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Posts Tagged ‘一人っ子’


「KAZUO=OUZAKと同じだった、まさに『逆転発想』」


   


     10月 12th, 2012  Posted 12:00 AM

siliconでも最高素材のまさに知育玩具。
そして製品名称がnocilis。
私は、正直、最もらしい幼時玩具を斜めで傍観してしまいます。
有名な欧州の積み木作品集でも、 その帯文書評には、
「玩具は子どもを孤独化させる」とまで書いたことがあります。
それは私自身が一人っ子で、
常に積み木で一人遊びをしていた経験が
ある種のトラウマ的な大きな寂しさの思い出があるからです。
ところが、この新素材の玩具を見たとき、
造形言語がそのまま形態言語になっていて、
まさにトポロジー的に完全だと驚きました。
まさに「逆転」させる発想を成し遂げたデザイナー力量に感服しました。
それが、飯田吉秋氏だと知ったときには、
「やっぱり」と全幅的に納得しました。
20代から名前と実力を知っていただけに、
つい先日出逢って、語りに語り合いました。
そうして製品名までが「逆転語」であり、
それは私が社名としているOUZAK=KAZUOと同等で、
大笑いし合いました。
これは、造形言語=designing language(造形意図記号)と
形態言語=designed language(形態意味記号)が
完全一致していることです。
しかも、この積み木遊びは、「ぶつけ合うという攻撃的」遊具性も
安心安全な素材かたちを持っています。
無論、飲み込んでもなんら身体的な影響は皆無です。
しかも、デザイナーという大人の発想は、
ユーザーである子どもたちは、
さらに拡大して「物語り化」させる可能性が大です。
トポロジー的な形態でありながらも、
トポロジー的な検証性はすこぶる困難だという不思議さが残っています。
阪大マークもこの発想で裏返せば、
ペンのかたちになるというアニメーションを拝見しました。
阪大マーク立体化の製品提案をしてみようかと思っています。
昨今は、中国製でとんでもないシリコン風モノマネもあるらしく不安です。
ともかく、まったくの「逆転の逆転」というメタ性が付加した、
トポロジー空間論での形態化に感服しています。
メタ・トポロジー空間とは、
超・(トポロジー=位相空間)のさらに造形的な空間論です。


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「金平糖なればこその品格に・・・」


   


     9月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

日本のお菓子で私はもっとも品格がある存在、
それは「金平糖」だと思っています。
これは、カステラともどもポルトガルから入ってきたお菓子です。
当時、この「甘さ」を知った日本人は相当にビックリしたと想像します。
私にとっても、飴やキャンディどころではなく、
大きさといい、甘さといい、これほど品ある物はありません。
この金平糖を見る度に思い起こすのは、織田信長と寺田寅彦です。
なんといっても、織田信長系の物語りで金平糖の記述が無かったら
信用しないことにしています。
私が最も尊敬と敬愛する橋本左内も大好きだったと伝えられています。
この物語りが私の嗜好性を決定しているのでしょう。
特に織田信長は、
きっとガラス容器に収めていたに違いないとさえ思っているほどです。
「鳴かぬなら殺してしまえ、時鳥」が、私の性格そのものです。
しかし、秀吉や家康の、鳴かせてみせようとか鳴くまで待とうは、
したたかでねちっこくていやらしいとさえ私は思っています。
このところ、竹島と韓国、尖閣諸島と中国、
この領土問題が大事件の様相になってきました。
いづれ私なりの意見も明確にまとめておきたいと思っています。
だから、最近は、次の中国の代表「習近平」とは、
ちょっと語呂が似ているから金平糖を身近に感じているのですが、
これはほとんど親父ギャグでしかありません・・・。
さて、私自身はほとんど間食をしません。
一人っ子ゆえに、間食は禁じられていましたから
そんなふうに育ってしまったのでしょう。
金平糖は京都へ行けば必ず買い求め、
チュッパチャップスとチョコレートだけは常備お菓子です。
ともかく、ワイフには私の仏前には
必ず金平糖は必需品だと言い残しています。


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「竹刀か、木刀か、喧嘩の手段にも剛柔あり」


   


     8月 26th, 2012  Posted 12:00 AM

一人っ子の少年は、
兄弟のいる少年たちにしばしば「虐め」られていました。
大抵は、兄たちがその少年を虐めて苛めるのです。
少年は、とても力で対抗はできませんし、
泣くわけにもいかず、仕返しを考え抜き決意をしました。
(そうだ、よし夕食時に殴りこもう)と考え、
自宅にあった父の剣道用の木刀を夕方時に持ちだそうとしました。
母が必ず、木刀を持ってどこにいくのと聞いてくれるだろう。
そうしたら、理由を言えば、母は止めてくれるし、
いじめられていることも告白できる、と。
木刀を持ち出そうとすると、
その母は、言いました。
「木刀だと、本当に怪我をし破壊をするから竹刀にしなさい。」
そう言って、木刀を取り上げられて、竹刀を渡しました。
少年は行かなければならなくなりやむなく兄弟の家に行きました。
そして夕食時にテーブル上のお皿というお皿を割りまくりました。
大変な騒ぎになりました。
以後、その少年は、
「何を仕返しするかわからない男だ」という噂になりました。
完全な自己防衛ができる身分になってしまいました。
帰宅すると、母が言いました。
「やるだけのことはできたの、気がすんだの」
少年は「・・・・・ん」とだけ答えましたが震えていました。
当然、その家族は血相を変えて怒鳴り込んできました。
母は、
「弁償をさせていただきますが、
兄弟そろって息子をいじめるのは辞めていただきたい。」
少年は震えが止まりませんでした。
母は父にその出来事、事件を告げました。
父は、
「やっつけるにも手加減がいる。
竹刀で物だけ壊したから許してやる。人には竹刀を向けるな」と。
その少年は喧嘩のやり方の手段ということを考えるようになりました。
竹刀は柔らかい、木刀は剛過ぎる、
だから喧嘩の手段は論理的にも柔が剛を制するということでした。
やがて、その少年は「喧嘩師デザイナー」と呼ばれるので、
「デザイナーは喧嘩師であれ」までを出版しました。


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「父の死再び・会話と対話」


   


     8月 19th, 2011  Posted 12:42 AM

才能ある若者が帰省。
必ず、長期休暇はふるさと。
しかし、今年はいきなり彼の定めに直面。
ほとんどチャットのごとく、
「今の状況は」という会話をしました。
この会話は、私には対話でした。
この若者は学生時代に起業し、
いわゆるベンチャー企業をこつこつと成功。
突然、彼が会いたいとのことを知り、
以来、年長者としての意見をしばしば厳しく指南。
上場したいという旨を言い始めた時、
私は「今やるべきではない」とまで踏み込みました。
二年後、「今じゃないか」、即彼は実行。
ベンチャー企業は日本では成功しない、
私もそう感じ、日本の「出る杭」を経済界は叩きます。
経営感覚にあるべき才能を分別できないわが国経済界。
老人無責任経済界を徹底的に批判しておきます。
彼の連続するアイディアと地道な精進さは、
今ではベンチャーとはいえない企業に成長しています。
私の教え子で最初の工学博士(工学+デザイン)を、
彼の企業で教え子も修行をしています。
その若者は彼の全休暇を父親孝行を果たし終えました。
私は彼とのこれまでの関係ではなくて、
彼も私も一人っ子、だからトマト大嫌い。
だからこそ父親の最期を看取らなければならない定めを共有しました。
昨日、彼の父上は人生を終えられました。
あらためてMacPower誌・2000年2月号、当時連載で書いた私の父、
その死とどう向き合ったかを読み直しました。
私は、父の死でチベットの「死者の書」から、
「諸仏諸菩薩守護祈願文」を書きました。
葬礼が終わったら、彼にその記載を渡すつもりです。
父の葬礼では父も私も知る地方新聞社の編集委員の方から、
「父君は 阿弥陀の側で ほとけなり
生きるもろびとへ 光りておわす・・略・・」
この詩を彼にも共有してもらいます。
君の父上は、君を育てられた一生でした。
その役割が定めだったのでしょう。とすれば、
君は君の世界でリーダーであり続けなければなりません。
だから、私は君をうらやましく思います。
君のこの全休暇でたくましく全親孝行をつくしました。
私にはできなかったことです。
それでも君とこの数日深夜、私は君とFacebook上で、
私もまた「父の死」と対話をさせてもらいました。
感謝し合掌するばかりです。
いづれ、父親論を語り合いたいと思います。
君の「親孝行ぶり」を全て見つめさせてもらいました。

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「恩義ある人は人格者である。」


   


     8月 12th, 2011  Posted 12:22 AM

子供の頃から好き嫌いの性分。
いやそれは私の性分どころか性格です。
理由はいくらでも書き並べることができます。
まず、食べ物の好き嫌いは並外れて多いでしょう。
一人っ子だった母親へのわがままでした。
モノへの好き嫌いも激しければ、
さらには人間への好き嫌いは温存どころか強化されます。
自分でもそのまま実際的な暴力的「喧嘩性分」です。
暴力は差し控えざるをえませんが、
小中高時代にはそのことを畏れもしない性格でした。
無論、論理的どころか倫理的にも、
そうあってはならないことを理解することは出来ます。
そうして頭ではすっかり納得していることです。
対人心理学的にも、「あの人嫌い」と思えば、
その対象の人も「私など大嫌い」であっても納得です。
もしこれを理性的・悟性的認識として理解していても、
もっと性格悪く振る舞ったり演じることは平気です。
こうなれば人格崩壊者だと、私自身が絶対確認しています。
一方では、「好きな人」・無論男女を問わずですが、
とりわけ、恩義ある人には、万一嫌われても、
その恩義には命がけで恩義を果たすべきと思っています。
このことを決意したのは、「歩けなくなった」こと。
車倚子になってから私の私に対する決定事項です。
人への好き嫌いは多分幼少の頃に形成されるのでしょう。
ともかく、小学校中学校にはいい思い出はありません。
おそらく登校拒否児童・生徒だったと思います。
けれども高校大学時代は素晴らしく「好きな連中」ばかりでした。
おそらく、未来への夢や自分を対人関係で、
まったく悩むことが無かったからでしょう。
私は社会人になってからはさらに人間関係の好き嫌い、
これは激烈に心底に潜ませて生きてきました。
これだけ明確に、人間に対しての「感情」、
「感性」ではない心持ちはこのまま死ぬまで持ち続けます。
やさしい人、穏やかな人として生き抜くことなどには、
絶対になりたいとは思わないことにしています。
その最大の理由は、「恩義ある人」には何が何でも、
報いて生きることです。
これを私は橋本左内のごとく「松柏後凋の心」だと
生き方に決定しているからです。
正直この生き方はとてつもなく下手くそな生き方です。
しかし、下手くそな生き方を選ぶことでしか、
真実本当は、「恩義を返せれる人」にはなれないはずです。
すでに残された時間を思うとき、
この時間内に「恩義」を返せるのだろうか、
もし返すことができなければ、
それこそ、人格破綻者で生を終えてしまう自分、
そんな自分になることこそ、
自分を貶めてしまうものと考えています。
今夜、「かけがえの無い恩人」と久々に夕食をしました。
そして、あらためて恩義ある大好きな人物は、
人格的にとても優れた人との「縁」であったことを確認しました。

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『資本主義からの逃走』
 「# 男のくせに・・・ #」


   


     5月 8th, 2010  Posted 12:01 AM

指輪とブレスレット・大好きです!
私は多分、趣味と言ったらなんでもかんでも、
好きになったら、留めを知らないほど夢中になってしまいます。
これはきっと「一人っ子」だったからでしょう。
だから、ブログでもこのことは随分と書き散らかしています。
趣味なんでしょうが、「指輪」とか「ブレスレット」には、
いつも心惹かれれば、欲しくなってしまうのです。
ただし、これは動機があります。母でした。
私が美大進学となって、ようやく学生服からいわゆるジャケット、
明らかにVAN世代ですが、これも変遷します。
学生服も、高校からは「仕立て」られていた
「高校規則指定どおり」を着ていました。
母が「仕立て」たものを着せてくれていました。
VANを初めて買いに行ったとき、
母は、「デザイナーになるのなら、思い切りキザになればいい」。
「男もうんとオシャレしなさい」ということで、
指輪とブレスレットを買ってくれました。
「こんなの女々しいから、イヤだ」と言いました。
が、母は、「綺麗なモノを身につけなさい」ということで、
その日から、指輪とブレスレットです。
夕食時、家族3人ですから、
父は、「なんだ!、それは、女々しい」と一喝でした。
が、「母が買ってくれてたんだ」と言ったら、
それ以来何も言いませんでした。
私は、今も、美しい指輪、美しいブレスレットを探し求めています。
指輪とブレスレットなど、
「男のくせに」って言われてきたこともあります。
しかし、私は、新しい指輪やブレスレットに出会うたびに、
47歳しか生きられなかった母と出会う気がしてなりません。
「男のくせに!」。そう言われれば言われるほど、
私は、指輪とブレスレットにますます夢中になっていく自分に出会います。
その出逢いを母が今も見つめていてくれる気がしてなりません。
デザイナーで良かった!と思っています。
男のくせに、をいっぱいできますから。


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『資本主義からの逃走』
 「* 夢の大きさは、祖父への約束 *」


   


     4月 9th, 2010  Posted 1:58 AM

祖父
私は、一人っ子で育ったから、何でも手に入りました。
といっても、それは祖父が居たからでした。
私は、祖父は「金持ち」だとずーっと思っていました。
なんといっても白髪と高い鼻筋でロシア人だと思っていました。
祖母に尋ねたことがありました。
「おじいちゃんってロシア人みたいだね」って。
「そうだよ、4分の一はロシア人の混血だよ」と。
そのことをずーっと信用していて、
母に聞いたら大笑いして、
「おばあちゃんにだまされたね」って言われました。
と同時に、
「おじいちゃんに何でも買ってもらうのはもうやめなさい」。
「おじいちゃんは、破産しているからお金が無いのよ」と。
祖父は、頼まれればすべてを受け入れ、
印鑑は押すは、借金は引き受ける、という人でした。
宮大工の大棟梁頭だったので、
製材所から瓦焼き工場から、紙漉工場、竹材加工場、
さらには、穏坊(火葬場の坊主)まで
一族を抱えている家系のお坊ちゃん育ちでした。
三階建てで、伯父・叔父たちはベッドで育ったくらいでした。
だから、どう見ても破産しているようには見えませんでした。
祖父が絶対に喜ぶことは、本を読んでそのあらすじの話をする。
だから小学時代には日本文学全集はほとんど読んでしまいました。
読めば、おこづかいや何でも買ってもらえたからです。
そして、絵を描くのです。
それは未来の絵を描いて説明することでした。
だから、わたしは鍛えられたのだと思っています。
勉強の話などしたことがありませんでした。
勉強なんて常に一番でなければって思うようになってました。
自転車を福井県で最初に買ったことが自慢でした。
なんでも一番が大事だと言われてきました。
SPレコードプレーヤーも大きなのから小さなモノまで3台もありました。
夢は、語れば語るほど必ず手に入る、
「が」、「それでも」、「けれども」、
ということを教えられたと思います。
ただ、祖父は山々の名前をすべて教えてくれました。
そして、「ご先祖さまには申し訳なかったことをしてしまった」と。
私は、「大きくなったらその山々をぼくが必ず買い戻すから」と、
約束してしまったのです。

私はデザイナーになって、40年です。
61歳になって、まだ、この夢を追いかけています。
だから、欲しいモノは、まず自分で創る。
そうすることで、デザイン対象を拡大することができたと思ってます。
デザイナーは「夢」に向かっている職能です。
だから、「夢」を小さくすることなど絶対にできないのです。
デザイナーになっている私を知ったら祖父は喜んだでしょう。
なぜなら、「未来への夢の絵」、今でも描いているからです。


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『資本主義からの逃走』
 「* 人前で喋ること、きっと得意分野ですが・・・ *」


   


     3月 29th, 2010  Posted 12:25 AM

講義・講演は大好き
「講演」は私の大きなデザイン活動だと思っています。
なにしろ、一人っ子(母違いの妹がいます)だった私は、
まったく無口すぎるほどの母と二人でした。
父は、職業上、全く家には居ない人でした。
だから、子供の時から「口達者だった」ようです。
小学時代から、弁論大会は必ず優勝していたくらいです。
中学では英語の弁論大会に出場することも大好きでした。
私は人前で「上がる」という感覚がまったくわかりません。
聴衆が少ないと「やる気」が失せるほどの性格だと思います。
したがって、大学人としての講義、
デザイナーとしてのプレゼンテーション、
講演会は、ほぼ、得意分野と言ってもいいでしょう。
苦手なスピーチ
ただし、苦手が一つ。
それは、結婚式のスピーチです。
結婚式には、使ってはいけない言葉があります。
さらに、新郎新婦の名前を決まって、ど忘れしてしまいます。
この失敗から、結婚式は電報で勘弁してもらっています。
しかし、その電報文には満身の力を込めて絶対に結婚式場に、
全く「存在」しているようにと校正と添削の限りをつくします。
だから私は「お笑い番組」が大好きです。お手本だからです。
古典落語も随分と覚えていた時期もあります。
大学の講義は、絶対に準備をします。
同じ講義は絶対にやらないことを堅持しています。
ところが、昨年後期は大変でした。
「英語」での講義を決心したからでした。
前準備は大変であり、それは海外の大学講演のごとくでした。
あとしばらく大学人を続けるでしょう。
講演会は、デザイナーの義務と思っていますし、
私を講師として呼ぼうと言っていただけるなら応えたいのです。
おそらく、そういう意味ではプロです。
次のようなアドバイスをします。
「気合を入れる」!
これは、自分の「気」と聴衆の「気」を合わせることです。
それは、聴衆の「気」の波長をいち早くつかんで、
自分の「気」の波長を合わせていくことだと確信しています。
「気負わない」!
気負ったら、聴衆の「気」に自分の「気」が、負けます。
決して気負ってはならないことが大事です。
そして、もっとも大切なことは、
「言葉」の適切な、「切り方」です。
ただし、それは私が心がけながら最も出来ていないことです。
しゃべり尽くす前に「切り上げてしまう」のが、
ここまでだ!、ということはまだまだ修練が必要だと、
充分に知りながら、これができません。
大切さと大事さ
「大切」というのは、大事さの切り方のでしょう。


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『資本主義からの逃走』
「プライバシーという自分性は、暴力構造を内在化している」


   


     3月 28th, 2010  Posted 12:30 AM

敗戦後にプライバシー
「プライバシー」とか、「プライベート」という言葉、
この言葉が日本に定着したのは、大戦後=敗戦でした。
そして、このプライバシーというのは自分顕示性です。
敗戦とともに、というのがこの言葉を強化させたものと、
私は、まず、この断言から、告白をしていこうと思います。
「プライバシーの侵害」というかけ声は、
自分性の保全を確保し確約させることを、
誰に委ねたのでしょうか。
私は、これを不明にしている謀議性にプライバシーが、
明確にあるということを感じています。
「プライバシーの侵害」という言葉に暴力性を認めています。
一人っ子のわがまま
私は一人っ子で育ちましたから、
まったく「プライバシー」は、保護されて育ったと思います。
プライバシーの根本は「他人から観察されない状態」です。
簡単に言えば、一人っ子は、
両親の観察状態が大きいにもかかわらず、
一方では放任で、自由と気ままさが容認されるのです。
それは、逆現象になっていると自覚もしています。
一言で言えば、「プライバシー」、
それは「わがまま」を周囲に押しつけることです。
しかも、私は特にデザイナーは、
「わがままであれ!」とさえ、言い放っています。
わがまま=プライバシーとすると、
私は、この主張には、実際的かつ背後の支援体制には、
「暴力性が秘匿内在」していることを、
根本的に認めているのです。
暴力性
なぜなら、「自分性・あるいは自分顕在性」には、
私自身の暴力性が確実にあるからです。
ここから、私は、プライバシーやわがままの暴力性を語り切る、
その自白性に、今度は、私の暴力性を援護している卑怯さを
重ねて配置します。
自分性の強調が暴力であり、その告白はさらに、
自己防衛までを用意周到にしているということです。
自己防衛
結局、
暴力性は二重性を持って、用意周到で狡猾な暴力性を秘匿し、
その防護性で、さらなる「わがまま」の影響性を拡大します。
私は、自分の暴力性、すなわち、自己中心性を失わず、
その暴力性でしか、自己防衛は不可能だとさえ思っています。
結局、私は自分自身、自分性プライバシーから、
「プライバシーには、暴力性が内在している」と言って、
「プライバシー」の現代的な意味性を、敗戦トラウマである、
その再配置する時期がきていると考えています。
プライバシーの侵害なんて、実は、とんでもない言いがかりを、
戦後、わが国に定着させてきたことや、
私も共犯であったことを自白しておきます。
この自白すら、自己防衛なのです。


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