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Posts Tagged ‘主観性’


11月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 15th, 2017  Posted 12:00 AM

11月15日 大安(丙午)

主観性と客観性は、
日本だから
確実に「四句分別」が出来る。
・主観性
・客観性
・主観的な客観性
・客観的な主観性



川崎和男の発想表現手法


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11月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 13th, 2017  Posted 12:00 AM

11月13日 先負(甲辰)

「造形言語」は主観的な
造形意図で表現するが、
「形態言語」は客観的に
造形内容が確認される。
主観性と客観性は
意図と内容で分別される。



川崎和男の発想表現手法


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『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』


   


     11月 15th, 2016  Posted 12:00 AM



「やさしい」という日本語には観自在性があります。
それは「優しい」と「易しい」であり、
この峻別が曖昧にされていた時代がありました。
これは道元的な「四句分別」が必要と行き着いたことがありました。
観自在=思考闊達な想いと思いに、ある意味ではYesかNoかについて、
日本人にはどちらか明確にという世界的な風潮がのりかかりました。
しかし、私はこれを日本の仏教、特に禅宗的な道元思想の中で、
観自在に潜む曖昧性への積極化を「的」という表現に込めたことがありました。
その当時には、思想界においてもこの論理を中村雄二郎先生に
徹底的教えていただいたという幸運がありました。
安全だけども安心はできないことと安心だけど安全だとはいえないこと。
信頼はできるけど信用はできないことと信用はできるけど信頼はできないこと。
主観的だけど客観性があること、客観的だけど主観性が入り込むこと。
私は日本の、YesだけどNoでもあることは、NoではあるがYesということ。
おそらく、日本独自の哲学だから、白か黒かと迫られても、
グレーが存在すること。
こうしたことから、「やさしい」ということにおいては、
優美という決して目立ってはならない優しさある美と、
容易だから易しいだけで美も無視されていることにおいても、
日本人にはこの思考思潮、この重要性を見つけました。
自分の生涯での思考だと、未だに迷っていると言わざるをえません。
けれども「四句分別」で乾坤の生と死を見詰めていると判断しています。


* 『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
* 『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』
* 『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』
* 『思考の「考」は思うことを経験が判断する』
* 『コンセプトから逃走してほしい・・・』


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11月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 14th, 2016  Posted 12:00 AM

11月14日 赤口(庚子)


「想育」の基本は
主観的
主観性
この「強化」が出来るか、
強化が不可能な人には
想像力が育たない。



川崎和男の発想表現手法


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11月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 13th, 2016  Posted 12:00 AM

11月13日 大安(己亥)


デザインとアートの違い、
デザインは客観性
アートは主観性

さらに、
アートの時間は無限だが、
デザインには決定的な時間。



川崎和男の発想表現手法


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『日本文具大賞の「機能部門」と「デザイン部門」って?』


   


     7月 10th, 2016  Posted 12:00 AM



2016年・第25回「日本文具大賞」の発表と表彰式が行われました。
日本文具大賞はこの時期の大きな行事になっています。
今年も審査委員長として概評と審査基準や文具業界へのお願いをしました。
年毎に応募は増え、今回はwebsiteで事前調査を各審査委員がすませて、
その後、現物審査をしました。
これはまず個々人の主観性で評価され、
それが、審査会ではぶつかり合って客観性に変わります。
つまり、デザインにとって最大に重要な客観的な評価が成立します。
この審査は二つの部門があります。
「機能部門」は、
常にデザインと言えば「機能的が美しい」という常套句がありますが
これをもっと広範囲でとらえ直しています。
性能=モノの性質の能力と、
効能=モノが社会的・時代的に存在している意義や効用と効果が問われ、
結果、性能と効能の可能性が文明的な史観で
「機能性」という可能性になるのです。
「デザイン部門」は、
機能性にさらに美学性が将来性を持っているか、までが問われるのです。
簡単に言い切ってしまえば性能性という誠実さと効能性という信頼性が
社会的に存在を許容しているかどうかまでが確かめられているのです。
特に「グランプリ賞品」には、
誠実さと信頼性に美しさという倫理観が適合していく未来性を
求められているということです。
本賞の商品は、毎年必ず大ヒットになることは間違いありません。
そしてこの審査会が
「各商品や各メーカー事情を詳しく組み込んで評価している!」
という理由から、審査会自体が褒められることがあります。
これは審査委員会の伝統的な誇りであり自慢だと思います。
賞品市価は200円から2000円、高くても5000円のモノですが、
わが国の「文具は世界一」であることを今年度も再確認できました。
ただし、今回は各社のwebsiteを見ましたが、
残念ながら、websiteには
企業各社の特色ある美しくてインターラクションが
より必要であることを付け加えて述べました。

*『日本流見本市の創出=日本は常にホスト国であるべき』
*『売れるより売る文具大賞グランプリ』
*『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』
*『『第22回日本文具大賞』を発表しました』
*『アートからの革新=フォンタナの作品から』


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1月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

1月17日 先勝(戊戌)


オリジナリテイ=独自性だけではない。
オリジナリテイ=独特性が無ければならない。
なぜなら、
独自性は、主観性が反映するが
独特性には、客観的な評価が
必ずその判断が下されるからだ。
さらに、独禁的な制限性を
黙示しているがために
吟味され無ければならない。



川崎和男の発想表現手法


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「大好きな画家・これが私のまなざし」


   


     5月 14th, 2013  Posted 12:00 AM



日本で美術全集を企画すると、必ずこの人から始まるらしいのです。
それはピエール=オーギュスト・ルノワールです。
日本人好みの極みでしょう。
そして、きっと、この画家を知る人はほとんどいないでしょう。
昔、親友の有名なグラフィックデザイナーから、
「お前の好きな画家は?」って尋ねられて、
彼の名前を出したら、
エーッって、凄く驚き、
「彼を知っている日本人は二人目、しかも二人ともプロだった」、
と言われたことがあります。
「彼の絵、買っておけば・・・」と言われました。
しかしとても高名過ぎて買えるようなモノではありませんでした。
私が生まれて、もうこれほど身震いをして眼差しを知った絵でした。
彼の絵画が私の身体をぶるぶる震わせるほどのモノでした。
ちょうどそのとき私は入院していて、妹が東京で学生でしたから、
彼女に彼の展覧会でのカタログを頼みました。
それ以後、フランスでは彼の作品集だけを探して、
私の大事な収集作品集になっています。
今年の3月に、5年ぶりにパリに出かけて、
また彼の作品集を買い求めました。
帰国後、これまでなかなか落ち着いて作品集を見れませんでした。
ようやく私の傍らにおいてゆっくり読み、見たいと思います。
これまで、私の「色彩論」はほとんど彼の絵画を使ってきました。
無論、私のパソコンの壁紙は彼の作品です。
ただ、私が絵画で選ぶ人は早死するか自死しています。
結局、画家という職能は、主観性で生きているだけに、
デザイナーが客観性で作品を仕上げるのとではまるで異なります。
画家であって自分の作品を追い求め過ぎると、
結局は寿命を自分で結果を出してしまうことが悲しいです。
しかし、彼の作品は、
たとえばパブロ・ピカソが現代絵画を進化させた代表だとすれば、
彼は、絵画の具象性と抽象性を見事に融合させた唯一でしょう。
彼を著名にした作品には「サッカー競技」がありますが、
その作品の色使いには、
現代のサッカーの興奮度を確実に予測していた色彩、
その対比で、競技場と観覧席を描きわけたものがあります。
この画家の名前は、
Nicolas de Staël=「ニコラ・ド・スタール」です。


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6月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 25th, 2011  Posted 10:00 AM

6月25日 仏滅(辛亥)

デザイナーや建築家は概して、
自分の作品で、自分のデザイン手法や
デザインに対する考え方を
伝えることになる。

が、私は、この方法では、
デザインの専門性や
デザイナーの主観性に偏ると思う。

『デザインという先手』手解き 伝道しながら


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「資本主義からの逃走」
     「『多数決』でのデザインや造形決定はありえず」


   


     1月 11th, 2011  Posted 12:00 AM

主観と客観の互換性
デザインは必ず客観的洞察が必要。
だから、デザインチームでの共同作業は妥当。
ところがデザインチームという集団ゆえに、
その客観性は、チーム一人一人の主観性が議論されます。
その主観性の議論は、多数人の集団や集合体の主観性が基本的に価値的な対等性を前提にして、
はじめて討論・議論による意思形成になります。
そして、討論によってその主観性は客観的な意見や意思になっていくものです。
その結果として、多数の意思やその主張が、
お互いにある意思に必ず向かっていくことが期待されます。
その「期待感には互換性」があるということが集団の主観性にまとまろうとするとき、
「多数決」論理は、最も正解的なデザイン決定に接近しているというのが普遍的な討論・議論です。
この場合には決して、超越的な権威や独裁的な意見によらない集団的な主観性でも、
「客観性」の確認だったという多数決論理の結果です。
さて、デザインでの意思決定への意志決定がこの多数決的な過程結果であった場合、
このデザインは「創造性」ははぎ取られているものというのが私の経験値です。
つまり、「多数決」でのデザイン、デザイン造形、デザイン意志決定は、
必ずデザイン成果での失敗傾向が大きいと私は思っています。
極論を断言すれば、超越的な主張が、合議体での決定であるべきだと考えます。
それは、まったく「多数決」的な意思ではなく、個人的な主観性と客観性との互換性、
この条件に満たされた「個人的」意思反映だと確信しています。


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