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Posts Tagged ‘信号’


『皆既日食と太陽フレアが風景の予測シグナルかも』


   


     9月 9th, 2017  Posted 12:00 AM



「風景」を成立させる自然現象には人類に幸不幸がもたらされます。
なぜなら、風景は、彗星が地球にまで落下するかもしれない。
月食と日食、そしてとんでもない暴風雨、
この四つが風景と中国古典、易経を筆頭に書かれていたのです。
しかし現在、風景は「見晴らしの景観」という認識になっています。
特に太陰暦は月の満ち欠けと満月が日本江戸時代の古代暦でした。
それはムーンフェイズの時計が太陽暦であることを補足しています。
つい先日、元私の秘書だった女性がともかく米国へ日食だけを見に行って、
そのことをFBにて書いていました。
皆既日食は、本当に太陽が月の後となって、
一時、暗闇に包まれたという感激を伝えていました。
私は直感で、不吉感が走りました。
それはこれまでの歴史においても、月食と日食には、
とんでもない自然現象、たとえば大地震や大津波があったことは確かです。
そうしたら皆既日食で「太陽フレア」が起こったという報道がありました。
まさに、風景が人類に知らしめる自然現象での悪しき風景異変が発生です。
まず、地磁気嵐が起こる、大地震が起こる、という具合です。
どうか、大地震が日本に起こってほしくないという願いは祈りに至りました。
今、太陽フレアや太陽黒点の変動が、成層圏に大きな影響を与えること、
これがかなり詳細に検証され始めています。
案の上、北朝鮮は地磁気嵐ゆえにGPS使用は不可能ゆえ、
ミサイル発射をこれは幸運なことに見送った(未定?一部推測)というのは、
真逆の思考では、GPS不安ではミサイル誘導は出来ない程度の技術力、
これは安堵しますが、皆既日食が人類への信号だとすれば、
大地震、大津波、大暴風雨が絶対に起こらないことを祈るだけです。
人類はようやく太陽フレアがあると、
それこそ地磁気嵐が成層圏にまでの影響が甚大な不幸を呼び込むことまで、
やっとそこまで人類の予知では無く予定まで到達したようです。
地震は確実に成層圏の異常状態を連動させるのかも知れません。
光景は、生と死、光と闇の関係の象徴論であり、
情景は、人間同士の幸不幸を決定しているという、太陰暦的な予知?
この古代予知は正しかったのかも知れません。
景観と景気はすべて太陽と月との何らかの関係があるのでしょう。
光景は自然と自然、風景は自然と人類、情景は人類と人類、
これを占いでは無く予知では無く、幸不幸の予測的確かと思います。


* 「『風景』とは天地異変のシグナルだった」
* 「月齢表示・ムーンフェイズが暗黙に指示しているかも」
* 『「時計」はデザイン対象、デザイン力量が試されている』
* 『日本人の根本的な倫理観、その原点を見つめ直す』
* 「幸不幸の連鎖の中で」


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「USBからワイヤレス化と電磁波空間」


   


     9月 3rd, 2012  Posted 12:00 AM



明確に記憶していますが、
レガシーインターフェイスからバスインターフェイスが汎用化される。
こんな情報を1993~4年頃に、
当時、EIZOモニターをデザインしていましたから、
私はとても興味と期待を持って待っていました。
USB=Universal Serial Busになって、
本当にPCはじめデジタル機器のコードコネクションは便利になりました。
最近は、miniUSBやmicroUSBでコード・マネージメント、
これはEIZOブランド商品で私が提示しましたが、
おおよそ、この写真にあるようにほぼ5種程度でいいようです。
無論、
私にとってはオーディオ用のUSBコードの進化に最も注目しています。
USB性能の進化は、転送速度と機器間の相性問題があります。
だから、安易なコードがUSB3.0といえども、私自身は信用していません。
オーディオ用のUSBケーブルが、miniやmicroになり、
しかもノイズ対策が完備してほしいと思っています。
機器設計デザインの立場だと、
microUSBが基盤実装上でも効率的なレイアウトが可能です。
つまり、データー転送の信号ケーブルと電源コード、
ローパワーデバイスとハイパワーデバイスだけでなく、
さらに、
各種機器間のコネクションケーブルになってほしいと思っています。
しかし、将来は、USBコネクションもワイヤレス化が望まれますが、
これも空間の電磁波問題は、まったく見通しもついていません。
私としては、このUSB進化の系譜が
そのまま「医療機器」のコードコネクションをまず完成させ、
そのワイヤレス化、当然電力デバイスへの進歩であり、
この時の電磁空間が与えるであろう人体への影響です。
私には、ICDが身体に埋め込まれていますから、
電磁波空間は生死に関わっています。
明言すれば、
電磁波空間も放射能空間も同次元・同位相なのかもしれません。
考え過ぎかもしれませんが、
それでもUSBは大きな進化だったことは間違いありません。


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『資本主義からの逃走』
    「『情報』は記号と信号でまず大別」


   


     10月 20th, 2010  Posted 12:29 AM

号する
情報という訳語が、現代を決定しています。
物質・情報・エネルギーが世界構造を構成しています。
これを、世界構造の大きな大別・種別とするとき、
さらに、ディレクトリーを情報の大別・種別にまで入り込んでみます。
私は、情報はまず「号する」という基本的動作から、号が包含してきた意味があります。
そしてその包含意味をそのままの仕組みが、
情報の形式・内容・質・意味・意義になっているのではないだろうかと推測してきました。
「号する」というのは次の三つから始まっているとまとめておきます。
  ■ 大声で叫ぶ、号泣すること・泣血号天
  ■ 次に、評判をたてて言いふらすこと・号為賢相
  ■ 名をつけることや表向きに呼ぶこと・号日皇帝
では、「号する」こととは何かということが「情報」に繋がっているという私の種別です。
情報=「信号」・「記号」
結果、情報を大別すれば、「信号」・「記号」になるというわけです。
そして、この二つには、人間=人と己、そして言です。
その言が前後関係になっている漢字にすべての意味が情報にまで象徴されることになると思います。
情報は信号化されることと、記号化されることで、
情報の実質的中身を種別することができるのです。
信号的な情報と記号的な情報という種別から、
「情報空間」も同様に、次のように呼ぶ・号することができると考えます。
「信号的な空間」と「記号的な空間」、
それぞれをさらに検証していく方向があるものと考えています。


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『資本主義からの逃走』
「ひかりとあかり・信号あるいは記号として時空間」


   


     5月 15th, 2010  Posted 12:33 AM

信号・記号やりとりの手段
「のろし」を上げます。
これは、太古時代のシグナル=信号でした。
鏡面に太陽光線を当てて反射させます。
そうすると、その眩い反射光が信号になりました。
暗闇に蝋燭の灯りが点々と灯されています。
それは、道筋を教えてくれる記号でした。
さて、こうした信号、あるいは記号を人は手段にしてきました。
光線を見詰める
太陽光線はまぶしい光です。
眩しくて、見つめることができません。
月の明かりや蝋燭の灯りは、見つめることができます。
私は、単純に、
「見つめられない目映い光線」を「光・ひかり」だと思います。
それこそ、網膜を焼いてしまう「光」は存在します。
可視光線には、「色」があります。
色は見詰めることができる明かりと言うことは出来ます。
「じーっと見つめることの出来る光線」を「明かり・灯り・あかり」だと思います。
光っているからといって、眩しくなければ見詰めることが可能です。
一本の蝋燭の灯りを見詰め合っている恋人がいたとします。
それは、灯りを沈黙し合って見詰めることで、
何か、二人の間に沈黙の会話が流れているのかも知れません。
この場面には、蝋燭の灯りが二人の共有する「記号」です。
そして、その見詰めている明かりが、ひょっとすれば、
「別れ話」の「信号」になっているのかもしれません。
「ひかり」と「あかり」には、時空間が生まれているのです。
情報の時空間
今、私たちは、情報という記号or記号という情報を信号として、
「ひかり」が時空間でのコミュニケーションをしています。
「光通信」、それは、太陽光を鏡面で反射させた光速でやりとりをしていた太古から
現代に至って、鏡面が光ファイバーになったのです。
となれば、人間が時空間での情報は、「ひかり」信号の記号なのでしょう。

人間は、明かりもしくは灯りに包まれれば、気持ちは和むでしょう。
しかし、光に包まれたとき、それは「生」の瞬間だったのかもしれません。
そしてもう一度、光に包まれるのは「死」の世界に入っていくのでしょう。
私たちが時空間から消滅させられるのかもしれません。
人は、ひかり、あかり、そして、
信号と記号の情報で、生から死までの時空間に私たちは存在しているのです。
絶対にそうなんだと私は思っています。
あらためて、「ひかり・あかり・信号・記号」、
この四句分別を、現代そして未来に、私たちは求められているのです。


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『資本主義からの逃走』
 「信号と記号は光線上にあるかもしれない」


   


     5月 14th, 2010  Posted 12:01 AM

S/N
アナログ時代、オーディオ評価には、S/N比がありました。
それは「信号=Signal+Noise」だったからです。
1960年ビートルズの登場と、
同時期頃カセットテープが音楽メディアでした。
デザイナー成り立ての頃
カセットデッキのデザインを担当して夢中だったのです。
その当時、技術陣はいつもS/N比の話で大変でした。
そして80年代直前頃、デジタル時代技術へ大転換が始まりました。
デジタル時代が呼び込んだ主軸がコンピュータだったという見方が可能です。
さらに、コンピュータは「記号」、
その一つがアイコンという表現になったということもできるでしょう。
信・記
さて、信号の「信」は人+言語であり、
記号「記」は言語+人(跪いている形象)ですから、
言語を受け止めています。
70年代後半に、「記号論」や「記号学」が提案され始めるのです。
「記号」という言葉が道元の発案言葉説もあります。
これは日本記号学会発足誌初版にそんな論文がありました。
A/D・D/A
私が、この「信号」と「記号」の組み替え技術が、
アナログ(信号)からデジタル(記号)へ=A/D ?
デジタル(記号)からアナログ(信号)へ=D/A ?
これらを、私は、現代性に配置して見ている気がしてなりません。
「気がしてならない」と、いう私の想いを書き残しておきます。
なぜなら、今、信号も記号も、それらは光線上に、
あるいは信号の光、記号の光なるモノがある気がします。
● 信号的な発想ができるだろうか、
● 記号的な発想ができるだろうか、
このところ、私に与えられているデザインテーマを熟考するとき、
この二つを交互に、相互に、対決させている気がしてなりません。
「信号」と「記号」が「光」になっている。
そんな「あかり」に包まれて考えている自分が居ると思っています。


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