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Posts Tagged ‘刀’


『春日大社で最も古い太刀が見つかったことは徴である』


   


     2月 13th, 2019  Posted 12:00 AM



春日大社で、特別展が開催され名刀が一堂に公開されています。
大社と言えば、大きな神社のことと言われます。
神社、神宮、大社、天満宮、八幡宮、稲荷と格式と違いがあります。
日本には、仏教と神道がありますが、私はこれらのモノとコトを、
単にいわゆる宗教と言い切ってません。
768年に建立された春日大社には、神道である、天皇制よりも
日本国家という国づくりの瞑想的な逸話があります。
春日大社の宝庫で昭和14年に発見された太刀が、およそ80年経って、
研磨され日本刀の原型が成立した平安時代末期、
国内最古級の日本刀だと昨年明らかになったのです。
「古伯耆物(こほうきもの)」と呼ばれます。
太刀と刀剣では、身に付ける方法が変わります。
平安京の頃の太刀とは、刀としてもどこまで丈夫であったのだろうか。
刀剣といえば鎌倉時代よりも、
それこそ神具としての太刀があったということです。
日本人としての倫理性=武力具ではないことが、確かめられるのです。
春日大社のある奈良、大和国は
山城国、備前国とともに刀剣の産地でもありました。
神具である太刀には、神社の瑪瑙、鏡、そして刀があるのです。


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『坂本龍馬は幕末のヒーローだと私は絶対に思わない』


   


     1月 17th, 2019  Posted 12:00 AM



坂本龍馬には、ミステリーが多く、刀や拳銃を介して
寺田屋事件と近江屋事件とその解読が諸説渦巻いています。
彼は近江屋事件で暗殺されました。
その暗殺者は京都見廻組と
その会津藩である松平容保(かたもり)なのでしょうか。
幕末では坂本龍馬がヒーローになっていますが、
それは彼からの手紙が多く現存してあるからにすぎませんし、
小説によるフィクションの虚像と
その残像が評価を押し上げていると思います。
私にとってのヒーローは、越前藩士の橋本左内で、
西郷隆盛も左内からの手紙肌身離さず持ち続けていました。
安政の大獄で、26歳で斬首の刑に処せられなければ、
必ずや時代を背負う侍でした。
福井では左内の啓発録に学び、志を持つ教育が根づいています。
ヒーローであるはずの坂本龍馬は、
剣術も北辰一刀流もたいしたことないけれど小説では名人なのです。
ミステリーに登場する刀や拳銃には大いに興味があり、
寺田屋事件では、ピストールはS&Wアミー2・32口径6連発とされています。
そして、近江屋事件では、S&W モデル11の2・ファーストイシュー7連発を
携行していましたが発砲することなく、惨殺されていました。
私には、妄想ですが坂本龍馬を暗殺したのは、誰か、わかっています。
小説はその虚像とストーリーをフィクションとして楽しみ、
史料と考証に基づいた実像も合わせてその歴史を知っておくべきです。
坂本龍馬は、絶対に、幕末のヒーローではありません。


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『「刀狩令」が刀剣を武器ではなくしている。』


   


     12月 20th, 2018  Posted 12:00 AM



武器を使わないことが、日本の魂でした。
刀剣は日本では武器ではないのです。
三種の神器、鏡・玉・剣のひとつでもあり、
天皇の受け継ぐ宝物の意味だけでなく、
支配や権力の象徴でもありました。
刀剣は、神様を崇める道具、魔除けとして
例えば、薬師寺では咒師が「五穀豊穣」「万民豊楽」を祈り
2本の刀で天地を指し、堂内を結界します。
より身近な端午の節句の弓と刀は、神様が降りて宿る長い弓と
人を傷つけない儀式と護身のための飾りであるのです。
しかし、世界中では、武器である刀剣を
精神的にも象徴ということがまだ行き渡っていません。
日本の歴史上には度々「刀狩」がありました。
それこそ、鎌倉時代には1228年には高野山の僧侶や従者から、
刀剣などの武器を取り上げることを行いました。
また柴田勝家は1580年には一向一揆を鎮圧平定し越前を治めました。
刀さらえ(刀狩)を行い、集めた武具を作り替え、
作り替え農具にして、領民たちに渡しました。
その後、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗北します。
私の高校時代には、駅の西方には柴田勝家が
深夜に歩いているという都市伝説がありました。
そして、安土桃山時代1588年8月29日には
豊臣秀吉が「刀狩令」を発令し、
日本全国で、兵農分離を進める政策を打ち出しました。
男子の人格と品格、名誉の象徴は、施策の対象となったわけです。
現代でも、米国では武器である拳銃や銃器を
国民が取り上げることはとても困難です。
背景には、秩序ある国家支援の退職者軍人組織があるからです。
私は刃物のデザインをし道具をつくりだすこの道具を大切にしています。
そして日本の葬儀では慣例ですが、
亡くなった人は守刀を上にのせて守られあの世へ向かいます。
きっとデザインした守刀で向かいたいと考えています。


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『最軽量で二重の鋼が刀剣にあり「棒鞘」を引き継ぐ』


   


     11月 26th, 2018  Posted 12:00 AM



包丁=Kitchen Knifeをつきつめていくと、
やはり、刀剣に行き着きます。
「玉鋼」という呼称は、明治時代からはじまり、それこそ武器でした。
日本刀に今では欠かせない原料です。
しかし刀剣は、武器としての役割以上に、平安時代から鎌倉時代,
そして今も神器としての精神的な意味性、
褒美、あるいは家宝、贈答品として珍重されています。
武士=侍というのは、鎌倉時代ですが、
武器というのは、厳しい戒律で守っていました。
だから、日本人が「戦争好きだ」ということは、全くありません。
私は「最軽量の刀剣」に挑んだ刀匠について最も気になっています。
本物の刀剣はかなり重いと言われていますが、
世界の劍や刀の中でも軽いのです。
そして、最軽量やその時の鋼が二重だったことを
私デザインの源流にしていこうとしています。
確かに、侍が生まれてきた鎌倉時代では丈夫で重いモノがあります。
そこで、刀匠たちは最軽量な形態を発明されていたのです。
この刀剣に、私は血が引くようでした。
そして、身震いとともにその核心に触れました。
それ以上に鋼の置き方には、デザイナーとして、
「なぜ、このことに気づかなかったのか?」と。
その際には鋼が二重であったということまで気づきませんでした。
今は、現代のそれもハマグリ刃での挑戦です。
日本の国宝、重要文化財の中でも、その数の約半数が刀剣です。
また日本刀の名刀を擬人化した刀剣男子をキャラクターとしたゲーム、
刀剣乱舞(とうらぶ)オンラインの人気もあり、
「刀剣」に注目が集まっています。
これからの包丁には、刀剣のコンテクストから二重の鋼の核心で
それこそ「棒鞘」という生木の鞘に漆仕上げと
刀身もともかく直線なりの素材=武器なりで、
「棒鞘」は敵も必ず逃げる武器でした。
「棒鞘」は歌舞伎では出てきます。
それを知ってかどうか、
新撰組長の近藤勇は「棒鞘風」の刀剣があります。
それは重くて最軽量ではありません。
最軽量の、その刀剣の鋼を二重にしその革新のデザインをしたいのです。


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『「菊と刀」の象徴論があったからこその現実』


   


     8月 29th, 2017  Posted 12:00 AM



まさか自分の人生で、「戦争が?」ということが近々にせまっています。
それは、まさか3.11で日本が壊れるとは!とのごとく、
人生においての予定調和論は絶対に起こらないことを十二分に分かりました。
母はもちろん父もこの現実を知らないで逝ってしまったことは、
ある意味では良かったと思います。
しかし敗戦だったことは負けたら追い込まれていく現実が迫っているのです。
それでも日本には「象徴」を持っていたからこそ、
これまでの日本という国家が生きながらえてきました。
それを「菊と刀」が米国で出版された、その日本人文化論によって
敗戦国家は立ち上がることができたのでしょう。
そして、日本人の寛大さゆえに、戦争を忌み嫌う風潮だけは残すべきです。
もし、韓国に北朝鮮が戦争をしかければ、
米国にはもうそれを押さえつける能力など皆無のはずです。
これまで彼らは世界の警察気取りで戦争をし、
国家を民主国家には出来なかったのです。
朝鮮には南も北も「菊と刀」象徴の文化論などが無いことが
米国との戦争を引き込み、その影響を私たちはまさかでも受けるのでしょう。
若狭郷土博物館で若い頃の経験が重なります。
小浜市の伝統工芸、若狭塗りは下級武士の内職ならば、
絶対に硯箱があったはず、と思って何度かその博物館に通いました。
そうしたら、やっと館長と話ができて、
「あなたが絶対にデザインしないというなら教えましょう」と、
私は鳳足石硯があることを教わりました。
無論、伝統工芸なんでもにデザイナーとして手を出すべきではない、
このことも恩師からは教わっていました。
そして小浜氏の山奥に鳳足石硯を見に行き、
希望もしていなかったのにその硯を売ってもらうことまで出来ました。
それは刀においても同じことが言えるのです。
しかもまったく役立たない刀仕上げが今ではやたら外人受けしています。
が、その見識無きデザインには、私は「菊と刀」が知らしめたごとく、
自分デザインのため、いや日本というもう壊れかかっている国家のために、
デザインを本筋にもどすつもりです。


* 『防衛戦術は敗戦といえども硫黄島からの寛容慰霊』
* 『諦め:自己防衛は不可能になってきた大不安』
* 『大戦学理を超えた平和構築の情勢報告』
* 『米国は壊れてしまっているその追随国家観を捨てよ』
* 『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザインを』


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『端午の節句だが、かつての日本の田舎が豊かだった。』


   


     5月 6th, 2016  Posted 12:00 AM



北陸・福井生まれの自分にとって、端午の節句には
幼い頃の強烈な思い出が残っています。
端午の節句飾り・チマキ・菖蒲の湯の香りです。
チマキもすでに京都の日本風スゥーツ?になっていますが
全くのインチキだと思います。
というより、田舎の方が豊かだったと思います。
幼少の頃は祖母が大釜でチマキを大量に茹で上げていました。
もう一度食べたいと思い出します。
その大量のチマキは宮大工大棟梁一族全てに配るためであり、
台所が大騒動であったことや、きな粉の香りが今も残って居るほどです。
そして菖蒲の湯のために職人さんが菖蒲の俵巻きを
荒縄でいくつもつくっていました。
高校生になっても、それは家に届いていました。
そして、何と言っても、端午の節句のお飾りは、
最初の外孫であったために、ミニチュアの弓矢や刀がありました。
残念ながら飾りの弓矢などは水害で無くしましたが、
刀といっても小刀は残っていて、
しかもそれは本物でありそれほどの切れ味ではありませんが、
小学生の頃は、山で遊ぶときには有効な刀になっていました。
端午の節句、その直前には、父の日本刀の手入れを離れて観ていました。
その時に日本刀の手入れや、
菖蒲の俵巻きの方法などは習っておくべきでした。
すでに端午の節句での鯉のぼりや5月飾りなどを見ると、
あたかも日本の伝統は、お土産物や観光の小道具になっています。
それは伝統文化を商業的に利用しているだけの、
きわめて「貧しい継承」だと思ってしまいます。
日本の伝統継承が貧しくて、
余程、昔の田舎の方が豊かだったと思います。

写真は私の自宅:マンション(集合アパートの玄関飾り)

*『最近見なくなった竹藪、その思い出』
*『享保の手帖から私が学び直したこと』
*『* 夢の大きさは、祖父への約束 *』
*『大風呂敷という喧嘩手法、その肝心要』
*『なぜ、あえて「日本刀」と呼ばれたのか?!』


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『この秋からコンシリエンスKK塾開講』


   


     9月 4th, 2015  Posted 12:00 AM



デザイナーはデザイン意図とデザイン内容で、
自分のデザインを発想・表現・伝達しなければなりません。
勿論、オリジナリティは矜持すべき
最大のデザイン、デザイン言語だと言ってきました。
デザインと格闘をしてきて40余年、私はデザイナーとして,大学人として、
この基本的論理化を、デザイン思考での不十分さを
デザイン記号論=デザインすることとデザインされたことで補強しました。
この二つを
造形言語=designing languageと
形態言語=designed languageによって、
デザイン意図はデザインする意味性であり、
デザイン内容はデザインされた意味性としました。
この論理化を、造形言語+形態言語=問題解決には
三つの答で、
応答・回答・解答をデザイン記号論から
コンシリエンスデザイン記号学であるという実務展開をしています。
結論も明確になり、問題解決で答を出すことは
まさしく解放されることでした。
これは解放=「ほどける」ということになります。
日本文化の素晴らしさは、この「ほどける」ことが
人生=死ぬこと。
すなわち「ほとけ=仏」の世界観です。
40余年デザイン界で、デザイン実務とデザイン教育によって、
なぜ、あの柳宗悦が白樺派にて最終は仏教思想になり、
わが恩師である柳宗理先生は、
民藝を乗り越える、
アノニマス・アンコンシャスビューティ・ゲマインシャフト、
この三つで私たちを鍛えていただいたかを大学人になって少し知りました。
確かに、柳宗悦は刀剣を民藝には加えませんでした。
しかし、私はその刀剣=武器=戦いをさせないモノに
自分は深く入りこんできました。
そこには、生命を守り、危機解決が日本人には必要ゆえに、
勾玉・鏡・刀こそ、モノであり日本文化のシンボルだからです。
刀=農業革命、勾玉=工業革命、鏡=情報革命だからです。
もっと詳細に付け加えると、
刀は鎌をつくり、勾玉は研磨=トライポロジーであり、
鏡は通信技術につながっているからです。
この秋から、KK塾は大阪だけではなく、
霞ヶ関の大阪大学東京オフィスでも開始します


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「喧嘩道には制度的なサンクションが作動する」


   


     9月 24th, 2013  Posted 12:33 AM



私は自称も「喧嘩師」となっています。
だから、すこぶる怖がられます。
結果、初めて出会うと「全然怖く無かったです」とか言われます。
喧嘩道は室町時代の武士道制度に当時規範が伝統的になりました。
喧嘩師には、現代流行で風潮の「倍返し」は全くありません。
刀を使わない喧嘩=口喧嘩=ディベート最良のサンクションです。
サンクションでマニフェストを論述したこともあります。
サンクションとは、制度的な賞罰を社会が自然決定する常識です。
常識に血は流れるはずもなく、賞罰・罪罰・顕彰での実力決定。
このところ、Nゲージにやたらに心惹かれて和やかな気分の私に、
盗作盗用でサンクションを資本主義的財力で制御する、
まるで仲良しクラブなら大丈夫の流行イベント、
その統括周囲の知性無き虚偽の実像を知りました。
負のサンクション裁量をすることにしました。
軍事拡大に蒸気機関車をナチス政権は「速度向上」をめざし、
一方では、赤十字が負傷者医療看護に蒸気機関車を創りました。
負のサンクションと正のサンクション。
私の趣味は、喧嘩道を明らかに支えているようです。
なぜなら、武士に刀はシンボルでしかなく、
それは正と負の決定をあくまでも厳正中立にも瞬間的な、
正と負のサンクションを明盛に決定づけることです。
私はこれを厳格な明解なる名辞的な大決定だと思っています。
せめて盗んではならない、盗んだもので過飾してはなりません。
しかし、風潮は、見て見ぬふりを温存し、
虚飾の中で自分を誤魔化す、そんな輩に厳格な少なからず、
「美」は創れるはずは無いのです。
美無くして、真も善も成し遂げることはできないでしょう。
M.ウェーバーで強化された資本主義偽善を容認だとするなら、
私は、この中核人物に「負のサンクション」を与えます。


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「デザインは問題解決!・この本質の再整理」


   


     8月 27th, 2013  Posted 12:00 AM



デザイン=designare→design。
ラテン語からアングロ・サクソン語になりましたが、
この本質を伝えるには、漢字一語がその本質を表しています。
「解」文字、この一字です。
牛には角があり、それを刀で・・・ということは、
解体し解剖し、あるいは溶解します。これが第一段階です。
次に、解体して分解したものを、解釈し解説することで理解です。
これが第二段階になりますから、解説されて理解に及べば、
第三段階は、解放されることになります。
つまり、目の前にある問題・課題・話題となっていることに対して
応答し回答し、そして解決することで、人はホッとするのです。
人は、常に問題を抱え込みますが、なんとか解決してこそ、
やっと解放されることになります。
そのために、人は、問題意識となっていることを
より明解にするべく、問題点に目印=signを付けるわけです。
この目印を付ける行為=do+sign=designareと断言できます。
問題解決された応答・回答・解答はいづれも「答」です。
「答」という漢字も優れて良く完成された文字になっています。
竹冠が「合っている」ことは「箱」という文字と対照できます。
それは箱には竹で編まれた蓋が付いていることと同義なのです。
「答」は最適解でなければなりません。
デザインは、問題点を明確にしていく思考過程に目印をつけて、
その分解・解体・解剖・溶解をすることで、
なんとか解釈をつけ、解説をすることで、理解を促します。
充分に理解できれば、人は解放されて人心地をつけられるのです。
私が、designが問題解決のための思考をめぐらしていくには、
具体的にはスケッチを描く=do+signを思考工程にしています。
たまたま、その目印が装飾的に見えるからこそ、
一般的には安易にデザインは装飾だと思い込んでいるのでしょう。
しかし、「解」・「答」という漢字とdesignareまでを
問題解決の思考に配置していけば、本当に「明確」な、
designの本質にたどり着けるものと確信しています。


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「竹刀か、木刀か、喧嘩の手段にも剛柔あり」


   


     8月 26th, 2012  Posted 12:00 AM



一人っ子の少年は、
兄弟のいる少年たちにしばしば「虐め」られていました。
大抵は、兄たちがその少年を虐めて苛めるのです。
少年は、とても力で対抗はできませんし、
泣くわけにもいかず、仕返しを考え抜き決意をしました。
(そうだ、よし夕食時に殴りこもう)と考え、
自宅にあった父の剣道用の木刀を夕方時に持ちだそうとしました。
母が必ず、木刀を持ってどこにいくのと聞いてくれるだろう。
そうしたら、理由を言えば、母は止めてくれるし、
いじめられていることも告白できる、と。
木刀を持ち出そうとすると、
その母は、言いました。
「木刀だと、本当に怪我をし破壊をするから竹刀にしなさい。」
そう言って、木刀を取り上げられて、竹刀を渡しました。
少年は行かなければならなくなりやむなく兄弟の家に行きました。
そして夕食時にテーブル上のお皿というお皿を割りまくりました。
大変な騒ぎになりました。
以後、その少年は、
「何を仕返しするかわからない男だ」という噂になりました。
完全な自己防衛ができる身分になってしまいました。
帰宅すると、母が言いました。
「やるだけのことはできたの、気がすんだの」
少年は「・・・・・ん」とだけ答えましたが震えていました。
当然、その家族は血相を変えて怒鳴り込んできました。
母は、
「弁償をさせていただきますが、
兄弟そろって息子をいじめるのは辞めていただきたい。」
少年は震えが止まりませんでした。
母は父にその出来事、事件を告げました。
父は、
「やっつけるにも手加減がいる。
竹刀で物だけ壊したから許してやる。人には竹刀を向けるな」と。
その少年は喧嘩のやり方の手段ということを考えるようになりました。
竹刀は柔らかい、木刀は剛過ぎる、
だから喧嘩の手段は論理的にも柔が剛を制するということでした。
やがて、その少年は「喧嘩師デザイナー」と呼ばれるので、
「デザイナーは喧嘩師であれ」までを出版しました。


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