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Posts Tagged ‘内田繁’


『あの名作の遠景はやっぱり無くなってしまった』


   


     1月 16th, 2018  Posted 12:00 AM




東山魁夷の「年暮る」という名作があります。
当時は京都ホテルの屋上から、川端康成の提案で、
「今描くべき」と言われた作品(1968年)があります。
「描いておかなければやがてこの景色が変わる」と言われた雪景色でした。
京都ホテルは現在は京都ホテルオークラです。
ホテルオークラのOkuraは私の恩師のスクリプト体であり、
ホールのデザインは故・内田繁、アルドロッシゆえ、
私にとっては、いつもこの絵画の上に現代の京都があります。
4日間このホテルから古書を探していました。
古書といっても、江戸時代の庶民の筆タッチのスケッチ:画集です。
結局、見つかりませんでした。
出逢ったあの時に買うべきだったと思っています。
とても軽快にほとんど一筆描きかと思うとても薄い画集でしたし、
なんだかいつでもこのスケッチを思い出すのです。
京都はワイフの生まれ育った場所ですが、
京都が魚を食べられるのは福井県小浜市からの「鯖街道」があるから、
奈良だって、お水取りは福井から送られてくるのです。
ともかく毎月、映画を観るために出かける街になっています。
車イスの私には、京都と金沢が映画が観やすい街なのです。
大阪はやや不潔で駄目、東京は車イス使用者を規定の場所ゆえ駄目です。
このことは本当に言い伝えないといけないと最近はつくづく思います。
もうどこが観光化していないかが分かる街になっています。
ともかく、今年はこれほど寒いかという街でした。


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『英国のPDE国家資格にまで連続したハイバックチェア』


   


     11月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM




英国にはPDEという国家資格があります。
それはグラスゴー大学とグラスゴー美術学校でスタートしました。
PDE(Product Design Engineering)であり、修士号資格。
これは大学で技術を学び、美術学校でデザイン。その逆もあります。
要は、デザインと技術を共に学んだというデザイナーの称号です。
これを創りあげるために、名古屋に在住していた教授がいました。
そのグラスゴー美術学校は、チャールズ・レイニー・マッキントシュ
(Chales Rennie Mackntosh)を記念した学校です。
マッキントシュの作品では、このハイバックチェアには、
いわゆるデザイン史におけるアーツアンドクラフト運動と
本来は日本発のアールヌーヴォーが彼の椅子に息づいています。
そして、見詰め直してほしいことがあります。
写真両サイドのハイバックチェアは、アールヌーヴォー、いわゆる加飾性。
この加飾性は、室内調度の決定因です。
したがって、室内との調和性が最も問われている作品です。
ところが、中央のシンプルさはマッキントッシュの名作になっているのです。
理由は、空間での存在性だけではなくて、
空間の質を椅子存在が決定づけていることです。
いわば、座るという行為に対応するよりも、
空間質を決定づけていることによって、
自宅でも室内そのもののいわゆる質量までを制御しているということであり、
世界の名作椅子のほとんどは、室内での使い勝手よりも、
室内そのものを演出する象徴的な存在の決定因になっていることです。
結局世界の名作椅子は10点であれ、50点であれそれこそ100点選別しても、
バウハウス時代やシェーカー教徒、アジア:中国の禅所乗物、
ソクタツやテンスからは逃れることができません。
もはや、人間工学で椅子は絶対に語れないことに気づくべきでしょう。
最大の理由は、
使い勝手よりも結局は空間質の決定因が求められているということです。
おそらく、恩師・柳宗理のバタフライスツール、
倉俣史郎のハイ・ハウ・ザムーン、内田繁のセプテンバーを
デザイナーの私はやはり追い抜ける椅子デザインをしなければなりません。


* 『イスと空間、空間の質量を自在化するデザイン』
* 『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
* 「『闇に座す』=土・立、修辞学的な造形の込めた願い」
* 『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』
* 「誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ」


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『知人、友人、親友、いや話相手としての別感覚の友』


   


     7月 22nd, 2017  Posted 12:00 AM



京都ホテルオークラの左奥からのまなざしです。
京都は月1or2は主に映画を観るために出かけます。
そのほとんどの定宿です。
デザインとしては二つのことがあります。
まず、ホテルオークラのロゴタイプは私の恩師平野拓夫先生のデザインです。
もう一つは亡くなった友人・内田繁氏(アルド・ロッシ)共作のインテリア。
一昨日まで京都にいました。
そしてホテルに戻る度に、あぁ、もう一度会いたいなーと思います。
Gマークの審査会と毎日デザイン賞の最終審査委員時代でしか、
実際は約束してまで会ったことがないのですが、彼との会話や彼の作品、
それは特に「September」を思い出します。
先般このブログで米国のインテリアセンター竣工最初の「国際椅子展?」に、
日本からはたった四名の時も、彼は選ばれていましたし、
彼への献花式には青山葬儀場にてとめどなく悲しくて合掌しました。
その時には、やはり、彼の大きな遺影写真の下には「September」でした。
だから、どうしても欲しくて、彼が居なくなったスタジオ80に電話して、
買い求めたかった椅子です。
そして、Gマーク審査での昼飯は一緒に冗談ばかり言い合いました。
彼が桑沢のデザイン学校校長になると、すぐに講演もしました。
毎日デザインでは、5名の最終審査委員がいる中で、二人でこそこそ話を、
内容はいつか話したいことが一杯あるほど、この審査会で・・・・・でした。
親友ではなかったのですが、知人、友人でもなく、
ともかくデザインというか、肝心のデザイン論議でもなく、
デザイナーである、そんなデザイン四方山話の仲でした。
今回はちょうどこのホテルのエントランス工事中であり、
すこぶるこのホールの素材や仕上げやそして室内色彩の調和性からも、
君らしいなあ・・・彼ならという超重奏高級感
それをとてつもなく感じ取ることができました。
このホールで、今は亡き彼に向かって(君のさぁ、このデザインのなかで)
そんな空想の会話をしました。
今回、京都の古本屋でおそらく江戸後期の水墨スケッチを買いに来たんだ、
でも、もう売れたのか見つからなかったよ、って会話して来たのです。


* 『金沢美大には伝統的なアノニマスデザインがあった!』
* 「日本で最初のスクリプト体・恩師のデザイン」
* 「機械工学とデザインの学際化を・・・大学人としての願い」
* 『目の前に未来・将来は無く背負っているのです』
* 『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』


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