kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘体験’


5月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 5th, 2010  Posted 9:00 AM

5月5日 赤口(乙卯)

視覚=見る、あるいは見つめるだけでも
経験や体験の一部にはなる。

しかし、
視覚による体験をベースに
体感までに到達するには、
聴覚・嗅覚・触覚・味覚で
置換できるパラメーターを
決定する必要があると思う。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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4月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 29th, 2010  Posted 3:58 AM

4月29日 赤口(己酉)

日常的に
モノのデザインを体感するには、
モノに仕組まれている
リズム・ハーモニー・アクセントを
直感的に体験できるかを感じ取る
習性、癖が必要ではないだろうか。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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4月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 18th, 2010  Posted 11:25 AM

4月18日 先勝(戊戌)

モノへの欲望を満足させることは、
ただモノで体験することや
経験することだけではない。

モノを媒介にして
何事かを体感することが、
私のデザインの目標である。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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4月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 5th, 2010  Posted 9:01 PM

4月5日 仏滅(乙酉)

身体的に、肉体的に、
官能にまで突き刺さってくる経験や体験を、
私は体感と定義づけることにしている。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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4月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 4th, 2010  Posted 9:00 AM

4月4日 先負(甲申)

時間的な経過などがない
瞬間的な肉体的な経験であっても、
体験は可能である。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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4月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 3rd, 2010  Posted 9:00 AM

4月3日 友引(癸未)

経験に対して、
体験というのは、何と言っても
身体感覚的な実地経験である。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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『資本主義からの逃走』
「資本アイテムの再整理は、新たなイノベーションを誘発・3」


   


     4月 2nd, 2010  Posted 10:24 AM

物質の情報化・情報の物質化
物質の情報化の代表実例を一応、「写真」とします。
情報の物質化の代表実例を一応、「時計」とします。
「写真」はメディアという呼び方ができます。
「時計」はツールという呼び方ができます。
物質と情報の相互性の一例を、
私はメディアとツールとの相互性という考え方が可能です。
したがって、物質の物質化はそのままではなくて、
たとえば、「写真」といっても、カメラ本体とフィルムです。
「時計」といっても、時計本体と時間表示ということです。
ところが、「写真」=カメラ+フィルムの進化がありました。
それはデジタル化でした。
INNOVATION
これはイノベーションでした。
電子機器(コンピュータ)とメモリーです。
写真機が進化=技術革新、これをイノベーションと呼んでいます。
イノベーションは、本来は、技術革新と呼ぶのは多少違っています。
「時計」にしても、ゼンマイという駆動器械から、
発振子とコンピュータによって、本来は見えなかった規則性、
これは情報と呼んでもいいでしょう。
「時刻」という情報を、地球規模でそれぞれの地域情報化しました。
上記はきわめて簡単に、物質・対・情報の相互性を例示しました。
さて、問題は、物質、一応ツールというモノにします。
情報はメディアを介在した事項としておきます。
そこで、メディアとツールの相互性に働く「力」は、
明らかに、弱い相互作用と強い相互作用が働いているのでしょう。
意識化社会
さらに、メディアのツール化もツールのメディア化は、
同根・同値になる傾向が明らかに起ころうとしているのを、
脱・工業化社会=ポストインダストリー=情報化時代、
情報時代の到来は、「意識化社会」です。
この「意識化社会」での物質と情報の相互作用は、
すでに、現在のインターネット=Network社会になりました。
それは、物質・情報は相対論的な現象の中に融合されていく、
そんな過程に、私たちの日常・「生」と「死」が挟まれているのです。
私は、デザイナーゆえに、物質と情報を常に入れ替えを、
コンセプト化して具現化していることになります。
結局、「何が物質であり、それが情報化する」とか、
「何が情報であり、それが物質化するのか」を相対論的にしています。
この過程が私の日常であり、私の日常では、物質が実は情報であったり、
情報が物質であるという「入れ替え」体験を、
自分のデザイン発想にし、表現、具現化していると考えています。


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『資本主義からの逃走』
「マスメディアへの死亡宣告を告げなければならない!」


   


     3月 25th, 2010  Posted 9:40 AM

マスメディアは瀕死
私は「マスメディア」・「マスコミュニケーション」は、
共に瀕死的状況になっていると確信しています。
新聞・TVは、報道というジャーナリズムがすでに、
自らの役割認識をどこかで見誤ってしまったのでしょう。
その認識変異点=時期はおおよそ指摘することができますが、
もう少し、確証を集めてからにしたいと思っています。
変異点の体験
Mac派の私に言わせれば、1984年は変異点でした。
1996年に名古屋市立大学に芸術工学部が新設されたとき、
大学人になった私は、第1期生すべてに、
Machintoshの購入を求めました。
そして、それにはethernet-cardを特別仕様として、
Apple Japan社に依頼しました。
その時の営業本部長が現・マクドナルドの原田社長でした。
学生には自分たちのデスクからethernet-cableを自作させました。
そして、全員にメールアドレスというのは、
名古屋市立大学全学からも相当の批判をされましたが、
押し切った思い出があります。
私が追いかけていたのは、「ラピッドプロトタイピング」でした。
なぜ、ここまでの時期に振り返るかといえば、
当時には予想もしていなかったジャーナリズムの、
大転換時期が始まりつつあったからです。
ジャーナリズム
「ジャーナリズム」とは、「日々の記録」が原意です。
したがって、Blogという形式が「日記形式」というのは、
個々人のジャーナリズムが、自ら発信し出したことでした。
プライバシー
読まれなくても、Blogには、
報道されることへのきわめてプライベートな意見が
書き込まれるようになりました。
この変化に、マスコミは「たかがBlog」と看過していたのです。
どれほど、「プライバシー」と「パブリック」が、
メディアでその相互性が変貌し始めてきたかに、
全く気づいていなかったのでしょう。
このBlogという「日記的文体形式」は、
「マスメディア」を浸食していることが、
いわゆる職能ジャーナリスト(そんな職能は幻想共同体)には
気づくどころかその影響の大きさを想像することさえできあせんでした。
そしていまなお、マスメディアを存続させようとしていることが、
どれほど、プライバシーとジャーナリズムの融合点が生じているか
見ようともしていないのです。
そして、この事実に「資本主義」と「民主主義」が、
基盤だと言っている限り、彼らは消滅していくのです。


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3月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 24th, 2010  Posted 9:00 AM

3月24日 仏滅(癸酉)

「体感できる」ということは、
身体を突き動かされる経験であり体験だ。

器官や内蔵まで
肉体的な衝撃が
走り抜ける感覚である。

『プラトンのオルゴール』
体感する為に、音楽と造形の相対化


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『資本主義からの逃走』
 「色彩感覚とCAD感覚・05」


   


     1月 23rd, 2010  Posted 6:00 AM

Claris CAD
ALIAS本社でのCGトレーニングと同時に、
私はパソコンをデザインツールにすることに没頭。
2D-CADを追いかけていました。
最初に福井キヤノン社長=高校時代親友が、
Canonのパソコンを持ち込み、
プロッターまでそろえてくれました。
だから、当時は、相当高額だった「ワープロ」まで、
彼は提供してくれました。
結局「Claris CAD perfect manual」を上梓するまで、
のめり込んでいたのです。
この本はすでに廃刊ですが、
日本で最初のCAD教則本であり、
当時のパソコンCADについて米日での私の比較論を
書き上げていると思います。
なにしろ、MS-DOSからMacでの2D-CADは、
私を3D-CADに、
今では4D-CAD開発にまでいたっているのです。
1984年のMacintosh以来、ズーッとMacですから、
一時期は、NeXTSTEPもありましたが、
Mac OS Xになって、EWSのUNIXも、
私の体験の中で培われたのだと思います。
今、bit世界に、「点・線・面」思考も、
bit色彩感覚論も、
私のデザイン手法を再構築し直してくれました。
よく、「コンピューターでデザインが変になった」、
とか言われる方々がおられますが、
それは「まったく間違っています」。
コンピューターに向かえば向かうほど、
そしてコンピューターでの限界を知り尽くせば、
「本来のデザイン」を二つの視点から捉え直すのです。
その結果が、
私が「手描きスケッチ」の重要さを主張するわけです。


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