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Posts Tagged ‘ワイフ’


「今なぜ『大奥』なのだろうか、もしも、という幻想・・・」


   


     12月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

「大奥」は、日本人にとって、覗き見たい歴史のフィックションです。
映画・TVにおいて、
その物語のプロットは徳川家の存続を女の闘いとして描かれてきました。
新たな物語の切り口として、
将軍が女性だったら、という物語の映画が登場しました。
まず、映画を見ました。
そこでは、若手アイドルが主役で、
漫画的軽度のおもしろさを楽しみました。
そうしたら、今度はTVドラマになり、
その展開にそれなりの恣意性がありました。
TVドラマから連続して映画にも展開されるということで、
ワイフは観たくないと言いますが、
私は結構楽しみにしています。
私なりに力量を認めている男優が主演であり、
将軍が女だったら、
というのは荒唐無稽な話に過ぎないと思っていましたが、
私は、ある深読みをしています。
それは、
「もしも・・・・だったら・・・」という想像力と現実との対比です。
人間は、想像力に潜んでいる荒唐無稽さにも、
なにがしかの真理を見いだしたいという欲求があるのでしょう。
「もしも・・・・だったら・・・」というバーチャル観は、
まさにモルフェー=白日夢に幻想からでも
明確な示唆を得ようとしているのです。
その意義は三つはあるものと判断しています。
 
  ・「もしも」という架空のプロットゆえに
      想像力に無限さを確認できること。 
  ・しかも、男女逆転という役割がもしも現代にもあったなら、
      という想像力には恣意性があるということ。
  ・幻想・想像力の中でこそ、現実意識をより明快にできるということ。

こうしたことが無ければ、
元来、人間は幻想や無限の想像力を
日常的にはすぐに忘れてしまう脆弱な、
あるいは
フラジャイルな存在でしかないのではないだろうかということです。
モルフェーとは、モルフォロジー=形態学を生み出し、
モルヒネという薬剤の原語にもなっています。
私は「もしも、商品世界は終わって、
記号世界が始まるとするなら・・・」を熟考しています。
現実世界は、「もしも・・・」という事が
「事件」として多発しているのです。
それこそ、天と地が逆転したなら、
想像を絶する天災や人災への対策というものはもっと確かな幻想を、
さらにしたたかに私たちの知識から知恵をもって
備えなければなりません。
「大奥」というたかがフィクション映画にも、
それなりの決断の場面では、
されど真理の言葉がちりばめられていることを知るわけです。
TVドラマで、こう聞くのです。
「貴女が守り抜く徳川家とは?」
「それは、平和を永続させる唯一の力だから」
「・・・・・」
このような大事が台詞会話です。
だから、私はきっとこの映画は観ることになるでしょう。


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「読書の季節・ダイアグラム的な一つの論理かも」


   


     10月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

昨夜は、久々に恩師と長電話で近況報告。
気がついたらブログアップをすっかり忘れていました。
急遽、漢字遊びを
図解=ダイアグラム化を思いついてそのままをアップしました。
そして、フッと思いついたのは「本」という漢字でした。
「読書の秋」です。
ともかく、読み残すことが段々と増えているこの頃です。
「ツン読」一方の寝室には、ワイフにいつも叱られてばかりで、
ついついamazonで本は買うだけツン読三昧なのです。

さて、昨夜の言い訳をまことしやかに語り切ります。
「体」かた横棒を一本抜けば「休」という漢字です。
「木」は素材とか対象物を表しますから、
その対象物に一本の極めつけが入れば「体」になり、
その一本を抜き取れば、「体」が「休」まるということ。
そうなれば、「本」は・・・となります。
きっと、故事づければ、こんなダイアグラムになりました。
休むために、抜き取った横棒一本が、
「木」=対象物(思考対象)に極めつけを入れてくれるのでしょう。
これこそ、私なりの「読書の秋」のダイアグラム的な解釈、
その視覚的な論理構造だと断言しておきます。


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「金平糖なればこその品格に・・・」


   


     9月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

日本のお菓子で私はもっとも品格がある存在、
それは「金平糖」だと思っています。
これは、カステラともどもポルトガルから入ってきたお菓子です。
当時、この「甘さ」を知った日本人は相当にビックリしたと想像します。
私にとっても、飴やキャンディどころではなく、
大きさといい、甘さといい、これほど品ある物はありません。
この金平糖を見る度に思い起こすのは、織田信長と寺田寅彦です。
なんといっても、織田信長系の物語りで金平糖の記述が無かったら
信用しないことにしています。
私が最も尊敬と敬愛する橋本左内も大好きだったと伝えられています。
この物語りが私の嗜好性を決定しているのでしょう。
特に織田信長は、
きっとガラス容器に収めていたに違いないとさえ思っているほどです。
「鳴かぬなら殺してしまえ、時鳥」が、私の性格そのものです。
しかし、秀吉や家康の、鳴かせてみせようとか鳴くまで待とうは、
したたかでねちっこくていやらしいとさえ私は思っています。
このところ、竹島と韓国、尖閣諸島と中国、
この領土問題が大事件の様相になってきました。
いづれ私なりの意見も明確にまとめておきたいと思っています。
だから、最近は、次の中国の代表「習近平」とは、
ちょっと語呂が似ているから金平糖を身近に感じているのですが、
これはほとんど親父ギャグでしかありません・・・。
さて、私自身はほとんど間食をしません。
一人っ子ゆえに、間食は禁じられていましたから
そんなふうに育ってしまったのでしょう。
金平糖は京都へ行けば必ず買い求め、
チュッパチャップスとチョコレートだけは常備お菓子です。
ともかく、ワイフには私の仏前には
必ず金平糖は必需品だと言い残しています。


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「進化著しいスピーカーシステム」


   


     9月 2nd, 2012  Posted 12:04 AM

私はスピーカーシステムには病的なほど拘りがあります。
IPadやiPhoneはすっかり音楽視聴のスタイルを革新してくれました。
かつては小型スピーカーシステムは、
「ブックシェルフ」と読んで、書棚に収めて配置するモノでした。
いくつかの名作があります。
故・瀬川冬樹先生にJBL4343と聴き比べて紹介された製品は
もう使えませんがまだ所有しているほどです。
最近では、この一体化したステレオスピーカーユニットになりました。
この二つは、音楽を使う小さな教室では十分な音圧と再生が可能です。
海外ブランドで著名なモノも結構、日本製ですが、
このメーカー・Jawboneはヘッドセットからスタートしましたが、
デザインの緻密さと正当性は高い評価を得てから、
とうとうスピーカーメーカーに進化しました。
JAMBOXは周波数特性もあるメーカーに依頼して測定したもらいました。
想像どおりでしたから、B&W zeppelin airにはおよびませんでしたが、
なかなかの特性を持っていました。
私が小型スピーカーでは、特にf0に拘っています。
ところが最近の商品カタログではこの性能記述無しを見かけますし、
ショールームでも答えられない店員さんが増えています。
確実にHi-Fiスピーカーシステムと呼んでいいと評価しています。
講演会などでは、
本格的なJBLやBOSEなどを
PAシステムまでスタッフが持ち込んでいましたが、
これからは、BIG JAMBOXで十分かも知れません。
ワイフは自分の講義では、iPadとBIG JAMBOX-Redを使っています。
今は、このBIG JAMBOXをいくつか会場に配置すれば、
それなりの「音場効果」が出るのではないかと模索中です。
それにしても、Jawbone社のモノづくりは、
商品デザインとして本当にまとまっていると評価しています。


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「大風呂敷という喧嘩手法、その肝心要」


   


     8月 28th, 2012  Posted 12:00 AM

祖父は誰からも信頼され、大きなリーダーでした。
そして裏切られても棟梁であることを護り抜きました。
裏切りというのは頼まれるとすぐにお金を貸し実印を押しました。
そして、莫大な借金を背負っていましたが、
私にはその片鱗も見せなかったので、
祖父は大金持ちだと高校生になるまで信じていました。
母から、
「なんでもおじいちゃんに買ってもらうことはやめなさい」
と言われました。
「おじいちゃんは破産しているから」
当時は全く意味がわかりませんでした。
確かに、幼稚園児の頃、
福井市から見える山の名前をすべて教えてもらいました。
そして、
「あの山からあの山まで無くしてしまった」と言われて、
「大丈夫だよ、僕が買い戻してやるから」
と答えていたことを思いだします。とても買い戻せないけれど・・・。
お祖母ちゃんが言いました。
「おじいちゃんは、大風呂敷を広げてみんなを庇ってしまうんだよ。
だから、あなたは大風呂敷を広げても肝心なことを忘れてはいけない」、
と教わりました。
「男は、いつでも大風呂敷を広げても喧嘩して護ることがあるけれど、
その風呂敷は必ず畳んで持ち帰られる大きさにしておくことが要」、と。
「おじいちゃんは大風呂敷を広げすぎてでもあんなに他人を庇うけれど、
畳めないほど大きすぎるから騙されるんだよ」。
デザイナーである私はプレゼンでは、
それこそ、大風呂敷を広げているなー、と自覚することがあります。
しかし、
その大風呂敷は必ず畳んで持ち帰られる大きさにしようと心掛けています。
大風呂敷で喧嘩をしますが、
すぐに、畳めて、
すぐに、立ち去れることを目指しています。
そうすれば、その大風呂敷は必ず、
大きな夢や相手を風呂敷でくるんでしまえば、
喧嘩相手をすっぽりと包んでしまいます。
大風呂敷という喧嘩手法には、
この重大な落とし前の付け方があるということです。
写真はワイフの風呂敷を借りました。


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「印刷の未来はまだ来ない・・・なぜだ」


   


     8月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

またワイフのコレクションを借りました。
「VISIONAIRE 48 MAGIC」には、
一言で表現すれば、3D印刷がいっぱい詰まっています。
3Dはすでに液晶TVでも実現されています。
モニターデザイン機器のデザインに関わってきて、
CRTから液晶モニターさらには
プラズマディスプレイにも関わってきました。
そして液晶TVが3Dになって一般化すると、
それこそ映画も3Dの立体的現実感に私は納得しました。
サッカー競技なども擬似3Dは結構迫力があります。
したがって、印刷技術での3D表現をそれなりにいろいろと見てきました。
ところが、Van Cleef & Arpelsが実現した
「VISIONAIRE 48 MAGIC」には見事な印刷表現がありました。
時折、印刷関連からも3D印刷が持ち込まれました。
無論、印刷と3Dといえば一つのラピッドプロトタイピングもあります。
しかし、この3Dではなくて、2次元平面にも関わらず、
「奥行き感が現実」な印刷物です。
たとえば、
ゴキブリが印刷面を眺める角度で動いているように見えるのです。
当然、パソコン画面でアニメーション的な3Dはすでに実現していますが、
あくまでも平面印刷面上です。
この平面2Dに、印刷された3Dがあるのです。
願わくば、製品デザインのカタログや作品集には
この印刷技術で作成したいと思っています。
だから、
いつもこの「VISIONAIRE 48 MAGIC」を印刷メーカーに求めても、
まだまだ一般化されません。
ということは、Van Cleef & Arpelsという高級宝飾ブランドにとっても、
この印刷技術の最高峰をめざすべく、
この「手本」としてVISIONAIREが作成されたのでしょう。
グラフィックデザイナーも、
アニメーションよりもまずこの技術表現に近づいてもらいたいものです。


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「ブライスというたかが人形に、されどの本質」


   


     8月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

自分の生まれ年のモノこそ、
自分を重ねていく趣味性とオークション価値性が楽しめます。
学生たちにも、若いときに、たとえば生まれ年商品となった、
時計などを買っておくことは趣味の基本だと伝えています。
私は50代になって、
生まれ年の時計を随分探して買いましたがとても高額でした。
そうしたら、
ワイフはしっかりと生まれ年の人形をコレクションしていました。
多分、この人形は、「たかが人形」に過ぎないと思いますが、
これはとても価値あるコレクションだとびっくりしました。
しかも、ルイヴィトンの靴トランクに、
このブライス周辺の小物まで整理して持っていました。
今回も彼女のコレクションを借りてこのブログで、
「たかが・mere」?「されど ・just」という比較断定論を突き詰める、
その一例としてメモしておきます。
ブライスは、おそらく人形の中でも独特の表情とその存在感があります。
この人形の詳細についてそれほど私は語りきることはできませんが、
この人形を素材として
人形との関係が総合的に充実しているモノはないでしょう。
すなわち、「たかが人形」「たかがブライス」に過ぎませんが、
問題は「されど人形」「されどブライス」を
確認する要素がいっぱいあります。
私が「たかが」?「されど」の可逆論理は、
「たかがデザイン」ー「されどデザイン」という言い方で、
私は「デザインの重大性」をこれまでも、
これからも語っていくことになると思っています。
私にとっては、「たかがデザイン」と言われたり、
その程度の価値観を抱く人間には常に喧嘩をしてきました。
「されどデザイン」を実証するのが私の使命だと考えています。
「されどデザイン」の本質的確信は、
人間としての人格=美しさ認知力こそ、
その人の存在性に関わっていると断定しているからです。
真・善・美が人間の悟性であり存在性そのものの価値だとすれば、
この真・善・美においても最後の価値判断は「美」です。
結局は真であり善であっても、
美無くしては真善も成立はしないということです。
私は、このブライスという人形が世の中に登場して、大変なブームになり、
それがさらに「たかがブライス」なのに「されどブライス」になって、
しかも現代も「されどブライスの価値観」は高密度になっています。
ブライスの存在性が創り連続してきた
「価値」の真意は美に通じているのです。


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「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」


   


     8月 12th, 2012  Posted 12:12 AM

人形の収集には「ダンディズムがある」。
これは私のオーディオ恩師であるS先生から教わりました。
しかし、私にはどうも「人形」までという興味は
なかなか自分に持ち込めませんでした。
しかし、ワイフにはそれがあったようで、
今回は彼女のコレクションを借りて紹介してみようと思います。
感心するのは、
この趣味は必ずコレクション価値が
投資効果につながっていてオークション価値が高くビックリします。
さて、このコレクションは、VISIONAIREに登場したシリーズです。
VISIONAIRE TOYS、44と45すべてです。
最近は地震対策もあって、
室内に展示し配置していませんから、久々に取り出してみました。
すべてが有名ブランドを象徴しています。
一目瞭然のモノもありますが、
ブランドイメージを彷彿させるだけのモノもあります。
すなわち、「ブランド・イメージ」を
決定的な人形アイコンに装飾するだけで認知可能を考えてみるべきです。
私は、日本のあらゆる業種の企業には「ブランド・イメージ」こそ、
企業存在が「社会的認知」を国際的に確立することが出来る。
そして、この「ブランド・イメージ」だけが、
実は「決定的なビジネスモデル」であるということが分かっていません。
残念ながら、そこまで、この資本主義経済の根底を理解している経営者は
日本では皆無になりました。
かつては何名かが存在していました。
いづれ、ブランドイメージに対して、
どれほど無知な「これほどの経営者」を書き残すべきと考えています。
この12体の人形の表面でも、
すでに「認知」されている「商品への信頼性」こそ、企業美学です。
企業美学無き企業は、
断言すれば、世界を汚し、世界の夢を破壊しているのです。
私の喧嘩師としての「闘争」を再確認するには、
ワイフの収集している人形を見るだけで信念になります。
まさしく、「人形という形態の表皮装飾」でも、
企業、そのブランドの社会的な存在性・効用性は
きわめて明確だということを主張しておきます。


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「丸ポスト・街角のアイコンから貯金アイコン?」


   


     7月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

先般、ワイフが郵便局の人に欲しいとかで、
わが家に貯金箱が4つ体制になりました。
「貯金」というのは郵便局で、
「預金」というのは銀行、
私の金銭感覚はこの程度です。
さて、この丸ポストは日本の町の風景の一部でした。
最近は本当に見かけなくなりましたが、
デザイナーから見るとある意味、不思議な形態ですが、
おそらく日本人の郷愁感にすっかり溶け込んでいるアイコンです。
おそらく現代デザインでは絶対に出てこない形態。
蒸気機関車のような日本の郷愁景観アイコンだと思います。
円筒形に正面は郵便物を受け取りますが、
庇があって雨よけでしょう。
そして取り出し口が正方形というのは、
まさに回収管理という造形言語ですが、なんとも不思議な形態です。
丸ポストの現在までの歴史そのものが、
今度は「貯金アイテム」というアイコンへの変貌はとても面白い。
これはフィギュアやミニチュアの「効能的存在性」をという
形態言語になっていると判断できます。
私は、ほとんど小銭を持たないので、ワイフの小銭管理を申し出ています。
私は車椅子になったときに貨幣デザインが変わったので、
500円硬貨に感激しているという漫画的な存在です。
だから、500円硬貨だけは持っていたいのです。
一応、1円・5円・10円・50円はこれらのポストに貯金し、
100円硬貨だけを持ち歩くようワイフに伝えています。
これらの貯金は、1年後には寄金するということにしています。


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「インプリンティングされている私の「定食」」


   


     6月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

全く自慢出来ませんが、
食べ物の「好き嫌い」について私はダントツです。
トマト、あれは人間が食べる物ではありません。
動物の餌ですって、断言できます。
そして、極めて好きな食べ物は偏食しています。
カレーライス・焼きめし・カツ丼・スパゲッティ・オムライス、
そしてハンバーグ・焼きそばです。
これが私の定食として十分だと言ってもいいでしょう。
ICD=埋込み除細動器を入れてからですが、
甲殻類アレルギーになり、蟹は食べられません。
が、薬で防備して食べられることを昨年発見しました。
駅弁といえば、これもインプリンティングされたのでしょう。
崎陽軒のシウマイ弁当で十分です。
これは、美大卒後、インハウスデザイナーになって、
駐在していた磯子の音響工場(現・東芝生産技術センター)から、
当時は銀座の阪急ビル7Fの意匠部(現・デザインセンター)へ
横浜駅から、
あえて横須賀線の一等車(無賃乗車でも絶対見つからない)で、
昼食として大好きになった弁当でした。
だから、今もなつかしく新幹線で必ず食べるのです。
しかし、この弁当は確実に時代の経済状況が反映しています。
つまり、シウマイの大きさやその他のおかずも、
絶対に変化していると思います。
それでも大好きです。
ふるさと福井から帰阪するときは、必ず、「ソースカツ丼」です。
最近は、ワイフから炭水化物を制限されています。
食べ物の「好き嫌い」は絶対に直すつもりはありません。
無論、フレンチもイタリアンも中華もそれなりに極上品には、
食欲はそそられますが、
私のインプリンティングされた私の「定食」でもう十分です。


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