淋女史との「場踊り」であり、
すでに舞踊家とも自称せず、松岡正剛氏と義兄弟的な存在でした。
そして、フラクターダンスとことば、身体と言語での
パフィーマンス舞台、その企画・戯曲を松岡正剛が記述し出演、
石原淋、宮沢りえの出演、田中泯の演出と出演、
そして山本耀司の衣装での舞台を観ることに招待されたのです。
スケジュールとしては、大阪から京都に入り、
ワイフがデザイン系私立大での非常勤講師の講義後に
上京、パルコ劇場に直行しました。
石原淋女史の完璧な車イスの私への劇場対応を受けて、
彼らの計算された舞台の革新性に圧倒されました。
何と言っても、「影向:ようごう」という言葉と身体、
その関係性でのパフォーマス舞台は、
私がすぐに取り組みを始めようとしていた「KK塾」と、
照明学会で特別講演をした「デジタルアッサンブラージュ」での
悩みとストレスに一条のそれこそ光線に陰影を与えてくれました。
「影向」というほぼ死語化されていることばは、
松岡正剛の膨大な知力と、そろそろ1600冊の書評知識と
田中泯の場踊り演出を、宮沢りえと石原淋によって演じられて、
現代性に蘇らせてしまっていたのです。
なぜ「影向」という言語であったのだろうかは、
私の「KK塾」で松岡正剛自身に語ってもらうつもりです。
私にとっては、日本の映像+照明+空調を
「影向」でもってデジタル表現化する立場なのだろうと
私自身への役割義務をいい聞かせることができました。
照明学会の講演準備で再々度精読していた「陰翳礼讃」への憧憬不足を
「影向」という蘇ってきた言葉と身体表現の革新的舞台で
私は強化されました。


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