kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘修景’


4月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 14th, 2013  Posted 10:19 PM

4 月14日 庚戌(先勝)



現代のモノの体系の景観は、
光景的にはモノの及ぼす功罪を際立たせ、
風景的には経済の横暴が地球環境までを
破壊的状況に追い込んでいる。
さらに情景的には人間の情感を
豊かにする方向を見失わせている。



artificial heart:川崎和男展「修景としてのデザイン」


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4月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 13th, 2013  Posted 10:17 PM

4 月13日 己酉(赤口)



修景化のためのモノのあり方を提示する手法を
ひとまずデザインとするなら、
修景化は何が前提でなければならないだろうか。



artificial heart:川崎和男展「修景としてのデザイン」


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4月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 12th, 2013  Posted 10:14 PM

4 月12日 戊申(大安)



景観に新しい名辞をほどこし、
そのレトリックと対置する造形がモノに必要となる。



artificial heart:川崎和男展「修景としてのデザイン」


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4月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 11th, 2013  Posted 10:12 PM

4 月11日 丁未(仏滅)



時代と社会の相関が展開する中で、
モノの体系は集合されたひとつの景観となる。



artificial heart:川崎和男展「修景としてのデザイン」


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4月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 10th, 2013  Posted 10:12 PM

4 月10日 丙午(先負)



社会はそうした価値観の集合を背景に
やがて時代をまた衝き動かす。



artificial heart:川崎和男展「修景としてのデザイン」


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4月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 9th, 2013  Posted 10:08 PM

4 月9日 乙巳(赤口)



時代は常に人々の価値観を突き動かす。



artificial heart:川崎和男展「修景としてのデザイン」


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4月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 8th, 2013  Posted 10:03 PM

4 月8日 甲辰(大安)



光景の中のデザイン、風景の中 のデザイン、
そして情景の中のデザイン、
というレトリックは、
それぞれのデザインを概念化し
シナリオ化するひとつの手法になりうるだろう。



artificial heart:川崎和男展「修景としてのデザイン」


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3月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 31st, 2013  Posted 10:28 AM

3 月31日 甲午(先負)




光景は光と闇との対比が際立った景観を示す。



artificial heart:川崎和男展「修景としてのデザイン」


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「月食、それは風化させてはならない啓示です」


   


     12月 12th, 2011  Posted 12:00 AM


昨日2011年12月10日夜、皆既月食でした。
20代後半に車椅子となった私は、
仏教書と易経にのめり込んでいました。
そして当時、「流行通信」というファッション誌で、
始めて連載を書き始めたのです。
音楽と音響機器というテーマでしたが、
二回目には「修景論」をまとめました。
風景の要因には、日食・月食・彗星・雷雨暴風、
この四つが易経では大きな天地異変の変動、
その結論が述べられています。
易経を単純に「占い」とみなしている風潮は、
明らかに熟慮不足だと認識すべきでしょう。
そして風景は風と景気を根本で支えている東洋の智恵です。
日本風とか、和風、修景としての光景と風景と情景を
明確に定義づけています。
だから、景観は景気を動かします。
景気の善し悪しは、例えば不景気、
それは「気」=きもちを落とし込み=鬱病と重なるわけです。
月食は天変異変を歴史にもたらしてきました。
3.11は今なお、私たちを解放すること無く、
哀しみと悲しみを残しています。
12月9日、死者15841人であり、行方不明者は、
未だに3493人という哀しみをぬぐい去ることは不可能です。
月食が天変異変を知らせているとするなら、
私たちには「祈り」しかありません。
そして、絶望してはならないのです。
その基本として私たちは3.11のあの光景を語り継ぐのです。
つまり、人間には忘却するという精神的解放がありますが、
それを「風化」と呼んではならないのです。
私たちに吹いてくる「風」は、微風から暴風まであります。
あらためて修景、そして「風景」によって、
やがて生と死の光景に入っていく生命、
その意義を見つめなおすべきでしょう。
「風が吹いている場」は空なる間、空間ということになります。
空間に「風流」を求めるとき、私たちは解放されるのでしょう。


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