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Posts Tagged ‘不安感’


12月04日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 4th, 2017  Posted 12:00 AM

12月04日 友引(乙丑)

どこかで技術とデザインへの
不安感から癒されたいと
思う若者の感性が
「かわいい!モノ」に
飢えていくことは当然である。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』1 クピトが放とうとした矢


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『人口ピラミッド視覚化で明確な高齢社会の重石』


   


     5月 8th, 2016  Posted 12:00 AM



わが国の少子高齢化は人口ピラミッドの視覚化により、
明白な事実が確認できます。
自分自身が「団塊の世代・s22・s23・s24」の一人として、
この図解はきわめて事の重大さを納得させてくれます。
高齢化というより高齢社会は人口の巨大な重石になっています。
少なからず、1949年生まれの私には2050年はありえないでしょうが、
少子化の重大さは、いくつかの国家的危機を明確にしています。
まず、防衛的問題が政治的にはトップ問題ですが、
経済システムの大変更は
2018年大学問題・国公立私立大学は半分になるでしょう。
入学者数の無い私立大学は不要です。
そしてこの教育問題が産業経済への多大な影響になることは
すでに一般的には暗黙の理解になっていることは間違いありません。
最も重大なことは「年金問題」と「介護問題」がこの少子化の
人口ピラミッドを見れば一目瞭然となります。
18歳からの投票が可能になりますが、彼らの「不安」の中心は、
「政治に荷担しても何も変わらない」という印象から
投票しないという発言です。
しかし、この不安感の実態は「年金」問題もさることながら、
実際は「介護者不足」は2025年には250万人の介護士が必要です。
この実態は18歳には届いていませんから、
彼らの投票参加がなければ「シルバーデモクラシー」になるでしょう。
しかし、もし、投票がインターネットであれば、
18歳人口は彼らのSNSネットワークで、
マスコミ操作不要の新たなデモクラシーが出来上がります。
その時には、ネットワークによる新たなリーダーが求められるでしょう。
その時には自分は逝ってしまっているはずです。

*『日本システムが壊れた理由のひとつ』
*『災害への勇気と希望の世代間団結』
*『世界・世界観変革が始まる』
*『2018年=日本の大学制度は崩壊するかもしれない』
*『忘れた頃にを想定内に!』


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「『オスプレイ』形と性能・デザイナーから見れば」


   


     6月 8th, 2013  Posted 12:00 AM



昨日、自動車関係の論文で、
私は車両の「形と性能」に関する依頼論文が発刊されました。
そうしたら、またまた大阪市長の提案発言が社会問題です。
これはわが国が「敗戦」結果、日本が背負い込んだ大問題です。
それ以前に、私は、この飛行物体を評論するべきと考えました。
水平飛行=飛行機と垂直飛行=ヘリコプターの融合体です。
アイディアとして、垂直と水平を結合させることは当然です。
また、デザイナーとしてとりわけ飛行機やヘリコプターは、
私にとって、生きがいを感じる物体=モノです。
無念なことは武器であり兵器だということです。
だからこそ、社会問題をさらに厳密にしています。
私としては、ずばり、「安易な飛行物体」と切り捨てられます。
それは、飛行機としてプロペラ機であることは、
人類の知恵が辿りついた解答であったことは認めています。
さらに、上昇飛行としてのヘリコプターも、
航空工学的には、まだ未解明部分が残っていても、
安全な飛行物体であることも諒解することができます。
しかし、この水平と垂直、両方を飛行機とヘリコプターの構造を、
一つに統合して、形にそのまま性能を表現したデザイン、
この安易さを私は疑わざるを得ません。
私が最も危険と見なす点は、
飛行機としての飛行翼先端に駆動機があること、
これは水平飛行するときの揚力と抗力の制御が不可能です。
そして、ヘリコプターとしての上昇において、
駆動機が横並びでは気圧変動差の制御に不安感があります。
これは縦並びで水平飛行を補助すべき配置であるべきでしょう。
そして、最も肝要なことは、
垂直と水平への移行が駆動機であるプロペラが、
垂直から水平へと変化に進化した何かが欠落しています。
したがって、ヘリコプターでたとえば戦車をぶら下げて移動、
こうした軍事訓練は、けっして海洋でなければ困難なはずです。
韓国へ行けば、高速道路は長距離で真っ直ぐです。
高速道路が、そのまま滑走路機能になっています。
比して、わが国の高速道路にその機能はありません。
それこそ、大阪八尾空港の滑走路は最大6t許容までです。
まして、オスプレイ16t許容はすでに無理だということです。
だからこそ、このアイディアはデザインで進化させるべきです。


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「書くための万年筆の真の意味」


   


     4月 8th, 2012  Posted 12:00 AM


「衣・食・住」は日常生活の基本です。
私はこれに、「医・職・趣」を付加します。
衣食住は文明です。
着て食べて住まうことで人はまず生きることができます。
そして医療・職業・趣味は、まず健康でありたい、
職業を持って社会での役割を自己確認します。
その上で、自分なりの楽しみとしての趣味を持つことで、
生活は文化性を帯びるというのが簡単な私なりの解説です。
私はすでに40年デザイナーという職業を持ってきました。
しかし、医療に関しては車椅子であり心臓障害を持っているために、
いつも不安感を持っています。
私の文化観は常に揺らいでいるのでしょう。
それだけに「趣味」の世界に没頭しているのかもしれません。
とりわけ、文房具、それも「万年筆」には中学時代から憧れがありました。
小説家になりたいと思い出したのが中学時代、
それも万年筆と原稿用紙への単純な憧れがあったからです。
最も、万年筆を収集し出したのは、40代に入ってからでした。
おそらく万年筆のコレクションは相当になりました。
だから、もうこの程度で辞めておこうと思いつつも、
最近、アウロラの新製品(写真)をやっぱり手に入れました。
だからその類いの雑誌も精読するほどです。
ただ最近は、万年筆=「書く」ということには二つの意味を求めています。
一つは、「書く」ことと「描く」こと、
結局スケッチを描くのに最適な万年筆を求めています。
そしてもう一つは「書く」というのは「欠く」ということが原意ですから、
何がまだまだ自分に「欠けているのか」、
それは
「欠落していること」に十分に気づいておきたいと真剣に考えています。
だから、新しい万年筆を手に入れると、ともかく「文字を書いてみます」。
おそらく、「文字を書く」という行為が、
自分の中にある「ことば」を紡ぎ出すことで、自分には無い「ことば」、
欠落していることを見つけ出そうとしている、
本能なのかもしれないと思うのです。
そして、スケッチを描く=スケッチを書くと言うこと自体が、
できる限りの発想を吐き出そうという行為、
すなわち、欠落=「欠いているアイディア」をともかく紡ぎ出す行為だと
自己解釈しています。
そういう意味こそ、「趣味」の核心だと思っています。
「欠落している自分」を探し出す行為なのでしょう。
それが不安な健康・医の世界への
大きな抵抗力にもなっていると判断しています。


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「絶対認識の喪失は自分の中の闇」


   


     8月 11th, 2011  Posted 12:08 AM

人には生きている自分。
誰でも絶対認識している現実感、
これがあるはずです。
しかし、私にはこの絶対認識、
そして現実だろうかという想い。
これは「歩けないこと」を未だに認めていないから、
私によぎる想いだと再確認をしています。
これは大きな不安感でしょう。
だから私はなるべく簡単に考えることにしてきました。
「川崎和男は二人いる」と考えます。
ただしもう一人「歩いていた私・川崎和男は居ない」、
こんな風に今ですらそう思い込むことで、
この不安から逃れています。
夢の中で、「車いすを探している自分」に出会います。
あれっ、歩けないはずなのだから、
車いすはどこにある?・・・という感覚です。
もう記憶でしかありませんが、
こんな感覚に苛まれた経験は、母を失ったとき、
この時には、母はもう居ないのに、
あの部屋には居るはずだけど、
もし居なかったら、死んでしまったのだから、
あの部屋を開けることは絶対にしないでおこうという、
これも絶対認識を喪失した不安という自分の「闇」です。
歩けなくなってからすでに随分生きてきたはずなのに、
未だにこの「闇」に自分は引き込まれます。
私は、絶対認識の喪失感覚は、個人に潜む「闇」です。
おそらく、今なお被災地の人たちは、
悪夢の中にいるはずです。悪夢という「闇」でしょう。
そして、この悪夢をどこかで分担し、
共有しようという通常のこれも絶対感覚があれば、
人は「自分には何ができるだろう」と自責します。
現地にともかく出かけたボランティアの人には、
この感覚があったのだと純粋に考えることにしています。
今日、この4ヶ月自分を追い込み熟考してきた結果をプレゼンしました。
チームには、教え子もいます。
彼らにも「こんな仕事ができること」、
それは「自分に何ができるか」って自問したとき、
デザイナーというプロフェッショナルだから、
デザインというツールで、この「闇」に立ち向かえる。
そんな話をしてきました。
これからこの企画を具現化していくことになります。
そしてこの絶対感覚では揺るがない自分確認が必要です。
これを「ブレない自分」と言うことになるのでしょう。
チームのみんなへ、
これからMATRIXを埋めていく作業開始です。
MATRIXは「闇」を整理する一つの手法です。


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『資本主義からの逃走』
「通貨制度の革新による『衡』平和信用度をめざす」


   


     5月 13th, 2010  Posted 12:01 AM


私たちは円という貨幣単位で生きています。
円で生かされていると言ってもいいでしょう。
「円」=Yen (wen)です。
『¥』という記号に生活が在ると考えることができます。
中国は「元」です。
そしてこれも発音ではYuanですから似ています。
この円と元の貨幣呼びには歴史があります。
今、私たちの¥は、国際的な通貨制度の中では、
大きな信用力があります。
『¥』をここまでの信用力としてきた戦後、
いや明治維新以後の先達に感謝をしなければならないでしょう。
そういう意味では、
現状、わが国の産業経済力が脆弱になってきたことに対して、
日本国民は、大きな不安感の中にいます。
それを「不景気」と言って悲しいかな、かまいませんが。
¥の原点は、日清戦争後でした。
それは、日本の通貨制度を改めて見つめ直さなければならない歴史です。
私自身はデザイン界に身を置いています。
デザイナーとして、教育者として、そして日本人として、
『¥』の脆弱化を最も危惧しているのです。
とりあえず、大きなその危惧理由を二つだけ記しておきます。
言い尽くせない不安感は、まだ胸の内に留めておきます。
予知不安
● 中国の通貨制度は、
いきなり国際性での信用を無視するのではないだろうか、と予想するのです。
その背景には、彼らの「市場経済主義」という、かなり不明な背景基盤があるからです。
つまり、大戦後の国際的通貨制度は資本主義経済によって、
現代性の国家間信用に繋がっています。
明らかに、これは「通貨制度」での経済競合でした。
もっと言い換えれば、通貨制度を介在した経済戦争だったのです。
そして自国の信用は、その国の政治家に任せてきました。
この破綻が、欧州の法治国家では起こってしまっています。
中国は人治政治によって、この破綻はありえなくする力があるでしょう。
● それは明らかに通貨制度を超越した彼らが主導したい
世界支配の経済構造が動き始めているということが二つ目の予知です。
この背景基盤は、情報世界での「情報制御」と「情報操作」、
それは、「情報の無料化=Free」というビジネスモデルが
次々と登場してきたことです。
この世界構造に通貨制度を制御する「国際関係的な政治力」が
無効化し始めているという観想です。
私は、円と元とがやがて対立し、外圧で円の破綻があるかもしれません。
あるいは、現在の政治家の法治政治への不信を動機とした、
元による通貨制度で外圧度に、
日中の「衡」状況はありえるのだろうか、と考えています。
円と元はYenです。
許されるならば、全アジア統合的な、
新たな情報化された通貨制度策のデザインが必要だと考えます。
¥+€+$=?
それは欧州・€と米国・$をも統合するための、
新たな「国際的な平和信用度」を構築する「衡・世界観」です。


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