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Posts Tagged ‘再検証’


『歴史的な条項言説を正しく使用しなければならない』


   


     1月 7th, 2017  Posted 12:00 AM



私たちは時々、常に知的な常識を表面的な記憶ではなく、
その真意と深意に立ち戻らなければならないと思います。
その最大の理由は、表面的な意味に縛られていて、
本当はなぜ、
歴史的にも私たちには再検証しておくことが必要になるからです。
それは、時代、時流での人間の意識には、
性善説の人たちと性悪説の人たちの
とてつもない嫌な社会的な衝突があるからです。
私が今、自信をもって断言出来ることは、
この時代は、いや21世紀に入ってから、
デジタルの世界・インターネット時代は
それほどでもなかったのに、おそらくSNSが人間社会を二分したのです。
それは世界的にも、自分勝手さが放置されるとともに、
その放置は宗教哲学的にさえ、食い止めることができなかったことです。
今、世界は地球は地球市民とかに性善説な世界観を与えていますが、
実は、ナショナリズムが各国で台頭してきて、
グローバリズムなんて嘘だとは言ってはいけない風潮があるのです。
世界全体を見渡して私の評価・判断を言うことはむずかしいですが、
私の世界、それも日本のデザイン界を眺め渡すと、
物真似?、コピー?、いや、盗作が平然と起こり、
さらには未だに「デザインとは何か?」、この低レベルな発言や講演は、
デザイン教育にまで及んでいることです。
そこで、私が自分の歴史的な知的な深度ある常識を
性善説も性悪説も超越した、古典的な記述を投げかけておきます。
ハンムラビ法典の196/197条?項目、
「目には目を、歯には歯を」という懲罰条項を思い出し、
その真意と深意の正当な報復の現代解釈を持ち出しておくことにします。
「かわいいはデザイン評価にはなりえない」
「工藝とデザインの美学性の正当性を語り直す」
「デザインコンテクストの商売利用」に、この条項を与え直します。



* 「テロという名の殺戮に怒りを込めて」
* 「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
* 「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」
* 「グローバリゼーションはローカリズムの対極だろうか」
* 『民藝というレジリエンスデザインの源流は光化門にある』


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『布の感性評価はこれまで無かったからこそ』


   


     12月 15th, 2013  Posted 12:00 AM



布には七つの要素があることは何度も書いてきました。
・こし
・はり
・きしみ
・しゃり
・ふくらみ
・ぬめり
そして、しなやかさです。
私は、しなやかさは形容動詞ですから、布の手触り感覚はまず、
このしなやかさで最初に判断が可能です。
こし・はり・きしみ・しゃり・ふくらみ・ぬめりの六つは、
まず、主観的に確認し、さらに、同意意見を確認することで、
客観的な感覚評価が出来ると判断しそのためのツールを考案して、
持ち込まれた繊維メーカーからの素材すべてにひとつひとつ、
しなやかさを確かめ、次に、ぬめり感があるか、はり感があるか、
あるいは、きしみ感があるが、それはしゃり感を感じるからとか、
そのような会話と素材を手触り合いながら、
ふるさと福井の繊維メーカーの若手たちと確認をしあいました。
私は、このような感性評価を成し遂げていくことは、
おそらく世界でも最初のことだと確信しています。
いづれ、この感覚を源に、
「製品開発とその実際感」の展示会を必ず開催することで、
私はやっと人間が布・繊維の感性評価が可能になる、
そんな気がしてなりません。
それは布と人間の関係、
特に、感性的な評価軸を再検証することで、
もっと重大な繊維素材の開発が可能になるだろうと思うからです。
これまで、ファッション的な商品選別の確実な感覚を
日本だから、繊維産地だから世界の評価軸を決定するつもりです。
この決定こそ、「羽二重・HUBTAE」ブランドの基盤にします。

関連ブログ記事
『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』
「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」
「『布』平織りの集積された知恵=晒を見直すこと」
「ふるさと福井の織物・繊維を世界の標準にデザイン主導する」


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「少数派のためのデザインから・再度、再検証」


   


     8月 21st, 2012  Posted 12:00 AM



ワイフが母校で特別講義を、ということになりました。
そこでのテーマの相談を受けて、
彼女なりの調査や読書を聞くと、
デザイン史的にはきっちっりとまとまっていないことを知りました。
「生きのびるためのデザイン」
「E.H.エリクソンのノーマライゼーション」
「1970年から準備された1981年からの国際障害者年」
この三つを軸に、
1973年からはわが母校の卒業課題化された「少数派のためのデザイン」や、
私自身が障害者になり、
1998年のNewYorkで開催された国際ユニバーサルデザイン学会、
この学会には私自身も特別講演をしました。
「ユニバーサルデザイン」については、
政府に対して最初の報告書を書きました。
特に、1960年代に
米国・英国・カナダでの「アクセシブル」というデザインコンセプトや、
ユニバーサルデザインという言葉の詳細や系譜、
それらがまったくまとまっていないことを知りました。
これは、私がまとめておく必要があると思っています。
すでに、私の役割には次世代デザイナーに伝えおくべきことが
余りにも多く残っている気がします。
特に、「ユニバーサルデザイン」を軸とするなら、
この歴史的なコンテクストも
故ロナルド・メイス中心で語り残されると思いますが、
これはもっと深く、故マイケル・カリルの存在を書き残す必要があります。
これからこの仕事をやり終えないといけないと思っています。
歴史は、その時期に政治的に記述されると、
それがあたかも「真実」になります。
これは「歴史」の真実です。
「民衆は声を持たない。
己を自覚し自らに誇りを抱くことさえ、
彼らには許されていない。」
私は歴史に向かうとき、この言葉に戻ります。
デザイン史となるべき、私の体験での知識と見識は書き残します。


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「サービスの原意を求めて」


   


     1月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM


紀元2世紀、パル・コクバの元で使われたというコイン。
私は年末から、「サービス」の原意を求めています。
理由は、サービスは資本主義社会にて「産業化」された言葉と商業です。
私がこの原意を求めるのは、三つの理由からです。
  • 資本主義象徴である「サービス産業」の今後
  • 資本主義がもたらした様々な害悪からの逸脱法
  • 「サービス」本来の社会的効果です。
この探求には「オイコノミア」という原始基督教義が重なります。
その中で、2世紀に、キリスト教からユダヤ教を分離した一人の救世主。
それが、パル・コクバであり、彼は救世主でした。
救世主であると同時に王様でもあったわけです。
そこから、王座に座るべき者の「権力」と「権威」が定義されます。
「オイコノミア」とは「エコノミー」と同義です。
そしてオイコノミアはすでに神学的対象になっていますが、
確実に、この教義あるいは論理に始めて
「サービス」という言葉が出てきます。
私は、この言葉を再検証から再定義が、
現代の資本主義の歪みを是正できるのかどうかがとても気がかりです。
それは、資本主義での産業には、「情報産業」と「サービス産業」があり、
当然、この「情報サービス」と「サービス情報」が
資本主義を再構成あるいは資本主義からの解放を発見したいのです。
この正月にぎりぎり
「オイコノミア」を読解してしまいたいと考えています。
これから、その検証結果をここでメモを報告していくつもりです。
なぜならこの国難の日本は
改めて資本主義社会から逸脱することが大事だと直感しています。


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「防潮堤工事は土木工学ではありえず」


   


     12月 28th, 2011  Posted 12:00 AM


大津波は海から襲いかかってきました。
その高さは想像を絶していました。
それよりも注目すべきは、押し寄せて来た時よりも、
「引き浪の力」がどれほど強かったかは
以前も書きました。
あらためて陸と海岸線での痕跡を見ると、
防潮堤の高さも当然ながら必要ですが、
バリア形態設計が誤りだったことを確認できます。
海からの大津波を受け止める力より、
引き浪でコンクリートは海側に歪んでいます。
この防潮堤に叩き付けられていた遺体が多かったと聞きます。
陸上では、道路路側帯のポールが地面に叩き付けられています。
それほど巨大で暴力的な力だと考えるべきです。
今回、土木工事の杜撰さも明らかになりました。
まさに土建事業と行政既得権の横暴さは罰せられるべきものです。
それは東京浦安地域の埋め立て地でも明らかでした。
液状化も手抜き工事そのものであり、
徹底した地盤工事の東京ディズニーランドはOK。
むしろ江戸時代の埋め立て地は大丈夫でした。
港湾工事が土木工学に頼ってきた制度設計そのものを再検証すべきです。
むしろ、港湾工事が土木工学よりも
海事工学・船舶工学が担うべきなのです。
港湾工学は海事システム工学をわが国は制度として受け入れていません。
仙台メディアテークという建築があります。
エレベーター・階段は、船舶工学の溶接技術で建造されています。
あの発想が一つのヒントになると考えます。
行方不明者は海に連れ去られたのです。
大津波で山に追いやられ犠牲となった方は、
高い樹木に留まって亡くなられました。
多くの行方不明者の真実、
生き延びた方々の証言からも海への引き浪の力でした。
したがって、
コンクリートの防潮堤設計は根本で見直すべきと私は考えます。
引き浪力への流体設計は海事工学であり土木工学ではありえないのです。
防潮堤は、大津波を受け止める形態と引き波力をも拡散させるべきです。
そこには新たな防潮堤と引き潮拡散の造形デザイン、
それが波動とのインターラクションデザインになります。
ともかく土木工学よりも、
海事港湾工学が制度設計の中心だと私は思っています。
これは、私自身が関西海洋教育アライアンスで
海洋デザイン戦略論」を担当してきた知識です。


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