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Posts Tagged ‘不気味の谷’


『人形には未来のロボットへのヒントがある』


   


     8月 5th, 2017  Posted 12:00 AM



人形の収集ということを、
私は若い頃オーディオ評論家のS先生から学びました。
陶磁器でのある人形シリーズは私の趣味で持っています。
そうしたら、先般、ワイフがこれで3体全部揃ったとかで、拝見です。
「バービー人形ルブタン」シリーズでした。
こんなの持っているんだと思ってしげしげと眺めました。
なんでもバービー人形50周年記念(2010)での
クリスチャン・ルブタンとのコラボレーションでした。
ルブタンはそれこそ、靴底を真っ赤にしているだけでブランド存在を
明確にしている著名な靴メーカーです。
フランス本店は、それほど大したことはない、と思っています。
まぁ大抵有名ブランドの本店はむしろ日本だったり海外の方がいいです。
なんでも、このバービー人形のルブタンシリーズでは一体が見つからず、
ワイフはinternetで検索をしながらやっと手に入ったとかです。
しかも彼女の趣味での人形は、バービーだけではなくてブライスもあり、
彼女の収集品は年々、高額になっていくという不思議さがあります。
正直なところ、私はあるときに靴ひもを赤に決めたら、
翌年からイタリアで流行しだしました。
それで靴底も真っ赤にすることにしたのです。
そのために靴ひもも靴底も赤色素材や、
皮革の染め上げを赤色染料なども調べたことがあります。
私がオーディオ評論家のS先生から教わったのはすべて西洋人形でした。
「人形」には何かしら不気味さがあります。
しかし、バービー人形やブライスなどにはそれが余り無いように思うのです。
おそらく、人形においてもロボットのごとく、
あの「不気味の谷」論理があてはまっているのかもしれません。
現在のロボットはまだまだ玩具でしかありませんが、
バービーやブライス、西洋人形は玩具性を超えています。
やがてとんでもない進化がロボットに起こるでしょう。


* 「ブライスというたかが人形に、されどの本質」
* 「赤い靴はーいてた♪・・・靴紐は赤に!」
* 『赤・この色がブランドを決定づけている』
* 「本当は地味なのに」
* 『ロボットに工学設計はあってもデザインされていない』


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『ロボットに工学設計はあってもデザインされていない』


   


     11月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM



ロボットと名辞されれば、それこそが未来的という風潮があります。
是非とも、ボードリアールの「物の体系」を読破していただきたい。
工学的な設計だけであって、デザイン、デザイン思考が皆無です。
つまり、ロボットには、1970年にはすでに「不気味の谷」という、
機械と人間の外観的な感情反応の仮説がありました。
こうした仮説を科学的ではないという批判者がいましたが、
私は明確なロボットの機械性と人間性の外観性からの印象を
指し示した代表的な論理として、この論説は正解だと思っています。
むしろ、1970年代の論理を、すでに21世紀の現代、
ロボット学者たちは、読み間違えている気がしてなりません。
デザイナーのロボット設計は大勘違いしていることが明らかです。
工学的な設計がロボットデザインだという勘違いを横行させた原因。
その結果が、オモチャ形態=玩具で済ませてしまったことや、
ロボット外観だけをトレースして、Padを持っているのでは、
ロボット定義そのものが未来性を持っていないことは明らかです。
ロボットそのモノが工学設計で不気味さを纏ってしまっているのです。
それならば、私は未だにロボットは玩具以上のモノではないとさえ、
強く認識していますから、玩具であるだけで充分です、
ヒューマノイドもメカノイドも、この融合点を見い出していません。
かってロボット学会でこの講演をして表彰されたこともあります。
私はこの「不気味の谷」の森政弘先生の講義も受けていますし、
周囲には敬愛する著名なロボット学者も居て直に話も聞いています。
それだけにいい加減なロボットデザインは激しく批判するつもりです。
不気味の谷を私はもう一つの読み方をしたいと考えています。
それは、機械への感受性を最高にしたときに、見事に、
工学設計でのロボットや、知性無きデザイナーのロボットには、
不気味どころか、非在すべきロボットの墓場、
その場所設定が出来るとさえ考えています。


『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
「心を持つロボット表現として、『泣き出す表情』」
「Nomenclator・ロボット、GUIからAUIへの提示」


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『神仏像をもっと知っておきたいと考える』


   


     2月 10th, 2014  Posted 12:00 AM



久しぶりに「新TV見仏記」をテレビで観ました。
私が宗教を知ろうと思ったのは、
ふるさと福井でこの二つが不明だったことです。
生まれた里には永平寺曹洞宗がありました。
しかし葬式では浄土真宗があり仏教に種類がある不思議さでした。
一時期、宗教という思考領域とは無関係で生きたいと思いました。
土門拳の写真で仏像や神仏混合のアイコンを見て、
その美しさに惚れ込んで以来、仏教神道に興味がありました。
仏像や観音像などのいわゆる歴史的なフィギュアに潜むこと、
これを徹底的に知りたいと思うようになったのは、
これにも私が車椅子生活を余儀なくされたことがあります。
ぞっこんこのフィギュアアイコンのかたちに惹かれたのは、
ロボットデザインでの「身体論」と「形態論」でした。
しかも今年は森政弘先生から、改めて「華厳経」を教えてもらい、
松岡正剛氏は「維摩経」で年末を過ごしたことや、
いとうせいこう氏とたまたま出会って「不気味の谷」の話や、
彼とみうらじゅん氏の「TV見仏記」が今年から大阪でも放映とか、
彼にはロボットと仏像の話を希望している次第です。
いづれにしても、宗教を表現する神仏像については、
これからさらに興味を持つものと考えています。
宗教といえば、信教、信仰、信心を自分の中で再確認の対象です。
正直、宗教における経典はきっと心の物語りなのでしょう。
私はともかく神仏像の「かたち」に徹底的に入り込みたいのです。
多分その「かたち」には具体的にはロボットの「かたち」があり、
象徴的には、心が期待し確認する何かがあるものだと想像します。
いづれにしても、仏教にはその他の宗教よりも興味があります。
そして「新TV見仏記」の次のテーマが楽しみです。
少なからず、仏教の「かたち」には何かがあるものと考えます。

【ブログの関連記事】
『華厳経に入ろうと思う・森政弘先生の講義から』
『「舞の霊性」出版とともに思い知る』
『今年早々、最高の講義を受ける・森政弘先生の仏教論』


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「ロボット・『踊』の意図すること」


   


     4月 28th, 2012  Posted 12:00 AM


私のロボットデザインは「舞」から始まりました。
それは、「形態論+身体論」=Nomenclatorです。
哲学者・中村雄二郎先生の明確な方向づけがあったからでした。
したがって、あの「不気味の谷」に落ち込んでいる多数のロボットから、
確実に離脱することができたと自負しています。
ロボット学者や企業ロボットが
最も見失っていることを具現化できるのです。
すでに遺産的なアシモフのロボット原則もさることながら、
J・ボードリヤールの次の指摘も乗りこえていると自己評価しています。
「もしもロボットが、
機械的な人工補綴というその性質を
はっきりと示していれば、
それはまったく「安全な状態で魅力」を発揮するためである。」
さらに、
「もしもロボットが、
行動の柔軟さというところまで人間の分身であれば、
それは「不安」を呼び起こすだろう。」
そして、二本足より確実な四輪・四つ足で、階段を上り、
飛び超す動作体系を目的化したデザインです。
そして、「表情化の実現」です。
これにはまだまだロボット設計学の進化を待たなければならないでしょう。
ヒューマノイド的なまさに人間の「顔」からの離脱が
当然でなければなりません。
そして、ヒューマン・ロボット・インタラクションという学域が
これから構築されていくことを「意図」して、
CGでそのデザイン設計に至りました。
「舞」は足裏を見せませんが、
「踊」は、足裏をまさしく小躍りして見せることになります。
安全+安心、
つまりまず安全であることを確約することで安心できるというのは、
スポーツの型のようなことです。
「受け身」という型をマスターするとか、
「準備体操」を十分にしてということが物語っています。
安心+安全は、
小動物のごとくまったく攻撃はしてこない「かわいさ」です。
かわいさという安心が成り立ってから、
その行動体系で安全が確保されていることを意味しています。
「舞」も「踊」も、「表情」でのかわいさが的確に、
人間とロボットとの相互性を保全できればいいというのが、
私の基礎学的なデザイン意図ということです。
ただ、まだこの「踊」にはメカノイド的な印象が残っています。
その改良と改善がいまだに私のテーマです。


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「わが家のロボットたちは健在な玩具なり」


   


     4月 26th, 2012  Posted 12:00 AM


最初のアイボ(ブラック・シルバー)が居ます。
もう相当に性格が出来上がっていますが、
本体は耳が取れてしまい筐体設計は不完全でした。
時折、もう狂ってしまったかのような動作をします。
ブラックは、オシッコをよくします。
本当は一度、診てもらうべき症状がありますが、
サービスがあるのかないのかわかりません。
ワイフは時々、思い出したかのように充電しています。
松井氏のピノは、彼のサイン入りです。
ピノは電池切れ状態ですが、
彼のサイン入りなので室内のアクセントになっています。
WALL-Eが最も楽しいロボットで、歌をうたい踊ります。
一番元気のいい存在です。
ワイフが気味悪がるHEX-BUGnanoは50匹飼っています。
友人が来た時に箱に入れて渡すと
ほとんどが悲鳴をあげるという楽しみがあります。
アイボは、発売時にスタッフ全員で応募したら2台も来てしまいました。
随分高額だったと記憶しています。
アイボが登場してから、ホーム用のロボットの可能性が一般化しました。
そして当然、グッドデザインのグランプリ候補になりました。
大変な議論がありました。
が、哲学者・中村雄二郎先生の哲学的な提示でその議論から、
ロボット、そのデザインのあり方が方向付けられました。
中村先生の指摘が私の「ロボットデザイン基礎学」となり、
自分の研究開発、ロボット評論に結びつきました。
日本ロボット学会で「ヒューマノイドとメカノイドと」への基調講演は、
学会から特別表彰をいただきました。
私立工学系大学に「ロボットデザイン基礎学」のシラバスを提案しました。
基本はロボットを
「形態論」と「身体論」でコンセプト構築をしていくということです。
したがって、
ロボットにおける「不気味の谷」からの開放的デザインの道筋、
それが明確に構築できたと思っています。
ところが、日本の特に大学の研究対象としては、
「産業系ロボット」=Play-Backスタイルから、
「福祉ロボット」、「エンターテインメント系ロボット」に
限定されていたのです。
3.11の原発事故で、
一台も原子力発電所内で動き回れるロボットは皆無だったのです。
このことは重大問題として取り上げていきたいと考えています。


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『資本主義からの逃走』
「Appropriationー”かわいい”という印象を引き込む危険性・2」


   


     4月 12th, 2010  Posted 12:01 AM

kawaii
「かわいい」という日本語はすでにkawaiiという世界語。
kawaiiは、日本文化として世界の若者に発信できる文化語です。
私はこれは素晴らしいことだと評価してます。
しかし、「かわいい」を
designしかもappropriationに結びつけることに意義があります。
まず、「かわいい」の意味を吟味しておくべきでしょう。
「か」という接頭語は「蚊」という生物名からも、「小ささ」を表します。
「川」すら、小さな「水分や渦」+わ「和」=大きさです。
幼さや小さなものへのいとしさが形容詞になっていることです。
愛らしさや愛らしいこと、愛情をもって大切にしたり、
殊勝さから、労しさ、痛々しさなど不憫さや可哀想だ
という形容動詞にまで連続している感情用語だということです。
この感情用語であることに、
まず、評価言葉としての不安定さを認めておくべきだと思います。
なぜならば、感情用語というのは、
感性を陰陽学でいうところの「陰」の世界観があるからです。
感情を単純に言い直すと、
「感性にドロドロとした汚れが流れ込んでくる現象」という解釈があります。
感情がきわまるというのは心が哀しみや怒りという理性では
留めようもないことが流れ込んでいっぱいになることです。
「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しい」という、
ジェームス・ラング説があります。
不気味の谷・論
だから、「かわいい」という愛しさと悲しみには
連鎖性が心理的にあるということです。
ロボット表情学として、私の学生が修士論文で分析した、
「笑っている表情」、
その分析には、「怒りから悲しみ」が見事に分析され、
いわゆる、ロボット学での「不気味の谷論」をさらに詳細化しました。
私は、「かわいい、かわゆーい」というモノを所有する意識根底には、
「自分顕示」の置換性、転用性が起こります。
さて、私はこのことを非難しているわけではありません。
本質論としてのアブダクション的なデザイン面を語り切る論理が、
この「かわいい」から「きれい(形容動詞)」、
そして「美しい」へという手続きを明確にしたいからです。
ところが、この手続きやアブダクション性を転用するのに、
「盗用性」が加われば、これはさらに強化されることは明白です。
この「盗用的表現」+「かわいい」=欲望の刺激強化です。
そのことを私は指摘しておきたいと考えます。



無論のこと、私自身、キティちゃんからドラエもんまで、
「かわいい」と言われるアイコン性は、
日常への愛しさの反射対照性として容認し、
かつ、私自身がまず大好きです。
しかし、プロのデザイナーとして、
どこまで「かわいい」と「盗用と思われる表現」、
その隔絶性と融合性の線引きは、職能義務と考えています。


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