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Posts Tagged ‘人間’


「この画家をもっと知らせたい」


   


     6月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

多分、私はこのままだとこの画家のことを書いていくだろう。
ニコラ・ド・スタールの人物ゆえに、彼の作品のことです。
忘れたように引っ張り出しますが、
有名になる直前に自死を選んだ性格が見いだしたことです。
彼は何を、見たのでしょうか?
観てしまったのでしょうか?
このことに惹かれる生涯を選んだということかも知れません。
もちろん、私の「プラトンのオルゴール」作品の一つです。
ビートルズの曲は「JULIA」です。
5年ぶりに前回パリに行ったときも彼の作品集を探し求めました。
私は、画家という職能とその作品を、
なぜ、人間は知性と感性の最高感覚として、
知性が選ぶ才能として、絶対に受け止めない人物は貧しいのです。
しかし、最近では、
「デザイン」は、あたかも知性ある人間として、
安易にその指導者ぶりや商業を押し隠している人物を多数、
私は知り尽くしてきました。
アートではないけれど、これがデザインだという、
最も貧弱な知性ぶった人間を蔑んでいます。
高校時代だったら殴っていたでしょう。
それ以上の価値などはありませんから、
命を奪うことはありません。そんな価値も当然無いからです。
先般、現政権の「COOL JAPAN」が海外で受け止められている、
その商業主義の浅はかさを聞かされました。
デザインの職能団体が、
時代と共に衰退していく事を目の当たりにしました。
つまらないイベントに、日常から逃げ出している輩を見ました。
これが「人間界」だというなら、
生涯にその最も汚濁した部位を表現の一つにすること、
それは画家という職能の最大重要点だと断言しておきます。
なぜ、JULIAという音楽が彼の作品と同調するのでしょうか?
なぜ、彼の作品は、最期には色彩が無彩色=まるで墨絵、
白と黒の絵画世界観に達していくのでしょうか?
私は生涯、この気持ちを下敷きにして、
自分のデザインを、日常の汚濁には決して配置しないと思います。
彼の最期の作品(左)は私のPCの壁紙にしています。


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「X:1-X・この計算では、1.61803398749・・・が示すこと」


   


     6月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

正方形の一辺を1として、その一辺にX点をとります。
そうすると、1:1-Xの距離対比の比率計算ができます。
この対比計算をすると「黄金比」とよばれる数値です。
この計算値を簡便にするiPhoneアプリを研究室で出しました。
設計やデザインに関わっている人には便利な道具です。
さて「黄金比=Golden Ratio」というのは、
人類が最適な「美を決定する寸法値」として熟知されてきました。
この叡智は、人類の財産になっています。
この叡智がどのように発見されてきたのかは不明です。
いわば、歴史の中で「美しい表現」の、
ある規則性を人間の誰かが知ったことからの知恵です。
西洋も東洋も、東洋には「白銀比」もありますが、
葛飾北斎の絵画から龍安寺石庭、五重塔も見事にこの法則です。
ところが、こうしたアプリを出したり、
NHKの「暮らしの中の数学的な番組」企画や出演もあってか、
大きな誤解を受けます。
まず、黄金比でなければならない、ということはありえません。
だから私たちもすべてのデザインで、
「黄金比」・「白銀比」を設計の完全下敷きをしていません。
この比率の歴史性・具体性・表現物の資料化はやり尽くしてます。
だから、単なるアプリを、一つの道具としただけにすぎません。
それこそ、トポロジーでも、位相幾何学、位相空間論までが、
同様なフィボナッチ級数だのなんだのと言い出す、
そんな知恵足らずまでを刺激してしまったことは災いでした。
美を生み出す方程式などはありません。
たとえば、色彩調和論での「美度」計算という秩序と複雑さの、
計算式は確かに存在しますが、
それも、デザイナーの目安、あるいは基本知識でしかありません。
「デザイン」の大衆化は見事に浸透して、
広告手法や商業技法として、この「黄金比こそ」なる風潮も、
存分に知り尽くしているだけに、
「目安」道具のアプリだということを書き残します。


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「光造形から3Dプリンターへの系譜は人工人体へ繫がるか」


   


     5月 24th, 2013  Posted 12:00 AM

人間はほとんどの人が長寿を願っています。
「長生き」することの大事さを最近わかります。
私が「人工心臓=Artificial heart」にたどり着いたのは、
人工心臓がArtartで挟まれた言語性が象徴しているのです。
「芸術性・新たな革新」にほかなりません。
本当は光造形が日本の発明であり、
その進化は「生体医工学でのマイクロ&ナノテクノロジー」にて、
その進化を成し遂げました。
日本の高密度な技術進化は、人間の寿命に結びついています。
現在、日本人の寿命年齢と健康年齢では10年の格差があります。
つまり、寿命つきるまで生きるほとんどは病院介護が必要です。
ところが、健康寿命はその人たちより10年早く逝ってしまいます。
命果てるまで要介護者が必要ゆえに、医療制度や税金が必要であり、
健康年齢での死は、脳溢血や心臓障害などで10年早く死亡です。
この根本的な理由は、
わが国の工業産業での技術進化は見事に敗戦からも復活しました。
しかし、ポスト工業社会のままでは、
情報社会への対応は大変に遅れたということです。
たとえば、プロのデザイナーとして、
「世界の何とか標準にわが国は準じていないから・・・」とかを
よく耳にします。
私は明快に、
「そんな世界基準こそ、わが国、クライアントが創ればいい」と、
主張すれば、私との敷居が高いと言われます。
しかし、世界の動向に、デザインは、
その先手=ガンビットを打つことですし、
私も60代ですから今後が見えてきています。
結局、「人造人間」というロボットに技術は集中しますから、
ヒューマノイド、メカノイド、アンドロイド、アバターへと
実際は工業時代成果と情報時代成果の二つの技術は、
さらに、
遺伝子制御技術・光重合技術・電磁波制御技術が加わるでしょう。
そうして、
その工業技術・情報文化・遺伝子制度・光制御文化・電磁波進化、
この五つが必ず、光造形から3Dプリンターを実装置として、
アンドロイドとアバターの創出に向かうものと思います。
そのための「問題解決」の解答は、
ロボット学者・石黒教授の新書である
「糞袋(くそぶくろ)の内と外」に記載された、
「人間とは何か、何が人間か」になるでしょうかという著作に、
その重要なヒントがあるようです。
これが、今の私の60代の、プロとしての想像です。


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5月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 21st, 2013  Posted 12:24 PM

5月21日 丁亥(先負)

資本主義に裏付けられた民主主義も
止揚しなければならない。

その兆候は、
インフォメーション・
テクノロジーに対する
人間の殊勝さに
表れているのではないかと考える。

『デザインは言語道断』奇特


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「オーディオの恩師はダンディズムの恩師でもある」


   


     5月 19th, 2013  Posted 12:00 AM

オーディオからデザイナーになってきたことは、
私の最大の幸運だったと本当にそう思っています。
これは2002年7月4日25年ぶりに恩師の本宅前で会った写真です。
オーディオ評論家という人たちには、
オーディオ機器のデザインというよりも、
その本質である音質を技術性能や営業投資効果と、
その評価と判断を受け、なおかつ彼らの推奨をもらうことでした。
正直、私はほとんどの評論家、
彼らのセンスを認めていませんでした。
本当に、人間として最悪な商業主義の方もたくさんいました。
高校時代に会ってたら、殴っていたと思います。
本当に信頼し、人間としてはもちろんのこと、
オーディオだけの評論家よりも、音楽から芸術まで、
さらにデザインとなると、当時はほとんどが駄目でした。
たった3名を私は認めていました。
ついでに述べれば、当時、いつかはこの人も評論家になる、
そんなことを幾ばくかの上司からも聞かされながら、
「あの人になったら、最悪だ・・・」。
まさに、現代、そういう評論家が大家と言われていますが、
本当に最悪の評論を書いています。
親しい教え子たちには、
あの人の評論なんて無視してかまわない、と伝えています。
そんな中で、私の恩師は、西洋人形からパイプから、
ともかく「ダンディズム」ということの本物を知りました。
恩師とともに、あるオーディオ誌で連載を持ちました。
しかし、編集部方針には合わず、すぐに辞めました。
あの時の私の予測に、現代はなってしまっています。
その頃、<そんな時代になるわけがない>とか非難されました。
ところがどうでしょう。
やはり、商業主義方向はさらに進んでいまやベッタリの誌面です。
オーディオの物欲は、ダンディズムの極致です。
オーディオ機器の前に、音楽があり音響があり、機器があります。
それどころか、基本は科学性と芸術性が見事に、
デザインに集中しています。
「デザインベクトル」はオーディオに突き刺さっていますから、
それはダンディズムそのものの物欲を超えることかもしれません。


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「資本論が引きずっていることから早く解放されるべきだ」


   


     5月 16th, 2013  Posted 12:00 AM

私がこのブログを開始したのはマルクスの「資本論」からでした。
わが国がようやく大政奉還から明治維新を迎える寸前、
その後、世界中が引きずられてきた「資本論」があります。
ひょっとすれば、あたかも「聖書」と同様に様々な解釈や、
そこから世界は新たな思想、制度、哲学などを支配されてきました。
特に、20世紀はこの理論の解釈は大きく二分されて、
大戦を二度も体験しながらも、
まったく人類は存続の知恵を創ることもできませんでした。
私自身、社会人になる寸前、1970年には「ローマ賢人会議」で、
すでに「地球存亡、地球資源の枯渇予測」があり、
私はとても大きなショックを受けました。
このショックは今なお私の奈辺に大きな重力のままです。
まさか、と思っていた「March.11.2011」を体験するとは・・・
そして、豊かさを勘違いしながらも平和なこの国家が、
産業構造も瀕死状態にあります。
「資本論」は人間の存在を労働力としての批判だと一言にすれば、
「自然資本」は地球資源を自然力としての見直しと考えます。
私は、モノづくりに関わって生きてきた人間です。
そして、たとえば「サスティナビリティ」というのも、
単なる「人類の生き残り」などではなく、
明らかに経済用語だとその論理付けもしています。
私は明らかに「モノづくり」の視点から、
光造形を語り、3Dプリンターの虚実を見極め、日本の未来づくり、
その創成と創出をデザインで主導することを考えています。
まだ明らかに「世界戦争は連綿と私たちを苦しめている」のです。
私たち日本民族が消滅するのは2300年頃と言われています。
そこまで私には全く関係はありませんが、
少なからず、2050年までは自分の思想意欲と、
祖国日本、日本人のあり方を何らかに記述しておきたいのです。
人間中心=労働力で語ろうが、地球中心=自然力で語ろうが、
結局は、人間の日常のエネルギー=水・食糧・電力だと思います。
しかし、すべからくを「資本」と呼ぶこと、
その姿勢を変えるべきだと主張しておきたいと思います。
私の専門で語るなら「型」と「版」でのモノづくりは終わります。
だからこそ、現代の基盤思想は、
「資本」という語りから解放されなければなりません。
私は、とりあえず、これまで記述してきたテキストに、
「Natural Capitalism」、
その邦訳本「自然資本の経済」を取り上げておきます。
「ビジネスモデル」?、もうそんな思考回路は消えています。


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「三つの革命を促してくれた『光造形』デザイン」


   


     5月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

私は大学人を選んでもう18年目になります。
なんとしても自力でやりたかった事が「光造形」でした。
それ以前に心臓発作で何度か倒れて、
結局、162日間入院して担当医への質問攻めをしました。
流石に担当医は、一般書から専門書を私に貸していただきました。
私は人体が中空な物の集合体だと思ったのです。
「光造形」は大学でそれなりの設備が無ければ不可能でした。
様々なトポロジーの代表形態を想像力で、
当時のEWSと3D-CADでは、とても困難でしたが、
とりわけ、私を惹き付けていたのは心臓でした。
それは私がやがては「心臓障害者認定」までなりましたが、
これは見事に空洞の中に中空なパイプがトポロジー空間でした。
私は、次の三つを次世代の革命と予想して、
講義や講演ではその具体例をグラフィカルに見せていました。
  ● 遺伝子革命・・・iPSが具体例
  ● 光重合革命・・・光造形から3Dプリンターへと進化
  ● 電磁波革命・・・エネルギー(水・食糧・電力)を意図
この三つの予測はほぼ的中していたと思います。
それでも、おそらくデザイナーとしての半分は、
この進化や連鎖を思考し、具体例を「見える形態=言語」へと、
私は様々な概念や理念で希求してきたと思います。
もっとも私はデザイナーですから、
その世間的な信頼性はいつでも、
「デザイナーは外観の造形専門家」とみられてきました。
しかし、美大時代から、
「デザインは造形という手法で問題解決を提示すること」でした。
したがって、
遺伝子革命や電磁波革命は、
私の科学性=知識性を高めてくれましたから、
直接的ではなくとも、
私の「造形手法での問題解釈」を支援してくれました。
そして、「光重合」では光造形システムから、
3Dプリンター、さらにはこれを取り巻く環境までを知りました。
しかも、この三つの革命は、やっと入り口にきたようです。
私が特に3Dプリンター素材に拘っているのは、
「中空」です。
そうした素材が、「危機解決」という、
人間として生存する日常での最適な応答・回答・解答こそ、
この国難・日本の産業に出来ないかとさえ思っています。


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「これが最悪か!・・・宗教戦争、語るべきか」


   


     4月 21st, 2013  Posted 12:00 AM

この画像は、イスラム教建築のドームと、キリスト教建築のドームです。
私は、人類、人間界を善悪に二分しているのは、
決定的に「宗教」が成せる人間の心の分解だと思っています。
すべてを記述することは憚れますが、
私の知性と感性を性善真っ当に告白すればいいのだろうと理解しています。
しかし、憚れてしまうことをあくまでも仏教的思想、これも宗教観ですが、
現在、この世界動向を決定している元凶には、
「宗教戦争」に完全掌握されています。
明確には、キリスト教世界観が世界の経済から軍事支配までを掌握し、
その対抗馬はイスラム教だということは明白です。
まず、「ボストンマラソン爆破」は、
安易すぎるテロリズムの真似事とも思える事件で、世界を震撼させました。
キリスト教とイスラム教のこの二つの対立は、
たとえばG8を見ても、
本来は、キリスト教支配力の確認にすぎないでしょう。
だから、・・・
ここからは私は自分の講演会では述べていく所存ですが、
この小さな本来は「仏教」支配国家も、汚されています。
したがって、
仏教国家がキリスト教に対峙する力量は根本的に失っています。
地球環境も、新たなウィルスも、天災と思われることも、
ともすれば、経済圏確立も、
私はすべからく、二つの宗教、
それらの対立が戦争・テロリズムに連関しています。
ここで、私は明確さを押しとどめますが、
この小さな日本国家の美しさが失われるとするならば、
宗教観の卑劣な歪みを仕掛ける人々の謀なのかもしれません。
かつて、軽薄な新興宗教は、
本来の「命」への敬愛よりも「国家支配」に向けられました。
私が、最も嫌悪し排撃すべきは、これをまず断絶してから、
キリスト教とイスラム教、この二つの「宗教観」の吟味だと思います。
人間たかだか80年の生命の無限さを宗教に向けることは、
すでに大きな人類の「過ち」だということは明言します。
「ボストンマラソン爆破」は、その軽薄な事件ですが、
失われた善良な、それも幼気な命は奪われています。
これが、二つの宗教の対立現況であることは間違いありません。


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「あらたな『危機管理』だが・・・困難か」


   


     4月 17th, 2013  Posted 12:00 AM

朝一のニュースで、やはり・・・と思いました。
世界5大マラソンで、ほぼプロたちのマラソン大会といわれる、
「ボストン・マラソン」が狙われて、
これはテロリズムだと思いました。
最近、大学の文系で「危機管理学」の受講生が多いと、
その講義を担当した期間限定の教授経験者から聞いたところでした。
ボストンは、米国で、私が一番長く過ごした経験の街です。
ハーバード大やMITがあり、
コンピューター・ミュージアムは当時大好きな資料館でした。
「ユニバーサルデザイン」を米国に定着させた本部もありました。
その街が誇るマラソン大会がテロリストに狙われ、
実行されてしまったようです。
「危機管理学」は、
1990年代に学域になった新しい学問です。
1960年代のキューバ危機
1970年代の地球環境の存続問題
1980年代の国際的な経済格差による貧富の発生
1990年代の旧ソ連の崩壊が、
この学問の決め手になったようです。
したがって、現代の「危機管理学」は、
国家の安全保障と、組織、企業から個人の危機管理までが、
その学域対象になりました。
つまり、「人間は常に命を脅かされる最悪の状態」にある、
この意識を認識しその状態から、
安心と安全になれる日常的な準備体制までを対象にしています。
米国で9.11によるアルカイダのテロリズムが、
全世界を震撼させて以来は、
さらに世界的には「テロリズム」という、
あらたな戦争体制に晒されています。
それが、昨日の朝、目覚めるといきなりこのニュースは、
全世界を混乱に落とし入れたのです。
私は、この4月から大阪大学大学院に、
危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開設しました。
インターン学生の選抜での個人面接をしながら、
テロリズムを完全防止するモノ、そのモノを生産する産業化も、
「危機管理デザイン工学」の対象になると考えています。
しかし人類とは、
なぜもこうして「他の人々の命を最悪の状況」にするのだろうか、
その根本的な哲学が必務だと確信しています。
ボストンマラソンのこの大事件が、
本当にテロリズムかどうかは不明にされていますが、
私は、新たなテロリズムで、
マラソンという平和な人類の文化資産を壊すことは許せません。


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「デザイン領域の拡大・トポロジー空間論の再設定」


   


     3月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

トポロジーは、トポス=場所を原意にしています。
そこからトポロジー=位相空間と訳されていますが、
元来、訳語への疑問を持つことが学域のスタートです。
したがって、人間・時間・空間に対して、
位相空間(論)は訳語に実務性が皆無だと断言できます。
私は、デザイナーとして「モノ=人工物」設計実務としては、
「空間」の設定、その中でのトポロジーへ時間を組み込んだ設計、
実務として、空間=身体内部ととらえ、
その中での心臓や内臓物へのプロダクトデザインを意識し始めました。
具体的には、初期の3D-CADでは、
トポロジーでの形態設計ができなかったからです。
しかも、
その設計を光造形システムをトロントのALIAS社で学びました。
当時、7000千万円するIRIS3030も二台導入しました。
理由は、三つあったと想い出します。
まず、3D-CADでトポロジー形態がデザイン設計できるかもしれない。
そうなれば、光造形は2次元から3次元になるだろう。
今や、気がつけば6次元CADが完成しています。
だから、この思いは予測していたことになります。
多分6D-CADの実物を見ている人は限られていますが、
実働しているモノを見れば、そこに未来の技術設計があります。
あきらかに、トポロジーは形容詞ではなく、名詞として、
「空間」設計に導入されることになります。
大阪大学大学院では、本図の4D-CADのように、
「空間 – 立方体=身体のメタファ」内に
「トポロジー=内蔵=DNAへの「時間」が関わります。
5D-CADはウォルト・ディズニー社で動き始めたと同時に、
わが国のあるメーカーで6D-CADが実働していました。
おそらく、次世代デザイナーに期待するのは、
デザイン実務=デザイン設計には、
多次元CAD実務を果たしてほしいのです。
これも私が次世代に言い残すことになるでしょう。


明日、「最終講義」後、
パリに行ってフランス芸術大学と阪大での研究目標をプレゼンしてきます。
しばらく、本BLOGは休筆することになるかもしれません。


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