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『観光都市はエスノセントリズムから解放されること』


   


     7月 25th, 2017  Posted 12:00 AM



観光とはある意味では私は極端な表現をします。
乞食(こつじき)産業とまで承知、炎上受諾で言ってきました。
もう少し学術的にはエスノセントリズム=自己尊称で見下し思想です。
日本におけるその最大都市は、京都とそして金沢をあげておきます。
まず、観光都市に変わる○○都市が必要です。
京都でも大きな書店には「京都」案内系の書籍が5段で二つがぎっしり。
確実にこれらの書籍にはエスノセントリズムが根柢であることは確かです。
しかし、私は映画館で車椅子対応は、京都と金沢が一番良いのです。
東京は駄目、どれだけ喧嘩してきたでしょう。これはクレイマーでは無く、
最新を知って欲しいと伝えました。大阪?清潔にしてほしいのです。
「前例がありません」と言うのにはデザイナーはそれに挑むのが当然です。
日本の伝統といえばともかく奈良・京都ですが、実際には、美濃と越前。
つまり、岐阜県と福井県の今では伝統工芸と言われる分野、
紙・漆・陶芸(陶磁器ではなく)・機織り(麻と絹)・刃物・です。
ついでながら伝統工芸は沖縄返還時に法整備されたのです。
こうした労働へのエスノセントリズムが綿々と続いているのでしょう。
現代観光客ではなく実際に外人定住していることこそエスノメソドロジー、
それが京都の宮廷文化と金沢の武家文化への新しいアプローチなのです。
ただし、もはや観光都市を前面にすればするほど三つの間違いがあります。
いわゆるお土産を民芸ということと、民藝は全く別であること。
観光商売での高額商品なりのモノづくり=民芸は貧弱になります。
リゾートというのであれば、何度も通う休息場所が景観の情景なのです。
景観には光景・風景・情景があるのです。だから観光は?なのです。


* 「ケータイを焦点化するエスノメソドロジー」
* 『68歳、青春の日々を金沢で再度、行学に』
* 『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』
* 『藤原行成の書体との出会いは先生からの指示だった』


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『68歳、青春の日々を金沢で再度、行学に』


   


     2月 27th, 2017  Posted 12:15 AM



68歳、その初日を迎えます。
25日に金沢に帰りました。
金沢美術工芸大学産業美術学科デザイン系同期卒の会に参加。
一泊して26日誕生日は、ホテルから金沢駅街を散策して、
今じゃ船のように揺れるサンダーバードで帰宅しました。
デザイン系同期卒業の会は、45周年です。
40周年に50周年をと、約束をしましたが、ひょっとすると、
循環器や癌で会えなくなるということで集まろうということになりました。
私たちの世代は工芸繊維デザイン・商業デザイン・工業デザインの3専攻。
全体は産業美術学科であり、(もはやデザインは産業支援を超えてきた)
デザインは産業を支援するデザインだったわけです。
結局もうこの際だから「あの頃・・・」という話になり、
「そっだったのか」、爆笑連続でした。
当時、私は絵が下手であり、皆があまりに車の絵が上手くて、
「なんで、車の絵?」
「なんでプラモデルが上手すぎるの?」
ハァ、何しにこの学校に?
「カーデザインって何?」と周りを困惑させていたのです。
徹底的に「リピート  !」課題やり直しを命ぜられていたのです。
周囲が余りに絵が上手すぎて、
デザイナーを諦めたとかの話がいっぱいありました。
それでも、全員が「人生で一番輝いていた4年間」でした。
そして、北陸新幹線での観光客の多さには圧倒されました。
しかし、一方では例えば、九谷焼き、漆芸の商品が、
値上がりしていました。
(嘘だろう、この作家の作品、高すぎる!)
これは観光都市が必ずこうして真の文化がこわれていくのです。
いわゆる金沢市は京都化していくのを見てしまった気がしました。
それこそ、ちょうど「プレミアムデー」制定とかで、
国家方針(霞ヶ関)も狂ってきている気がしてなりません。
それこそ、リゾートシティ計画=観光都市とか言われると、
リゾートというのは「何度も休養で通いが出来ること」です。
しかし、観光ともなればそれは「乞食(こつじき)」なのです。
ともかく、もはや人生の残り僅かを
行学の自己決定をやり尽くす覚悟でと決めているのです。


* 『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』
* 「『形と性能』・デザイン成果=造形言語と形態言語」
* 『もっと豊かな鉄道システムの統括デザインが急務』
* 『4年ぶりの金沢、駅のホームで・・・』
*『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』


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『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』


   


     4月 12th, 2015  Posted 12:00 AM



日本の建築で最も造形力を技術と技能で最高のモノは、
わが故郷にあります。そして知られていないことこそ素晴らしい。
正直、私が故郷に帰ってから、確かに越前和紙産地に通っていた頃、
この神社が凄いとは感じていなかったことも告白しておきます。
少なからず私は美大出のデザイナーです。
さらに祖父は最後の宮大工の大棟梁でしたから、残された巻物から
多少残されていた図面を教わるべきであり、
蔵の中の物品も私は幼い頃には、
ほとんどいたずらで壊してばかりいたようです。
また、越前和紙は日本に紙技の開祖の里ですが、ユネスコ認定も
受けていないのです。文科省の役所仕事の美的歴史性をもう一度、
私は喧嘩を売っておきます。
伝統工芸の産地の残し方は根本的に間違っています。
私は自分の知識学識経験とその論理で改革を望みます。
地方の時代というなら、その地方の伝統と革新こそ、
行政が最も的確にねらうべきことであり、それは美学的胆識です。
話がはずれましたが、大瀧神社と岡太神社は日本建築ではこれ以上の
木造建築は無く、何層にも重なる屋根には苔で覆われています。
この建築は、永平寺の勅使門も手掛けた大久保勘左衛門であり、
彼のことも徹底的に私は調べ上げて、今後、福井の建築は、
絶対にこれを超えるべきだと主張もしています。
結局私はこの建築に対抗するモノは自分が建てようと考えています。
後世に「生きた証」というのは、作品です。
そうなればデザイナーとして、当然それは義務だと考えています。
この神社がある地は観光地にはなっていません。それが大切です。
私の持論は「観光産業は乞食(こつじき)産業であり、
真のサービス、つまりリゾート産業とは異なると主張しています。
なぜなら、リゾート産業とは、
「何度も通える保養地」産業でなければならないのです。
そういう意味では、紙漉きの源流のこの神社造形と自然にこそ、
リゾート性が美学的に整っています。


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