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Posts Tagged ‘主導’


『電線・電柱・地下インフラのやり直しデザイン』


   


     5月 14th, 2016  Posted 12:40 AM



有名大手自動車メーカーのデザイン部長から大学教授、
そして有名大手バイクメーカーのデザインコンサルタントの
K氏が代表を務める「電線を地下にする集まり」があります。
「電線地下美化倶楽部」を知りました。
私には、電柱を見ると、二つの識別があります。
一つは、変圧器の種別です。これはオーディオに関わります。
もう一つは、特に京都などでは、昔の地名が電柱にプレート表示です。
しかし、電柱と電線工事は「醜い」限りです。
この醜さは、電線工事の耐えがたいほどのいい加減な公共工事です。
ようやく、電柱は無く、電線を地下配線も大都市では当たり前ですが、
予算が無ければ、電柱と電線工事はこのまま、景観を台無しにしています。
許すべき事ではありません。
だから、この呼びかけ倶楽部には段々と人が集まり始めています。
私自身、電柱・電線、この醜さは撮り貯めています。
だから、展覧会で「やり直し、電線地下」を一緒に訴えたいです。
今やそろそろ水道管をステンレスにしていく地味な活動もあります。
こうした工事にデザイナーが必要だと思っています。
しかも、わが国の地盤は地震などに耐震性が必要ですから、
新素材の地下水から電線までを完全耐震の保護仕様が必要です。
ともかく、この倶楽部を大きくしなければなりません。
だから、私はこの訴求活動に、デザイナープロとして、
わが国のフレキシブルな耐震地下インフラをデザインが主導すべきと
真剣に考えています。

*『電気には「質」がありそれは正弦波測定で確かめられます』
*「電力会社を破壊し分散させるべき証拠・告発します」
*「USBからワイヤレス化と電磁波空間」
*『建築家よ、吟味すべし仮設住宅建設を』
*『私の大疑問は電力というエネルギーへの不配慮』


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10月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

10月1日 友引(庚戌)


企業の社会的存在の同一性を見事に表現するには、
「統合としてのデザイン」の知性をデザイナーは主導しなければならない。

In order to express the social identity of a company,
designers must be intellectual enough to create “integrated design”.

『artificial heart:川崎和男展』 統合としてのデザイン


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8月14日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 14th, 2015  Posted 12:00 AM

8月14日 先勝(壬戌)

企業の社会的存在の同一性を見事に表現するには、
「統合としてのデザイン」の知性をデザイナーは主導しなければならない。


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「デザインから『ちの理想主義』は創出できるだろうか」


   


     9月 25th, 2013  Posted 12:00 AM



3.11は天災と人災で多くの同胞を失いました。
打ちひしがれた私たちに、オリンピック・パラリンピック、
この東京開催は、目標と時間設定を確認させてくれました。
多分、プロのデザイナーとしての人生も、
この東京開催まで、自分を支えられるかが最大目標です。
私は、一方で大学人ですが、それは先導と主導が可能だろうか、
これが一番の課題になっています。
デザイナーゆえ、ビジュアルでその理念や手法をまとめます。
三つあります。
 ● デザインは形態設計を制度設計にデザイン対象の拡大
 ● 「原資」獲得の具体的手法を先導
 ● なんといって「モノづくり」主体者の意識改革主導
これら三つは、現代の資本主義と民主主義への疑問の整理。
しかし、疑問を溶解するには、
新たな「理想主義」を私は「かたち」で生み出す必要があります。
資本主義の拡大は、歴史的には常に批判され、
その根本は評論以上にはなりきれません。
民主主義への最大抵抗は宗教主義での認識心情を変えるだけ。
私は、この二ついづれも疑ってきました。
4月に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」として、
私は、「デザイン講座」と「プロジェクト」を立ち上げました。
あくまでも、「かたち」から入っていきます。
それは、「かたち」が「きもち」を動かし、
「きもち」は「いのち」を絶対に護ることになるでしょう。
それを言語と空間に造形化すれば、
「とち」の「つち」を見直し、「まち」の「かたち」になります。
すべからく、私の理念は「ち」一語に集約するのです。


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「正しい進化は、わが国が主導する!」


   


     7月 6th, 2013  Posted 12:00 AM



本日、阪大で「3D-PRINTING」の講演会をします。
私は阪大出身の若手エンジニアリングデザイナーから依頼。
阪大出身者であり、「次世代を開花する」職能は応援します。
そして、ほとんど大疑問だった「3D-PRINTING」ですから、
光造形・ラピッドプロトタイピングから3Dを始めた私には、
「MAKERS」を読んだときに実務経験無しを全否定してました。
案の上、米国での大統領の表明から大流行には真偽不確でした。
そのまま日本もこのブームにこそ、
いわゆるベンチャー企業はこれだという風潮が起こりました。
家庭用・業務用・工業用・研究用が全てを包含したブームゆえ、
とうとう、わが国の大企業が「金型まで可能ゆえ云々」とは、
これは日本の知性の浅薄さを露呈してしまうと直感しました。
まず、ベンチャーと言って進歩した企業は限定されています。
しかも、国内の大企業、その経営者にデザイン理念がありません。
だからこそ、ベンチャーに期待をかけますから、
「誤解が蓄積」すればするほど、
いわゆる「3D-PRINTINGのイノベーション」情報は錯乱します。
そこで、阪大では3人の教授たちは「教示の姿勢」で、
このイベントを引き受けた次第です。
まず、断っておきます。
私が大学人になって掲げてきた三つの革命は当たっています。
         ●光重合革命
         ●遺伝子革命
         ●電磁波革命
この全てが「3D-PRINTING」に適合しています。
だから、「3D-PRINTING」の時代は必ず来るでしょう。
だからといって、
3D-PRINTERはインクジェット方式だけではありません。
大事なことは私が光造形システムで試行してきたことの欠落です。
それは、「何を進化させるか」です。
あたかも、これまでの進化ではなくて突然変異を起こすことです。
本日、私は専門家チームも来阪してもらいました。
「3D-PRINTING」の技術とデザインは阪大が中核になります。


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「音からデザイン役割を語る基礎として」


   


     2月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM


通称「ロクハン」と呼ばれるスピーカーユニットがあります。
口径16cmのフルレンジ=音響再生領域が満遍なく
フラットなスピーカーユニットのことです。
人間が聞こえる可聴領域があります。
可視光線の領域のようなものですが、
最低音f0が40Hzあたりから高音域20kHzまでがあれば十分なわけです。
そしてこの領域の音圧がすべてフラットな音の再生が重要と言われてます。
しかしマニアックには、このフラットさに、
それぞれの音楽領域、ジャズとクラッシックを再生するとなれば、
フラットではなく、ある再生音響領域にだけピーク値や谷を求めます。
それがスピーカーメーカーの特色になります。
ジャズならJBLで、
クラッシックならタンノイという迷信があります。
私は迷信だと思っていますしそれはアナログ時代のことです。
今はデジタル再生ですからこの考え方はもう時代遅れです。
そして、フルレンジそれも「ロクハン」ともなれば、
卒業研究と卒業制作ではコーラルのロクハンからスタートした私が、
東芝時代にこのロクハンをデザインで追いかけていました。
つまり、フルレンジではf0=80Hzですら再生は難しいのですが、
基音の倍音ということで、耳はあたかも低音を再現してくれるのです。
ハーモニクスな状態で身体を包んでくれる心地よさです。
私は、基音が適えば=基礎が全うなら、
すべてをフル稼働=フル機能化実現につながると考えています。
それは自分がロクハンというフルレンジスピーカー、
そのもののデザインを素材選定から構造化してきた経験があるからです。
日本は1970年代から80年代に蓄積してきた音響設計経験を失いました。
この経験則をさらに積み上げてきた欧米は、
今、映像と音響の新たな世界観を商品化しています。
その製造生産技術を中国も積み上げてきました。
それでも、日本ならではのある素材運用技術はまだ残っています。
基音と倍音の関係でのフル稼働機能性に最適な素材設計技術です。
この技術復権もデザイン主導すればという想いが私にはあります。
「ロクハン」という小っちゃなスピーカーユニットだからこそ、
その凝縮技術の応用に日本技術の復権が可能です。
それを主導する役割がデザインだと確信しています。


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『資本主義からの逃走』
  「デザインは『付加』するものではないということ・2」


   


     7月 20th, 2010  Posted 12:00 AM

デザインは応用芸術ではない
デザインという職能効果は、バウハウス時代に様々なアプローチがあり、
建築や芸術との学際性に位置づけられていました。
その後、米国の大量生産と大量消費に結びつきました。
デザインが「付加価値」というのを招き入れたとするなら、この時代です。
「デザインは外観づくりの応用芸術」と見なされた過去があったことです。
以前、「デザイン講座」的なTV番組の中ですら、デザイン評論家が、
「商品の外観は、付加価値」的な発言を講義していました。
それは、当時の経済評論家たちも追随する風潮であり、それが歴史的な誤謬だと、
私は考えており、デザイン界の一部には容認できない内容でした。
当時、デザイナー仲間で、哲学者N先生の元にて理論構築をしたことがあります。
デザインの本質的な役割に、「問題解決」・「難問解決」と結論を持ち合いました。
私も参加し、議論させてもらっていましたが、
その時には、すでに私は「タケフナイフビレッジ」を「越前打刃物産地」に実現していました。
「タケフナイフビレッジ」に掲げたテーマは、
「私たちは美しい切れ味を鍛えています」ということでした。
これは、明白に、伝統技・産地活性と存続・刃物の未来性でした。
そして、問題解決は、三つの方向で見いだしていました。
それは「モデル化」です。
● 伝統技の現代的な技術進化・伝統技の徹底的な分析
● 素材開発から市場流通のデザイン主導
● 産地の未来像を時系列的にデザイン計画
この三つの「モデル化」は、そのまま「デザイン価値」が産業化されていない、他の地場産業、
中小企業、さらには「付加価値という誤解がまかり通っている大企業」にまで、
展開することができると私は確信しました。
特に、テクニックからエンジニアリングにするためのテクノロジーは、
デザインが持ち込むことができる。
産地存在の広報広告には、ブランドの確立から、
産地アイデンティフィケーションの確立が必然であるということ。
「製品」から「商品」になるための「情報戦略」
こうしたことを統合化し、主導するのがデザインであり、
産地がただ産業化していると思い込んでいる「商品」は、
すでに現代的な「価値評価」が行われていないことを、
産地職人のみんなに伝えていくことでした。
最も、彼らが「商品価値」として認識してくれたことがあります。
それは「商品写真」でした。
「このカメラマンはダメダ」という会話を聞いた時です。
「このナイフのこことここの光り方が撮れきっていない」という評価に私は驚きました。
すでに、彼らにとって、デザインによって可能になったことは、
「付加された外観的なこと」ではなかったわけです。
ユーザーに「製品価値」が消費する「商品価値」となるためには、
産地存在から製品までを「全体価値」にしていくデザイン、
それが不可欠になっているという認識でした。
そこで、私がその「全体価値」を「物語」と言って彼らに伝えていました。


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『資本主義からの逃走』
  「Serviceという経済のウロボロス化」


   


     12月 13th, 2009  Posted 1:00 PM

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Serviceという言葉は、止めどなく拡大化してきました。
だから、その由来性は消尽してしまいました。
その由来性を辿ると、
それは「宗教」・「宗教性」と「経済」・「経済性」に、
「ウロボロス」という原始宗教的な、「善悪」の曖昧性を
歴史の中で消去しようというある企みが見えてきます。
その企みを主導したのは資本主義です。

断言をする時期がきています。
「サービス産業」とは宗教という労働集約性の欺瞞・悪が、
実は背後で蠢いています。
時にそれは、頭脳集約を目標化させる正当・善らしさに
変貌しています。
サービス語源の由来から判断すれば、
「サービス産業」とは新興宗教法人です。
あるいは学校法人という経済構造の制度です。

「サービス」は無財なる経済の対価制度として、
資本主義経済の中でその由来性を抹消できたのです。

● サービスが宗教音楽であったことをご存じでしょうか。
  バッハであれベートーベンであれ、
  serviceに頭を垂れて、音楽に対峙していたのです。
● サービスが軍事奉仕であったことをご存知でしょうか。
  愛国心に命を捧げることになぜ勇敢だったのでしょうか。

つまり、
人間は、人間界は「生きて」なお、
「神」それはあらゆる宗教神に、「奉仕=service」して、
「死」をむかえることになります。
私たちは、「神に頭を」垂れます。

「サービス産業」は、「頭を下げて」、
経済労働=感情労働の対価を得るのです。
日本の「サービス」という言葉は、
やはり米国からの外来語でした。
「サービス産業」は、感情労働の対価の区分を、
ようやく、わが国も制度化しました。
「サービス」、特に「情報サービス」は、
資本主義の頭で尻尾を飲み込む姿に変身し始めています。


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