kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘不可能’


『無駄な投機だった医工学の廃止が証明できている』


   


     6月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM

文系と理系が大学教育では完全に分離してきました。
文理融合は必然の教育テーマになっています。
都合のいいことは、これをまた米国の大学から、
d.Schoolのそれこそコンセプトを知らされると、
余りに見事、i.Schoolを掲げて、
文理融合というより、デザインの発想を取り入れるのが大きな手法となり、
「デザイン思考」がその決め手ということになりました。
しかし、理系を文系に、文系を理系に接近させたところで、
その合致点は、結局、理系そこそこ、文系そこそこ、
デザイン思考ならば、デザインには確実な実技がともなっています。
具体的には、「スケッチが描けること」が必須なわけです。
スケッチが不得手であったなら図解の基本は?となり、
現実にデザイナーが居なくては、この教育は全く不可能なのです。
阪大は、デザイン思考に疑念を持ち、徹底的にその源にもどりました。
それは「コンシリエンス」という
知識・知恵の造語を19世紀に見つけました。
それを自分は「コンシリエンスデザイン」として、
最も何も社会化出来なかった医工学に当てはめる論理を打ち立てました。
そうしたら米国のMITでは「コンシリエンス」に
科学−社会自然学を適合させていました。
とても明快になりました。デザインは「問題解決」ゆえ、
その対象を「看医工学」に差し向けると、
一体これまで何を実現してきたのか、
どれだけ税金を投機し無駄に終わってきたのか、
その医工学の欠点が明らかになってしまいました。
なぜなら、看護学・医学・工学・保健学によって、
安心・安全・最新医療環境・予防までが明快に論理解決できたことです。
明言すれば、医工学のこれまでの効能性ゼロを証明してしまったことです。

*『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』
*『『デザインとは何か?』=デザインとは前頭葉である』
*『手描きスケッチのツール』
*『プロとして元気の素は鉛筆への作法』
*『イラスト・漫画はデザインスケッチでは無い』


目次を見る

『コンセプトで「美」、その創出は不可能である』


   


     6月 18th, 2016  Posted 12:00 AM

「コンセプト」、この幻惑に閉じ込められて来た現代人の
発想・思考、そして論理構造を断罪しました。
一言で表せば、「コンセプト」そのものが曖昧で、
思考の源泉である知識・学識・常識の否定です。
そこで、「コンセプトの完全否定」から、
自分としては「ライン:line」発想・思想・論理を提案します。
理由は、とても明快です。
思想・良識・知恵は「真・善・美」に最終結論として到達するはずです。
したがって、少なからず、「真」である科学性・非科学性も、
「善」に関わる思想・理念も、概念では説明すら曖昧になります。
それが「美」ともなれば、
「コンセプト」には大抵大概にして「感性判断」を求められます。
ここに「コンセプト」では決して「美」には到達不可能であることを
まず「知る」ことが重要です。
それこそ、silienceで辿り着いた「知られざる知性・見識」であり、
「コンセプト」では決して
「美」を語り切ることが不可能だということです。
感性での「美」の判断はとても「コンセプト」論理では近接できません。
昨今はあたかも感性重視でのコンセプト発想が、
「美」をも絶対的に完遂するという思考が氾濫し始めています。
なぜ人は「美学」という学識で
連綿と美しさを追い求めてきたのでしょうか。
結論を言えば、
コンセプトで美は決して創り出すことは不可能だということです。
デザイン界もコンセプトと感性でこそ、デザインが形成されているという、
この幻想の中に封じられてきました。
それこそどれだけのデザイナー、芸術家、建築家などが、
コンセプトで語り切ろうとするこの曖昧さの中に
「美」をはめ込んできたのでしょう。
その実例が、機能的なデザインには美がある、という発想でした。
これは単なる曖昧で感性的なコンセプト論理でしかなかったのです。
あえて自分は「コンセプト」で語られてきた「美」の曖昧さを否定します。
この曖昧さを捨てるときに「ライン」発想・思考・論理に、
「美」が見えてくるはずです。

*『Silienceの原意・・・デザインが何になるかという意義』
*『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』
*『「真善美」をプラトンに教えられたから生きてきた』
*『たかがリモンコンではありえない』
*『若手芸術家の紹介から学ぶ『範・感性』の確認』


目次を見る

6月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

6月4日 友引(丁巳)

発想はもちろん、
思考の結果ですが、
その軽薄さに、
デザインを載せることは
不可能です。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』


   


     5月 28th, 2016  Posted 12:00 AM

無念だが、これが「天命」でしょうか。
グラフィックデザイナー・佐藤晃一氏が逝ってしまいました。
毎日デザイン賞を1990年に同時受賞しました。
受賞式は帝国ホテル、彼は群馬から両親をそのホテルに泊めていました。
控え室で、グラフィックデザイン界の重鎮たちから
「いい親孝行ができたね」と、言われていました。
初めて彼と出会いましたが作品はほとんど知っていました。
彼の受賞理由は「グラフィックデザインにおける日本的精神性」でした。
独特の淡いグラデーションの簡潔さは今も生きています。
今ならデジタル表現ですが、当時の手法を真似ることは不可能でしょう。
二人きりで「やかん」の話をしました。
丁度自分はニューヨークでダンスク依頼のデザイン開発を見てきた話、
恩師の作品やなぜ日本では製品デザインが困難かなど打ち明けてしまい
興味津々の彼の眼差しが今も心によく残っています。
彼のやかん探しに自分が驚いたことですっかり打ち解けていました。
お互いに若くして40代で受賞できたことを喜んでいました。
「これでやっとデザイナーだよね」と言い合いました。
受賞式の壇上では、自分を選んだ倉俣史朗氏の急逝を思い出し、
ついつい、涙声になり、とても重すぎる賞碑を支えてもらいいました。
彼は多摩美術大学の教授ゆえ、
客員教授の自分はいつでも話せると思っていて、
とても大事な機会を失ってしまったことが悔やまれます。
当時の毎日デザイン賞の受賞には
必ず国際的な評価が必要だったはずです。
しかし最近はその事例が失われていると批判したことがあります。
壇上で、小声で話していた会話を懇親会でも話しましたが、
この続きは出来るならもうひとつの世界で話すことになるでしょう。
心から冥福を祈り、
やり残した仕事の結果を持っていく使命を確認しました。

*『昨日大先輩は旅立たれた・栄久庵憲司氏から私の評価文』
*『緊急課題になった「リトルネッロ論」の再考と具現化』
*『ケトル・デザインへの好みの集中が不景気感になっている』
*『インダストリアルデザインからプロダクトデザインへ』
*『幻の発明だったモノの現物があった=柳宗理のデザイン』


目次を見る

『非常事態の準備は再考しなければならない』


   


     5月 10th, 2016  Posted 12:00 AM

March 11. 2011ー「3.11」の天災人災からすでに5年が過ぎました。
ところが熊本では、地震予測4%にすぎなかったにもかかわらず、
それも未だにすでに2000回を超える地震が連続しています。
かつて歴史的にも熊本から発生した地震は北上して、
京都の秀吉が都づくりをねらっていた伏見城下まで連鎖したそうです。
3.11以後の地震予測では、確かに、雲の形では予測可能ですが、
次には、駿河湾、首都直下、南海トラフと言われています。
ともかく熊本では崇城大学・九州大学がレジリエンスデザインチーム」
現地での災害対策をしていますが、研究室でもチーム支援をしています。
「レジリエンスデザインチーム」はすでに約20大学がデザイン・建築系で
防災デザインのカリキュラム化を試みてもらっています。
では、わが家では、ということになり、
非常用の準備を確認しましたが、あらためて電池の入れ替えや、
不足分などを付加したり、早急に備えて置いたりなど確認しました。
今回の熊本地震は、3.11での経験とは全く別の準備が必要なようです。
たとえば3日あれば、というのも熊本のように未だに連続しているのでは、
根本からの対策を見直さなければなりません。
特に、私は、車イス使用でありほとんど行動は不能になります。
とりわけ、火災や高層からの脱出は不可能です。
研究室ではその場合をなんとしても、
新しいデザインアイディアを具現化したいと考えています。

*『自然との喧嘩・調和などありえない』
*『スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説』
*『サバイバルの方法・手段を軍事から語る限界』
*『天災・人災の日本こそ地球保全と人類存続をデザイン』
*『ヘルメットとヘッドライト、デザインの見直し』


目次を見る

5月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 7th, 2016  Posted 6:00 PM

5月7日 仏滅(己丑)

発想の中核は
「コンセプト」という一般解。
すでに
この解法からの発想では
とても、
問題解決の解法発想は
不可能である。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

『silienceからパラ理論とメタ理論への展開が可能になる』


   


     4月 25th, 2016  Posted 12:00 AM

コンシリエンスデザインの論理的な研究をし、
その講座を「KK塾」として一年開設してきました。
そして、silienceという古語に辿り着いたときに、
レジリエンスデザインを明確に定義することが叶いました。
このレジリエンスデザインを具体的に研究していたのが、
九州大学でしたが、それが科学研究テーマになった途端に
熊本で大震災が連続しています。
すぐに「レジリエンスデザインチーム」をつくり、
大阪大学がこの活動のコアとして情報整理にかかりました。
自分は「KK塾」でも、
レジリエンスデザインに取り組んでいない、
特にデザイン系大学があることを指摘し訴求を始めていたのです。
たとえば、あるデザイン系大学では「防災がデザイン対象?」という
無知識な、そのような教育機関は、
教員がなんといってもsilienceそのものさえも全く知らずして、
大学教育で次世代デザイナー育成は不可能です。
さらに、silienceはパラ理論:Parasilienceと
メタ理論:Metasilienceにて、部分と全体、事前と事後、
さらに理論前提と理論中枢へと、
このデザイン手法とデザイン論理を
深めていくことが可能になってきていると考えています。
これはプライミング効果によって、
機能をさらに性能と効能にデザイン言語で
造形言語=designing languageと
形態言語=designed languageとして、デザインの
意図と内容で、デザインすることとデザインされたことを明快にします。

●レジリエンスデザインチーム
*『レジリエンスデザインチームで少しでも支援を』
*『レジリエンスの学習はデザインにつながる』
*『デザインは記号論的な「造形言語と形態言語」での論理化』
*『記号論でのコンシリエンスデザイン』
*『まず、ニュートン的力学の隠喩としてのデザイン』


目次を見る

4月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

4月5日 大安(丁巳)

努力と懸命には差異がある。
努力しても発想は不可能である。
努力とは才能が無いからのことであり、
努力は決して報われない。
比して
懸命さは才能があるから
懸命な発想しか残らない。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

『人工知能には「ち」の思潮が欠落している』


   


     4月 2nd, 2016  Posted 12:00 AM

「人工知能」が間近に来ていると言われています。
最も「人工知能」というのを、どこまでの範囲、領域、
あるいは性能・効能・機能で語るのかによって限界があるでしょう。
しかし、僕は、人工知能は不可能だと言ってきています。
それは「知能」という日本語がすでに間違っているからです。
「知」を明確化するために
「ち」の日本的な哲学・思想が欠落していること。
つまり、「ち」は日本の伝統的な思潮であり、
それは血から値・地・治・智・致など、知の思想までが
人工=コンピュータで創り出せるだろうかにあります。
かつて僕はコンピュータにはSyntax Errorがあると言ってきました。
そこで、Configuration Error を徹底して排除したのが
ゲームであり、囲碁、将棋。そしてチェスに対して
人間とコンピュータの勝敗はコンピュータが勝ったという論理です。
これで、人工知能はもはや完成の射程距離が明確になってきたという風潮。
すべからく、僕は大嘘だと断定しておきます。
人工知能という性能と機能はPlay Backシステム、
すなわち決定的な「繰り返し作業」は可能になりますが、
これを「人工知能」というのは憚られます。
したがって、Play Backシステムが効能化されれば、
人間の労働環境に異変が起こることから、
必要とされない職業が出てくることは間違いありません。
僕はこれを「人工知能」と言ってはならないと考えています。
知能が完成されるのは、創成・創発・創出という考え出す発明力です。
これを成し遂げる「ち」の思潮がコンピュータに、アルゴリズムに
確実に蓄積される必要があります。
そうした意味でも、あえて「人工知能」は不可能説を
僕は言っておきたいと考えます。
それこそ、ロボットが30年経ってようやく「医用ロボット」になったこと、
この事態と極めて似通っていると思うからです。
産業用ロボットはすべてPlay Backシステムでしかなかったことと同値で
おそらくArtificial Intelligencesでは無理があり、
Consciousness / Information / Knowledge にはすべて
「ち」の思想から理念があるということです。

*『心を持つロボット表現として、「泣き出す表情」』
*『リトルコンピュータピープルの顔色は人工知能要素かも』
*『「KK塾」の対談と質問はイニシャルで方向決定』
*『KK塾最終回 松岡正剛氏からの新たな知の編集』
*『資本主義からの逃走』「各産業の0.5次化という高度化は情報化を加算」


目次を見る

1月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 10th, 2016  Posted 12:00 AM

1月10日 赤口(辛卯)

私は
模倣=盗作と言い切ってしまう。
模倣だから、
決して盗作とは言い切れない、
それも充分にわかっている。
しかし、
発想は模倣して創出は不可能。
だから、
発想のために
模倣は盗作と断言しよう。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る